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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-10.January 2013
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(2) 転眼薬

【お題】天国、目薬、記憶

 見知らぬ小包が届いた。

 ただそれ自体は、今のご時世よくあることではある。……だがそれにしたってこれは流石

に胡散臭過ぎるのではないだろうか。

『目に一滴点すだけで、他人の記憶ビジョンを楽しめます』

 宛先は間違いなく自分の住むこのアパート。数秒じっと伝票を睨んでから、薄茶色の包装

紙とガムテープを手荒に破って開封する。

 一回り小さくなった中身、特に飾りもない厚紙の小箱にそれは入っていた。

 中身は数本のちまっとした──そう、目薬によくあるような容器。そしてそんな説明書。

「……はぁ」 

 自分は思わず眉を顰めていた。

 怪し過ぎる。

 文面をざっと読んでみる限り、おそらくダイレクトメールならぬ無料サンプルの類なのだ

と思われる。説明書曰く他者の記憶を見れるというが……空想世界の中ならともかく、この

科学万能の時代に急にそんなSFチックな宣伝文句を投げ付けてきて飛びつくとでも思って

いるのか。

「数撃ちゃバカにも当たるってか……?」

 哀れみ、鼻で笑う冷笑。

 そんな感情が意識を満たす中で、自分はこれら容器をためすがめす手に取ってみていた。

 一見するとこの目薬(なのかすらも怪しいが)も無色透明、ごく普通の液体であるように

見える。市販品に比べると若干小振りな気もするが、それ以上に目に映っていたのは各容器

に巻かれているラベルだった。

 サンプルは計十本。それぞれに印刷字の人名が記されている。

 何処の誰とも知れない人間の名前達。

 説明書の通りだとしても、そんな他人の記憶を見れて何が嬉──。

(……ッ!?)

 だが最後の一本で、検めていた手が思わず止まった。

 いたのだ。自分の知っている人間の名前がそこには書かれていた。同姓同名の別人でなけ

れば、まさかここにはあの人の記憶が閉じ込められているというのか……?

「……」

 躊躇いが数十秒、我が身の動きを止めていた。

 安アパートの部屋の中で一人、じっと胡散臭い点眼容器と睨めっこをしている。

 嫌な汗がつぅっと首筋を伝った。気付けば急激に蒸発したかのように、身体が水気を欲し

ている。

(確かめねぇと……)

 正直不本意だったが、そうして自分は意を決し、この容器から一滴ずつを両眼に点した。



 水分が眼球を覆ってゆくのが分かる。

 これが普通の目薬なら「効くぅ~」と余韻に浸っている所だが、今回ばかりはそうはいか

ない。恐る恐る、信じているようで信じたくないような揺れる気持ちのまま、そっと一度は

閉じた目を開いてみる。

『あなた。こっちこっち』

 最初視界に映ったのは何処かの繁華街らしかった。至近距離──というより“自分”から

声がしたかと思うと、ふいっと視線が勝手に移って一人の男性の手を取る。

 ──マジで他人の記憶を見ている、のか?

 自分は文字通り我が眼を疑った。

 だがこの感覚は間違いなく自分の身体が何かを見ているそれだ。しかし今、意識と身体は

全くの別人と化している。意識は自分で、身体の方はある女性。直前に点した目薬に書かれ

ていた名前の本人なのだろう。

『おいおい、あんまりそんな急いだら転ぶぞ?』

『大丈夫。あなたこそぼさっとしてると人ごみに呑まれちゃうわよ?』

 デート中か何かだろうか。女性はこの男性と一緒に歩いているらしかった。

 金属の梁をプラスチックな屋根で覆ったアーケード。その下で自分達はごった返す人ごみ

の中を往く。

 ……思い出した。ここは隣町の商店街ではないか。

 でもこの人の入りからして、今──この記憶の中の時間では休日・祝日だと思われる。

『いっただきま~す!』

 女性と男性は暫くウィンドウショッピングを楽しんだ後、蕎麦屋で昼食を摂り始めた。

 ここで分かったことなのだが、この彼女、相当に大喰らいだ。どう見ても男女逆だろうと

ツッコミたくなる程の山盛り蕎麦を前に手を合わせてから、幸せそうに頬張っている。

 それでも慣れっこなのか、男性は対照的に控えめな蕎麦を啜りつつそんな彼女を微笑まし

く見守っているように見えた。時折飛んだそばつゆをティッシュで拭いてあげるなどの甲斐

甲斐しさも発揮している。

 線が細く整った顔立ちの、だけど少しひょろっと痩せ気味で頼りない印象。

 だが異性と無縁な自分でも分かった。

 この二人は──好き合っている。恋人同士なのだと。


 そう思って“自分”の方の目を伏せがちにした、次の瞬間だった。

 気付くと先程までの人気は立ち消えていた。外は暗い。ただ自分──いや彼女が一人エレ

ベーターの中で、頭上の階層表示のランプを見上げている。

 先程のジーンズ姿の普段着とは違う、スーツ姿。仕事帰りか。

(……ッ ぁ……っ)

 彼女ではない、自分の心臓の鼓動が早くなるのが嫌というほど分かった。

 まさか。まさかあの時なのか? 自身の記憶。引き出したくないと念じても、そんな抵抗

など無意味であるかのように脳裏に蘇る。自分は……この先の結末を知っている。

『? 開いてる……』

 エレベーターを降り、アパートの一室の前で鍵を差し込んで彼女は怪訝な顔をした。

 駄目だ。入っちゃ駄目だ。

 そう自分が訴えかけても意味は無い。分かっていても、止めたく思う。

『……』

 彼女が警戒心で眉を潜める感覚が伝わってきた。そろりと、開かれた玄関扉から身体を捻

じ込ませ、忍び足で中へと入っていく。

『えっ?』

『……ッ!?』

 嗚呼、やっぱりそうなのか。

 程なくして、遂に彼女は鉢合わせてしまった。

 自身の部屋に侵入した空き巣──他ならぬ先日の自分と。

『あ、貴方誰? ど、泥棒!?』

 彼女は驚き戸惑いながら叫んでいた。

 だがそれ以上に狼狽していたのは、他ならぬあの時の自分。

 あの時の自分はガタンッと物色途中だったローチェストに身体をぶつけてふらつきながら

も、慌ててその場から逃げ去ろうとしていた。

『ま、待ちなさい!』

 しかし、ここで彼女の気丈さが発揮された。されてしまった。

 隣室に逃げようとするあの時の自分を追い掛け、彼女は猛然と身を返して駆けたのだ。

 片や侵入者を咎める義憤の女性ひと

 片や侵入中に鉢合わせてしまい、よたよたと逃げる自分。

『うっ、あ。は、離せ……!』

『離すもんですか。この泥棒っ!』

 あの時の黒ずくめの自分を、彼女は程なくしてむんずと掴んでいた。自分は怯えた表情を

全面に張り付け、腕を取ってくるその手を必死に振り解こうとする。

 暫し、お互いに押し合い圧し合いの攻防が繰り広げられた。

 男と女では腕力に差がある筈──でもいざ力を振るう覚悟や心算がなければ容易にその自

力の有利はひっくり返る、それがあの時嫌というほど学んだことだった。

『やめっ。俺は──』

 だがはたして、自分達の選択は何処で間違ったのか。……いや、始めから間違っていた。

 ゴガッと、硬い何かにぶつかる音が頭の中でした。

 あの時の自分はその鈍い音──いや、先ほどまで自分を捕らえ咎めようとしていた彼女が

その場に崩れ落ちるさまにビクリと大きく身を震わせて飛び退いていた。

 倒れていた。

 今の自分の意識が、この女性の身体が、瞬きもせずに畳部屋の上に倒れていた。

 じわりと、やや遅れてその後頭部から静かに赤い池が広がっていく。

 ハッとなって向こうの自分は視線を上げていた。彼女の後ろには……重そうな木製の箪笥

が立っている。

 すぐに理解が追いつかないといった感じだった。もうこちら側の自分は今にも悲鳴をあげ

てこの場から逃げ出したかった。

 ──勢い余って角に頭をぶつけたんだ。

 ──自分が、彼女を死なせたんだ。

『ぁ……あぁぁぁぁぁぁ!!』

 あの時の自分と今の自分。

 悲鳴と逃げ出す姿がぴったりと重なる。


「──ッ、ハァッ!!」

 記憶あくむは、そこでようやく醒めた。

 両目を掌で覆う。もう一度恐る恐る手を除けて辺りを見渡してみたが、場所と時間は既に

散らかったアパートの自室に戻っていた。

「……」

 心臓がまだバクバクと鳴っている。それほどリアルな映像──記憶だったという事か。

 足元に転がっていた説明書に手を伸ばす。……やはりそうか。この奇怪な目薬が見せる記

憶は一時的なもの、目薬の水分が乾けば消えてしまうらしい。

 猛烈に喉が渇いていた。

 勿論、恐怖だ。後悔と自責の念だ。

 バイトの掛け持ちばかりでは食っていけなくなり、暫く前から余所のアパートに空き巣に

入り始めていた。無い知恵を絞り、足がつくような貴金属ではなく現金のみを狙った。

「くそ……。よりにもよってあの女のだなんて……」

 よろよろと立ち上がった。

 何故サンプルに彼女のものが混じっていたのか。

 考えたくもない。今はただ、み……水を──。

「……」

 だが、そこでようやく気が付いた。

 他人ひとが立っていたのだ。ふらふらと流しまでやってきた自分を見下ろすように。

「ぁ……」

 何故? 誰?

 そんな断片的な疑問・思考はすぐに吹き飛んだ。

 確かこの小包を届けに来た配達員だった筈だ。だが受け取る時ぼんやりとしていた事もあ

って、ようやく自分は今置かれている状況を悟る。

 ゆっくりと帽子を取ってこちらを睨んできた男は、あの時の男性だった。

 痩せぎすが更に進んで頬や目元が削げ落ちてこそいたが、間違いない。そして……自分に

向けてくるこの眼は間違いなく──。

「ガッ!?」

 刹那、目の前が暗くなって腹に衝撃と生温かい感触が溢れた。

 勢いのまま尻餅をつき、そっと手を当ててみる。

 ……血だ。ざっくりと腹を刺されて薄手のシャツがどんどん赤くなっていく。痛みはその

後に、理解の及ぶ鈍足を蹴飛ばしながら襲ってきた。

「どうだ……? あいつの痛み、分かったか?」

 のたうちまわる自分に、のしっのしっと男は近づいてきた。ぼたぼたと、手にしたサバイ

バルナイフから血が滴っている。

 自分は肺が潰されたかのように声が中々出せなかった。過呼吸という奴か、息を吸うばか

りになって身体がひっきりなしに戦慄いていることだけがはっきりとして分かる。

「その商品、凄いだろ? 閃いてメーカーに頼んだんだ。僕もその目薬でお前を探し当てた

のさ。……畜生。こんなに、こんなにすぐ近くにいたのに……!」

 ぐっと今度はナイフが両手で握られ、振りかぶられる。

「まっ、待ってくれ! お、俺は。俺は殺すつもりなんか──」

「うるさいッ!! 陽子の……陽子の仇ぃぃぃーーッ!!」

 弁明なんてもう遅い。

 最期にこの両眼は、振り下ろされ飛び込んでくる刃を映していた。

                                      (了)

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