(1) 縁心分離機
【お題】西、人工、洗濯機
その街では、最高の治安対策が採られている。
タモツはこの噂を耳にし、翌々日には件の市中まで足を運んでいた。新聞屋としての血、
好奇心が騒ぐ。首から写真器を下げ、通り過ぎた街のゲートからぐるりとその街並みを観察
する。
「……ほう」
見渡してみる限りは、他の街とそう大きく変わった所はない。ゲートから延びる大通りは
市中の家屋を碁盤の目のように分割し、奥へ奥へとその広さを協調した造りだ。強いて言え
ば、足元に敷かれた石畳が長い年月を経ているからか、少々痛んでいる箇所が目についた程
度だ。
ストロボを焚く写真器のアンテナ部分を撫でる。アポイントの時点では先方から案内役が
来るとの事だったが、タモツは敢えて、半ば確信犯的にそれよりも早く到着していた。
新聞屋として様々な取材を行ってきた上での経験だ。息の掛かった案内人がその街の本性
を曝け出してくれることは先ず無い。言ってしまえば“綺麗どころ”しか見せようとはしな
いものだ。だが、寧ろ自分のような職業は、そうではない暗部にこそ報道の醍醐味を見出す
ものである。
最高の治安対策。さて、その正体とは一体どのようなものなのか。
それから暫く、タモツは一人余った前時間を使ってこの街内を歩いて回る事にした。適度
に年季の入った石畳と建ち並ぶ家屋、行き交う人々。少なくともここから嗅ぎ取れる空気な
るものは実にのんびりで、且つドライであると感じる。ここに暮らす人々は総じてそれぞれ
の暮らしに埋没し、身内でもない限りはあまり互いにべったりとし過ぎないように気を遣っ
ている──風にみえる。とはいえ、それは別に珍しい事ではない。他のある程度発展した街
においてもそのような気質は見受けられるし、ここもそういう類の土地なのだろうと思った。
「爺さん。ちょっといいかい?」
人を観る、物を観る。
途中の露店で串焼きを買いながら、タモツはふいっと無作為に近くを通り掛かった老人に
向かって声を掛けた。
なんですかな……? 大分お歳を召している彼はふるふると震えながら振り向き、線目の
皺くちゃな表情をこちらに遣ってくる。
「一つ訊きたいんだけど、この街には強力な守備隊でもあるのかい? 噂で聞いたんだけど
この街は治安が凄くいいそうじゃないか」
「うん? ああ、もしかして兄ちゃんは観光かい? そうさな。余所は知らんが、ここは悪
い人間が長居できない街なんだよ。多分、兄ちゃんが言ってるのは“更生所”の事だと思う
がね」
「……更生所?」
目を瞬き、タモツは繰り返す。
治安対策と聞いててっきり官憲辺りが他にはない仕組みを採っているのかと思っていたの
だが、この地元老人の口振りからすると随分ソフトな──優しいやり方であるらしい。
「ほれ。ずっと奥に筒みたいな建物が見えるじゃろう? あれが更生所じゃ。この街で悪い
事をした人間は皆あそこに連れて行かれる。そして出て来た者は、綺麗さっぱり“生まれ変
わる”んじゃよ」
言って老人が街の最奥に近い一角を指差す。
確かに、目を凝らせば大きな円柱状の建造物が空に向かって伸びているのが見える。ここ
からでもあの大きさという事は、間近ではもっとだろう。しかし肝心の中身についてはまだ
イマイチ要領を得ない。生まれ変わる? 悪人がそう簡単に改心できるのならば誰も苦労な
どしないが……。
「まぁいいや。ありがとよ。身体、大事にな」
ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ……。そして穏やかに笑うこの老人と別れ、一旦ゲートの前まで
戻っていく道中の事だった。はたと通りの一角で、一人の女性が何やら必死になって道行く
人々に声を掛けて回っている。
彼女は懇願していた。泣いていた。手には歳若い青年の似顔絵と名前が描かれており、ど
うやらそれを頼りに人を捜しているらしい。
『……』
しかし、道行く街の人々は誰一人としてこの女性の訴えに応えようとはしなかった。一様
に口を噤み、目を合わせないように眉間に皺を寄せ、それでも追い縋る彼女を中には邪険に
振り払うような者さえもいた。
「お願いです! お願いです! 誰か息子を覚えていませんか!? 知りませんか!? 何
でもいいんです、どんな些細な事でもいいんです! あの子は、一体何処に行ってしまった
んですか!?」
タモツは遠巻きにこれを眺めていた。つまりは一抹の違和感を抱えていた。
行方不明、人捜し。それ自体はしばしば見られる事件なり光景だ。だがこの周りの人々の
反応は何だ? 何故全員が全員、そんな腫れ物のように避けて通る?
厄介事は背負いたくない。庶民感情としては分かる。だがこれは……大袈裟でなくとも極
端ではないか……?
「……」
ふと視線を感じた。気付けば遠巻きにこの女性に白眼視を送る面々の中に、先程の老人の
姿がある。内心ぞっとした。つい先刻まで、にこやかに道を教えてくれたあの親切な彼まで
が、まるでそれが当たり前かのようにこの女性を無言のまま排斥している。
(何なんだ、一体──)
だがそうした疑問は一旦そこで遮られた。ザリッと砂を踏み進む音が聞こえ、二人の男性
がタモツへと歩み寄ってきたからである。
「どうも、お待たせしました。当街より派遣されました、第二管理官のフルイチと申します」
「同じくカナイです。本日はどうぞ宜しくお願い致します」
「あ、はい。こちらこそ……。あ、名刺をどうぞ」
一見すると折り目正しい、スーツ姿の二人組。
タモツは努めて繕い、早速その場で最初の挨拶を始めていた。直感が告げている。あそこ
の女性、その訴えに関しては、この街の人間達は一切味方しない。つまりはこの衆人の前で
彼女を庇い立てする事は、非常な悪手だということである。
「到着しました。こちらが我が街の誇る“更生施設”です」
結局あのまま二人は例の女性には一ミリも触れることなく、返した踵で街の通りを奥へ奥
へと進んでいった。
案内されたのはそんな街の最奥、北の郊外にある巨大な円筒状の建物。先刻の老人が話し
ていた通り、彼らはこれを更生施設だと言った。
内部はどうやら二重構造になっているらしい。外観に見えていたのは内部を保護する為の
防壁だってようで、エントランスを潜ってすぐ頭上から地面へと真っ直ぐに突き刺さる、こ
れまた巨大な円筒状の装置がそこには建っていた。
圧倒される。係員らしき女性に「どうぞ」と厚みのあるパンフレットを受け取ったものの
その時の記憶ははっきりとしない。とにかくそれまでのありふれた街並みとは明らかに一線
を画していた。いわば巨大な金属の塔である。ぐるりと螺旋階段を上りながら、フルイチ氏
は先導するようにして説明してくれた。
「先ず最初に……。我が街は西から順に大きく十三の地区に分けられています。そして当施
設はそれら各地区から移送された犯罪者をこの装置に掛け、生まれ変わらせるのです。私は
第二、こちらのカナイは第七地区の者をそれぞれ管轄しています」
「……ああ、地区の番号なんですね。てっきり組織内の序列かと」
「ええ。確かに所長は現在私が務めてさせて貰っておりますがね。原則として当施設は十三
人の管理官による共同運営という方式を採っています。後は評議会が時折、監査や予算配分
において影響力を行使する程度のものです」
「なるほど。それで、その、さっき“生まれ変わらせる”と仰いましたが……?」
「言葉の通りですよ。犯罪者をこの装置に投入し、記憶を削除します。また顔や声帯、体型
なども流れ作業の中で改変を施し、外見もそっくり作り変えるのです。ですので装置から出
てくる時には全くの別人になっているんですよ。勿論、その“更生”した新しい人生に合わ
せて住民情報を再登録し、以前のものは削除されます」
「……」
フルイチ管理官が事も無げに言う。
だが当のタモツは取材ノートを片手にしたまま、その真実に衝撃を受けてすっかり手が止
まってしまっていた。
なるほど。だから最高の治安対策という訳か。罪人を“罰する程度”ではなく、そもそも
の人間自体を別人に変えてしまう──半ば罪人を“いなかった”事にしてしまう訳だ。それ
はあたかも、罪人といういち人間を、巨大な水槽の中で徹底的に洗い濯ぐかのような……。
思い出す。先刻市中で泣き喚いていた女性。あれはおそらく息子が罪を犯し、この装置に
よって別人になってしまったのだろう。だが人々は彼女の、息子に会いたいという願いには
決して応えることはない。応えられないのだ。本人の記憶が綺麗さっぱりなくなってしまっ
ている事に加え、もう彼らも外見で当人だとの区別はつかない。今更、いち罪人という過去
を蒸し返すメリットは無いのだから。
「想像、以上ですね。そんな技術が確立されているとは。あの、今回は装置の内部を撮影さ
せては貰えないのでしょうか?」
「……すみません。それは規則で禁止されているのです。万が一技術が流出し、悪用されて
しまった場合、その被害は深刻なものになりますので……」
駄目元で訊ねてみたが、やはり駄目だった。今度はそれまで言葉少なげだったカナイ管理
官が答えてくれる。
曰く、それ故にこの厚生施設の長・十三人の管理官の身分はかなり手厚く保証されている
らしい。確かに道中、人々の眼差しは妙に熱が籠もっていた気がする。一方で罪人を出した
一人の母親を皆で排斥しておきながら。
タモツは取材ノートに忙しなくペンを走らせながら、暫く二人の案内のままに施設内を歩
き回った。装置を囲うように延びる螺旋階段を上りながら、フルイチが如何にこの技術が、
この街が素晴らしいかを説く。タモツは相槌こそ打っていたが、実際にはその一言一句まで
を書き留めていた訳ではない。とうに知っている所なのだろう。カナイがその横で弱々しい
苦笑いを浮かべているのが印象的だった。「すみませんね……」こっそり横に歩を緩めて掛
けてきた声に、タモツはこの所長よりも彼への好感度が上がる一方であった。
「では、断片的ではありますが、装置が稼動している様子をご覧ください」
「こちらのガラス窓を。眩しくて見え難いと思いますが、現在第九区からの罪人を“更生”
している最中です」
手すりから転げ落ちないように控え目に身を乗り出し、タモツは巨大な円筒に付けられた
小窓に目を凝らした。
黄金色の光。
カナイの言うように、そこから見えたのは辛うじて人型の影を呑む、膨大なエネルギーの
奔流だった。
──結論から言おう。この取材から程なくしてこの街は事実上崩壊した。
切欠は実にシンプルである。人々がずっと押し込めてきた過去──この街で“更生”を受
けた者達の情報がある時市中にばら撒かれたのだ。
前科を、とんでもない悪を成していた人間がすぐ傍にいた。しかも本人はそんなことすっ
かり忘れてのほほんと暮らしている。……自分達が選び、歓迎したシステムが成してきた事
であったが、人々の恐怖と暴発を招くには充分過ぎるものだった。
前身は何処のどいつだ? 何を犯った? いや、それよりももっと前は──。
人々の疑心暗鬼は瞬く間に広がり、相互に加速した。友人だと思っていた人間が、恋人だ
と思っていた人間が、妻が夫が、もしかしたらとんでもない極悪人だったかもしれない。そ
んな不安の中で、互いに手を取り合って暮らしていけるほど彼らの関係性・気質はウェット
ではなかったのである。
タモツはこの一連の騒動の顛末を一つの記事として各地に広めた。自身が直接目の当たり
にした“更生”装置の孕む危険性も含め、その発想が再び現れないようにする為に。
『拝啓 タモツ・ミタライ様
先日は我が街と更生施設の取材、お疲れ様でした。そして貴方がこの添え書きを読んでい
る頃には、この街は滅びに向かっていることでしょう。或いはそれより早く、私は処刑さ
れているかもしれません。管理官の一人でありながら、その秩序を破壊しようと目論んだ
裏切り者として。
部下に渡させたパンフレットをご覧になったでしょうか? それには二重底の細工がして
ありまして、中にはこの街が成立以来行ってきた全ての“更生”情報が入っています。
近日、私もこれを市中にばら撒きますが、もしそれまでに私に何かあれば貴方がその役目
を担ってくれることを望みます。尤も、無理強いはしません。新聞屋としての貴方の正義
と利益を勘案した上で、ご自由になさってください。そのまま焼却処分してしまっても構
いません。
現地では驚かれたことだろうと思います。ですが、あれがこの街の本性であり、いつかは
正さねばならない悪でした。更生と銘打っておきながら、その実はただ大多数の都合によ
って個人の魂を破壊し、排除し続けたのです。
実を言うと、私は兄をあの装置によって失われました。泥酔した男に絡まれ、結果彼を突
き飛ばして殺めてしまった殺人者として。
ですが、そんな大切なことを、私はほんの数年前まで覚えてすらいませんでした。私も兄
も、とうに何度となく“更生”を受けて生まれ変わった別人であり、現在は兄弟ですらな
かったのですから。
ですが、期せずして管理官の一人に任命され、内部資料を検めていた際この事実に辿り着
いてしまいました。それ以来、私はあのシステムを憎んでいました。その為に街の人々を
巻き込んでしまっても構わないと。
どう感じられたでしょう? そうです。罪は消えないのです。たとえ記憶をゼロにし、姿
形すら変えてやっても、私達はきっと繰り返すのです。実際、過去に“更生”を受けた人
間が再び罪を犯して二度目三度目を受けるというケースはかなり以前より資料にて散見さ
れていました。その時点であのシステムはとうに破綻していたのです。
私は罪を犯しました。
人々の安易な排斥を憎みました。
それにより得た浅はかな安心に、それを疑わない欺瞞にずっと怒りを抱いてきました。
取材の申し込みがあった時、これはチャンスだと思いました。貴方を巻き込む形を取って
しまい、本当に申し訳ない。でも私は、誰かに打ち明けられずにはいられなかった。
長文を失礼致しました。
願わくば貴方の為す道に、破壊ではない正しさがあらんことを。
敬具 元第七管理官 シンタロー・カナイ』
(了)




