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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-11.February 2013
55/500

(5) 朧気リフレイン

【お題】森、車、子供時代

 “子供”だから許されるという言い方はあるけれど、果たしてそこにある“無知”は何処

まで許されるものなのだろう……?

 もしあの時知っていたら救えたのだろうか。

 それとも当時はやはり子供には変わりないのだから、何も出来ないのだ同じなのだと哂っ

て思考を放棄すべきなのか。


 まだ幼かった頃の話だ。僕は学校が終わってはよく会いに行く人がいた。

 名前は知らない。結局知らずじまいだった。

 だから、あの時と同じように「おじさん」と呼ぶことする。

 おじさんはいつも、当時僕が住んでいた町の郊外にある小さな緑地公園にいた。

 いや……住んでいたのだ。あの頃の僕はその事実に気付けなかったけれど。

 ダンボールやブルーシートで壁を作った木々の根元で、おじさんは僕がやって来るとフッ

と穏やかな──でも何処か辛そうな──表情を浮かべていた。

 最初は、確かゴミを拾っていたおじさんの手伝いをしたのが切欠だったように思う。

 あの時僕は、自分も“掃除”をしていい子を演じていたつもりだったのだろう。おじさん

に集めたゴミを渡して「ありがとう。助かったよ」と静かに微笑まれ、頭を撫でられ。

 いつしか、僕は折につけておじさんの下を訪ねるようになった。

 頼まれた訳ではない。でもその時は、大抵一緒に食べれるようにとお菓子やらジュースも

リュックに入れてトテトテと公園までスキップしていたような気がする。

 おじさんは、いつもボロボロの服を着ていた。

 僕が「着替えはないの?」と問うと、おじさんは決まって「おじさん、あんまりお金持ち

じゃないんだよ」と微笑わら──哂う。……子供だったから、許されていたのか。

 おじさんは寂しそうだった。

 おじさんはいつも木の下でしょんぼりと座っていた。

 だから、あの頃の僕は「友達」を作ればいいと考えた。いっぱい「友達」ができれば寂し

くなんてないと考えた。

 二人だけだった集まりが、やがて三人、四人、五人……と増えていった。

 学校の友達を誘った。優しいおじさんがいるよ、と。

 実際、おじさんは優しかった。

 だけど、今の自分なら分かるけれど、いつも何処か影を纏っているようにも見えた。

「──佐藤くんはいいね。お友達がいっぱいだ」

「うんっ! だけど、おじさんもだよ? おじさんも、僕らの友達」

「……」

 多分これからも、僕は忘れることはないだろう。

「……ありがとうな。こんな私を、友達だと言ってくれて」

 そう痛いほど優しく哀しく微笑わらいながら、ゆっくりと僕の頭を撫でてくれた時の表情かおを。


 別れは──突然やって来た。

 確か冬も峠を越えた頃だったと思う。風はまだ冷たいけど、日差しは少しずつ春の温かさ

を帯びているように思えた。

(……あれ?)

 最初の変化は、その住処だった。

 いつもの木の下、ダンボールとブルーシートの野外小屋におじさんの姿がなかった。

 僕は小首を傾げていた。その日も一緒に来てくれた友人数名と、いつものように持って来

たお菓子やジュースを抱えたまま辺りを捜す。

 でも、おじさんの姿は何処にもなかった。

 最初はちょっと何処かに出掛けているだけだよと思った。確か実際、記憶が正しければ、

あの時の僕はそう皆と言い合って苦笑していた。

 だけど……その捜索が一時間、二時間と長引くにつれ、僕達の不安はどうにも抑え切れな

いものへと膨らんでいった。

 ──ありがとうな。

 そう、僕らに笑ってくれていた、影を差して佇んでいた、おじさん。

 僕らの脳裏にそんな、ふとすれば“消えて”しまいそうなほど希薄なおじさんのイメージ

が過ぎって……お互いに顔を見合わせて震えた。

 出て来てよ、おじさん。もう、いいから。ね? 出て来てよ──。

 なのに。

 なのに僕らは、最悪の形で対面することになる。

「いた! お、おじさん、が……っ!」

 辺りに茜色が差し始めていた頃だった。捜索範囲を公園全体にまで広げていた中、友人の

一人が見つけてしまったのだ。

『……』

 僕達は、絶句した。

 何故か? それは凄くシンプルだ。

 だってその時おじさんは──打ち棄てられた車の中で、冷たくなっていたから。

 暫くの間、僕らはおじさんと車を取り囲んで愕然としていた。

 やがて友人たちの視線を受けて、僕がそっとおじさんの下まで這い登る。

 そっと、ゆっくりとおじさんの頬に触れると……恐ろしく冷たかった。

 なんで? どうしたの、おじさん?

 触れた手は頬から口へ首筋へ、そして心臓のあるであろう胸元へ。

「……死んで、る?」

 長い長い時間を経て、ようやく僕らはその事実を認識することができた。

 大変だったのはそれからだ。

 携帯電話を持っていた友人の一人が──助けるんだという希望も込めて──119番通報

をし、しかしながら駆けつけてくれた隊員さん達によってそれはすぐに110番に変わる。

 普段僕ら以外殆ど人のいない公園が、にわかに騒々しくなった。

 ……薄情にも、この辺りからの記憶は曖昧になってしまっている。

 ただ慣れ親しんだ筈の緑は、白と黒の金属の群れと、無遠慮に点滅する赤色で塗りたくら

れて、たくさんの大人達が周りを囲んでは中に刑事さん達が身を滑らせていく。

「君達が見つけた時には、もう動かなかったんだね?」

「はい……。揺さぶっても何をしても起きなくて。凄く顔色が悪くて、それで……」

 とても怖かった。

 でもそれは刑事さん達の、貼り付けただけの優しさを感じ取っていたからいうよりは、

「何で今まで黙ってたの! 不審者しらないひとについて行っちゃ駄目でしょ!」

 何処からか騒ぎを聞きつけてやって来た母さんの、開口一番のビンタと怒声。

「……はぁ。何かされる前にいなくなってよかったわ。……汚らわしい」

 そして、僕には聞こえていない気でぼそりと呟いていた、人が人を否定する言葉で──。



「──っ、ぁ……」

 とても嫌な、とても厭な夢だった。

 佐藤はもそりと、布団に沈めていた身体を動かそうとするが、力が入らない。

 寒気のする手を伸ばし、枕元に置いていた物の山の中から体温計を取る。はむと口に咥え

て暫し、弾き出された数字は三十九度八分──まごう事なき高熱だった。

(……治んねぇ)

 先日から、佐藤は風邪に罹って寝込んでいた。

 しかも中々に性質の悪い輩が入り込んだらしく、こんな状態がもう五日目に入っている。

 会社にはとうに連絡した。風邪でまともに動けません、休みますと。

 だが……課の上司は冷淡だった。

 曰く「体調管理も仕事だぞ?」「いきなり言われても、お前の仕事をどう振ればいい?」

とのこと。畜生め、僕はお前の駒をやる為に働いてるんじゃないぞ。

 そんなことを考えたら、余計に頭が痛くなってきた。これで悪化したら治療費の一つでも

請求してやろうか? 佐藤は半ば真面目にそんなことをぼやっと思い始める。

「……」

 厭な夢だと言った。

 だが、それはあのおじさんに対して、ではない。

 自分も三流ながら大学を出て、必死こいて就活をして、結局某中小企業に落ち着いて。

 あの頃に比べれば、知恵はついた筈だ。少なくとも「脱落者と仲良しこよしするのは駄目

ですよ」という世間様の不文律くらいは把握しているつもりだ。

 だけど、それは裏を返せば自分もまた脱落者になりうる、ということではないか。

 恐れているのだ。呑み込まれる、自分もあんな境遇になる──墜ちる。

 まるで穢れを見るかのようなクソッタレな常識。蓋をして見えなくすれば、ほらセカイは

正しく回っているでしょう? という必死なアピール。

 馬鹿だよな、と佐藤は思った。

 結局おじさんの死因は知らない。というか、知ることすら当時は許されなかった。

 名前さえ聞いていれば……と悔やんだが、よくよく考えれば自分が訊いた覚えも無いし、

多分おじさん自身も下手に巻き込むまいと語らなかったのではないかとさえ思う。

 似ていると……思った。

 全然違うじゃないかと言えばそうかもしれないが、似ていると思った。

 あの日々のおじさんも、今の自分も、世の中の誰かに要らなくなったら忘れられていくの

ではないかと思った。そうやって、世の中を回す歯車は作り出され、調教され、随時交換を

繰り返していく。

(……このまま治らなくて死んだら、やっぱ僕もアレ扱いなんだろうか……?)

 孤独死、孤立死、無縁死。テレビでしばしば取り上げられ、その癖大して世の中は動かず

無関心なままのフレーズが茹で上がった脳裏を過ぎる。

 そんな心身状態だったからか。はたと、解ったような気がした。


『……ありがとうな。こんな私を、友達だと言ってくれて』


 おじさんだ。あの時、おじさんは確かにああ言った。

 今なら分かる。おじさんも孤独だったんだ。

 だから無邪気に絡んでいく僕らが心配で、愛おしくて──だから黙ったまま死んだ。

 行く末を憂いての自殺だったのかもしれない。或いは昨今のホームレスリンチのように、

誰かに害を向けられた他殺だったのかもしれない。

 今では……もう知ることもできないけれど。

「……」

 だけど不思議と佐藤は笑っていた。いや、哂っていた。

 昔のような、仕込みなしのダチもいなければ、勿論看病してくれる可愛い彼女なんている

筈もない。そういえば孤独ってやつなのだ。……だけど、時を越えて一緒だよねと語り合え

る気がした。おじさんが、色褪せた向こうで苦笑している姿が見える気がした──。

『佐藤さん?』

 そんな時だった。はたと、アパートの部屋をノックする音がした。

 何よりも驚いたのは、その声が聞き覚えのある声だったという事で……。

「管理人、さん?」

『ああ、よかった……。おられますね。先日、風邪で寝込んでると聞いたので様子を見に来

たんです。あの、動けますか? 鍵開けて頂けますか?』

「……すみません。ちょっと無理です……」

『あわわ。そ、それは……。じゃあ、こちらからマスターキーを使わせて貰っても宜しいで

しょうか?』

「あ~……はい」

 ご丁寧なおばちゃんだなと思った。嗚呼、おじさんが遠退いていくじゃないか。

 ガチャガチャと扉の向こうから鍵束の音がする。すぐにでもこのまま彼女に、この風邪に

ノックアウトされた貧乏青年の図がお披露目されることだろう。

「……」

 だが、何だか悪い気はしなかった。勿論、そういう趣味ではなく。

 ただ、何となくホッとしたのだ。たとえそのお節介が結局の所、死人やら重病人などが出

たら色々面倒になるからという保身が故であっても。

「佐藤さーん。入りますよー?」

 無駄に重い我が家の扉が開く。

 佐藤は、布団の中でごろりと寝返りを打つと、何ともいえない苦笑を浮かべた。

                                      (了)

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