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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-23.February 2014
112/500

(2) 石碑から

【お題】兵士、見えない、運命

 気が付いた時には此処に帰って来ていた。

 ぼうっと、彼は山間の平野に広がるその故郷の集落を見下ろす。

 最期の瞬間ときは……何だったか。確か敵軍の砲弾が飛んできて、落ちてきて……その爆発に

巻き込まれたのだったか。


 彼は国軍の──あちこちが焼け焦げ痛んだ──軍服を来ていた。

 最初、彼はその事実を受け止められないでいた。

 兵隊の装備。普通に考えれば、そんな格好で町中をうろつけてば衆目につく筈である。

 なのに、誰も目を向けてくれなかった。いや目を遣ってきても誰一人こちらの存在に気付

いている様子がない。

 以前よりもすっかり大きくなった、だけども痩せ気味でやはり満足に食べられていないん

だなと思しき近所の子供達。民間人には民間人の苦労か、以前にも増して老け込んだような

ご隠居、或いはこちらは相変わらず井戸端会議に興じている小母さん達。

 何より妻と子らが辛かった。戻って来て真っ先に向かったのに、この家族は皆誰一人とし

て彼がいることに気付かなかったのだから。


 嗚呼、俺は死んだんだな……。


 ようやくその事実に気付き──再確認して認め、彼は一人とぼとぼとかつての故郷を集落

の中を歩いていった。疲労しながらも必死に生きる、妻子らの下からそっと立ち去った。

 見知った顔が次々に通り過ぎていく。自分の身体を──すり抜けていく。

 どうやら自分はいわゆる幽霊になってしまったらしい。そして魂だけが心だけが、辛うじ

てこの故郷まで戻ってきたようだ。

 彼は集落を抜けて、近くの裏山に登った。ここからなら集落全体と周囲を一度に見渡すこ

とができる。

 ぼうっと彼は暫くそこで立ち尽くした。ろくに舗装されてもいない土の道が麓から緩々と

此処まで続いている。

 一体、自分はどうなるのだろう? これから、どうしたらいいのだろう……?

「……お前、まさか田淵か?」

「ッ!? そこにいるのは……畠山に、川添か?」

「ああ。久しぶりだな」

「俺達が視えて、こうして話せるってことは……お前も」

「……ああ。どうやらそうらしい」

 そうしていると、彼に声を掛けてきた者達がいた。

 同じ幽霊どうほう達だった。近付いてくるのは皆、彼と同じ兵隊の装備に身を包んだ同郷の者達だ

った。大きめの石に腰掛けていた身体をのそりと起こす。彼はこの同胞らに、確認するように

問われ、そう苦々しい声を漏らすしかない。

 嬉しくもあったし、哀しくもあった。彼は半ば無意識に苦笑わらっている。

 もう誰も自分には気付かない──存在しないも当然だと決意しようとしていたのに、中々

どうして独りではないものか。だが同時にそれは虚しさでもある。自分達はお国の為に戦っ

て、死んだ。そこで“終わる”筈のエピソードが、こうして執拗に続こうとしている。死ん

でも尚、互いに求め合うように群れようとしている自分達がちっぽけに思える。

「俺は北の戦線だったんだが……どうなんだ? お前らが死んだってことは、別の戦線でも

やっぱり」

「そうだな……。こっちは東の群島だった。補給部隊を潰されて、その後じわじわと……」

「人伝だが、皇国は負け戦になっているようだな。まぁ口にしたら殺され──いや、もう俺

達は死んでるんだっけか」

「僕は南方です。あっちは酷かった。連中、僕らの隊をあぶり出す為に森一つ火の海にして

きて……」

 互いに、かつて散っていったそれぞれの戦線の様子を語る。

 もう会うこともないだろうと思っていた。彼と同胞達は誰からともなくこの石の腰掛けの

周りに集まり、思い思いに語っている。

 つい眉間に皺がいった。陰鬱な表情かおになった。……自分達は、死んだのだ。

「これから、皇国はどうなってしまうんだろう」

「少なくとも本土に攻め込まれているとは……聞かなかったな」

「ああ。此処だって、貧しさはあるが、まだ穏やかな方だ」

「でも……帝国がこのまま勝ち星を挙げ続けてしまえれば、或いは」

『……』

 同胞の一人の嘆きに、彼と彼らは押し黙った。

 死者がこの世界に何をできる? なのに心は確かにこの場に在る。

「信じるしか、ないさ」

 別の同胞が言う。

「せめて見守っていよう。俺達が此処にいることだって、何か意味がある筈だ」



 そうして、彼と彼らは見守った。

 流れていく時と世界と、人々の姿を。


 最初、彼の目覚めから半月ほどして辺り一帯にとあるラジオの放送があった。それは皇自

ら国民に呼び掛けられたもので、皇国が帝国との戦争に敗れたこと、これから訪れるであろ

う苦難を詫びること、そんな内容の言葉を訥々とノイズ混じりに聞かされた。

 彼らも、相変わらず集落の人々には気付いて貰えないまま、彼と何人かが足を運んでその

放送を聴いた。

 嗚呼、終わったんだと思った。安堵と──虚しさ。

 曰く皇国そこくは暫くの間、帝国のいち領土と為ってしまうらしい。

 その為に、その為だけに。いや……今回の戦は元々その為でしかなかったのか。

 では自分達は、巻き込まれた皆は、何の為に傷付いたのだろう? 死んだのだろう?

 彼は深くぎゅっと眉根を寄せて、薄曇りの空と乾燥した大地を仰ぎ、睨む。


 次に、やがて帝国の軍人達がこの集落にもやって来た。

 ジープという呼び名の車に何人も乗り、やたらに清々しい笑顔を振りまく。それでも当初

集落の皆はその総じてよ過ぎるがたいの良さに怯え、何より先日まで敵だった彼ら帝国人を

警戒していた。

 だが……それも徐々に時間が解決していくのを、彼らは観る。

 帝国側の者達によって、諸々の仕事が創り出された。飢えた子を道端に見つければ、甘い

菓子を与えた。満足に文字の読み書きができない子がいれば、この集落を含め各地に作り始

めたらしい学校に通わせ、率先して教育を施した。

 しかしながら当然、その内容は彼と同胞達の頃からすれば随分と違う。

 帝国やその属国を仮想敵とし、警戒するよう教わっていたあの頃とは違って──教育する

側がその帝国人らの息が掛かっている人間なのだから当たり前だが──子供達にはそういっ

た敵・味方の区別を教えなかった。そういう内容の教材が手元に残っていれば墨で消し、教

師の言葉を優先させていた。……旧き教材は、黒塗りだらけになっていた。


 こと集落の皆の心が解かれていったのは、敵方であった帝国人らが、人々の弔いに邪魔を

するどころか時には積極的に力添えをしていった所にある。

 ある時、戦争も終わり、各地で散っていった彼と同胞らを一括して弔う場所を設けようと

いう話になった。終戦直後も内々でそうした動きはあったのだが、敵国の人間が闊歩──地

域を占領している手前、不用意に口を出すと危ないと考えていたからだ。

 なのに……その駐留する帝国軍人らはこれを許した。これといって咎めなかった。

 彼ら曰く『文化が違うのだから我々が口出しをすべきではない』という。加え『死者を悼

む心は、我々帝国人も皇国人も同じである』と。

 尤もこの集落の面々はその温情を受け取るだけで、実際にそれに甘えることはなかった。

彼らは苦しい生活ながらも互いに資金を出し合い、数年越しに実現させたのだ。

 場所は集落近くの裏山、辺りが一望できる場所に決まった。

 ちょうど彼とその同胞達が──結局あの日以来、何となく集合場所にしていた──あの腰

掛け石の辺りである。

 集落の皆と雇った職人、そして『謙虚だ』『これが皇国民の魂か』と妙に感動したように

呟き、時折様子を見に来る帝国軍人。にわかに活気付いたそこに──慰霊碑が建った。

 それは大の大人三人分くらいの高さで、ごつごつとした白岩を削り“忠霊方眠ル”と大き

く彫られた石碑だった。

 草木の伸びっ放しだった周囲。建立にあたり、それらは綺麗に除草された。慰霊碑本体の

周りには更に低くぐるりと石垣が組まれ、その上に防風林なのか丁寧に植樹もされた。

 完成した日、式典が開かれた。

 集落の皆は勿論、地域の名士や職人達、件の帝国軍人らも参加していた。

 彼らは石碑の完成をしめやかに祝い、そして静かに祈っていた。

『遅くなってしまってすみません』

『私達は大丈夫です。どうか……安らかに』

 彼と同胞達も、それをじっと見つめていた。中には涙を潤ませる同胞もいて、彼はただ新

しく建てられたこの石碑を、ぼうっと感慨深げに仰ぐ。

 両国で戦争があったことが、少しずつ薄れていっているような気がした。

 そして彼と同胞達はややあって気付いた。

 同胞なかまの何人かがふっと安らかに笑い、そしてそっと眠るように消えていく。


 少しずつ、変わっていく。時は確実に多くのものを変化させていった。

 先ず一つは帝国による占領が終了し、皇国が晴れて主権を回復したこと。人伝にそれを聞

いた時、彼は静かにそして大きく息をついた。

 時代が、また一つ節目を迎えた。あの戦争が、遠い世界の出来事になっていく。

 それは喜ばしいことでもあり、同時に哀しいことでもあった。彼は思う。あのような戦い

をせずに済むのなら、それに越したことはない。あれだけ敵味方と激しく対立していた筈の

皇国人じぶんたち帝国人かれらも、言葉は通じるのだ。何も剣や銃弾でしか交われないなんてことは……実

はなかったのだから。

 それでも哀しいのは、彼個人の感慨であったのだろう。

 妻が一年一年歳を取っていく。遺してしまった子供達が、成長する。

 生きていてくれて嬉しい筈なのだ。なのに……この肉体うつわもない身体にぽっかりと穴が空い

ているように感じてならないのは、何故だろう?

 一方で、もっと広く遠く──社会が世界が変質しているらしい、という点があった。

 好事な同胞が時折集落やその近隣の町へ赴き、人々の様子を見聞きしては帰って来る。

 語るには現在、人々の間には二通りの考え方がしのぎを削っているらしい。

 一つはもう二度と負けないように、強い国に為ろうという者達。

 もう一つはもう二度と戦わないように、皇国の伝統を一切合財否定する者達。

 時代の趨勢なのか、前者は徹底的に締め出されていた。後者は逆に勢いを得て、様々な集

団の中に浸透していった。

 それらが熱を帯び過ぎたのか、時には皇家を倒そうなどという輩もいたらしい。

 彼とその同胞達は件の石碑──新たな拠り所に集まっては日がな語り合った。

 どうにもまたこの国は危うくなっているのではないか? もう死んだ自分達が何かできる

訳でもないが、彼はまるで反動のように傾いていく世の中が心配だった。

「確かにな。折角平和になったのに、何で他ならぬ身内同士で喧嘩し始めるかねぇ……」

「仕方ないですよ。僕達が生きていた頃は、皇国の繁栄の為に命すら捧げた。それが今思え

ば間違いだったんだと、そう考える人間が増えてきたってことでしょう? これだけ手痛く

負けてしまえば、懲りちゃうのが人情ってものです」

「だからってなあ……。じゃあ俺達はどうなるんだよ? 戦争があった、それ自体を頭から

駄目だ駄目だって言われてりゃ、一体何の為に俺達は死んだんだ? カーちゃん達にだって

同じことが言える。皆、無駄に傷付いたってことになる」

「だからもう嫌だー! ってことじゃねぇの? ……うーん。いや、そう言っちまうと結局

堂々巡りになっちゃうし……」

「……。国って、何なんだろうな」

 一同は黙り込んでしまった。そんな中で彼はそっと空を仰ぐ。

 戦争を起こすことは、間違っていたのかもしれない。

 だけど、此処にいる此処にある。

 祈りを形にした場所と、その対象が、幸運にも今同じ場所に在る。



 多くの時が流れ去った。集落は地域は国はすっかり戦争の痛手から復興し、発展し、人々

はあの頃よりもずっと豊かな生活を送っている。

 でも、一方で変わり過ぎたもの──失われていくもあった。

 一つは家族だ。時が流れれば当然生きている者達は歳を取っていく。それはこの石碑が建

つまででも同じことだったが、その経過が積み重なれば……失われていく者が出てくる。

 彼は妻の最期を看取った。すっかり自分──死んだあの時から何一つ年老いることのない

姿の自分すら追い越してしまった子供達と共に、妻の臨終をみた。

 老衰だった。それは幸福な最期だったのだろうか?

 結局、自分はこの愛する人に多くのものを背負わせ過ぎたのではないか? 彼は死に相対

して泣き、嗚咽する子らを──決して気付かれることもなく眺めながら、ぼうっと深く深く

顰めた表情かおで思う。


 ……何故、自分はここまで生き残ってしまったのだろう?


 二つ目は同胞達だった。あの終戦前の再会から数十年、その時の中で一人また一人、彼ら

はスッと消え去っていった。その瞬間を自分達は何度も目撃したし、或いは気付くのが遅く

て罪悪感にも駆られた。

 何が、その同胞らかれらを消えさせ──成仏させたのだろう?

 一般に未練があるから幽霊は現世に居続けるという。では自分にとってのそれは何か? 

他の残る仲間のそれは何か? ……分からない。かつて、ここにいる意味が何かある筈だと

言っていた同胞もいた。だがその当人は既に此処には無い。果たして彼は、その理由とやら

を見つけられたのだろうか?

『──軍国主義への逆行を、許すなー!!』

 そして、社会だった。

 これは揺り戻しという奴なのだろう。好事な仲間からの話曰く、何でも現在は当時──自

分達が帝国と戦争をしていた、或いはその以前の皇国を褒め称える主義主張が目立つように

なっているのだそうだ。

 彼はついっと片眉を上げた。揺り戻し、復古主義、或いは──。なるほど、だから長らく

それらを否定してきた、戦争時代の皇国を否定したくて堪らない輩が、ここ最近徒党を組ん

で練り歩いていることが増えているのか……。

 その日も連中は来ていた。当時の皇国軍章に大きなバツ印をつけた旗を何本も掲げ、わざ

わざこんな地方の町にまでやって来ていた。

 町の人々が嫌そうな顔をして、しかし関わり合いになるべからずといった様子で足早に別

の進路を往っていた。

 彼と同胞達は心配になって、わざわざ山から降りて来てこの一団を見遣っている。

 ……奴らの所為もであるのだ。もうずっと前から、石碑に手を合わせに来る人々は殆どい

なくなっていた。それでも支配するのは静寂で、時々草野球に来る子供達──新しい時代を

担ってくれる子供達で、彼と同胞達にとってはそれだけでもう充分な癒しだった。

 なのに、こうして意図的に騒がれる。

 だから、親達が石碑へ近付くことを禁じる。

 身を守らせる為だ、仕方ない。ある意味当然の注意喚起。

 だけど彼は寂しかった、哀しかった。

 何処にいってしまったのだろう? あの頃の、素直に悼んでくれた姿は、何処に……。

「おい。やべぇぞ」

「あいつら……石碑の方に向かってる」


 奴らは遂に暴挙に出てしまったのだ。

 慌てて彼と同胞達が駆け戻る。人々の何人かが不穏なものを感じ、こっそり様子を見に山

道を登っていく。

 そこには先の集団がいた。

 彼らのその手には、つるはし。彼らはおっかなびっくりでこちらを見ている人々をその視

界の中に見出すと、仲間らしき者達がカメラでこちらを撮っているのを確認すると、叫ぶ。

『ここに、先の戦争で戦った兵士達を祭っている場所がある!』

『忠霊がた眠る……だそうだ』

『間違っている! 彼らがさせられたのは人殺しだ。そしてそれを祭る──美化するなんて

とんでもない! 過ちは、修正されなければならない!』

 応ッ! 面々が自ら言い、自ら互いに鼓舞し合っていた。

 人々が物陰で震えている。中にはおたおたと、慌てて町の皆に報せに行こうと駆け出して

行く者もいる。

 彼はまさかと思った。あの頃から随分と減ってしまった同胞達も、元以上に更に青褪めて

その手を伸ばす。

「お、お前ら……。何をする気だ!?」

「やめろ! 止めてくれッ!」

 だが……そんな彼らの声は勿論届かなくて、聞こえなくて。

 次の瞬間、集団の面々は一斉に手にしたつるはしを振り下ろし始めていた。

 ガンガンッ! 鋭くつんざくような金属音と硬質な破壊の音。石碑が……壊されていく。

「や、やめっ──」

 彼もまた、仲間達と同様に叫んでいた。一緒になってこの一団を取り押さえようとする。

 しかし幽霊にそんなことはできない。ただ伸ばした手は、身体は“今”を生きる者達をす

り抜けていくだけだ。

「や……、め……」

 消えていく。自分の、仲間達の存在からだが、消えていく。

 嗚呼、そうか。

 石碑が建てられた──故郷の皆が心を込めて自分達を想ってくれた、そのことが、実は自

分達をこの地に縛り付けていた──この地で生まれ死んでいく皆を強く強く、愛おしく思わ

せていたんだ……。

(そういうこと、だったのか……)

 そうして遂には、削られ続けた石碑は、支えを失ってぼきりと真っ二つに折れた。

 倒れ、土埃をあげる慰霊碑。歓声を上げるこの集団と、真っ青になるが何もできなかった

人々。石材は建立当時の白肌から歳月と雨風を受けて変質し、今や紫がかった黒になってし

まっている。

(意味なんて──)

 消えていく。

 生者達ひとびとに、決して気付かれる事のない彼らはスゥッと、まるで空気に溶けるかのように消滅してきえて

いく。

                                      (了)

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