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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-16.July 2013
77/500

(2) 童心縁

【お題】幼少期、笛、妖精

 ──彼女には、はねが生えていた。


 随分昔、まだ自分がもっと純粋で無邪気で、何より無知だった頃の話だ。

 当時の自分はあまり活発な男の子ではなかった。自分でもおぼろげながらそう記憶してい

るし、母にも「あんたは昔っからそうよねぇ」と遠回しに揶揄される。うるさい、ほっとけ

と時たま悪態を返してみせたりもするが、事実根暗なのだから仕方なくはある。

 穏やかな陽が差す日だったように記憶している。

 その日も自分は、活発に外で駆け回る他の子供達とは明らかに一線を画し、じっと独りで

軒下の陰った床を眺めていた。

 蟻が行列を作っていた。わさわさと集っていた。

 彼らが作る無数の黒い点。その渦中には、生気を失って倒れている羽虫が一匹。

 あの日の自分は、じっとそんな静かな生命のやり取りを観ていた。

 死は単なる終わりではなく、尚残る他の生を続かせる為の糧に為る。……そんな小賢しい

世界観はともかく、あの日の自分はじっとこの小さな生と死を見つめていた。

『──君って、いつもそうやってるよねぇ』

 いつの間に近づいて来たのだろう。

 ふと声がして視線を遣ると、そこには同じく覗き込むように一人の女の人が立っていた。

 ふんわり。そう形容するのが適切と言える若草色の緩いローブを全身に通し、袖や裾は半

分より少し長い程度。そこからすらりと白い手足が覗いている。

 亜麻色の髪はさらさらのミドルショートで後頭部を編んでいるようだ。

 そして何よりも……彼女の背中には、はねが生えていた。

 羽──鳥のようなそれ、翼ではなかった。翅──言うなれば昆虫が持っているような、薄

く透明なそれである。

 そんな──どちらにせよ──人間には間違いなく備わっている筈ないものを二対、彼女は

背中から生やしていた。

『……』

 ああいう時、どういう表情かおをすればよかったのだろう。

 あり得ないもの。ここで“普通”なら驚くなりのリアクションを取ればよかったのかもし

れないが、

『……。邪魔、しないで』

 ついっと。

 あの日の自分はそう素っ気なく突っ撥ねるように小さく言うと、またすぐに蟻の行軍を眺

め出していた。

『あ、ごめんごめん。……って君、あたしのこと視えてるの!?』

 何を言ってるんだろう? そんな格好して目立たない方がおかしいじゃないか。

 自分はそんなぼやきを言いたげに、もう一度肩越しに彼女を見返していた。

 おろおろ、急に慌てた様子で周りを見渡している彼女。

 だけどこんなに奇抜な格好をしているにも関わらず、何故か園内の他の子供や先生達は誰

一人として気付いていないらしい。

『そっか……。君は、こっちに近い子なんだね』

『……?』

 そして、彼女の声色がふっと変わったような気がした。

 今も昔も、騒がしいのが嫌いな自分を逆撫でする、無駄に明るい声色。それがその一言を

切欠にとても穏やかな──まるでこちらを見守るかのような気配に、眼差しになって。

 小さく眉を顰めた記憶が残っている。

 こっちって、どっち? だけど……今ならば何となく解るような気がする。

『おともだちとは、遊ばないの?』

『……友達じゃないし』

 正直、鬱陶しかった。彼女がというよりは、次に訊ねられたその言葉が、だ。

 自分には、光が強過ぎる。

 当時から自分は、あの快活な輪の中には絶対に入れないのだと、ある種悟りのような感覚

の中に在った。

 苛められていた訳ではない。だけども溝は確かにあった。いや……自分から作っていた。

 厭だった。厭で厭で仕方なかった。

 乱されるのだ。誰かといると、自分という波紋が無遠慮に乱される。

 漠然としたもの。でもその等しい円を何重にも描いて滑っていく美しさを、彼らは無遠慮

に壊してくる。ある者は自分の波紋を被せて、またある者はいきなり障害物を突き立てて。

 ……大人になった今から思い出すに、多分それは「我」なのだろうと思う。

 だった、とは表現できない。今だって我が張り詰め続けているし、この水面を映すような

イメージはずっと意識の奥底で湛えられている。

 彼女──格好からして“妖精”さんは、暫く微動だにしない自分を見つめていた。

 最初は何とか人の輪むこうがわへ送り出そうとしていたようだが、子供とはある意味大人以上に頑固

だからこそ子供だとも言える。

 変な人が来た。だけど、知ったこっちゃない……。

 そう、あの日の自分は言い聞かせていたのだと思う。

『……だったら、さ』

 なのに、まだ彼女は話し掛けてきたっけ。

 今度こそ半眼で睨み返され、それでも苦笑いを繕って言ったのだ。

『お姉ちゃんが、おともだちになってあげよっか──?』



「……」

 嗚呼、なんて馬鹿馬鹿しい記憶だろう。

 翔平はそう独り大きなため息をつくと掌の中にあるそれを一瞥した。

 小さな笛だった。

 形状は所謂ホイッスルで、材質としては珍しい陶器のような見た目。全体には淡い緑色が

塗られており、天井の照明を受けて静かに微かにグラデーションをみせているかのようだ。

(こんなとこに転がってたんだな……)

 再び嘆息をつき、それをポロシャツの上着に押し込む。

 翔平はそんな何気ない動作の後、はたとした追憶で滞っていた作業を再開し始めた。

 小さなアパートの一室。気付けば日すら落ちてしまっている。目の前には無造作に置かれ

た荷物入りのダンボールがいくつか。

 引越しが来週末に控えていた。

 なのに翔平は今日の今日まで荷造りをする訳でもなく、日常の雑事に忙殺され、夕方に帰

宅した際にはたと思い立つと、ようやく整理を始めて現在に至る。

 ごろごろと、色んなものが出てきた。

 もう何年前の流行りかも分からず、しまい込まれたままになっていた衣類。

 もう読まないだろうなと思っていたのに、結局捨てられずに山積みになった漫画本。

 そしてさっきの笛のように、いつ手元に来たのかも曖昧になってしまった貰い物──もと

いガラクタ達。

 ──何でこう、余計なものばかりが溜まるのか。

 翔平は内心はっきりと厭気を感じつつも、のそりと立ち上がってキッチンへ。引き出しの

中から黒のゴミ袋を引っ張り出してくると要・不要の選別を併行し始める。

 ……忌々しい。

 あの笛を貰った後、自分は訊ねてくる同窓生らについ話してしまったのだ。

 これは、妖精のお姉さんから貰ったんだ──。

 まだ幼い子供同士だけだったらマシだったのかもしれない。

 だが事態は拗れた。それぞれの自宅の帰った園児らの何人かが、親にこのことを話し、同

じく笛をねだったらしい。

 園側はそういった笛の配布はしていないと答えた。では……自分の証言は?

 ほどなく自分は断じられた。“知らない人についていっちゃいけません”と。

 嘘つき。やがて自分に対する苛めが始まった。

 元より周りと距離を置いていたので無視の類はあまり意味が無い。だからこそ、彼らは無

遠慮に自分の姿を探し出しては、こちらが苛立つその時まで横槍を入れ続けた。そんな日々

が幼稚園から小学校、長い相手では中学まで続いた。

 ……乱される。また、乱される。

 心の中の波紋が何度も何度も不規則になった。その度に苛々して、厭になった。

 信じて貰えなかったことに端を発した一連の苛めは、高校に上がる頃、それまで同じ校区

という枠の中で閉じていた餓鬼どもがバラけるようになったことで一応の解消をみる。

 それでも……自分という人間における他者への不信と、比例するような対人拒否的な症状

は深刻極まりないものになっていた。

 どうやら親も学校も、自分という不良品にはやはり手を焼いて──いや、内心も顔色でも

疎んじていたらしい。

 こちらが波紋が静まるのを待っている間も、彼らはあの手この手を使って自分にレッテル

を貼ろうとした。この子は病気ですと、自身の上っ面な優等生ぶりを表明しながらのたまっ

ていた。

 ……学校という監視病棟から一刻も早く抜け出したい。

 自分が大学に進まず、そのままなし崩し的にフリーターになったことを責められるのは、

やっぱり納得がいかない。

(ゴミ、ゴミ。これもゴミ。これも……ゴミでいいか……) 

 色んなものを捨ててきたように思う。

 無駄なエネルギーを使わされる人間関係、閉鎖的で個を認めない場所、過去の記憶。

 他人との付き合いは必要最低限。所謂ブラックな所なら早い内に辞め、ねちっこい昔話を

持ち込んでくる故郷からも早々に離れた。

 それでも……人は全く一人ではいられないもので。

 今回もまた、自分は仕事先を辞めた。物仕事なのに、社内の人間関係が鬱陶しくなってき

たからだ。飲み会ノミュニケーションを断り続けたら賃下げなんて馬鹿馬鹿し過ぎる。

 これでもう何度目になるのか。いい加減履歴書の欄もかなりの過去を端折っている。

 まぁそう願って街まで出てきたのだから、ある意味本望ではあるのかもしれないけれど。

「……」

 翔平は鬱々としたまま、黙々と荷物を──少なからずを捨てることで──整理していた。

 最初は、何だったか。多分特撮ロボットの玩具、だったような気がする。

 やがては捨てた。あれだけ欲しいと思っても、時間が経てば夢から醒めるようにあっとい

う間に、魅力的に映っていたそれがセカイが色褪せていく。

 ……だけど、多分それでいいのだと思う。

 成長している証だ、というポジティブな意味ではない。ない訳ではないけれど、それ以上

に捨てなければ、忘れなければ進んでゆけないと思うから。

 他人の波紋は……こちらが距離を取ってしまえば巻き込まれることはだいぶ防げる。

 だが在ったものを捨てずに置いておけば、いずれ水面に突き刺さったままの朽ちた古木に

成り果てる。

 それらは最早、ただ在るだけで害だ。

 どんなに自分達が頑張って美しい波紋を立たせても、奴らは無遠慮に無秩序に、その均等

に立ちはだかって──乱す。

(……。そういや、飯まだ食ってなかったな)

 だから出来る限り、そんな古木は除いてゆくべきだと思う。入れ替えるべきだと思う。

 だけどそんな古木を、人は“大事”にしたがる生き物でもあって……。


 尚も残る作業量と蘇ってきた記憶で陰気さが増し、翔平は気分転換と内心で言い訳をしな

がらアパートを出た。

 向かった先は、最寄の大通りに面したコンビニ。

 数も光量も心許ない横路地の街灯も、一度そこへ出れば一挙に明るさをみせる。夜の闇は

しっかりと降りているというのにこの街はまだ眠る気配はない。

 忙しない人々の視線を避け、同時にその人波に紛れつつ店内に入り、ギリギリ残っていた

ワンコインの弁当とペットボトルのお茶を購入する。

 何も変わらない。引越し準備という点を除けば、今日も似通った都会の夜が過ぎていく。

 そもそも引っ越すのは新しい職場に近い部屋に替えるからなのだが、はたして新居から見

る夜景はどう違って映るのだろう。或いはどれほど変わらないのだろう。

「……?」

 ちょうど、そんな時だった。

 何気なく翔平が視線を向けていた少し先の路地から、一人の少年が出て来るのが見えた。

 背格好からして小学生か。こんな夜遅くまで学校ではなかろうし、右手には手提げ鞄がぶ

ら下がっていることからみても、大方塾の帰りなのだろう。

 だが翔平が注意を向けたのはそのためではない。

 ……後ろにいたのだ。ネオンの灯とその隙間を埋めるよう夜闇に紛れる、ニット帽とサン

グラスで素顔を隠した怪しい男が。

 嫌な感じがした。まさか、と疑っていた。

 ──放っておけよ。関わるな。

 そうもう一人の自分が無関心を決め込もうとしたにも関わらず、翔平は不思議と、ゆっく

りと二人の出て来るその路地の方──アパートとは正反対の方向へと足を進め始めていた。

 何故なのかは分からない……が、心当たりくらいならある。

 先刻の、あの幼い頃の記憶だ。

 報われなかった、抜け出せなかった。そんな過去と現在──未来の自分とあの名も知らぬ

少年を重ねて、その安寧を崩される瞬間を見たくなかったのかもしれない。

 はたして……予感は現実のものとなった。

 静かに少年との距離を詰めていた男が、サッと腰のポーチからナイフらしきものを取り出

すのが見えたのである。

「おい、お前っ!」

 それで確信した。だんっと歩を踏み込んで叫んでいた。

 二人の動きが止まる。

 少年はようやく男の存在に気付いて振り向くと、声にならない叫びを漏らしてその場にへ

たり込み、男はチッとあからさまな舌打ちをして突然立ちはだかったこの青年を睨み返して

きた。

 なのに……いや、だからなのか、

『──』

 刺された。

 男に何か罵倒された、それは分かったのに、身体がついてこなかった。思考がその可能性

に追いついていなかった。

 何秒か遅れて、鈍い痛みが全身に奔る。嫌な熱と汗が噴き出してくる。

 翔平はゆっくりと大きく目を見開いたまま、ぶつかるように刃先と共に突っ込んできた男

と、じわりと赤い広がりをみせていく自身のポロシャツ、腹を見下ろした。

「……馬鹿が」

 息切れしたような高揚で、男がそう勝ち誇るように呟くのが聞こえた。

 同時、翔平は崩れるようにどさっと、腹にナイフを刺されたまま仰向けに倒れ、上下逆さ

になった世界で少年が悲鳴を上げて逃げ出していくのを見る。

(……)

 何やってんだよ。

 後悔よりも、そんな自分を哂う感情が真っ先に来た。

 今更正義の味方を気取ってどうする? 要らぬお節介をするから、こういう事になる。

 倒れたままで顔は見えないが、ザラリとおそらく二本目のナイフを抜く男の気配が近付い

ていた。

 ……不思議と、恐怖はない。痛みは確かにあったが、何処か他人事のような気がした。

 それは多分、今更感だからだろう。

 自分という人間は、とうの昔に死んでいたに等しい。社会的な生き物である人間の、その

関わりを否定し続けてきた者に、どうせ確かな居場所なんてないのだから……。

「……?」

 すると、胸元からポロリと何かが落ちるのが分かった。

 コツンと掌に転がり、当たる。ぼうっとしてきた意識の中、視線を向けてみれば、それは

いつかの小さな笛だった。……どうやら荷物の中から見つけた後、そのままにしてしまって

いたらしい。

 妖精のお姉さん。今思い返してもなんて幻覚ものを見ていたのだろう。

 ──いや、そうじゃない。今目に映っている形、確かに掌に伝う陶器質な感触。

 これは……本当に自分が生み出しただけの虚構うそなのか?

「……」

 翔平はゆっくりと笛を口に持っていっていた。

 何を血迷ったか。思ったが、一方で笛の音というものがあればこの薄暗い路地で起こって

いる事件を誰かに知らせることができるのではないか? そんな算段も過ぎりはしたのだ。

 ……にも関わらず、期待したような音色は現れてくれなかった。

 響いたのは、高音過ぎて聞き取り難い小さな音色。当然ながらそんな小さな音くらいでは

この街の喧騒は一ミリも振り向いてくれはしない。

 もうそれだけ自分に力が残っていないのか、或いは元からこの笛はこんな音なのか。

 翔平は半ばを過ぎた諦観と共に小さく哂った。そうさ……今更こんなことをしたってどう

なるものか。

 そう思い直すと、また全身をどっと気だるさが襲ってきた。

 男は二本目のナイフを突き立てる気なのだろうか? だがもう、このまま自分は逝ってし

まえそうな気がする。

 これも……波紋ではあるのか。

 自身の胸に刺さったナイフを中心として、死が拡がっていくイメージ。

 だとすれば、自分にはお似合いの終わり方だなと思った。散々嫌っていた、他人が突き立

てたものによってエンドマークが結ばれるのなら。

「…………」

 だからせめて、二本目は止めてくれ。波紋が……乱れる。

 そう翔平は、ゆっくりと身体が訴えるままにそっと目を閉じようとする。なのに。

『──』

 刹那、光が弾けた。

 そう光だ。白く眩しい光だ。

 少なくともネオンの灯りではない。それらですら、昼間そのものの明るさを出すことは不

可能であると言っていい筈なのに。

『……やっと呼んでくれたね。随分と放りっぱなしだったじゃない』

 彼女が──いた。

 背に生えた二対のはねをゆっくりと揺らし、明るさと共に中空に浮かんでいる。

 ゆったりとした若草色のローブとミドルショートの亜麻色髪も、あの頃のまま。

 間違いない。あの時に見た妖精のお姉さんだった。

「なん、で……」

 翔平は揺らぐ瞳でそう呟くのが精一杯だった。

 自分は、一体どこまで幻覚を見ているおかしくなったのだろう? それにしては今、カチャンと金属が

地面に落ちる音がしたような……。

 それはまるで、男もこの異様な光景に唖然としているかのように。

『……さて、と』

 彼女は暫し穏やかな笑みで翔平を見遣った後、男に向き直っていた。

 背後に差す、一面の光。

 そんな夜中に起こった昼間に、彼はあたかも何もできずにぼうっと彼女を見上げることし

かできないように見える。

『少しばかり痛い目に遭ってもらうよ? あたしの友達に、手を出したんだから』

 フッと男に示した不敵な笑み。

 妖精の翅を持った彼女は、言ったのだった。


                                      (了)

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