(5) 人間のカガミ
【お題】張り紙、ガラス、鏡
どんな非行少年でも確実に更生させることのできる寺があるという。
地元雑誌社の記者である私は、ある日そんな噂話を聞きつけ取材に赴くことにした。
その謳い文句に知的好奇心が刺激された……という点もある。
だがそれ以上に、私は気になった。どうにも腑に落ちなかった。
──“悪人”と為った人間が、果たして本当に完治するのだろうかと。
「イデア・ジャーナルの葛城です。今日は宜しくお願いします」
「住職の杏寧と申します。お話は窺っております。わざわざ足を運んで頂きご苦労様です」
目的の寺は、とある閑静な住宅街の郊外に在った。
モダンな新築家屋が建ち並ぶ景色がフッと途切れると、やがて見えてくるのは小高い緑の
丘。その森の中に貫かれた土道を進み、ゆるゆると傾斜を登っていくとやがてその中腹辺り
にこの寺の敷地の広がりを目にする事ができる。
境内で、私は住職を名乗る壮年の僧侶から出迎えを受けた。
むんと緑の色と匂いが視覚・嗅覚を刺激する。周囲はすっかり開発の波に呑まれてしまっ
ているが、ここだけはどうやら昔ながらの自然が未だ色濃く残されているらしい。
住職に案内され、寺の本棟へと入る。
一歩足を踏み入れたその時から留意して観察していたが……ざっと見る限り、寺自体に何
か特別な設備があるようにはみえなかった。
邪推かもしれないが、私は当初「座敷牢」のようなものが隠されているのではないか?
そんな予想を立ててこの場を訪れていた。
まさか、僧侶の説法で誰もが改心するとは──世の宗教家に楯突く物言いだが──どうし
て私には思えなかった。
『悪人は少なからず世の中に存在する』
『人は“堕ちた”時点で根本的に倫理観とは異質な存在と為る』
それが私の持論だった。
確かに人間は最初は真っ白で穢れを知らないのかもしれない。
だが、程度の差はあれ人は汚れていくものだと思う。
徐々にしかし確実に。
白は歳月や知識と共に灰色にくすんでゆき、やがて黒になる。そしてその黒の色を当人自
身が「当たり前」と感じてしまった時、彼らの中の罪悪感は消え失せるのだ。
公は、少年少女を更正させれば──黒くなった心のキャンバスを白に戻してやれば、彼ら
はきっと立ち直るという体裁を取っている。
しかし……私はそんな希望には正直言って懐疑的だ。
先日も、いじめを苦にした自殺が各地で相次ぎ、大きく報道で取り上げられた。
先日も、会社からの過度の束縛によって心身を病んだサラリーマンが、ホームへ入ろうと
した電車に飛び込んで自ら命を絶った。
直にそうして病んだ末に逝った人々の遺族に話を聞いてきた中で、私は思う。
──温過ぎる。
誰かの笑顔を奪った人間が、その後の人生を闊歩するなどあっていいものか。
“悪”は正すのではなく、罰し排するべき対象だ。それらが私刑に堕ちてしまわぬよう、
国家権力がその行使権限を握っている。威圧力の確保と共に。
「では……ここでは特に、教育プログラムを施すという訳ではないのですね?」
「ええ。ただ此処でゆっくりと過ごして貰っています。今の忙しない世の中から一旦離れ、
たっぷりと心に栄養を送って心身を休めるのです」
「…………」
「そうすれば彼らは自ずと知るでしょう。自分達のやってきたことがどれだけ狭いか、どれ
だけ他人を傷付けてきたか。ただ大人達が寄って集って罰を与えたとしても、彼らはきっと
頷けないでしょう。痛みから面倒から逃れたい──そればかりに意識がいってしまい、悔い
改めるという本来の目的が成されなくなる……。自ら悟らせることが何よりも重要です。償
うべきは、他ならぬ彼ら自身なのですから」
ギシギシッと軋む床板の音を繰り返しながら、私達は本堂の渡り廊下を歩いていた。
その道すがら、住職からこの寺の要旨を聞き取り、メモを取る。
曰くここは内省の場であるらしい。節制な生活をすることで自身の邪なる部分を自覚し、
それらに打ち克つ。そんな理念であるようだった。
(如何にも宗教家らしい理屈、よね……)
表情にこそ出さなかったが、私はその説明に怪訝ばかりが増していた。
一つは、内省を促すだけの場所で何故更正率100パーセントという数値が可能なのか?
もう一つは、仮にそういった環境を用意しても“反省しない少年”はどうしているのか?
理念自体は立派だと思う。
だが……それはやはり理想論なのだろうなと私は思った。
彼らにとっては残念なことかもしれないが、今の時代、世の犯罪被害者の多くは犯人たる
人間の更正よりも厳罰を望んでいる。赦し再び社会の一員として迎え入れるより、放逐して
残された秩序を立て直すことを志向・優先している。
それは私という記者個人だけではなく、きっと世間全体が感じている傾向だと思うのだ。
「どうぞ。粗茶ですが」
「え、ええ……。ありがとう……」
だが私の怪訝とは裏腹に、少なくとも此処では少年少女たちは無垢な姿を取り戻している
らしかった。
畳敷きの(寺なので当たり前だが)客間に通された後、私と住職に茶を持って来てくれた
のは、他ならぬこの寺に預けられ「更正」しつつある青少年らだったのだ。
まさか寺の修行僧では? それとなく確認してみたが住職は否定した。そもそも洋服な私
服姿の修行僧などみたことがない。
(私が先入観を持ち過ぎているのかしら……)
空いた盆を片手に再び会釈をして部屋を出て行く少年らを見送りながら、私は思った。
いけない心構えだったのかもしれない。伝えるべきは真実であって、自分の主観ではない
のだから。歪んだ事実を見せびらかして悦に浸るなど──ジャーナリズムとしても、被害者
遺族らの感情を顧みても──酷い偽善ではないか。
「それにしても……。先程から何度も目にしていますが、ここには鏡が沢山あるんですね。
途中の廊下にも点々と掛けられていましたし、この部屋にも一つ大きなものが」
だから私は、この時何ともなしに話題を逸らそうとしていた。
もう一つ頭の片隅で気になっていたもの。この寺に来てからやたらに目にしているような
気がする“古びた鏡”の存在。
「もしかして、此処は鏡が何かの信仰対象なのでしょうか?」
私は壁に掛けられたその一つに、ほうっと目を遣りながら訊ねる。
「……そうですね。詳しい経緯は記録が残っていないので分からないのですが、どうやら古
くから『鏡に映った自分を見て己を見つめ直す』という意味合いがあったようです」
「なるほど……。でもこれも外の物も、古紙で覆われているようですが……?」
「ああ……それなら。簡単なことですよ」
最初、話題が変わったことに小さく疑問符を浮かべていた住職も。
「必要ありませんからね。今寺にいる子達は……皆“良い子”ですので」
そうこの寺の歴史を語り始めると、気付けば再び当初の穏やかさに戻ったように思えた。
『──ええ、そうなんです。帰って来た時はびっくりしました。あれだけ気性の激しかった
子があんなに優しい子になって戻ってくるなんて』
『改めて住職さんにお礼に行ったくらいなんですよ~。子供も、今の世の中じゃあ色々と荒
んでしまうのかもしれませんね』
『……でも、ちょっと不気味ですよね』
『? 不気味、というと?』
『ちょ、ちょっと奥さん……』『それは……』
『何ですか? 皆さんも押し留めないで話して下さい。その寺に預けた親御さんの生の意見
を聞きたいんです』
『……』
『じゃ、じゃあ……』『わ、私達の名前は出さないで下さいね?』
気のせいかもしれませんけど“優等生過ぎる”んです。
自分の子供を信じられないなんて、あまり大っぴらには言えないんですけど……変わり過
ぎて、時々怖くなるんですよね。
何だか……まるで別人みたいで──。
その日、私は予定よりも随分長居してしまっていた。
住職と昨今の犯罪事情について語らい、気付けばすっかり日が落ちてしまっていたのだ。
『なら、今夜はこちらに泊まっていって下さい。一人二人増えても同じですから』
なので、結局私はそんな住職の言葉に甘えてこの寺に宿を借りることにした。
元は日帰りのつもりだったので当然宿などは取っておらず、彼の申し出はまさに渡りに船
だった訳だ。
「……」
だけど……ふと此処に来る前、実際に非行少年とされる我が子をこの寺に預けた母親達に
話を聞いた時のことを思い出して、私はもそりと布団の中から身を起こしていた。
妙だ。やはりこの寺は妙だ。
ただ内省の場を与えるだけで全ての人間が更正するとは思えない。それが牢屋だろうが緑
に囲まれた寺であろうが、悪を悪と認識していない──或いはその罪を快楽として中毒状態
となった者には効果は薄い筈なのだ。やはり100パーセントの更正率とは、不自然だ。
加えて昼間の語らいで、住職が単に現実を知らない理想論者ではないことも分かった。
むしろよく知っているのだ。昨今の犯罪傾向について。
数こそ戦後混乱期に比べれば随分と「減って」はいるが、その性質までも“浄化”された
とは言い切れない。事実──私達マスコミが騒ぐからだという識者も少なくないが──異常
な感性・価値観で以って引き起こされる凶悪事件は今も昔も変わらず存在する。
件数が減ったとしても、被害に遭った者らの哀しみは……減らない。
(己を見つめ直す、か……)
私は暗がりの中で布団から出、ぐるりと宛がわれた部屋の中を見渡していた。
人工的な灯りは殆ど無く、代わりに五感を刺激するのは少し寒いくらいの気温と時折聞こ
えてくる虫の音。そんな静寂の中にあって、あの古紙で封をされた鏡はじっと壁に掛けられ
たまま佇んでいる。
ペラリと。私はおもむろに鏡を覆っていた古紙を取り払っていた。
露わになる古びた鏡面。薄闇に映り込む室内と自分の姿。
気味が悪かった。夜という時間帯もあるが、どうにも古物の類というのは独特の雰囲気を
纏っていて薄ら寒いことが多い気がする。
「────ッ!?」
その時だ。“鏡の向こうの私だけ”がニヤッと笑ったのは。
「な、何……?」
私は殆ど反射的に大きく後退っていた。
明らかに自分の像とは違う鏡の中の自分。ざりっと擦れる足元の畳の音。
「……」
「えっ?」
そして振り返った私を不気味な笑顔で見つめていた、瓜二つなもう一人の私。
急激に足が竦んでいた。身体中に動揺と有無を言わせぬ恐怖が走る。
「いけませんね……。消灯時間はもう過ぎていますよ?」
すると今度は襖を開け、住職がそう言いながら姿を現してきた。
一見すると、変わらず穏やかで物静かだった。
だが暗がりでも分かる──今彼が纏っているのは、悪意だ。
更にその背後から、ぞろぞろと少年少女達が集まってくる。
同じくほくそ笑みながらの、陰のある悪意の群れ。鏡には驚いた私の後ろ姿と、じりじり
と迫ってくるもう一人の私や寺の面々が映り込んでいる。
『おい、早く逃げろ!』
『あんたも中に引き摺り込まれちまうぞ!』
するとはたと鏡面が揺らめき、そんな重なる声が耳に届いてきた。
肩越しに振り返ると、そこには鏡の中、その境目を何度も激しく叩いては叫んでいる多数
の少年少女達。言葉遣いも鏡面を叩いてくるその力も、明らかに粗野な少年少女達。
思わず私は目を見開いてた。何故なら、鏡の中の彼らは今自分に不穏な気配を纏って近付い
てくる彼らと全く同じ姿形をしていたのだから。
「住職……これは一体……!?」
私は歯を食い縛りながらも叫んでいた。ぐるぐると思考を全力稼動させる。
にわかには信じられない。
だが、もしそうなら、今日一日の疑問が全て解決する……。
「言ったでしょう? この寺にいるのは皆良い子達ばかりだと。貴方も言っていたじゃあり
ませんか。──“世の中は、悪人は要らないと思っているんじゃないか”と」
次の瞬間だった。ぬるりと私の身体中を掴む感触があった。
視線をもう一度鏡面に向ける。だが鏡の向こうの“本物”の少年少女達は、急速に揺らめく
紺色の靄に掻き消され、代わりに無数の手のような触手が私を捕らえようと次々に纏わり付い
てくる。
「だからってこんな事……。間違ってる! 住職さん、貴方は──!」
女性記者は必死に抵抗した。
だが人外なる無数の手に、一介の人間が叶う筈も無い。
程なくして、悲鳴と共に彼女は鏡の中へと完全に引き摺り込まれていった。
しんとなった薄闇の中の和室。そこには住職と少年少女達、そして彼女と瓜二つの女性が
言葉少なく佇み、静かにほくそ笑む。
「危なかったですね“先輩”」
「そうだね。やはり彼女は勘付いていたらしい」
少年少女達は、やがて住職をそう呼んだ。
フッと息を吐いて、元の古鏡に戻った鏡面を眺めてそう一言。足元には、あの記者が勝手
に剥がした古紙が裂け目を伴って転がっている。
「でも間に合ってよかったよ。あとは……」
「大丈夫です。これからは私がしっかりと彼女に為りますから」
住職の向けてくる視線に“偽者”の女性記者は微笑んだ。
そんな彼女の自信に、彼も少年少女達も同じく静かにほくそ笑む。
初夏の夜は徐々に蒸し暑くなっている。
夜闇は変わらず太陽と交替して現れるが、そこに滞留する熱はむしろ増しているのかも
しれない。
「悪人はそう簡単には変われませんからね。貴女も存分に彼らの“換わり”を担って貰い
ますよ?」
(了)




