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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-16.July 2013
78/500

(3) 外れた空に

【お題】秋、鳥、先例

 彼があの話を最初にしてきたのは、いつのことだっただろう。

「──別の、航路?」

 今となってはもう記憶が曖昧になってしまっているけれど、多分まだ僕らが若かった頃、

まだ“渡り”をそう多く経験していなかった頃であったと思う。

「ああ。ナギュは疑問に思ったことはないのか? 毎年、俺達が同じルートばかりを使い続

けてることにさ」

 最初は、そんな彼の問いかけ自体、よく意味が分からなかった。

 僕らは旅鳥で、冬を越す為に南国へと飛び、伴侶を見つける為に北国ふるさとに戻っていく。実際

問題、そうしないと僕らは皆凍え死んでしまう。かといって南に居っ放しでもいられない。

誰にだって望郷の念はあるし、やっぱり住むなら故郷がいい。

 行きは秋、航路に点在する大陸・島々の実りを堪能しながら。

 帰りは春、北の故郷に思いを馳せつつ、新たな出会いを期待しながら。

 それが、僕らにとっての「普通」だった。

「俺はさ……時々自分自身が気味悪くなるんだよ。生まれた時から同じ場所に腰を落ち着る

ことすらできずに、成人したらすぐに飛べさっさと飛べ、だ。加えて身体もそのサイクルに

合わせたように出来ちまってる。覚えもない地図とコンパスが身体の中にあるんだぜ? 不

気味だろ、考えてみりゃあ」

 だがこの友は、そういう普通──「常識」と闘う人だったと思う。

 いや……何処までも自由であろうとしたのかもしれない。

「それはそうかもしれないけどさ……。そもそも遺伝子ってそんなものでしょ」

「か~っ、冷めてるなあ。もっとロマンを持てよロマンを。今の内からそんなんじゃ、お前

すぐに老けるぞ?」

「……何気にそれは止めて欲しいんだけど」

 折角、僕らは翼を持って生まれた。やろうと思えばもっと自由に空を飛んでもいい筈だ。

 だけども皆はそれをしない。ただ既にある線の上を延々、自身の人生全てを費やしてでも

なぞり続ける──。

「でも、さ。今ある航路だってご先祖様達がいっぱい苦労して作ったものなんだよ? 確か

に僕らにとっては“過去”かもしれないけど、それを否定したって……」

「なんだよ。お前も皆と──大人連中と同じか? まぁ俺だってダチを下手に巻き込みたく

はねぇけどよ……」

 当時、あの頃の僕らを思い出してみる。

 彼は夢をみていた。

 ただなぞるだけの人生は嫌だ、もっとこの翼を自由に使いたいと願っていた。

「でも折角、俺は俺として生まれてきたんだ。だから何か一つでもいい、俺が生きたんだっ

て証を残したいんだよ」

 友は夢をみていた。

 自分がただ過去と未来を繋ぐ“繋ぎ”ではなく、一人の確かな旅鳥であることを自他に示

したいと願っていた。

「シーケ……」

 だけどあの時も、それ以降の何度かも、僕は彼を素直に応援することができなかった。

 当時はとても漠然としていた躊躇いだった。けれど今なら分かる。

 ……怖かったのだ。少なくとも先達が引いてくれた道しるべをなぞってさえいれば、僕は

往く当てを見失うことはない。

 友の冒険心を、一度「失敗」すれば蛮勇と罵られるであろうそれを、僕は諌めることすら

できなかった。在る常識を盾に、僕は彼とは真逆の臆病を必死に繕っていたのだ。


 だから、今思えば。

 もっと早く、僕も僕自身の心を決めるべきだったのではないかと、思うんだ──。



「おい、あいつは何をしてる?」

 それは彼の夢を聞かされてから幾つもの季節が経った頃だった。

 僕らは成長し、それまでに何度か故郷と南国を行き来し、そろそろ伴侶と子をと周囲に期

待されるようになり出す歳を迎えた頃だった。

 例年の通り、越冬を終えて故郷に戻る旅の途中、立ち寄ったとある自然豊かな島国を出発

しようとしていたその時、ふとシーケが一人、僕ら群れとはあさっての方向へ飛んでいくの

を大人達が見つけたのである。

(……。まさか)

 ぽかんと、暫く友の飛んでいく後ろ姿を見つめて、ようやく悟る。

 彼は──夢を実行に移したのだ。

 あの頃はまだ、僕らはまだ若過ぎて小さくて、一人で飛び続けるには過酷過ぎた。

 だから待っていたのだろう。身体が夢を現実へ引き寄せられる、その時まで。

 ……てっきり子供の夢だとばかり思い、すっかり記憶の奥底にしまい込んでいた僕は、そ

瞬間ときざわわと全身が寒気を伴って震えたのを覚えている。

「あいつは……シーケか?」

「おーい、そっちじゃないぞー! 何処を飛んでるんだー!」

 気付けば大人達が口々に叫んでいた。

 ぽつぽつと青空に積雲が流れる中、彼らの声がぼやけるように放たれていく。

『──』

 だが、シーケは笑っていた。

 肩越しに翼越しに、確かにこちらを見てにやりと笑っていたのだ。

「あ、あいつ……」

「まさか群れを離れる気、なのか?」

「馬鹿野郎っ! 航路無しだぞ、死ぬ気か! 戻って来いっ!」

 ややあって彼らの慰留の声は怒声に変わっていた。

 裏切り。そう大人達は感じたのだろう。

 群れの未来を担う若者、その一人。そんな彼が“身勝手”に行動することで失うものは、

何も子孫を残す可能性だけではないのだから。

「おい、ナギュ。あいつを止めろ、止めてくれ!」

「お前ら昔っから仲良かっただろ? 急げ!」

 大人達が、そう僕に振り向くと矢継ぎ早に頼んで──命じてきた。

 しかし当の僕は、その場に固定されたかのように動けない。

 春の風が流れているのを感じる。自分の翼もいっぱいに風を受けさわさわと揺れている。


“お前は──どうしたい?”


 遠く、僕に肩越しの眼を向けていた友が、まるでそう訊ねてきているような気がした。

 口だけがぱくぱくと震えている。尚も身体は一歩も前に進まない。

 僕は……。喉の奥でそう紡ぎながら、ふいっと周囲を見渡した。

 群れの皆が僕を見ていた。

 中心である中年の大人達は勿論、老齢の域にある方々、そして戸惑いを隠せずシーケを僕

を見つめている、小さな子供達。その親達。

「ナギュ!」

「どうした、早く!」

 大人達が急かしてくる。その表情かおは必死そのものだった。

 群れを抜ける者──それは残された多くの者にとって、大きな動揺だ。

 何故か? 理屈は実に明確だ。

 気付いてしまうからである。気付かされてしまうからである。先祖から脈々と受け継がれ

てきた知恵と、渡りの航路。それらが「全て」ではないこと各々に突きつけられてしまうか

らである。

 故に逸脱は好まれない。集団を揺るがせる身勝手を許さない。

 ……嗚呼、そうか。

 シーケが帰郷いまというタイミングで飛び出したのは、それを警戒してからなのか。

 北の故郷に戻れば、一族は恋の季節だ。

 そこで伴侶を得てしまえば、ましてや子供が出来てしまえば……彼は夢の為に「捨て」な

ければいけなくなる。或いは夢そのものを放棄するよう迫られるだろう。

 だから今なのだ。

 今ここで飛び出さなければ、きっと自分達は限られた空で生きざるを得なくなる……。

「もう止せ」

 そんな、半ば喚く大人達を静かに一喝したのは、群れの長老だった。

 何故です? そう戸惑いながらも渋々と彼らが大人しくなる。長老は震えの止まらない僕

を一瞥した後、すっかり遠く、点のようになってしまったシーケを見遣って言う。

「……あの若者は諦めろ。ここで捨て置く。いいな?」

 それが決断だった。

 集団を逸脱する者一人に構っているままではいられない。下手をすれば群れ全体の瓦解す

ら招いてしまう。ならばいっそ、彼をこのまま静かに排除してしまおう──そう判断したの

だろうと思う。

 大人達が無言のまま了承していた。

 とはいっても、ぞれぞれに俯いたり大きく視線を逸らしたり、その態度は煮え切らなさが

否めない。その中で絶望したように真っ青になり、嗚咽しているのは……シーケのおばさん

だった。そんな妻の背を、おじさんは渋面のままそっと擦り、まだ幼い妹と弟は何が起きた

のかすら理解できずに立ち尽くしている。

「…………」


“そっか。お前は残るんだな──”


 何も、できなかった。

 僕はあの日友を止めることも、馬鹿野郎と叱ることも、何もできなかった。



 その後、彼がどうなったかは定かではない。

 風の噂では新世界開拓の夢の最中、倒れたとも聞くし、他の流れ者達と共に新しい群れを

作ったとも聞く。或いは色々なものと折り合い、人並みに家庭を築いているかもしれない。

「パパ~」

 一人空を見上げていると、後ろからそんな可愛らしい声が聞こえてきた。

 振り向けば、小さな女の子。背の翼はまだふわふわの産毛。……僕の娘だ。

 僕は微笑み返し、駆けて来る彼女をそっと抱き寄せてやった。

 勿論、この子は友の出奔など知りはしない。この北の故郷で生まれ、幸いにもすくすくと

育ってくれている。

「あら。一人で何をしていたの?」

「……何という訳でもないよ。ただ空を見たかったんだ」

 次いで、その後を追ってくるように一人の女性がこちらに歩いてきた。

 娘と共に彼女の方を向き、苦笑する。……僕の妻だ。

「……」

 シーケと別れてから、もう何度も何度も季節が巡った。

 その間に僕は更に歳を取って大人に──すっかりオジサンになり、今では妻子も抱えてい

るごく「普通」の旅鳥になった。

 彼も……僕のようになっているだろうか?

 これまで何度も過ぎった思考を、僕は敢えてそっと千切り置く。

 友があの後どうなったかは、そう大事ではないと思う。彼は枠に嵌らぬ空を夢見て、自ら

の意思で旅立った。

 本懐は達された筈だ。僕が一緒に行かなかったことを咎めていた……ようには見えない。

 あの時、彼は僕が動けずに立ちすくんでいても、にかっと肩越しに笑っていた。僕が彼と

違う選択──をしたことで怨んでいるとは思わない。そう、思いたい。

「そ~ら~」

 手を伸ばす娘を抱え上げて、妻と並んで空を見上げる。

 天は曇りなき青、日差しが徐々に強くなっている夏の晴れ空。

 もう少し季節が過ぎて秋を通ってゆけば、また僕らは冬を越す為に南へと飛ぶだろう。


 僕は……ここにいるよ。

 君はどうしてる? 元気かい?

 

 そっと、申し訳ばかりの微風が辺りを撫でるように吹いている。

 僕らは誰からともなく互いに顔を見合わせ笑い合い、そんな過ぎ行く季節を、この小さな

家族の成長を、ゆっくりと穏やかに愛でていた。

                                      (了)

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