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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-47.February 2016
231/500

(1) 間際

【お題】光、東、部屋

 もう見飽きた、今やありふれてしまった類の話なのかもしれない。

 先日、S県M市の介護施設にて職員による老人への日常的な虐待があったと報道された。

 このニュースは、数時間もすれば似たような文面であちこちで記事となり、それらは勿論

電子の海インターネッツでも読むことができる。


『またこの手の話題か』

『サンドバッグ乙』

『ガキとジジババの相手は骨が折れるのに、給料安いからなあ』

『別にこの業界だけの話じゃなくね?』

『ワイなら億積まれてもやりたくないなー』

『安心して老いることもできないこんな世の中じゃ』


 そうなると例大手のサイトであれば──運営側の恣意で出来なくしてある話題もあるが、

そこには大抵コメント欄というものが設けられている。

 だが大よそ、此処に書き込まれる声というのは辛辣だ。そして憎悪に満ち、嘲笑する相手

に飢えている。顔も名前も、素性すらも知れない無数の匿名希望の人間達が何かしら事件が

報じられる度に何処からともなくやって来て、寄って集っては自分なりの「分かってるぜ」

アピールに勤しむ。記録ログを残していく。

 この日だってそうだった。

 この事件だってそうだった。

 思うに、九割九部の人間は本当の意味でこうした事件に憤ったり、喜んだり悲しんだりし

ているとは思えない。ニュースすら──他人の幸不幸、生き死にすら自分達にとってはただ

の消費対象でしかないのだ。サンドバックにし、嘯いてひけらかす為の踏み台にし、肝心の

事件の関係者達のことなど二の次だ。……まぁそもそも、よほど至近距離の中で事が起こり

でもしない限り、直接彼らと接点を持つことすら殆どの人間には不可能なのだが。


『やっぱ下手に長生きしたってろくなことないんだって』

『禿同』

『無駄にダラダラ長いより、太く短く生きてさっくり死ぬ方がいいよなー』

『そもそも長生きするための金がない』


 だから画面を下へ下へスクロールさせていく途中、そんなコメントが書かれているのを目

の当たりにして、気付けばキーボードに指を走らせていた。


『つらい』


 ああ、その通りだ。

 一人じゃないと感じる。自分と同じ思いを持っている人間は他にもこの世の中にはごまん

といるんだ。

 ただそれだけ、たった三文字だけをコメントして画面が更新された。

 しかしそれで特に反応がある訳でもない。あったとしても愚痴を冷笑で返し、冷笑を嘲笑

で返すばかりの世界だ。それが此処らで息をしているネット民の空気だ。ことそんな傾向は

まとめアフィ辺りになると顕著になる。どうせログをぶっこ抜かれて管理人の金稼ぎになる

のだから、昔ほど息巻いて秀逸なレスを返してやろうという気概は持たなくなった。

 つらい。

 こんな事をしていたって、慰みすら長くは続かないと解っているのに。


 ***


「──ふぅ」

 暗がりの部屋。その中で唯一点っているPCの明かり。

 キーボードを走らせる音が止み、ブゥゥンと小さな羽音のようなマシンの駆動音だけが室

内に響いている。

 伊東は画面へ前のめりになっていた身体を一旦逸らし、ぐぐっとその凝りを解した。思わ

ず出てしまう疲労と、解かれていく肉体が覚える小さな快楽の狭間。きゅむきゅむと軽く瞑

った目と目の間を摘まみ、彼は独り静かな夜を過ごしていた。

 いつも通りだ。シフトから帰って来て、コンビニ飯を突きながらネット上をサーフィンし

て情報収集。速報的なものや細々とした調べ物は型落ちのスマホで済むが、やはり長年弄っ

てきた愛着からか、PCこちらの方が身に馴染む。

 かれこれ何時間ほど経ったろうか?

 デスクトップ上の時計を見る限り、時刻は深夜三時を回った所だ。だが伊東はそれでも殆

ど眠気を感じなかった。眠ろうとは思えなかった。家を出る前に一度仮眠を取ってあるし、

そもそも仕事柄長らく生活は昼夜逆転──昼夜を問わぬスタイルが続いている。

「……」

 ぼうっと細めた目で、伊東は部屋の中を見渡した。

 四十路。とある食品メーカーの工場勤務の、しがない非正規アラフォー。

 過去には二人ほど付き合っていた女性はいたが、どちらも長続きせず未だ独り身。……と

いうよりも、もうこの部屋というプライベートに他人を招き入れる事すら、気付けばすっか

り億劫になってしまった。

 部屋の隅にはそれぞれ、溜まった洗濯物やコンビニ弁当を中心としたゴミ袋、漫画の単行

本やサブカル雑誌の山が転がっている。こうして視界に映すが、特段片付けようとも思わな

かった。そこまで急な客が来るでもない、いるでもない。そうやって後回しにしておいた内

にこれらはすっかり部屋と一体化してしまったようにすら思える。


『無駄にダラダラ長いより、太く短く生きてさっくり死ぬ方がいいよなー』


 身体の位置と光源の加減ではっきりとは見えないPCの画面の方へとゆっくり向き直り、

伊東は思い出している。

 無駄な長生き。さっくりと死ぬべき。

 嗚呼、そうだ。こんな暮らしを延々と続けて、何になるか……。

 展望など無かった。分相応と己に銘打ち、過分な夢をみる事もすっかり止めてしまった。

昼間に寝溜め、日暮れ頃に起き出し、工場に出勤する。ある時は数千個単位で食材の下ごし

らえをし、またある時は仕上がった料理の点検に日がな棒立ち、クタクタになれども特に同

僚と言葉を交わす訳でもない。代わりにぴーちくぱーちくと、女達は何が面白いのか知らぬ

間に派閥を組んでは陰口でもって連帯している。

 もっと、別な生き方があったのかもしれない。選択を誤ったのかもしれない。

 いや……選択して、誤ったのならまだマシだったのだろう。自分はそれすらせず、行動せ

ず、ただ置かれた現状の中へと流され埋もれていくままに日々を過ごした。……怠慢なのだ

ろう。今更悔いた所で、悲劇の主人公を気取ってみた所で何一つ変わりやしない。さながら

ベルトコンベアに乗せられた食品達のように、自分もまた中途半端な外圧を受けたままぼう

っと何処かへ流れていくだけなのだ。

 無駄な長生き。さっくりと死ぬべき。

 そうなんだろうなと思う。昔だってそうだった筈だが、老いとはリスクなのだ。

 特にその意味では、金銭的に、今日このリスクは個々人の大きく圧し掛かる。ただでさえ

身体は歳月と共に磨耗して衰えていくのに、そのフォローに入ってくれる場所も人材も決し

て充分ではない。皆そうだ──そう言ってしまえば詮無いが、向こう側とてキツキツの環境

の中で働かされている。ただ奉仕が好きだとか、そういう心持ちだけでは絶対長続きはしな

い世界の筈だ。何処か心を殺さねばならない。感受性というか、自分を苦しめるだけのもの

を自覚しないよう、塞ぎながら臨む……。

(……だるい)

 嗚呼、あと半日もすればまた仕事だ。そう思うと気鬱で、布団に包まってもプライベート

の時間を取っていても、休んだ気がしなかった。

 だがまぁ、寝なければ身体がぶっ壊れる事は分かっている。ぼちぼちベッドに潜ってしま

おう。毎度のようについこうして夜更かしをしてしまうが、人間一度寝るなら寝るの状況に

実際身体をもっていってやれば自然とそちら側へ傾いてくれるものである。

 そしてそれすら出来なくなれば……いよいよ、既にヤバい段階まで来ていると言えて。

(……ぼちぼち、寝るか)

 だから伊東はのそりと立ち上がった。

 その前に水でも飲もうか。そう思って、何の気もなく腰を上げた……筈なのに。

「っ、お──?!」

 刹那、視界が大きく揺らいだ。

 まるで分身し始めたかのような、二重三重に霞んだ世界が目の前に広がっている。伊東は

思わずふらついた身体を踏ん張ろうとし、顔面にがばっと掌を当てた。

 なのに……止まらない。

 彼はそのまま足がもつれ、倒れ込んだ。磨り減ってただでさえ薄いカーペットの上にばた

とうつ伏せになり、鈍い痛みと今この瞬間の不覚に動揺する自分が並存する。

「……」

 何やってんだ、起きろ。伊東はそう自分の身体に命令を送った。

 なのに動かないのだ。……動けない。手足や喉が、まるで別人のものになったように急速

に硬く冷たくなっていく。しかしその一方で、身体の中では激しく、痛いほどに脈打ち始め

ている内臓らがあるのを自覚する。

 文字通り倒れたのだ──。そう理解するのに、伊東はたっぷり十数秒を要した。

 そして猛烈な勢いで怖くなった。全身が思うように動かないという事実と、何よりその原

因が皆目見当もつかないという不明瞭さが。

「──」

 意識が、霞む。

 ぐらぐらと揺らいでいた景色が、倒れた事で一層限定的になった視界が徐々に黒い闇に呑

まれていくさまを伊東は知覚してみていた。

 気絶しようとしているのか……。

 今度は比較的早めに理解すれど、そんな自分の心算はなくて、その何故が解らなくて只々

彼は得体の知れない恐れの中に埋もれ沈んでいくしかない。


「……っ、ぁッ……!」

 そこから、またグワッと意識が引きずり上げられる。

 伊東は酷い脂汗を掻いて目を覚ましていた。姿勢はまだあの瞬間のうつ伏せのままだ。く

たびれたカーペットのごわごわと、冷やっこいフローリングの感触が間近にある。

 荒く息をついた。ぐるぐると考えた。

 今、何時だ? 何日だ……? 伊東は時計を見ようとした。なのに肝心の身体はピクリと

も動いてくれない。PCは点けっ放しになっていて覗けば見れた筈だが、立ち上がれない。

スマホも同じくテーブルの上か、ベッドの上に置きっ放しになっていた筈だ。

(や、ばい……)

 閉じたままのカーテンから、微かに日が差し込んでいるのが目の端で分かった。しかしそ

れは茜色で、ということは少なくとも自分はあれから半日以上気を失っていた事になる。

 何なんだ? 何故なんだ?

 伊東の脳裏には先ほどからそのフレーズばかりだ。だが当然、その声にもならない問いに

答えてくれる者はいない。

 辛うじて理解したのは、どうやら自分は自覚以上に身体に無理をさせていたらしいこと、

この状況はもしかしたら最悪の結末へ続いているかもしれないということ。

 独居老人。孤独死。

 そんなフレーズが浮かんだ。

 馬鹿野郎、俺はまだそんな歳じゃねえぞ──思って、しかし環境的に自分はそんな画面の

向こうの彼ら・彼女らと大して変わっていないじゃないかとも思い直す。

 嗚呼、そうだ。

 この生活が続く限り、自分に明るい未来など無かったろうに。

 そして思った。あのコメントが、レスポンスが、厭に抜け殻のこの身体に残響する。


『無駄にダラダラ長いより、太く短く生きてさっくり死ぬ方がいいよなー』


 自分は画面の前で同意していた。どうせなら、と思っていた。

 でもどうだ。いざこうして意味も分からずぶっ倒れて、動けなくて、もしこのまま誰にも

見つけて貰えなければ、飲み食いもできずに何日も経てば……自分は死ぬかもしれないと思

った。危機だ。……だが今、あのコメントを打っていた時のような斜に構えた哂いは湧き上

がって来ない。只々意識に上っているのは、単純に「恐れ」それだけである。

(や、ヤだ……。まだ死にたくない……!)

 何か野望がある訳でもない。この先にやり残した、自分だけの仕事も夢も、他人もない。

 なのに無性に怖かった。このまま永遠に自分がフェードアウトしてしまうと想像するだけ

で、魂の底から雑巾のようにギュウッと絞られるような心地がした。

 少なくとも、こんな突然なんて聞いてない。

 せめてもっと、予兆があってそこから覚悟を決めるとか、そういう筈であって。

 ふざけんな。ふざけんな。やめてくれ……そんなの、やめてくれ……。

(だ、誰か。助け……)

 全身に力が入らない。喉も何かが引っ掛かったみたいに声すらでない。ただ自分という中

心がギシギシと痛み続けていて、なのに自分という器は自分本体からするっと抜け落ちて此

処にあるみたいな、不可解で相反する筈の感覚。

 伊東は目に涙が集まっていくことすら自覚できていなかった。ただ突然の肉体おのれの叛逆に狼

狽し、怯え、平素インターネッツ上での嘲笑すら置き忘れて……。


「──伊東さん! ご無事ですか!?」

 だが、そんな時だったのだ。次の瞬間部屋の扉が開け放たれ、幾つかの人影が駆け込んで

来たのだった。

 伊東は声にならぬまま、これを見る。それは一人は警察官で、一人はこのアパートの管理

人の老婆で、そして何処かでみたような……気弱そうな若い女性だった。

「伊東さん、しっかりしてください! 私の声、分かりますか? 動けますか?」

 そしてこの警察官を中心に、三人は彼を取り囲む。背中を揺さ振って声を掛け、慎重に抱

き起こしやりながら彼の只ならぬ様子に険しい表情かおを作っている。

「管理人さん、救急車を。かなり弱っているみたいです」

「は、はい! すぐに……」

「伊東さん、伊東さん。しっかりしてください!」

 彼らに抱えられながら、ぼうっと伊東は記憶を手繰る。

 嗚呼、そうだ。この娘さん……お隣さんだ。

 そしてこの彼女と、警察官が何やら互いや自分に話しかけてくる台詞で、伊東はようやく

何故彼らがここまでして飛び込んできたのかを理解する。

「だって伊東さん、三日くらいに倒れられたでしょう? 夜中にバターンって大きな音がし

て、でもそれっきり何も聞こえなくなって、お仕事にも出ていないようだから何かあったん

じゃないかと……」

 お人好しだな。赤の他人なんだから、放っておけばいいものを……。

 だが一方で伊東は、彼女という隣人の登場によって、じわっと解されるように熱を帯びた

安堵に浸されるのを感じていた。実際、そのお節介がなければ自分は意味も分からないまま

亡き者になっていたかもしれない。

「──」

 介抱され、仰向けになった視界に映る制服姿の警官と、ふんわり素朴な服装の女性。

 柄にもない。こんな事を気取られたら恥ずかしいの何のというのは分かっている。

 ……だが伊東は、この時特に見上げた彼女の背後から、思わず目を細めてしまうほどの後

光が差しているかのように視えた。

                                      (了)

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