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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-6.September 2012
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(2) 廻り回る

【お題】泥棒、病気、鋏

 その日、現場は静かな厳粛と胸糞悪さの中にあった。

 場所はとある雑木林の一角。少し目を遠く遣ってみれば、閑静な住宅街がすぐ傍にある。

 その人工の緑──焦げ茶の色彩の中で、一人の中年男性が事切れていた。

「……心臓を一刺し、か」

「ですね。多分怨恨でしょう」

 近隣住民の通報を受け、現場に駆けつけた刑事達は眉根を顰めていた。

 仕事柄、人の死を目にする機会は少なくない。こうした他殺体である事も珍しくはない。

 だがやはり簡単に慣れるものではなかった。いや……きっと、人として慣れてしまうこと

は、淡々と事後処理を済ませるだけの自分に為ってしまうことは、好ましくはない筈だ。

 嗅覚を突く血の臭い。視覚に飛び込んでくる男の亡骸。

 だがそれらは、全て少しずつ還ろうとしているかのように思える。

 人の手で植えられ育ったとはいえ、ここは自然の領域だ。血の臭いは草木独特の香りによ

り中和され、男の姿は繁茂した枯れ草色の中に隠されている。

「怨恨、ねぇ……」

 若手の部下の推測ことばに、ベテランの中年刑事が白髪の多くなってきた髪をポリポリと搔き

ながら呟いていた。

「だったら何で、このホトケさんは“ホッとした顔”をしてるんだろうなぁ……?」


 悲鳴が重なった。

 時は午睡のまどろみが人々を包みだす頃、処は街の一角に居を構えるとある銀行の支店。

 そこにふと、一人の男がやって来た。

 当時店内にいたのは老人を中心とした五人にも満たない客、そしてカウンターの向こう側

であくせくと業務をこなしていた数名の行員達だった。

 そんな彼ら全員が、その入ってきた彼の姿に思わずギョッとなり見開いた視線を遣る。

 男は……覆面だった。

 よく覆面レスラーが被っているようなニット帽のフルフェイス版、そこから目の部分に穴

が空いており、更に懐からは刃渡り数十センチはあろう太い包丁が取り出された。

「か……金を出せ! こ、このバックに入るだけ詰めろ!」

 スポーツバックを最初目が合った行員のカウンターへと投げ、男は叫ぶ。

 まだ若手のこの行員は、すぐに足元にあるアラームを押そうとした。

 だが、結局できなかった。

 店内には客がいたのだ。仮にここでアラームを発動させ、此方をシャッターで隠したとし

ても、この男が彼らを人質に取ってしまっては大変なことになる。

 震える手。こちらと客達とを往復する包丁の切っ先。

「わ、分かりました……」

 

『──申し訳ありませんが、此処の設備では、私どもでは限界があります』

 目の前の鞄に札束が詰め込まれる音が意識から遠くなり、代わりに崎守の脳裏には数日前

に告げられたあの場面が蘇る。

『そんな……。娘は、娘はどうなるんですか!?』

 高校生になる彼の娘は、突如重い病に冒された。

 かつては部活動に汗を流す快活な娘だった。しかしある日その練習の最中、ついに隠れて

いた病魔が牙を剥いた。病は……その身体の奥底を蝕もうとしていた。

『……申し訳ありません。私どもも手を尽くしたのですが』

『病状はかなり進行しています。じきに投薬だけでは抑えられなくなると予想されます』

 崎守は妻と共に膝を突き、大きく項垂れた。

 娘が、私達のたった一人の娘が……助からない? つい三ヵ月前までは元気で明るい良い

子だったのに。私が、私がその外見ばかりを見ていて巣食う病魔に気付けなかったから?

『……もう、助からないのですか?』

 崎守は項垂れながら呟いていた。

 そっと泣きじゃくり始める妻の背中をそっと片手でさすりながら、彼は何とか希望を手繰

り寄せようとする。

『絶対に、ではありません。手術で腫瘍を摘出できれば……あるいは』

『出来るんですか!?』

『はい。但し娘さんのケースは非常に困難なものです。私どもでは限界があると申し上げた

のはその為です』

 緊急搬送されて以後、主治医となってくれたこの医師の、重苦しく紡ぐ説明に崎守はじっ

と目を耳を傾けた。そして素人ながら、娘を蝕む病の重篤さとその排除の困難さを知る。

『……つまり、他の病院へ行けば娘は助かるんですね?』

『ええ。少なくとも当院以上の設備と技術があればオペの成功率も上がります。ですが』

 崎守はこくりと深く一度頷いた。

 分かっている。先の話からも、そのより確実な手術を受ける為には多額の手術費用が必要

であることは。

『……勿論、受けます。娘がそれで助かるなら』

『承知しました。私から紹介状を書きましょう。しかし崎守さん、費用は──』

『用意します』

 二度目に、崎守は医師の心配の声を遮るように言った。

 妻も涙目のまま目を瞬いて自分を見ている。

『……してみせます。金であの子の生命いのちが買えるというのなら』

 だがもう──諦めるという選択肢は、無かった。


 銀行強盗犯、もとい崎守は鞄に詰められた札束を確認すると足早にその場を逃げ去った。

 元より彼らを傷付けるつもりはなかった。ただ娘を救う、その為に金が必要だった。

(仕方ないんだ、仕方ないんだ……)

 覚束ない駆け足と息切れする身体を引き摺りながら、路地裏に逃げ込む。覆面を外し、脅

しの道具に使った包丁をもう一度厚手の広告紙の中に包んで鞄の中に捻じ込む。

 その後、愛娘の手術はすぐに執り行なわれた。

 妻はいきなり大金を用意してきた自分に疑心を抱いていたようだったが「借りてきた」と

だけ答えるに留めた。

 金の力は偉大だった。自分達がそれまで必死に縋り付いてた地元の病院を遥か凌ぐ巨大で

設備も技術も整えられた大病院。

 崎守は、オペの間妻と共に只々愛娘の無事を──手術の成功を祈った。

「──ッ!」

 一体どれくらいの時間が流れただろう。ふと、手術室に点っていた赤色灯が落ちた。

 妻と共に弾かれるようにして起き上がる。手術室の扉が開き、車輪付のベッドに乗せられ

た娘が出てきたのは、それとほぼ同時の出来事だった。

「先生……」

「娘は、娘は無事なんですか!?」

 麻酔がまだ利いているのだろう。眠ったままの娘を取り囲む医師団に、崎守らは詰め寄っ

ていた。淡い緑の手術着に身を包んだ一同。するとその筆頭たる医師がそっと自身のマスク

に手を掛けてから言う。

「ええ。手術は成功しました。娘さんの腫瘍は全て取り除かれました」

 崎守は妻と顔を見合わせていた。じわり。緊張しっ放しだった糸がプツンと途切れ、入れ

替わるように深い安堵と溢れる涙が二人の下へやって来る。

 何度も何度も頭を下げた。礼を述べた。

 それでも彼らはあくまで謙虚──のように見えた。妙な威圧感は、きっとその格好の所為

であると、気のせいであると思いたかった。

 一仕事が終わった。だがこの執刀医は、ふと思い出したように去り際に告げる。

「本来は本人から言うべきなのでしょうが……先に伝えておきます。オペの前、娘さんが仰

っていましたよ。『お父さん、お母さん。私の為にありがとう』そう成功したら伝えておい

て欲しいと」

 妻が一層に泣き崩れていた。勿論嬉し涙、感涙だ。崎守はその最中をそっと擦る。

 医師団が娘のベッドと共に廊下の向こう側へ消えてゆく。外はすっかり夜になっていた。

院内はしんと静まり返り、点々と灯っている明かりだけが黙して薄闇に映えている。

「……」

 そんな周囲の変化を、崎守はじっと見つめていた。

 それまで擦っていた手をおもむろに退けると、彼は上着の内ポケットに手を遣りながら、

まだヒクヒクと感涙の余韻の中にある妻の背に向けて言う。

「なぁ、里江。大事な話があるんだ」

「……? はい」

 妻が振り向いた。その表情がサァッと戸惑いと共に凍り付く。

「──何も訊かないで欲しい。頼む……判を押してくれ」

 そう崎守が差し出していたのは、彼の分が既に書き込まれた離婚届だった。


 事後処理は、大詰めになった。

 崎守は上着の襟を少し立て直すと、冷える夜風の中を独り歩いていた。

 街の雑踏。煌々とする灯り。だが彼はまるでその煌びやかさから逃げるように、そっと身

を返して路地の奥へ奥へと足を運んでいく。

 娘の病は取り除かれた。これから迷惑を掛けるであろう妻とは離縁した。

 勿論、それで綺麗サッパリ関係が切れるとは思わない。だがこれは──身勝手だと承知の

上での──自分なりのけじめだった。

 足がつく前に目的が達成されて良かった。娘の無事もだが、それよりも前に警察がやって

来はしないかと内心怯えっ放しだった。

 だがそれでも、今夜で終わる。

 出頭するくびをさしだす

 強盗という罪を犯してでも娘を助ける、そう決めた時からこれも織り込み済──。

「がっ……!?」

 だが、その最後の望みは叶わなかった。

 はたと近付いて来た足音。その気配に何気なく崎守が振り向いたのと同時に、全身を奔っ

たのは、ドスンと胸元を突く鈍い衝撃。

 それが自分が何者かに刺された結果だと気付くのに、崎守は数秒の時間を有した。

「お前の、お前の……所為で!」

 暗がりが月明かりに照らされる。

 覚えていない筈が無かった。あの日、自分が押し入った銀行の行員だった。

 彼が体当たりと共に握り締めていたのは……ナイフか何かか。自分の胸に深々と鋭利な冷

たさが血の温かみに解け、そして奪っていくような感触を覚えた。

「……っ、あ──」

 そのまま、崎守はその場に崩れ落ちた。辺りのアスファルトにボタボタと血が零れ散る。

「ハァッ、ハァッ……!」

 よろりと、行員の青年は後退っていた。

 見下ろした崎守は、何故かフッと穏やかな表情を漏らし始めていた。

 何故だ? 俺をあんな目に遭わせておいて──さも“救われた”かのような眼をして。

「……畜生! 何だってんだよ……!」

 青年は暫し自ら殺めた憎き彼の者を見下ろす。

 そしてそのまま、彼は覚束ない様子でこの生温かい亡骸を運び始める。


「──で、そのままあの雑木林に放り投げた、と」

 ホシはすぐに見つかった。遺留品がべっとりと付いていて、すぐに捜査線上に浮かんだか

らだ。男性──崎守の遺体が発見されて一週間と経たない内に容疑者は任意同行された。彼

が生前働いた銀行強盗、その際に直接脅されたあの若い行員だった。

「そ、そうだよ……。俺はあいつの所為でクビになったんだ。あいつがあんな馬鹿な真似を

しなきゃ、俺はあのままずっと、安定した職に就けていたんだよ……」

 取調室で刑事達に囲まれ、青年はあっさりと犯行を自白した。

 動機は怨恨──逆恨み。その相手が崎守だと知ったのは、皮肉にもマスコミが流した強盗

事件の報道を観たからだったそうだ。

「……だからって殺しちゃ、余計にまともに職に就けなくなるだろーがよ」

「崎守は誰も殺しまではしてないんだぞ? そりゃあ勿論、強盗を正当化する理由にはなら

ないけどさ」

「そうだよ! 悪いのはあいつだ! あいつが全部悪いんだ!」

 しかし青年はあくまで叫んでいた。訴え掛けていた。

 曰く被害者は自分なのだと。理不尽に職を奪われたのは自分だと。

「大体、何で庶民があんな大金を貰おうとするんだよ!? 庶民は庶民らしく小銭を稼いで

いればいいじゃないか!」

「ッ! お前──」

 彼は知らないのだ。まだ世間には、崎守の“理由”は明らかにされていない。

 だからこそ若い刑事は憤り、思わず拳を振り上げようとした。捜査に携わり事情を知って

しまっているからこそ、彼の自分勝手な責任転嫁ぶりに腹が立った。

「止めとけ。弁護士に突っ込まれる口実を作るだけだぞ」

 だがその動き出した若い刑事の腕を、ベテランの刑事がはしっと握り押さえ込んでいた。

 顰められた眉根、有無を言わさぬ貫禄の眼光。彼は「……すいません」と呟き、それでも

本心はまだ腹が立っているらしく、この青年を睨み直してから拳を収めて引き下がる。

 そんな後輩の様子を横目で一瞥してから、この壮年の刑事は言った。

「……だからってな、それは崎守ひとを殺していい理由になんざならねぇよ。てめぇのは、エゴ

だ。糞ったれなてめぇのプライドが人一人の命を踏みにじったんだ。……しっかりムショで

償え。強盗より、人殺しの方がずっと……罪は重ぇんだよ」

 少々のタイムラグがあった。だがやがて、青年は絶望した表情かおで崩れ落ちる。


 街の夜はまだ始まったばかりだった。

 きっと人が人でいる限り、この世に理不尽とエゴは消えないのだろう。

 わんわんと机に突っ伏して泣き出す彼を見下ろしながら、刑事達はこの“落ちた”瞬間に

安堵──以上の胸糞悪さを感じていた。

                                      (了)

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