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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-49.April 2016
243/500

(3) 触らぬ彼に

【お題】悪魔、諺、眼鏡

 学校なんてのは牢獄だ。睦実むつみは常々そう思う。

 彼はその休み時間、一人窓際の席で静かに本を読んでいた。

「でさ? そいつがどう言ったと思う?」

「ぎゃははは! 情けねーでやんの!」

「……」

 だが所詮は限られた空間だ。他のクラスメート達の声や気配を完全にシャットダウンでき

る筈もない。

 睦実はちらと、机数列を挟んだ向こうで駄弁っている同じ男子の一団を横目に見た。大声

でゲラゲラと笑い、心底馬鹿にしているような印象を受ける。

 くだらない。何がそんなに可笑しいのだろう。

 他人を哂っていられるほど、お前達は賢明なのか? 自分にさえ成績が及ばぬ者ばかりで

はないか。彼らだけじゃない。クラス中で騒がしく交わされる談笑、能天気な笑い声が睦実

には内心癪で仕方なかった。

 どうして、そんな“余裕”でいられる? 成績も、対人関係も、こんな狭く押し込められ

た環境では歪まない方がおかしいというのに。

 故に、一方で睦実は彼らの格差を思い知らされる。つまりは彼・彼女らにはそんな心配は

無いのだ。或いは内心抱いていても、表に出すことが許されない──弱みを見せればつけ込

まれると解っているから。

 自分だってそうだった。過ぎ去った日々にもしもを引用しても何にもならないとは解って

いるつもりだが、自分達はこの未熟な年頃から表に合わせ、裏を必死に押し隠しながら生き

るということを学ばされる。ある意味、机の上の勉強よりもずっと不可欠なものだ。

(あと一年半、か……)

 目を細め、黒縁眼鏡のブリッジを触り、残りの歳月を思う。

 あまりに自分が悲観的過ぎるのかもしれないと考えることもあるが、やはり青春──この

時をできるだけ長く楽しみたいという奴らとは、自分は永遠に分かり合えないなと思った。

所詮そんな能天気なことを言えるのはカーストの上半分に立てている者であって、自分達の

ような下半分の者には求めても足蹴にされるような望みである。

 目の前に広げた文庫本の小説も、そう鬱屈とした思いがぶり返すと中々頭に入ってきては

くれない。片手に収めたページを捲る手もどうしたって遅々としてしまう。

 ……考えてみれば、この学び舎ろうや生活をやり過ごす為に本を読んでいるのか、他人と駄弁っ

ているのかの違いではあるのだろうか。ならば何故、こちらのような過ごし方を取る者ばか

りが根暗だの何だのと哂われなければならないのだろう。

(ああ、駄目だ。また無駄なこと考えてる)

 しかしそこまで思い、睦実は読書に集中し直すことにした。鬱屈を自ら重ねてみた所で何

のメリットもないことは重々経験済みだからだ。

 何というか……癪ではないか。向こうはこちらの煩悶など何一つ顧みやしないのに、時に

はそうなっていくさまを愉しんでさえいるのに、ホイホイとこっちが勝手に病んでいくよう

ではそれこそ「負け」ている気がするのだ。別に無理やり「勝ち」にもっていかなくていい

にしても、マイナスに自らマイナスを足してやる義務はない。

「……」

 ぱたむ。だが、そうやって意識せぬようせぬように務めれば務めるほど、人間というのは

脳裏を多く占めてしまうもので。

 見開き一ページほどを読み進めた所で、睦実は本を閉じていた。本屋の紙カバーに包んだ

それに付いてきた栞を挟み、空気を吸い直す意味でも一度教室を出て行く。

「──いいから出せよ。持ってんだろ?」

「放課後行くにも軍資金が足りなくてさぁ」

 そうしてトイレにでも行くかと廊下を歩いていた時だった。ふと階段へと折れ曲がる物陰

の死角に潜みながら、一人の細身の男子生徒が数人のガタイのいいそれらに囲まれていた。

 睦実はすぐに悟っていた。集り──金をぶん取られようとしているのか。細身の生徒は無

理やり身体を持ち上げられて揺すられ、落ちた財布を奪われている。

「ま、待ってよ。もう僕だって余裕が──」

「五月蝿ぇな、お前は黙って寄越せばいいんだよ!」

「たんまり溜め込んでるだけの金を、世の中に回してやるんだ。寧ろ感謝して欲しいな?」

 バシンッ。抵抗しようとした瞬間、殴られた。

 実際は軽い張り手程度だったのだが、ガタイのいい男から喰らうそれは細身の彼には充分

な威力だった。頬を赤く晴らし、どうっと倒れ、目の前で分配されていく自身の所持金を絶

望した表情かおで見上げる。

「ぁ……」

 面倒な事に、目が合ってしまった。この細身の生徒がこっそり通り過ぎようとしていたこ

ちらに気付いて、助けを求めるように揺らぐ視線を送ってきた。

「──」

 だが睦実はそこからサッと目を逸らした。何も知らぬというようにこの現場を遠巻きから

通り過ぎ、一人少し先のトイレへと向かう。

 眼鏡のレンズに表情を隠し、そっとブリッジを触っていた。

 悪いが、巻き込まれてやる義理はない。


 まだこの高校に入るよりも前──小・中と、睦実は苛められていた。

 睦実は小柄だ。同じ年頃の男の子達と比べても、頭一つ二つは小さい。

 理由なんて些細だった。詰まる所何でもよかったのだろう。将来の為に社会の為に、早い

内から学び舎ろうに入れられ、慣れさせられ──“理不尽”を学ぶ場所にあって、子供とて何処

かでそのストレスを発散するチャンスに飢えていたのかもしれない。

 それが、不運にも自分だった。一回り以上小さな彼を苛めっ子達は「劣る」者とし、事あ

るごとに暴言を浴びせ、或いは直接暴力を振るってきた。

 曰く、じゃれていただけ。

 曰く、誘ってもついてこないから悪い。

 結局彼らが苛めを認めることはなかった。睦実自身も殊更それを周りに吹聴して、事を大

きくするのを好まなかった。……子供心に解っていたのだろう。そこまで大人達は自分に優

しくはしてくれない。優しさとは、先ずその者自身に余裕がある時に始めて発揮されうる。

これから先の仕事、収入をかなぐり捨ててまで、一人の「弱い」子供を庇い抜こうとする者

など求める方がどだい間違いだった。何度となく『ほら、○○君もこう言っているから許し

てあげて?』となぁなぁにされてきたことか。

 無邪気がリミッターを小さくする。

 無邪気を躾けられないから、それが悪だと知らない。

 摘むべきだった。「弱い」自分をしばしばそうしようとしたのなら、奴らのような「害」

を孕む不良品は早い内にパージしておくべきだった。ただ恨めしいかな、一を除く努力なら

惜しまないが、五や十を除く決断を彼らはしたがらない。より面倒だからだ。自分への評価

に響くからだ。品質云々より、まず出荷するというノルマをこなさなければ話にならない。

 だから、睦実はできるだけそういったグループとは関わらぬように務めた。母などにはし

ばしば「友達と遊びなさない」と窘められたが、あれがどう取れば「友達」なのか。それに

ああいう言葉の本意とは、遊ぶべしというよりは孤立──下手に目立つことをしてはならな

いという要請だったように思う。

 暴力すら振るってくるような「友達」より、無言のまま知識を与えてくれる「友達」を彼

は好んだ。生来のものだったからか、或いはそういう過ごし方をしてきたからか、決して身

体の大きくない彼は本を片手に部屋や木陰に佇み、日の下を走り回る同年代の子達を冷めた

目で見ていた──愚かだと見下していた。

 ただ、そんな安寧の仕方は長くは続かない。学年が進み、勉強が難しくなるにつれて睦実

を内心優位にせしめていた知力でさえ、所詮は一つの手段でしかない、脆いものだと思い知

らされることとなった。加えて彼は観ていた。ただ知識を持っていても、賢くても、相手の

地位や感情には勝てない。『分かったが、気に食わない』──そう出られれば何もかもが無

意味になってしまう。

 傷だらけの頬や膝っ小僧で思ったものだ。独りぐすんと涙を拭いながら本を捲る。

“もっと、力が欲しい”


(はあ。今日も疲れた……)

 それは夜、塾からの帰り道だった。睦月は放課後、制服姿のままその足で駅前ビルに入っ

ている学習塾の講義を終え、一人いつものように家路を急いでいる途中だった。

 日はすっかり暮れてしまっている。ネオンの灯かりだけが、どうにも疎らに頭上から降っ

てきては哂い過ぎていくだけのように思えていた。

「──お?」

「もしかしてお前……睦実か?」

 だから、彼らの姿を見つけてしまった時、睦実は半ば本能的に総毛だって警戒した。

 夜闇の中で煌々と灯っている自販機。

 そこに学ランの、明らかに柄の悪そうな少年達がたむろしていたのである。

「おうおう、やっぱりそうだ。はは、久しぶりだなあ! 何だよ、相変わらず優等生やって

んのか。憎たらしさはそのままだな」

「……」

 かつての苛めっ子達だった。一年半ほど顔を合わせておらず、この時期特有の成長の早さ

でだいぶ人相も背丈も変わっていたが、不思議と互いに互いがそれだと認識できる。

「うん? 知り合いか?」

「ええ。中学ン時に世話になってた奴でさあ」

「よく金が足りねぇ時にかっぱらってたりしてました」

 すると自販機に寄りかかって、一人の男が彼らに訊ねていた。学ランではなく、睦実の着

ている制服でもない。上級生か。どうやら今の、彼らの先輩格であるらしい。

 言って、かつての苛めっ子達はへらへらとしながらこちらに近付いて来た。瞬く間にずら

りと四方を取り囲まれる。元より表通りから横に入った、狭い路地である。睦実には突っ切

って逃げ去る術もなかった。黒縁眼鏡越しに彼らを見上げて、きゅっと唇を結ぶ。

「ちょうどよかった。さっきゲーセンですっちまってさー。……恵んでくんない?」

 案の定、集りだった。もっと言えば脅迫行為カツアゲである。

 へらへらと嗤う。昔のように、金を無理やり奪ってやろうと思っているのだろう。睦実は

ただでさえ小柄な身体を更に縮こませ、掻い潜ろうとした。だがそんな抵抗も甲斐なく、彼

はこのかつての苛めっ子達に胸元を掴まれて持ち上げられてしまう。

「な~に、逃げてんのさあ」

「いいから出せよ。こんな時間までうろついてんだ、持ってんだろ?」

「へっ。一丁前に優等生ですか。昔と違ってこんなダサい眼鏡まで掛けやがって」

「……っ! やめ……本当に止め……」

 じたばた。両脚が浮く中、睦実は彼らに懐を探られていた。

 頭を鷲掴みにされ、ぐらぐらと揺らされる。眼鏡が、その揺れでずり落ちそうになる。

「睦実……。その制服は北高校ケンガク……。おい、お前ら! 今すぐそいつから離れろ! もしか

してそいつの苗字、仙堂じゃねぇか? 仙堂睦実じゃねえか? 止めろ! そいつにだけは

手を出すな!」

「はい?」

「何を言って──」

 そう。異変はその次の瞬間だったのである。

 最初は傍観していたこの先輩不良だったが、ぶつぶつと睦実の名前と制服、学校を記憶か

ら結び付けると顔を真っ青に変えて叫んだ。それでも彼を囲むかつての苛めっ子達は完全に

油断している。

「がァッ?!」

 ぐしゃり。手が伸びたのだ。刹那、睦実を持ち上げていた苛めっ子の一人が、急に顔面を

掴み返されて悲鳴を上げたのだった。

 メキ、メキッ……。まるで破砕機にでも掛けたかのようにその顔が骨ごと軋む。異変に気

付いて周りの仲間達の動きが止まっていた。──地面に、黒縁眼鏡が落ちている。

「……ったく。出てきて早々これかよ」

 睦実の声だった。だが明らかにその喋り方が違う。

 元の知的で鬱屈としたそれではない。もっと快楽主義者で、もっと粗暴な声だ。

 ぐしゃり。はたしてこの顔面を掴まれていた苛めっ子は五指の形に顔が歪み、大量の血を

撒き散らしながらアスファルトの上に倒れた。どうっと、崩れ去るようにして白目を剥き、

もう二度と立ち上がれない。

「ひっ!?」

「な、何だ……お前……?」

 後退る苛めっ子達。だがそれを睦実──だった者はにやりと犬歯を見せながら嗤い、ポキ

ポキとまだ血の滴る右掌を何度か閉じたり開いたりした。

「逃げんなよ。折角の玩具が興を削いでどうする」

 ひ、ひぃッ──!! 半ば本能的な恐怖に囚われ、一斉に逃げ出す残りの苛めっ子。だが

睦実の姿をしたこの“誰か”は霞むような速度で地面を蹴り、内一人の後頭部を鷲掴みにし

て地面に叩き付けた。直下のアスファルトは大きくひび割れながら陥没を作り、この少年を

ほぼ間違いなく血塗れで絶命させている。

 彼らは逃げ惑った。だが“誰か”は反撃を止めない。次から次へと、彼らは一人また一人

頭を握り潰され、手刀で首や四肢を刎ねられ、或いは背後から身体を一突きにされ、赤黒い

血を撒き散らしながら、ただの肉塊となっていった。

「う、噂は本当だったんだ。北高校ケンガクの仙道睦実には手を出すな、死ぬぞ……」

「……」

 そして残るは先の先輩不良だけになった。

 自販機を背に、逃げることもできない。だが睦実の姿をした“誰か”はそんな事お構いな

しにずんずんと近付いていく。

「なら、尚の事生かしてちゃおけねぇな」

 刹那一閃。まるで世間話でもしながら手刀を薙いだ彼に、この男の首は夜闇に紛れて小気

味よく跳ね飛ばされる。

「──はいはい。一丁上がり、っと……」

 何の捻りもなく言ってしまえば惨状である。大量に飛び散った血が鮮烈な、惨殺の現場が

そこにはあった。睦実の姿をした“誰か”もまたその例に漏れない。制服にはびったりと彼

らの返り血が付き、両手からは赤黒か滴りながら、それでもこの“誰か”は快感に酔ってい

るかのように心地のよい表情をしている。

『もう……。またこんな滅茶苦茶にして……』

 ちょうどそんな時だった。何処からともなく──いや間違いなくこの“誰か”と同じ身体

から他ならぬ睦実の声がした。嘆息。こんな惨状である筈なのに、そこに混じっている声音

は動揺などとは明らかに一線を画している。

「お前がこいつを落っことしたからだろう? 気ぃつけろよ。俺としちゃ癪だが、こいつは

封印装置でもあるんだぜ?」

 “誰か”が自分の中にいる睦実に語り掛けつつ、先程から地面に転がっていた黒縁眼鏡を

拾い上げた。同じくべっとりと付いていた返り血をハンカチで丁寧に拭う。はぁ……。睦実

の改めての嘆息が聞こえた。その視界はおそらく、この始末された元苛めっ子達に向けられ

ていたのだろう。

「良かったじゃねえか。ようやく本懐を成し遂げたんだろ? 喜べよ」

『そう言われても……。別に殺してまでなんては思ってなかったし……』

 睦実の歯切れの悪い呟きに“誰か”は肩を竦める。彼にとってそんな線引きは瑣末なこと

だった。求められた力、手続きを踏んだ条件。まぁ結局の所は思いっ切り暴れ回りたいとい

う欲望であるというだけの話なのだが。

『ちゃんと後始末してよ? それと眼鏡もちゃんと掛ける』

「へいへい」

 言われて、この“誰か”はパチンと指を鳴らした。

 するとどうだろう。突如として辺りに青い炎が巻き起こり、彼自身も含めた全てを包み込

んでいったのだ。

 しかしこの炎は物を焦がさない。代わりに見るも無惨だった大量の血痕や血だまりが綺麗

さっぱりと掻き消え、加えて彼自身の返り血や服の細かな汚れすらも染み一つなくまっさら

になっていったのである。

 しんと、辺りに静寂さが戻っていった。路地に表通りからのネオンの明かりがまた疎らに

差してぼんやりとした視界を形作っている。くるくる。手の中で眼鏡を弄び“誰か”はこれ

をそっと自分に掛けた。するとまるでスイッチが切り替わったかのようにそれまで見えてい

た荒々しい不遜の笑みは消え、先刻まであった大人しい少年の──睦実のそれが表に現れ始

めたのである。

「……ふぅ。明日、新聞が大変なことになるなあ」

『心配することはねぇよ。ポリ公が来ても俺の魔眼でどうとでもできる』

「そうなんだけどさあ……。やっぱり、良心の呵責があるというか……」

『ははっ。悪魔と契約しといて、良心もクソもねぇだろうがよ』

 出ている側と潜んでいる側が入れ替わり、睦実と“誰か”はそう誰もいなくなった路地で

ぶつくさと話していた。

 呵々。それでもやがて人間の価値観を投げかけてみても無駄だと再認識した睦実は、その

まま軽くポンポンと制服や鞄を掃い、一人夜の暗がりの奥へと消えてく。

『ま、また邪魔者がいたら呼んでくれや。力……欲しいんだろ?』

                                      (了)

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