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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-8.November 2012
39/500

(4) 老兵の告白

【お題】鳥、裏取引、伝説

 繰り返されたやり取りの末、ようやく会談場所として指定されたのはとある山奥だった。

 慎重を期している、というのはこちらも分かっていた。向こうもそう簡単に足がつくよう

な知恵ではないことはかねてより知っている。

「……」

 しかし、それでも自分の予想が如何に甘かったのかを、今日という日は厭というほどに知

らされることになろうとは。

 彼が居を構えるのは旧・連邦でも辺境と言って差し支えない山の中だった。

 もし当人に場所を教えられなければ、この一帯に人が住んでいることすらピンと来なかっ

たことだろう。現にぐるりと辺りを見回しても、人家らしいものは行く先に一軒だけだ。

 質素なログハウス。それが一言で形容するのに適切かと思われた。

 華美に飾らず、自然の中に溶けるように。

 これもまた彼の“策”の一つなのかもしれない。

「本当に、ここにいるのかな……」

 私は、ついそんな殺風景な風景に不安になった。

 ──“鳥人”バムホルン。

 かつて連邦が世界屈指の版図を手に入れた時代、その常勝無敗の強さで対峙する敵全てを

落としてみせたという、最強の戦闘機乗り。

 その連邦自体は今や崩壊し、中小の国々に分離・独立して数十年の歳月が流れているが、

彼は現在も文字通りの生ける伝説として(主にミリタリー愛好者達に)語り継がれている。

 今日は、そんな彼との対談インタビューのアポイトメントだった。

 退役後はまるで霞に消えたように消息不明、徹底的な隠居生活に入ったかつての老兵に自

分はじっくりと話を聞くことが出来る。

 いちミリタリ畑の人間として、いち雑誌社の記者として、今は自分は強い興奮──と同時

に不安を覚えていた。

 何故彼は、早々に退役し、得られた筈の名誉や地位を棄てる真似をしたのだろう?

 何故彼は、伝説と為っても多くを語ろうとせず、隠居という道を選んだのだろう?

 何より……何故彼は、大手メディアではなく、自分達のような立ち上げ数年の弱小出版社

に対して取材を認めたのだろう?

「──もし?」

 だが、そんな私が悶々と立ち尽くしながら抱いていた疑問も、思考も、どうやら暇は許さ

れないようであるらしい。

 ふと呼び掛けられて顔を上げると、ログハウスの方から老齢の女性が一人、こちらに歩い

てくるのが見えた。あそこから出てきたということは……。私は心持ち背筋を伸ばし、先程

までの思考を一旦意識の外に仮置きし、向き直る。

「私、ユージーン・バムホルンの妻、サリアと申します。フロンティア出版のケヴィンさん

で宜しいでしょうか?」

「あ、はい。私です。お、お出迎え頂き恐縮です」

「いえいえ……。ささ、どうぞ? 主人が奥で待っております」


 ログハウスの内部は外見以上にしっかりとした造りであるらしい。

 夫人の案内で玄関を潜ると、視界を満たしたのは濃い木目調の温かな空間。内装自体は別

段他の民家と大差はなく、よくあるT字廊下を中心に据え、その線上に各部屋を配置する構

造であるようだ。

「そちらが書斎になっております。主人はそこに。私はお茶を淹れてきますね」

「は、はい……。お構いなく」

 私がそれとなく促され、T字の右端──氏が待機してくれているという書斎の扉の前に立

つと、夫人はこちらとは逆方向らしい台所へと向かって行く。

 急に辺りがしんとなった気がした。

 広さはそうある訳ではないようだが、事前からの緊張感からか、この場所はとんでもない

伏魔殿であるかのような錯覚すら覚える。

 だからか、造り自体はしっかりしている筈なのに──季節は冬口だし、どの部屋も扉が閉

まっていたこともあって──どうにも生活感というものが嗅ぎ取れない気がする。

「……っ」

 とはいっても、このまま立ち呆けでいる訳にもいかない。

 私は取材道具の入った小脇の鞄を半ば無意識に握り締めると、意を決して軽く扉をノック

した。夫妻しかいないのか、控えめに叩いたにも関わらず、やけに響く。

「開いているよ。入りなさい、記者君」

「はっ、はい! 失礼します……ッ」

 返事はすぐに返ってきた。

 柔らかな老紳士の声。私が緊張で上擦った声を出して扉を開けると、中には壁一面に設置

された本棚を背景にバムホルン氏が黒革の椅子に座っていた。

 一歩二歩。室内に入ってその蔵書量に驚き、更に氏本人の姿に驚く。

 確か氏は齢七十を超えていた筈だ。

 にも関わらずその顔は皺こそ刻まれていたものの確かな生命力を宿し、私を迎える眼とは

別にその手元では休むことなくノートパソコンを弾いている。

「ふふ。そう緊張しなくてもいい。私はただの、人殺しが上手かっただけの年寄りだよ」

 だがその言葉を聞いた瞬間、私の緊張は一気に消し飛んでいた。

 聞き間違い? いや、確かに今彼は自分自身を“人殺し”と評した。

 表情こそ笑っているが、もしかしなくても彼は……。

「まぁ座りなさい。折角取った時間が勿体無い」

「……はい」

 パタンとノートPCを閉じ、テーブル越しに座った私と氏は向き合っていた。

 昼下がりの書斎に柔らかな光が差し込んでいる。

 私は、にわかに現実味が持てなくなる心地がしていた。

 この一見人畜無害そうな老人が、かつて三百人以上を落とした元戦闘機乗りだとは今更な

ながらに信じられなくなっていたのだ。

 しかし、と私は鞄の中へと手を伸ばし、ボイスレコーダーとメモ帳を出しながら思う。

 電話でやり取りした程度でしかない自分に、そんな吐露をしてみせた先手。

 そこから考えても──彼は今回の取材受諾に関して、何かしら内心に含んでいるものがあ

る筈だと。そしてそれは、私が此処に来るまでに抱いた「何故」の回答ではあるまいかと。


 こうして取材は始まった。ボイスレコーダーに生の声を録音し、自身はメモを走らせ、私

は氏に質問をし、彼がそれに応える──語って貰うという形で進めた。

 きっと彼も分かっていたことだろう。

 最初の内、私は予め用意していた質問を投げ掛けていた。その多くは社内のブレストで出

たものだ。

 かの“鳥人”に直接話して貰える──。

 その興奮で実際、同僚達からは少なからぬアプローチ案が出ては、取捨選択された。

「ああ……そんな話もあるのか。ふふ、人の噂というのは何かと尾ひれがつくものだな」

 バムホルン氏はそんな、半分は彼らの興味本位な質問にも丁寧に答えてくれた。

 そもそも軍隊に入った理由は貧乏人の子沢山な両親を助ける為であり、志願兵になった見

返りであるその給金のほぼ全額を、故郷の家族に送り続けていたということ。

 故に軍人であることの誇りよりも、優先していたのは“皆を護ること”であり、連邦が仕

掛けた一連の戦争に終止符が打たれたのを確認したからこそ、サックリと軍を辞めたこと。

 そして何よりも、

「……おかしなものだと思うよ。平時何百人も殺せば重罪人だが、あの頃は落とせば落とす

ほど英雄扱いだ。それを誰もおかしいと思わない……」

 彼はその言葉の節々に、深い苦悩や悔恨を抱えているらしいことが、私には分かった。

「……」

 走らせたメモを文字列の塊をちらと見下ろして、私はきゅっと口を結んでいた。

 後悔は、二つある。

 一つは自身も巷説を何処かで鵜呑みにして氏を“英雄”視していたこと。

 もう一つは社を代表して自分がインタビュアーの役目を引き受けた、そもそもの判断への

迷いだった。

 実際に彼と話してみて分かったこと。

 少なくともその一つには『英雄などいない』ということが挙げられる。

 私達が後世、どれだけ“英雄そのじんぶつ”を美化しても、事実とはどう足掻いても事実以上の色彩を

持たない筈なのだ。

 三百の敵機を落としてその侵入を防いだ──自国民を護った。

 だがそれは一方で、それだけの──それ以上に一人一人の周囲達へ“喪失”をもたらした

ことを意味する。

「貴方が常勝無敗であり続けた秘訣、というものはあったのでしょうか?」

「秘訣……か。結果論だが、強いて言うなら基本に忠実であったこと、相手を知ることを怠

らなかったこと、この二つかね」

 取材中、氏は一貫して自身を“英雄”視しなかった。むしろ英雄と今尚語られている自分

という人間を悔いている、恥じてるかのような気色すらあった。

「……私が落ちなかったというのは、単に運が良かっただけのことさ」

 誰も聞きたかった質問であろう問い掛けに答えた、その時の哀しい笑い。

 きっと私は生涯忘れられないだろうと思った。忘れまいと、思った。

「ごめんなさいね。うちの人、普段中々こういうことを喋らないから……」

 そんな時だ。サリア夫人がドアをノックすると、そう穏やかに苦笑しながら部屋に入って

きた。盆には三人分の茶と菓子が少々。どうやら彼女もこの場に加わるつもりらしい。

 やはりそうなのか。私はぼんやりと夫人の言葉を聞いて思った。

 氏は退役後、殆どと言っていいほど公の場には出ていない。むしろそうした場を厭ってき

たのだろうとすら、私はこの取材の中で確信に近く感じ取っていた。

 妻が顔を見せて多少その気色は和らいだように見えるが──氏はやはり過去を、英雄とも

てはやされたかつての日々を、苦々しく脳裏に再生しているらしいことには変わりない。

「……」

 ピリピリッと、陰鬱にささくれ立った神経を、甘い香りの紅茶が癒してくれていた。

 小休止。私は夫人からカップを受け取り、暫しこの夫妻と共に一度ゆったりと気を持ち直

すことにする。

 その間も、ボイスレコーダーは回っていた。テープはまだ予備がある。今夫妻が何やら静

かに談笑している様子もばっちり録音されているだろう。

 でも──。

「? 記者さん?」

 私は、眉根を寄せて意を決し、次の瞬間停止ボタンを押していた。

 夫人がカチリという音に反応してこちらを見てくる。一方でバムホルン氏の方は勘付いた

らしく、心なしか小さく口角を吊り上げているようにみえる。

「……ここからは、私の個人的な質問とさせて下さい。ですので、録音は致しません」

 私は改めて問うていた。

 違和感、怪訝。

 このまま無難に取材を終えて原稿を上げれば、それだけでも大きな記事にはなる。

「教えては下さいませんか? どうして私どもなのですか? 何故大手メディアではなく、

私どものような弱小出版社の取材に応じて下さったのですか? お話を伺っている限り貴方

が英雄扱いされることを厭っておられるのは想像に難くありません。なのに、何故……?」

 だが……私という個人は、その安直さを認められなかった。

 何か理由がある筈だ。

 最初に抱いていた怪訝からより強く、私は思っていた。

 彼はおそらく、おべっか以外の語りたいことがあるのではないかと。それを見てみぬ振り

をして耳を傾けなければ、何が真実の報道かと。

「……。やっとその気になってくれたみたいだね、ケヴィン君」

 すると、バムホルン氏はフッと笑っていた。笑ったのだ。

 言いながらそっとテーブルの方へと手を伸ばし、

「それでいい。その問いが投げられるのを私は待っていたんだよ。君達を選んでよかった」

 再び、今度は彼の方からボイスレコーダーの録音スイッチが押される。

「結論から言おう。若いからだよ。君が、君達というメディアがまだ歳若い後達だからだ。

在りし日々を美化という幻想で飾り、正しいものを後世に伝える努力を怠る、悪い先達の集

まりではないからだ」

 氏の表情が、いつの間にか険しいものになっていた。

 真剣そのもの。彼は眼を逸らせない私をじっと見据え、その眼差しから私の中へ入ってく

るかのような眼力で以ってそう答える。いや……告白する。

「あの頃、私は若かった。自分が敵機を落とせば皆を護れる──そう驕っていた。だがそれ

は間違っている。一面的でしかない、狭い眼だというべきか。昔から云うだろう? 攻め込

む軍隊は三流、防衛ができれば二流で、ただ在るだけで攻め込ませずでようやく一流だと」

「……抑止力、ということですか」

「そうとも言うがね。だがケヴィン君、そうやって物事を短く言い換えるばかりが賢明とは

思わない方がいい。ことの本質とは、二言三言で言い表せるほど簡単ではないよ。少なくと

も私達人間にとっては……ね」

 ただ私は生返事を返すことしかできなかった。

 いや、返事というのも怪しい。私は只々、引き込まれていた。

 この目の前の老人は、ただ周りが厭になって隠居を始めたのではない。そう確信が持てる

と同時に、私は取材という態を横に置きかけるほどに聞き入り始めていた。

「かつて私は、ひたすらに任務に徹し敵機を落としていた。まだこうしたことに気付く余裕

すら持てていなかった頃の話だ。技術はあっても、心を持ち込めなかった頃だ」

 ちらと、氏がじっと私達のやり取りに聞き耳を立てる佇む夫人を一瞥する。

 彼はフッと笑った。だが今度は知略のそれではない。純粋な──遠い在りし日々を思い起

こす一人の人間としてのそれだった。

「実は、私は一度飛行中に落ちたことがあってね」

「えっ!?」

「落ちた、と言っても撃墜じゃない。訓練飛行中だ。技師のメンテナンスに不備があったら

しく、途中で動かなくなってしまってね……。まぁそんな状況だから、巷の常勝伝説とやら

にはカウントされていないんだが」

「そ、そうなんですか……」

 知らなかった。確かに戦闘中ではないが、あの“鳥人”バムホルンも完璧ではなかったと

聞かされ、今更ながらに彼を近く感じられるような気がする。

「落ちたのは、連邦領内の海上でね。やがて海兵隊が救助に来た。その頃既に私が“優秀”

なパイロットだという認識でいたのだろう。怪我は大したことはなかったのだが、司令部か

らすぐに病院へいくよう言われてね」

 だが、驚くべきなのはそこではなかった。

「……そこだったんだ。私の人生の分岐点は」

 氏が、遠くに見ていた眼を再び私に向けてくる。

 彼が本当に語りたかったのは、むしろここからだったのだ。

「半ば強制的に担ぎ込まれた軍病院で、私は一人の盟友との出会いを果たした。彼の者は院

で働く医師だった。片や命を奪う側、片や命を救う側──でもね、人々を護りたいという想

いは志は、間違いなく同じだった」

 ボイスレコーダーが回ったままになっている。私はごくりと息を呑み込んだ。

 聞いた事がない。もしかしなくてもこれが、彼の語りたかったことなのか。

「何度も喧嘩をしたよ。既に私が空軍のエースパイロットであることは友軍の中ではかなり

広まっていたらしい。しかしだからこそ、彼の者は私に憤ったんだ。『もうこれ以上、殺さ

ないで下さい』とね……」

 氏はほほっと笑っていた。哂うのではなく、懐かしみ、微笑わらうその表情で。

 その横で、夫人が何処となく眼を逸らすように茶に口をつけていたが──。

「最初、私は何を言っているんだと思ったよ。倒さなければ、こちらが蹂躙される。それが

当然だと思っていた。でも違ったのだよ。……彼の者には、敵国に住む友人達がいた」

「……ッ!?」

「それ自体はそう珍しい事例ではなかろう。だがね、そうして検査入院中、彼の者と語る中

で私は考えを改めていった。──殺す必要性が、本当にあるのか。ただ戦うことを止められ

さえすれば、自国も相手国も、最小限の傷で済むのではないかと考えるのようになった」

「止める……」

「軍人には要らぬ思想かもしれないとは思ったよ。だが、私も何処かで分かっていたんだ。

繰り返し繰り返し、敵機を人の命を運命を奈落に落としても、また別の──落とされた周囲

の者達がまた天から地から海から襲ってくる。エースともてはやされても、私のやっている

ことは本当に“護ること”なのだろうかと」

 そうだ。先刻語っていたように、氏自身に軍事万能の思想はない。ただ困窮する家族の為

に、敢えてその道を選んだに過ぎない。

「だから私は、必死に学んだよ。敵とされる国々に何があるのか。機体の特性や弱点、いや

それ以上にどんな人間が住んでいるのか……私は可能な限り知ろうとした。奇しくも盟友は

医者だ。軍病院に運ばれてきた兵らから聞き及んだ生の情報を手繰り寄せ、データベースを

作るのにこれほど有益な立場はなかったろう」

「……」

 今では当たり前のように行き来をする旧・連邦諸国。

 だが戦争当時は、相手を知ることすらも“敵におもねる”と指弾される時代だった……。

「私の戦い方は、変わっていった。銃弾をパイロットに撃ち込むのではなく、エンジン部分

に集中させて破壊する。交戦は可能な限り、墜落しても即死にならない森や海上で行うよう

にした。やっていることは同じかも知れぬが……少なくとも彼らを即死させない確率はぐっ

と上がった」

 平時何百人も殺せば重罪人だが、あの頃は落とせば落とすほど英雄扱いだ──彼が自嘲す

るように語っていた言葉が脳裏に過ぎる。

 氏は、必死に抗っていたのだ。

 殺さずに勝つ方法を。可能な限り今その時の戦いを、確実に「未来」に繋げようとした。

 なのに、自分達はただ彼の成し得た伝説こうせきに酔い、威を借りて……。

 聞いていて恥ずかしくなった。実際に殺し殺されをする訳ではなくとも、武力というもの

に幻想を見ていた自分達が、何と愚かだったのだろうと思えた。

「とはいえ、いつまでもそんな事を続けてはいられなかった。敵パイロットに手心を加えて

いるのではないか? やがてそう上層部に咎められるようになってね……。だから私は軍を

辞めた。幸か不幸か、その頃には長く続いた戦争自体も終息をみていたからね。これ以上残

る必要はないとも思ったんだ」

 咎め。そのニュアンスを聞き、私はハッと緊張に包まれる。

 隠居だけではないのではないか? 氏が公に出るのを嫌ったのは、もしかしてかつての古

巣から「報復」される危険から逃れようとしているからではないのか……?

「……」

 彼はそんな私を見て、フッと笑っていた。

 穏やかな表情かお。伝わるのは「君には迷惑を掛けないよ」という意思。

 ならば、ならば尚更分からない。

 だったら何故、私という部外者をここに──。

「ケヴィン君」

 そんな思考の中で、はたと氏が再び私の名を呼んだ。

 我に返って顔を見返すと、彼はすぐ後ろの──先刻ノートパソコンを弾いていた机の引き

出しから一枚のCDを取り出すと、そっと私の前に置く。

「君たち未来の仔に託したいものがある。この取材が終わって社に戻ったら、私の名と共に

この中のリストを広く世に公表して欲しい。手段は問わないが……できればインターネット

上での公開を勧める。あそこなら、一度流れたものは二度と奴らには取り消せない。何処か

しらに痕跡が残る」

「奴ら? あの、一体この中には何が……?」

「リストだよ。先の大戦において、誰が誰をいつ何処でどうやって殺したか、傷付けたか。

その調べた限りの全てを収めてある。勿論、この私もリストの一人だ」

 私はあまりの驚愕に、目をあらん限りに見開いていた。

 一瞬この老人は何を言っているのか理解できなかった──したくなかった。

 もし本物のデータだとしたら、それは戦後の安寧を根元から引き摺り落とすことになる。

 だが彼は、そんな動揺を宥め諭すようにして、言った。

「言った筈だ。君たちは若いメディアだ、過去を美化して幻想で飾る強迫観念を生得的に持

たない世代なんだ。……私と同年代にも志ある者がいないとは言わない。だが託すべきは後

達なのだと私は思う。無責任だと、押し付けだと断じるならそれでもいい。しかし私は──

このまま我々老人達が偽り隠し、歴史を分断して逝ってしまうことが耐えられないのだよ」

 私は、震える手でCDを手に取った。

 ボイスレコーダーはこのやり取りもしっかりと記録している筈だ。

 どうする? 受け取るだけ受け取って、こっそり破棄してしまおうか。

 ……だがそれも意味が無いとすぐに悟った。データ化しているということは、原本は別に

あるのだろう。もし私が竦んでこの頼みを拒んでも、彼自身がネットの海に放流する未来が

容易に描けたからだ。

 彼はただの隠居老人ではない。

 おそろしく周到に、ある種の執念を以って、この世の深淵を掘り続けていたのだ。

「……分かり、ました。ではネット版記事として先ずは配信するよう手配します。必要があ

れば紙媒体の方でも特集を組みましょう。元々はそちらがメインだったのですが」

「そうか。……嗚呼、よかった」

 氏は言葉通りに安堵しているようだった。

 私が受諾の旨を伝えると、彼は夫人と共に実に満ち足りた表情をみせていた。

 同時に、このデータを掻き集めることに、彼らはどれだけのエネルギーを余生を費やした

のだろうと思った。改めて邪険に扱ってはいけないと、私は内なる臆病に叱咤激励する。

「ところで。もう一つ、お尋ねしたいのですが」

「ふむ? 何かな」

 カチリと、氏が録音スイッチを切るのを見た。

 だが既に私は喉の奥から、はたと沸いた疑問を紡ぐのを止められなかった。

「本当に……大丈夫なのでしょうか? これを公開すれば、間違いなく私も貴方達も相応の

リスクを負うことになります。古傷をぶり返されたくない人間に──たとえば、現在の新連

邦政府の人間に付け狙われることになります。……先程語っておられた“盟友”殿の身は、

大丈夫なのですか?」

「ほう。思ったよりも頭が回るらしいね。だが……まだまだか」

「? あの──」

「ふふ、大丈夫ですよ。元よりケヴィンさんがここを出たら、すぐに残りの荷物を纏めるつ

もりでしたから」

「ぁ……」

 夫人が言って、ふっと疑問の糸が薄闇の中で光に照らされる心地がした。

 そうか。最初妙にこの家に生活感を感じなかったのは──。

「それに君の心配してくれる盟友パートナーなら、すぐ目の前にいるよ」

「えっ。それ、って……」

 最後の最後まで、氏に抜かりはなかった。

 老獪というか、流石はこんな物騒なデータを託してくる人間だというか。

「他ならぬ彼女さ。あの日、軍病院で私の人生を変えてくれたパートナーというのは、ね」

 いや……。

 氏にではなく、この互いに寄り添う夫妻に、というべきか。

                                      (了)

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