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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-5.August 2012
22/500

(2) 砂塗れの告白

【お題】砂、電話、星

 私には、もう何年も付き合っている恋人がいる。

 彼はとある実業団に所属する長距離ランナーだった。所謂マラソン選手である。

 なので、普段の彼は昼間その企業(ちなみにスポーツ用品の会社だ)でいち社員として働

き、その後にランナーとしてのトレーニングをこなす……という日々を送っていた。大会が

ある折は会社の方もバックアップしてくれるらしく、その比重は大きくランナーとしての側

に傾く──トレーニングに没頭するのだが、私にとってはあまり大きな違いではない。

 中々、私達は会えないでいた。

 頭では分かっていたつもりだった。

 付き合い始める前、学生の頃から彼は既にランナーとしての活躍・実績をコツコツと積み

上げていた人だったから。

 突出した才能がある、という訳ではない。それは本人もよく自嘲めいて語っていた。

 だけど私は知っている。

 彼は“目立つ才能”こそないが、とても実直な人だと。

 昔からそうだった。走ることを誰よりも楽しみ、その為には自分の身体を如何コントロー

ルすればいいのか、自分が走ることになる場所はどんなコースか、そういった膨大なデータ

を毎回密かに分析した上でレースに臨む。体育会系というよりもコーチを兼任しているよう

な人だった。

 だから私は好きになった。

 己の、相手(他のランナーや走る場所)のことを常に──それを殊更に表に出さずに──

考え抜き、ひたむきに道を往く。そんな姿に、私は強く惹かれた。惹かれてきたのだ。

『ごめんね。また予定が潰れちゃって……』

「ううん、いいのよ。耕介はレースを頑張って? 私も応援しに行くから」

 それでも……やっぱり私はランナーではない一介のOLに過ぎなかった。

 恋人との時間、デートとの約束をしばしばレース出場の予定で無しにされてしまう時、私

は内心は落胆を隠せなかった。

『ありがとう。……ごめんね』

 きっと彼も分かっていたのだろう。そんな時は決まって御礼と謝辞がごちゃ混ぜになった

返答ばかりだった。

 私は、電話越しに「いいからいいから」と苦笑するしかない。

 中々会えないのに変わらない、その優しさが嬉しくて。その優しさで余計に苦しくて。


 ──大変化は、そんな中で起きた。

 彼が国際大会で上位入賞の成績を収めたのだ。

 即ちそれは、オリンピックへの出場枠への確定ということで……。

 それまでは(貫いてきた戦略もあって)いまいち目立つことがなかった彼が、この時を境

としてにわかにマスコミから注目され始めた。

 曰く「努力の天才」「頭脳派ランナー」等と称して連日の特集を組むその放送。

 だが正直、私はあまりそんな彼らにはいい印象を持てなかった。

 私は知っている。今までどれだけ地道に彼が努力と実績を積み重ねてきたのか。

 それでも彼らは殆ど見向きもしなかった。

 テレビ受けするような“派手さ”から彼が縁遠かったことも大きいのだと思う。

 でもいざ五輪出場──しかも世間的にはパッと出な、彗星の如き出現──だけを取り上げ

るようなやり方は、私にとっては実にご都合主義というか、誠意を感じないと思えた。

「うーん……そんなものなんじゃない? 別に僕らはマスコミにどうこうされたいから走っ

てる訳じゃないし」

「そ、それはそうだけどぉ……」

 しかし、当の本人は当初、あまりそんな世間の眼には頓着していなかったらしい。

 流石に大会のあった現地では無理だったが、帰国後にできた時間の空きを利用して、私達

は久しぶりのデートを楽しんでいた。

 お茶をしたり、買い物に付き合って貰ったり。

 それでもやはり話題に上るのは、今回の五輪出場と世間の好奇の眼差し。

 私はここぞと彼に掌を返してきたマスコミを詰ったが、彼はあくまで冷静だった。流石は

頭脳派ランナーと呼ばれる人物、といった所なのか。

(せめて恋人わたしの前でくらい“本音”で喋って欲しいのにな……)

 だが私は一方で心配でもあった。

 たまにだが、見聞きしてきたことでもある。彼があまりに理知的過ぎる分、知らず知らず

の内に自分の中に鬱憤どくそを溜め込んでしまう、その悪癖を。

 これまでは「地味」だったから大事にはならなかった。

 だけど、もう今回は今までとは違う。

 なのに私は、そんな彼の発散場所げどくざいにも為れないのだろうか……。

「美里」

「んぅ?」

「……僕、頑張るよ。だから」

「うん、分かってるよ。私も応援に行くつもりだし。大丈夫、私がついてるから。ね?」

「…………。うん、ありがとう……」


『──また抜いたぁ! 日本の南海、怒涛のラストスパートだぁぁぁ!!』

 結論から言えば、彼は五輪という大舞台でとてつもない大金星を挙げた。

 残り一キロから突如として始まったごぼう抜き劇。

 少なからず疲弊していた他の選手達は、彼の脚に誰一人ついてゆくことができなかった。

 これは後日彼から聞いたことなのだけど……彼は事前に五輪のコースと出場選手を徹底的

に調べ上げていたのだそうだ。

 緩やかな上り下りと、似たような街並みの中を行くコース。

 今大会の出場選手は過去大会にも実績を残す強豪揃い。

 だが、むしろそれらの要素が頭脳派ランナーである彼には好材料であったらしい。

 自分達の走るコースは地味に体力を削る。そして自分は初出場──他の花形選手らからす

ればそうそう目を付けられない。

 だから彼は、密かに地道に対策を練り、大会に合わせた身体作りに没頭した。

 マスコミはその努力を驚愕に値すると称えていたけど、私にとってみれば、彼はきっと今

まで通りの自分を貫いただけにも思えた。

『何ということでしょう、南部がやりました! 南部耕介、初めてのオリンピックでまさか

の金メダル! 世界の頂点、最高峰の栄誉に立ちましたッ!!』

 会場が──そしてレースの一部始終を見ていた人々全てが、その熱気に沸き立っていた。

 私も興奮していなかった訳ではなかったけれど、個人的には「まさか」よりも「遂に」と

いう心境だった。耕介、貴方のひたむきさは間違ってなかったんだよって。

「耕介が、耕介が!」

「やったよ美里ちゃん、やったよ!」

「はいっ。義父さん、義母さん!」

 同じく応援に駆けつけていた耕介のご両親と一緒に、私は抱き合って喜んでいた。

 やがて表彰台に耕介が上る。

 首から下げられたのは、間違いなく金のメダル。世界を制したアスリートの証。

 カメラのフラッシュが四方八方から焚かれていた。軽くメダルを噛んでみせ、優しいあの

笑みで応えている彼。会場に英語のアナウンスが流れている。

『僕はただ積み重ねてきただけです。それを支えてくれたのは、他ならない皆さんです』

 インタビューで耕介はそう答えていた。

 その時は記者も全然気付いていないようだったけど、私達は確かに目が合っていた。

 ──僕、やったよ。

 ──うんっ。おめでとう。

 きっと、そんな言葉に出さない言葉を交わしながら。


 だけど……その栄誉が果たして私達にとっては本当に吉報だったのか。

 帰国してから、私達の周りは変わった。

 耕介はゴールドメダリストとして一躍時の人と為り、私達は一層に騒ぎ立てるマスコミや

世間の眼によって益々恋人同士としての逢瀬が難しくなっていたのだ。

『──ですので、南部選手との馴れ初めなどを』

「すみません。私の一存では話せませんので」

 それだけなら今までの延長上だと思ったのかもしれないが、何より苦痛だったのは連日の

ように掛かってくるマスコミからの取材攻勢だった。

 確かに私が彼と長らく付き合っている、その事を何としてでも隠そうとしたことはない。

 だが見も知らない不特定多数にその事が漏れ、突然電話が掛かってくる、アパートの前ま

で押し掛けてくるのははっきり言って勘弁して欲しかった。

「……ふぅ」

 ガチャリと受話器を置き、もう何度目かと知れない取材を断った。

 自分がこんな状態だからきっとご両親や勤務先はもっと大変なことになっているだろう。

 有名税だよ──。そう言ってしまえば身も蓋もないけれど。

 だけど、勝ち取った栄誉の代わりに、私達の距離は(物理的に)引き離されているような

気がしてならなかった。

 こちらから彼に連絡を取ることはできる。幸い番号は向こうもそのままのようだった。

 だけど、先ず彼が語ってくるのは「ごめんね」の台詞。

 私達を巻き込んでいることを申し訳なく思っているのは痛いほどに分かる。そんな優しい

声色を聞けると正直ホッと心が安らぐ。

 でも……違うと思った。理不尽だと思った。

 称賛は確かにあちこちから飛んでくる。しかし、それと同じくらいの気苦労が私達に──

いや、他ならぬ彼に強いられるのは、明らかに胸の内で燻る不満だった。

(耕介……)

 そしてデートの、ゆっくりと顔を合わせられる時間も、減っている。

 正直疲れてしまっていた。思わず、心の中で彼を呼んでその微笑みを思い起こす。

「──?」

 玄関のチャイムが鳴ったのは、ちょうどそんな最中だった。

 ベッドの上に腰掛けていた身体をゆっくりと起こし、すっかり警戒心が強くなった表情で

インターフォンの映像を確認する。

『どうも、佑川ゆかわ急便で~す』

「あ、はい……。ちょっと待ってて下さい」

 画面の向こうには、見慣れた宅配屋さんの制服に身を包んだ男性が一人。

 手には小振りの包みが一つ。用心の為に目を凝らしてみたが、どうやら玄関先に他の人間

が──即ちマスコミが紛れている様子もなさそうだった。

 パタパタと廊下を出て、私は宅配の男性に応対していた。

 ごく普通の営業スマイル。差し出された小包の伝票の一角を指差し、彼は言う。

「北条美里さんですね? ここにサインをお願いします」

「はい」

 渡されたペンでさらさらっと苗字を書いて、私はちらと小包の正体を見ようとしていた。

 男性はサインを受け取ると「確かに」と、帽子を片手に取って一礼をし、そのまま場から

立ち去ってゆく。

 小包は随分と軽かった。カサカサと音がするのは中の梱包材だろうか。

 何となくその場をひっくり返そうとしたが──はたと手が止まった。

 伝票には「天地無用」の表示があった。そして何よりも、この差出人は……南部耕介。

 私は大慌てで小包を握り締め、後ろ手でドアを閉めるのを忘れかけつつも部屋の中へと転

がり込んでいた。

 何? 耕介は何を送ってきたの……?

 だが事前にそんな話は聞いていない。一瞬「まさか金メダル?」と思ったけれど、すぐに

その可能性は否定する。いくら恋人とはいえ、そんな大事な物をいきなり送ってくるとは考

え難いし、何よりも逆さま禁止に指定してある意味の説明がつかない。

「…………」

 だが私の興奮は、早速中身を開けてみたことで一度吹き飛んでしまった。

 小包の中に入っていたのは──少し大きめの砂時計。それと耕介の字で書かれたメモ紙が

一枚入っているだけだったから。

「何これ? ええっと“僕が君の時間になりたい。君も僕の時間になってくれないか?”」

 メモに書かれてあったメッセージを読んでみて、私は最初、彼が何を言いたいのかよく分

からなかった。

 以前より遠回しというか、思慮を重ね過ぎることがままある彼だったが、今回もどうやら

私の理解力を超えた所を通り過ぎてしまったらしい。

「何やってんのよ。あんたは……」

 ため息をつき、つんと砂時計を突っつく。

 中身の砂は細かく綺麗な金色だった。

 今回五輪で勝ち取った栄誉と重ねているのか? ぼんやりとだがそんな事を思った。でも

彼の性格からしてもっと別な意図があるような……。

 私は、何となく砂時計をくるんと逆さに置き直していた。

 もう中身はこうして出しているのだから、天地無用の注意書きは気にしなくていい筈だ。

 多分彼がわざわざそんな指定までしたのは、開ける前に砂時計をにひっくり返されたくな

かったからだろう。

「……??」

 だが、そこで引っ掛かった。

 では何故、ひっくり返されたら困るのか。そもそも何故砂時計なのか。

「ぁ……」

 そして砂時計が落ち切ったのと、私がその意図にようやく気付けたのは、ほぼ同じタイミ

ングだったのだ。

 落ち切った金色の砂。その空になった上側のガラスの中に──指輪が一つ。

 私は目を見開き、そして慌てて砂時計の上蓋を弄り始めた。そして予想通り、この代物は

予め開け閉めできるように作られていたらしく、何度か蓋を回すことで指輪を取り出すこと

ができるようになっていた。裏側に英文が刻まれている。


 To Misato Nanbu from Kousuke Nanbu.20xx September xx ──。


「──ッ!?」

 繋がった。先程からの違和感の正体が、全部。

 この指輪は、装飾された小振りのダイヤモンドのリングは、間違いなく“結婚指輪”。

 あのメッセージと砂時計──互いの時間を共有するもの──というチョイスも、きっと彼

が顔を合わせても私に伝え切れなかったこと。

「耕、介……」

 私の目には大粒の涙が溢れ出していた。

 悲しいのではない。嬉しかった。

 流石に突然過ぎるとは思ったけれど……私達は、離れていなかったのだ。

 そんな時、再び電話が鳴った。のそりと私は涙を拭いながら、立ち上がる。

 液晶画面に通知されていた名前は、南部耕介。私の愛する人。私に求婚してくれた人。

「……はい、もしもし。北条──いえ、南部です」

 私は受話器を取った。涙で濡れた頬の上に笑顔が咲く。

 電話の向こうの耕介が「あっ」と小さく驚き、微笑む気配を確かに聞き取りながら。

                                      (了)

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