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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-47.February 2016
232/500

(2) 舌禍

【お題】戦争、炎、希薄

「○○は大嫌いなのに」彼はそう言った。

 それはあたかも、○○が好きなど信じられない、人間じゃないとでも言わんばかりだった

ように記憶している。

 私は内心、通りすがりに嘆息をつかざるを得なかった。そしてここに来て、私はいよいよ

彼から距離を取ろうと決意した。もう自分から関わるまいと、戒めるように誓った。


 ──別に何が好きで、何が嫌いか、どう思おうが個人の自由だ。何か一方向へと、誰かに

よって強制されるべきでも、勿論ない。

 だが言葉にしてしまっている。彼は言葉にして、あまつさえ電子の海に放り投げている。

 思うに、言葉とは力だ。言霊だ。即ちしゅであるとさえ私は考える。

 全てが明確にそうした効用を発揮する訳でもないが、呪として世に漂うことになるのは間

違いと言っていいだろう。そして危惧するのは、その言霊がふと何かの拍子に他人に影響を

与え、衝き動かし、悪しき方向──争いの火種となって燃え上がることだ。


 彼はその点を、あまり良く解っていないように思える。自分の「正常」な感覚が正常であ

って当たり前で、然るべきで、そうでない者達は異常な何かだと捉えている向きがある。

 繰り返すが、思っているだけならいい。

 だが問題なのは、言葉にすることだ。その思いに実際現実の力を与えることだ。

 語るなとは言わない。私達の性だ。しかしその際には相応に、細微まで注意を払い、責任

を持つべきである。その「正常」は君の中においての「正常」であって、他の誰かにとって

そうであるなどという保証は何処にも無いというのに。なのに勘違いしている。自分にとっ

ての当たり前と、その当たり前から外れた者達を侮蔑する行為、タガを混同視している。


 ○○が嫌いだと表明することは、○○が好きな誰かを傷つけることになるかもしれない。

 ○○が嫌いだと敵意を示すのは、○○が好きな誰かへの宣戦布告となるかもしれない。

 確かに個々の認識の持ちよう次第ではある。だが、それでも、彼はそういった現実に嗜好

という猥雑性に対する認識があまりにも希薄ではないかと思うのだ。

 認めないというのなら、言うのなら、彼らは君にとって“敵”にしかなれない。

 認めないというのなら、折れぬなら、君達は取っ組み合いせんそうになる。

 本当に解っているのか? いや、半分は解っていないのだろう。或いは解っていても口に

出す、語ることを止められなかった。何処かにいる筈の○○を好む誰かを、敵に回してしま

ってもいいと、自分の衝動を一度ぐっと抑えようとはしなかったのだ。

 何よりもそれは諍いの火種に火を点けることである。

 本当に解っているのか? その意味で、君は罪深い。省みないことが罪深い。

 本当に解っているのか? 君はこの世界に、一つの不穏を生み出したのだというのに。


 ──私が大きく距離を取ろうと思ったのは、何もああいう吐瀉が今回だけではなかったか

らだ。彼はしばしば、まるで発作のように自分の○○嫌いを開帳し、そしてそうではない者

達、世のそうした彼らを支持する向きに対しても「信じられない」を連発する。

 思うに、やはり彼という人間はそうした“行為”の重みを軽く考えていると言わざるを得

ない。何度も何度も、はたと衝いたように吐き出し、繰り返し──そして自分に同調してく

る他人に、声に酔っているかのように思えてならないからだ。

 ……嗚呼。これが負の連鎖なのだ。

 ○○への否定、ないし肯定。自分ただ一人の責任で決めて抱えておけばいいものを、一々

他人から加勢して貰わなければ、あたかも背負えないと表明しているかの如き体たらく。

 何よりこれらはそういったフォロワーが増えれば増えるほど、伝播する。いや、感染する

と表現した方がいいだろうか。元々はいち個人の嗜好の差に留まっていた筈のそれが、拡大

して集団おおきなことなることで、諍いとなる可能性を何倍にも高めてしまう。武力ではなく、ある意

味それよりも性質の悪い戦争を、始める準備を整えてしまう。


「彼を叱らないで。宥めるこっちが迷惑なのよ」

 更に私をとことん辟易させる出来事──理由は続いた。こうなる前、一度私はついに堪忍

袋の緒が切れて、彼をこってりと説教したことがある。内容は概ねここで語ったようなこと

ばかりだ。正しさに絶対などなく、その正しさは誰かにとっての不愉快になる可能性を孕ん

でおり、彼らや他者全域との均衡を崩してもいいほど、君の衝動とは大層なものなのか? 

吐き出すならば、せめてもっと限定された場所で、相手を選ぶべきだと。

 ……なのに、場にいたとある他の面子(ここでは彼女と呼ぼう)から、私は彼に内緒で逆

に窘められてしまった。

 曰く、貴方が彼を説教することで此処の和が乱れる。

 曰く、貴方が彼を説教することで彼が気に病み、余計に当り散らすようになる。

 曰く、だからそんな余計なことをしないでくれ。黙ってスルーしておいてくれ。

 やってしまった──衝動に突き動かされた時点で私も同じであり、“負け”であったのだ

と反省したが、その一方、とても悔しくてやり切れなくて、苛立たしかった。

 彼女も、おそらく向けてきた言葉以上の他意はないのだろう。ないと信じたい。

 ただ掻き乱されたくないからだ。私が「キレた」ことで彼が後々荒れる、そのことで自身

が被るリスク・面倒を避けたくて言ってきたのだと推察する。

 私はすまないと言うしかなかった。上述の通り、私は彼に“負け”たのだから。

 では彼女達もそんな面倒を背負うなら、さっさと彼の下から去ればいいのに……。

 しかしそこまでを私が指示する資格はないのだろう。おそらく彼女らが留まるのは、彼の

こうした吐瀉以外の良い部分がプラスマイナスを上回る──都合がよいからで、何より此処

以外の別の場所を探すのが、移るのが面倒臭かったからだと判断する。

 ……かくして、それが前段階として、私が彼から遠ざかっていく遠因となった。

 彼はまだ省みていそうにないようだった。

 先日、ああしてまた自分の「嫌い」を、浅慮に布教しようとしていたことからもその事は

明らかだ。


 ──誰かを不快にさせてまでも、自分の好き嫌い、諸々の思想を布教するのを厭わない。

 ──そうやって争いが広がり、目の前で展開されるのが辛い。無くなって欲しい。

 もしかしなくても、それは他ならぬ私の「嫌い」なのだろう。彼にとっての○○と、他者

から見れば同じものなのかもしれない。

 だから私は、二度目の説教を彼にぶつけなかった。彼女に一度窘められたこともあるし、

加えて彼の「嫌い」も私の思いも、所詮は同じ穴の狢なのだと繰り返し繰り返し戒めるから

こそ、私は黙って去るという選択肢を採ることが何より最善なのだと考えている。


 だが……それは結局「逃げ」ではないのか? せめて自分が諍いの伝染者とならぬよう、

自衛に努めているだけで、事の肥大化を抑える・食い止めるにはその実あまり役に立っては

いないのではないかと。自分の分、別の誰かがその穴に入っていくだけで、結局何も変わっ

ちゃいないのではないかと。

 先日、とうとう彼は○○を好むファンの一人に捕捉された。日頃から○○嫌いについて語

っているし、先日も語った所だったので、何処からか嗅ぎ付けられてしまったのだろう。

 諍いになっていた。尤も構図は、そのファンからの一方的な口撃の雨霰に彼が怯え、戸惑

っているというものだったが。

 くべた火に、熱心な○○好きが集まる。彼らは彼を論理的に、何より感情的にとことん責

め続けた。俺達の拠り所を侮辱した罪、許すまじ──それは所謂、昨今の「炎上」案件へと

なり始めていた。


 ざまあみろ。

 遠巻きにそのさまに気付いた私は、そう──思うほど思えなかった。

 溜飲が下がる? いや、寧ろもっと別な方向で胸のつかえは増す一方であった。そして私

は経験上、これらの正体をある程度理解しているつもりだ。

 それは悔しさと、辛さだった。彼という火種を振り撒く「困った人間」を、衝動から自分

の矜持を守る為とはいえ、結果として放っておくことしかできなかった。本人と伝播してゆ

く諍いの熱量を止められなかった。その無力感、敗北感が私を苛めていたのだ。

 ──義憤を、嘆きを振り撒く人がいる。そんな彼の独善を、私は止められなかった。

 ──良かれと思う善も、迷惑がる人がいる。そんな彼女の怠慢を、私は正せなかった。

 何より立ち向かう勇気がない。撒かれた火に群がり、口撃を振り上げる人々を、私はどう

することもできない。


 ……そんな「義務」はあんたには無いよ。そう言われてしまえばそれまでである。尤もで

あるし、実際立ち向かった所で何ができたことか。

 それでも、それでも。私は心苦しい。ああいう諍いものを見る度に、この胸は酷くつかえて居

た堪れなくなる。歯を噛み締め、己を他人を、この世界とその性を時には呪詛を吐きたくな

る程に憎々しく思って止まない。

 所詮、どう足掻いてもこんな世界なのだろうか?

 所詮、私達はこの酷く不毛で、噤むことでしか回避し得ない性の下で生きていくしかない

のだろうか?

 自らの自衛を、矜持の為に最善を尽くせば、他人びとは変わらない。きっと他の誰かが、

その衝動に負けて燃える火に更に火をくべてゆくだけだ。


 だが加担してはならない。すべきではない。されど寡黙な善意者は、蔑ろにされる。

 だが加担してはならない。すべできはない。彼らを変えたいという思い──衝動とは、結

局の所、彼らが放つ「嫌い」のように自らの主義主張を布教すること・都合のいいように他

人びとを「教育」したいという目論みであり、その点においては私も彼も同じだからだ。


 止められなくて悔しい。

 しかしそれはその実、綺麗に形容された思いなのだろう。


 要するに本音は“自分にとって目障りだから嫌”というだけで。

                                      (了)

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