(1) アップル・ファム
【お題】陰、林檎、幼女
失ってから悔いるのは遅過ぎる、そう分かっていても、魂は全身は尚も繰り返し強い悲し
みを訴え掛けてくる。
……妻が死んだ。
呼び寄せた医師に診て貰った所、過労による抵抗力の低下が遠因らしい。
今更だろうと哂うもう一人の自分に構わず、私は涙を零した。後悔の念が胸奥をそのまま
突き破ってくるかのような錯覚すら覚えた。
一向によくならない本国を出奔し、新大陸の開拓団に加わって十年近く。
当初心の何処かで思い描いていたフロンティア・ドリームは次第に色褪せ、今や私は雇い
の人足らと共に、買い取った(割り振られた)土地を開墾する日々を続けている。
なのに……君がいなくなってしまってはどうすればいいのだろう?
やっと土地も大よそ均せてきた。少しずつ農園の経営も黒字ラインに向きつつある。
それもこれも、陰で私を支えてくれた君がいたからだ。……もっと君を蝕む病に早く気が
ついていれば、私は君を救えたのだろうか?
「……」
だが、と思い直す。
君という女性の事だ。仮にもっと早く気取れていても、君は私の夢──この未開の新大陸を
花と緑で溢れさせることを優先して隠していたかもしれない。
(マリー……)
本当に、ずるい。水臭いじゃないか。
君も一緒にいてくれなくっちゃ、本当の意味で“満開”になんてなりはしないのに。
「パパぁ」
そんな時だった。
葬儀の手続きを済ませ、ベッドの上で冷たく眠る妻の手を握っていた私に、ふと娘が声を
掛けてきた。
「……うん? どうしたんだい?」
まだ幼いからか、それとも母譲りの気丈な子だからか、この子は母親の死を前にしても大
きく動揺したり泣いているようには──勿論、私がそう勝手に思っているだけという可能性
もあるのだが──見えない。
ちょこんと顔を上げ、あどけなく見つめてくるこの妻の忘れ形見に、私は精一杯の微笑を
作って応えてやる。
「ママの頭に何か挟まってるよ?」
「え……?」
乾いた笑みがサァッと引いていくのが分かった。
娘に言われて妻の枕元をよく見てみると、そこには紙切れ──いや白い便箋が一枚、確か
にこっそりと挟んであるではないか。
殆ど反射的に、私はそれを認めた瞬間手を伸ばしていた。震え出す手で裏返し、早速中身
を検め始める。
『──愛するヒューゴ、エリーへ』
便箋の裏端には、確かにそう妻の筆跡で私たち父娘への宛名が書かれていた。
一言でいえば、やはりそれは遺書だった。
これまでの人生に悔いはないこと。私達と在れたことは幸せだったというメッセージ。
そして最後に“私の亡骸は貴方の農園が見える場所に埋めて下さい”という願い。
見つけたタイミングがタイミングで、葬儀方面の関係者には改めて手間を取らせる格好に
なってしまったが、私は彼女の最後の望みを無碍する気にはなれなかった。
一両日中に執り行なわれた葬儀。
その後、同期に移住した友人・知人や近隣の人々に見守られながら、妻は土の中へ眠りに
就いた。遺されたメッセージに従い、その亡骸は農園を見下ろせる小高い丘──私達がこの
土地にやって来て最初に植えた林檎の樹の傍に納められた。
──今思い返せば、理由はそこにあったのかもしれない。
不思議なことに、その年から私の農園では自分でも驚くほどに豊作が続いたのだ。
勿論、私自身よい作物を育てようと日々試行錯誤を続けてはいる。だが本国でも農業に関
わっていた経験上、それらがすぐに効果を発揮する──むしろ良い影響になることすら稀で
あることは明らかだ。
なのに……次の年も、更に次の年もと豊作の連鎖は止まらなかった。
私は戸惑いつつもその恵みに感謝した。妻を失った哀しみを、空いてしまった穴を、期せ
ずして潤うようになった懐で埋めるようになっていた。
「いつもご苦労さま。じゃあ、これが今年分の給金だよ」
「はいっ!」「ありがとうございます」
それでも、何処か満たされないというのは惚け──我がままなのだろうか。
その年の収穫期と出荷作業も終わり、私は従業員らに給金を渡していく。彼ら自身は自分
達の頑張りでこの農場が大きくなったのだと自負しているようだが、私はむしろ内心そんな
彼らの笑顔を見るのが後ろめたく思える。
「パパ元気ないね。……疲れた?」
給金と暇を受けて立ち去っていく彼らを、私と少し大きくなった娘は見送っていた。する
とふと、そんな思考が漏れ出ていたのか彼女からそうした心配の声が紡がれる。
「……大丈夫だよ。今はよくても、いざ不作になってしまえば皆を食べさせてあげられなく
なるんだから」
私はフッと苦笑していた。まだ十歳に満たない娘に心配されるなんて……。
だからこそ、私は自戒を込めて気を引き締めようとしたのだが。
「そんな顔しないで」
見上げる娘はにこりと笑って、
「ママはずっと、私達のことを見守ってくれてるんだよ?」
ふいっとあの丘──妻の眠る林檎の樹と墓石のある方向に眼を遣って言う。
もしかしたら、あの言葉は娘なりの助言──直感が成したものだったのかもしれない。
事件はその年の冬に起こった。
年末に備え、倉庫の掃除の為に何気なく私が足を運ぶと、そこに見るからに怪しげな風貌
の男達が十数人、手に篝火を焚いて立っていたのだ。
「──!? ……」
曲がり角寸前で咄嗟に身を引っ込め、改めてじっとその様子を窺う。
辺りを警戒しているらしく、男達は暮れなずみの中、焚いた火を明かりにある一点を見下
ろしていた。
それは倉庫の脇に補完していた建材。
彼らはそれらに、一斉に火を近づけ──。
「そんな所でどうしたの、パパ?」
『ッ……!?』
最悪のタイミングだった。ペットの犬猫達と遊んでいた娘が、はたと身を隠していた私の
姿を認めて声を掛けてきたのである。
当然、その声は男達にも届いていた。
結果的に倉庫に火を放たれることは免れたが、状況はむしろ悪化している。
篝火と共にバタバタと男達が駆け出してくるのが見え聞こえ、私達はあっという間に彼ら
に追いつかれてしまう。
「ほう、そっちから出てきなすったか。ヒューゴさんよ」
「手間が省けた。先にあんたらを殺っておこう」
明確な殺意があった。内数人が篝火を手にする係に回り、残りの七・八人ほどがザラリと
腰に下げていた短剣を抜き放つ。
「……逃げるんだ、エリー!」
迎え撃つなど考えられなかった。ただ脳裏を過ぎったのは、せめて娘だけでも助けなけれ
ばという思い。私は取り囲まれる前に娘を抱き寄せ、一目散に走り出す。
男達は追って来た。
恐怖する。混乱の只中で思考する。
金目当ての野盗ではないのか? そういえば「手間が省けた」と口にしていたが……。
それでも足は駆け続ける。誰か人を呼ばなければ、保安官を呼ばなければ。
だが今は農閑期。従業員の殆どは休暇で各々の実家に帰っている所だし、ご近所さん達に
助けを呼ぶに行くにしても──農園が点在するこの土地柄故──距離がある。
だから私は、自然と集落の村道ではなくそれらを縦断する位置にある丘へと逃げていた。
そう、以前妻を弔ったあの林檎の樹の丘である。
「……逃げたって無駄だぜ?」
「誰も助けには来ねぇよ。諦めな」
ここからなら少しでも早くご近所さんの所へ行ける……と考えての事だったが、荒事はど
だい向こうの方がプロである。私達はややあって彼らに追いつかれていた。今度はしっかり
と全方向から囲い込み、逃げられない状況までセットになって。
「……」
娘を抱き寄せ、私は暫し眉間に皺を寄せていた。
金目当て──金庫の類を聞き出すなら、この状況は不自然だ。家人がこうして逃げている
今の内に彼らの一部が戻り、家の中を荒らせば済む事ではないか。
なのに彼らは一人もそうはせず、あくまで私を狙う。
「……誰に頼まれた?」
そして私が半ば確信を得る為に投げ掛けた質問に、男達は得物を構えるだけで応えた。
とはいえその反応で確信は得られた。……狙いは私だったのだ。金銭以上に、怨恨。
闇が深くなっていく。篝火とその中で蠢く男達の顔、握り締める凶刃だけが赤みを帯びて
視覚に映り込む。
怯える娘を、ペット達を強く抱き寄せて私は死を覚悟した。
こんな終わり方か。でも、こうして妻の傍で終われるのなら、まだ──。
(……?)
だが思わずきゅっと眼を瞑った私達に、その刃は一向に突き刺さらなかった。
代わりに頬を撫でていったのは、ざわっと吹き抜けた一陣の風。
私達は恐る恐る目を開けた。
そこには──見知らぬ人影らが、まるで私達を庇うように立ちはだかっていた。
先程の風のせいだろう。篝火の多くが消えたことでその表情はよく窺えない。加えてこの
集団は皆一様に目深に被った麦わら帽子とくせっ毛のボサボサ髪、ボロボロのローブで身を
包んでいるらしく、尚の事素性がはっきりしない。
「ぐっ……!?」
「お前ら、何モンだ……?」
『……』
目を凝らす。見れば麦わらの一団はローブから繰り出した杖……のようなもので男達の短
剣をがしりと受け止めていた。
少しずつ暗さに目が慣れてくる。あれは硬木か。果樹が持つような、ごつごつした木肌。
麦わらの一団は暫し防御を取った後、一斉に反撃に転じた。
見事なまでにシンクロした棒術が男達の鳩尾や額、得物を握る手を捉え、武器を弾き落と
された男達は一様に総崩れとなる。
『…………』
今度は麦わらの一団が男達を囲う番だった。
少し尖り気味な杖の柄先を突きつけ「ひぃっ!?」とすっかり怖気づく男達を威圧する。
「くそっ、何なんだよ!?」
「こんな用心棒がいるなんて聞いてねぇぞ!」
「……。やっぱり雇われていたのか」
「ぬっ」「そ、それは……」
またボロが出た。私はどうやら味方してくれているらしいこの麦わらの一団の後ろから、
眉を顰めると改めて問い質す。
「答えてくれ。正直に話してくれればこれ以上危害は加えない。いいですよね?」
『……』
念の為そう聞いてみたが、麦わらの一団はちらとこちらを見遣ると、コクと小さく頷いて
くれた。男達はそのやり取りを見て互いに顔を見合わせていたが、とうとう白状し始める。
「……さっきも漏らしちまったろ。誰も助けに来ないって」
「俺達にこの話を持ち掛けてきたのは、ここの村長だよ」
「えっ!?」
「……。あんた、嫉妬されてたぜ? この農園だけやけに豊作続きらしいじゃねぇか」
「で、村長やら他の農園主やらがこの前、俺達を呼び出して言ったんだよ。『ヒューゴとい
う男を始末してくれ。あの豊かな土地を私達のものにする。成功した暁には利益の一部をお
前達にも分けてやる』ってな」
私は言葉を失っていた。
怨恨。それはすぐ近くで沸々と滾っていたのだ。
娘も動揺しているようだった。抱き寄せた胸の中で、戸惑う私を不安げに見上げている。
「……そうか」
私はただ力なく頷くしかなかった。
得物を没収し、麦わらの一団が何処からともなく太い縄を持ち出して男達を縛り上げる。
後は彼らを保安官──念の為、余所の集落の担当者に引き渡せばいいだろう。黒幕の村長と
同業者達は……少なくとも私個人が断罪するべきではないと思う。
「……。ところで」
だがまだ気になることがあった。
「麦わらの皆さん。貴方達は一体何者なのですか? どうして、私達を……?」
命の危機は去った。だからこそ私は、ようやくここでもう一つの疑問に向かい合う。
すると彼らが心なしフッと笑った気がした。
薄闇の中、まだ残っている篝火数本。
その余韻のような明かりの下、彼らはそっと素顔を隠す麦わら帽子を取ると、
『私達は、貴方がた一家が植えてくれた林檎です』
『今回奥様の遺志を受け、貴方がたの危機に馳せ参じました』
そこには確かに、瑞々しい赤い果実の顔が並んでいて。
「……。そう、だったのか」
最初は面を喰らい、だけどやがて私達は互いに顔を見合わせてから、笑う。
妻は今も見守ってくれている──。そう思えるだけで胸の奥が優しい熱で満たされる。
「ありがとう……。本当に、ありがとう……」
だから私はこの林檎の精らに亡き妻に、何度も何度も礼を述べた。
そして同じく、この不思議な豊穣の理由をもっと多くの人々と共有するべきなのだろうと
も思った。
(了)




