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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-23.February 2014
111/500

(1) 痛み主

【お題】神様、十字架、眼鏡

 切欠はとても些細なことで。

 だけども俺には、それが文字通り致命的な一瞬となった。

 バイトに向かっていた途中、近所の通りを歩いていた途中。何気ないいつもの風景。

 ……でもその日、俺は見つけてしまったんだ。

 向こうからやってくる一台の運送トラック、そんな鉄の塊なんぞ知る由もないといった感

じで、ゆっくりのんびりと道を横切っている一匹の猫。

 目の当たりにした瞬間、俺は駆け出していた。そもそも何故あの時そうしたのか……今に

なっても自分には分からないままだ。

 あっ──。他の通行人どもが遅れて気付き、何人かが小さく声を上げていた。

 だけど実際に動いたのは俺だけだ。誰もこんな馬鹿をやろうなんて思わなかった。

 そんな中で俺だけが、半ば反射的に歩道から飛び出し、相変わらずマイペースで歩いてい

るこの猫を駆け抜けながら抱きかかえようとする。

 なーご。気の強さだけは人一倍で、俺の腕の中で暴れ出す猫。

 それでも俺は、そいつを抱えて、向こう側へ……駆けようとする。


 でも……それにはもう遅くて。

 目前に迫っていたトラック、耳元にまでガンガンに響くクラクションの音、運転席で引き

攣った表情かおをしていたあんちゃん。

 衝撃。軋みへしゃげる身体。宙を舞う視界と、内側からの妙に生温かい感触。

 そのまま、俺は──。



「おい」

 そんな走馬灯を、雰囲気もへったくれもなくぶち壊しに掛かる奴がいた。

 何だよ。多分これが俺の最期だってのに……。沈んでいた意識が、そうやって無理やり揺

り起こされる。

「いつまで寝惚けてるんだよ。起きろっつーの」

「……」

 おっさんが立っていた。鈍い銀──アッシュブロンドというのか、そんな短く刈られた髪

とごつごつと角ばった骨格のおっさんだった。

 服装は上から下まで黒一色。びしっと、ではなくだらり。洗練とか着飾るとか、そういう

気概など皆無ですよと全身でため息をついているかのような、そんなスーツ姿のおっさんが

目の前に立っていた。

「……。あんた誰?」

「それよりか先ず、お前の今置かれている状況を確認した方がいいと思うぞ?」

 ついっと。そう言われて俺は、こいつが指差した方向、自分の横を何気なく見遣って──

言葉を失った。

 ……俺が寝ていた。ベッドの上でたくさんの装置に繋がれ、忙しなく心拍を示す電子音が

リズムを画面上の弱々しい波形を刻み続けている。

 親父がいた。お袋がいた。あとももかもいた。

 眠ったままの俺を、家族が取り囲んでいる。親父は今にもキレそうになりながらぐっと感

情を堪えているように見えるし、お袋は何度も何度も俺の名を呼んで揺さぶっているし、桃

花に至ってはベッド際でぼうっと放心状態だ。

「これって……俺? 俺、やっぱり死んだのか」

「死にかけてる、が正しいな。今お前は生死の境を彷徨っている。このまま放っておけば、

十日ほどで肉体の活動限界が来る。そうなりゃお前──魂と精神が肉体うつわから剥離し始めて

……本当にお陀仏だ」

「おだっ!?」

 にわかには信じられなかったが、どう見たって目の前の自分はそうとしか映らなかった。

 加えておっさんは淡々と説明してくる。何か難しい言葉が混ざっているが、十日。俺はあ

と十日で死ぬと言っているらしい。

「……ったく。余計な真似しやがって」

 なのにこのおっさんは妙に態度が悪い。或いはこれが地なのだろうか。

 耳の穴に小指を突っ込んでほじほじ。再び遣ってくる眼は、まるで俺を蛆虫でも見るかの

よう。よく分からないが、いい気になれる筈もなかった。ふるふると首を横に振って、どう

やら自分はあの後瀕死の状態になって、幽体離脱──みたいなことになっている? のだと

理解してみる。

「えっと、正直すぐには信じられないんだが、俺って要は今幽霊みたいな状態なんだよな?

親父達も全然こっちに気付いている感じじゃねぇし。あんた……何者なんだ? あんたも幽

霊なのか?」

「死神」

「えっ?」

「死神だよ。死──精身剥離をきたした魂を回収して、冥府に届ける役人。そっから先は閻

魔達が裁定を下して、然るべき輪廻に送り出す──オッケー?」

「お、おぅ……。って、よかねぇよ!? え、死神? マジで? 本物の死神ってスーツ着

てんの? その、俺のイメージってボロ布みたいな服着て、でっかい鎌を」

 そう言い掛けて、ギュインッ! と喉元に突きつけられるものがあった。

 鎌だ。こっちが言った通りの、身の丈サイズの大きな鎌。……どうやって出した。

「これで納得できたか?」

「……は、はい」

 面倒臭い。もう全身でそうぼやくように嘆息をつきながら、おっさん──もとい死神はそ

の鎌をサッとしまっていた(しまうというよりはパッと手品みたく消してみせたのだが)。

 ぽりぽりと後ろ髪を掻いている。何だか……居心地が悪い。さっきも「余計な真似」とか

言っていたけれど……。

「あー、確認するぞ? 田村栄太・十九歳。高卒フリーター。昨日の午後四時四十七分十三

秒、トラックに轢かれそうになった猫を助けようとして跳ねられる──合ってるな?」

「あ。は、はい」

 何だか職務質問みたいだ。彼はそう事務的に且つ端的に、俺があの時どういう状況だった

かを話してくれた。改めて虚を突かれたようで、ただ頷くしかない。

 そうして俺は、ああしてベッドの上で生死の境を彷徨っているのか……。

 んむ。この死神はやはり面倒臭そうにその最初の質問を終えると、先程の気だるい視線を

向けてきた。

 何となしに緊張してしまう。

 死神ということは、やはり俺はこのままあの世とやらに──。

「最初に言っとく。あの猫は、お前が助けに行かずとも死にはしなかった」

「……。は?」

「だから死にはしないって言ったんだよ。こっちの未来視かんそくじゃああの猫は上手いことトラック

の下にいて、轢かれずに無事で済んだんだ。それをお前が柄にもないことしたもんだから

……こうして想定外の死人が一人、出ちまった。分かるか? お前は余計な事をしたんだ。

全く、勘弁して欲しいぜ。こういうの、査定に響くんだよなぁ……」

「……」

 せっかくの真面目な表情かおが脂汗だらけになり、どんどん陰鬱さで歪んでいく。

 目の前の死神──おっさんはそんなこちらの気も知らず、そうぶつぶつとぼやいていた。

 あの猫は無事な筈だった? 余計な事? というか、あんたの査定とか言われても……。

「えっと。それってもしかして……俺、犬死に?」

「もしかしなくてもだよ。まぁ犬っつーか猫か。今回は」

 乾いた、妙に自虐的な笑いを零してみせるそんな彼に、俺はがっくりと膝をついてしまっ

ていた。酷い。わざわざ幽霊を叩き起こしておいて、そんなこと報せなくても……。

「だからまぁ……わざわざお前に接触しに来たんだよ。お前、生き返りたくないか? いや

厳密には生還だけど」

「ッ!? できるんですかっ!?」

「近い。寄るな。俺にそっちの気はねーよ。つーか、引き受けて貰わないとこっちも困るん

だよ。さっきも言ったけどお前の死はこっちも想定外なんだ。だからこのまま放置して剥離

が始まるのを待つってのは色々都合が悪くてな……」

 思わず詰め寄った俺に、おっさん──死神はあくまで気だるそうに言った。むんずとこっ

ちの額を押し返し、胸ポケットから懐中時計を取り出しながら言う。

「さっきも言ったが、お前の、田村栄太という肉体の限界はあと十日だ。それまでにこっち

で手を打てば、生還自体はそう難しいことじゃない。ただ、それをするにも色々と決まり事

があってな……」

「決まり事、ですか?」

「ああ。いくら想定外っつっても、基本的に俺たち死神が勝手に個人の生死に干渉しちゃい

けねぇんだよ。だからその決まり事マニュアルに基づいて……お前には生還できる代わりにある仕事を

してもらう」

「しご、と……?」

 要するに交換条件ということなのだろう。俺は最初こそ戸惑ったが、すぐに腹を決めた。

 横を──眠っている俺を見る。そこにはさっきから親父がお袋が桃花が、死にかけている

俺を呼び戻そうと必死になっている。

 このまま諦めるなんて、できる訳ないじゃねぇか……。

「……分かった。で、俺は何をすればいい?」

 答えて、すると死神はようやく笑った。

 黒スーツの、俗に言われるイメージとは少々違っている彼。

「簡単なことだ。魂を──救済してもらう」

 懐中時計を収め直して、こいつは言う。



 その内容とは現世の、人々が抱える苦しみを取り払うことだった。

 期限は一週間。それまでに俺は百人のそれを綺麗さっぱり掃い落とさなければならない。

 ミッションに臨むに当たって、死神は俺に仮の身体を用意してくれた。

 一見すると風船ガムみたいな薄っぺらい皮。それを口に含んで大きく膨らませると、予め

このガムに組み込まれている仮の肉体──擬似魄というらしい──が出来上がる……という

寸法だ。見た目は年老いた爺さん。違和感はどうしたってあるが、今は文句を言っている場

合じゃない。

『それじゃあ、こいつを使え。人間達がそれぞれに“背負っている”苦しみカルマが視える筈だ。

後は上手いこと誤魔化しながら背後に回って、そいつらを直接引き抜いてやりゃあいい』

 更に渡されたのは骨董品のような眼鏡と、一組の真っ黒な手袋だった。

 死神曰く、これらアイテムを使うことで苦しみが「視える」ようになり、同時に「除く」

ことが可能になるという。

 翌日から早速、ミッションは始まった。

 俺は見た目ローブ姿の、如何にも怪しい占い師の爺さんといういでたちで、街一番の繁華

街に迷える者達を待つことになった。

「……そこのお方。背相せそうを診せて貰えはしませんか?」

「? セソウ?」

「はい。背中の相で、背相です。人の背にはそれまでの色々な想いが宿っているのですよ」

 我ながら結構な芝居である。道端に「占」と書いた布を被せただけの机と椅子を置き、行

き交う人々の中から“背負っている”ものが多そうな人間をチョイスし、声を掛ける。

 勿論、全員が全員耳を傾けてくれる訳ではない。自分も生きていた頃は怪しい奴には近付

かないぞといった感じで遠回りしたものだし、無理もなくて。

 だけど──いざこういう側に回って、死神から受け取ったアイテムの力もあって、それで

も喰い付いてくる人間……というのは少しずつ見分けがつくようになった。

 とにかく多いのである。

 より重くたくさんの苦しみを抱えている人間というのは、それだけ多くの「十字架」を背

負っているのであり、且つ一度こちらがその苦しみに理解を示してやれば、ついふら~っと

呼び寄せられるようにして近付いてくるのだから。

「……自分にも、視えるんですか」

「ええ」

 その客は線の細いサラリーマン風の男性だった。

 同じ男から言わせて貰うのもなんだが……何ともなよなよしい。見れば表情かおは終始どんより

として明らかに疲れている。なるほど、道理で“多い”筈だ。

 どうぞ。俺はしゃがれた爺さんの声で彼を手招きし、机の向かいに座らせた。

 背中を向けさせる。背相なんてあのおっさんもよく考えたものだ。本人曰くこれもマニュ

アルにある内の一つなんだそうだが……いや、今はこっちの「仕事」に専念しよう。

「ふむふむ……。お兄さん、あんたこれまで随分失恋を経験してるみたいだねぇ」

 彼がビクッと肩を全身を震わせていた。図星、という反応だ。

「分かり、ますか? そんなに背中に出ている……のでしょうか?」

「ああ。出とるねえ。そりゃあこれだけ“背負って”ちゃあ苦しかろうて」

 俺は言う。バイト先の話術けいけんがまさかこんな所で生きるとは思わなかった。

 彼は──この自分に背を向けてくれる人々は皆、背負っていた。

 “十字架を背負って”いた。文字通りの十字架を。

 これが死神のおっさんが貸してくれた眼鏡アイテムの効果だ。個々の人間が背負っている苦しみ──

曰くカルマを、こうして可視化してくれる。

「話しなさいな。楽になるよ」

 言いながら、更に俺はもう一つのアイテムを使う。

 黒い手袋だった。裾から指先へとじわりとグラデーションする黒い手袋。それを両手にし

っかりと嵌めて、俺はこの男性の十字架に手を掛ける。

 男性は訥々と語り始めていた。これまでの度重なる失恋経験。それでも惹かれる女性は後

を絶たず、また交際をするようになる。本人は気付いていないようだが、過去の傷を現在の

恋で埋めるように──。

「そうかいそうかい。辛かったねえ。でも……あまりあちこちに気を向け過ぎると、自分が

辛くなるだけだよ? もうちっと落ち着くこった。目の前の女といる時に、過去むかしの女達のこと

ばかり考えてちゃいけないよ。それができるようになれば……あんたにも春は来るさ」

 彼の背中に刺さっていた十字架は、そう皆女性だった。

 十字架に刻まれたレリーフはこの人物の記憶、といった所なのだろう。美しく微笑む女性

達の傍で、焦がれ笑い、そして失意の表情を浮かべる彼の姿がある。

 一本一本、そう俺は彼に説きながら抜いてやった。

 正直言って本気で彼をどうこうしようという気はない。むしろその浮つきさが上手くいか

ない理由なんだと悟らせてやるくらいだ。ゴロン……。十数本とこの背中に刺さっていた十

字架が抜けた頃には、彼は見違えるほど元気な表情かおになっていた。

「……ありがとうございます。何だか元気が出てきてました。あの、お代は」

「要らんよ。こうして人々の苦しみを取り払うのが私の仕事だからねぇ」

 嘘は言ってない。だけど彼は老人姿の俺に痛く感激しているようだった。ぼろぼろと涙を

流し、それでもと財布から一万円を握らせてくる。……多分、この男はまた失恋するんだろ

うなぁと思った。


『ぶっこ抜いた十字架をどうするかって? ああ、魔界に送るんだよ。悪魔達の飯にして処

分すんだよ。あいつら、他人の不幸こういうあじが大好物だからさぁ……』

 死神に一日目が始まる前に訊ねると、そうごくごく当たり前といった様子で答えていた。

 そんなミッションも……今日で六日目。日もすっかり落ちてしまった。いくら繁華街とは

いえ、流石に人の数も減ってきた。ぼちぼち引き時だろうか?

「んんっ……!」

 暗くなったアーケードの道端で、占い師の老人もとい俺は大きく伸びをした。

 仮の身体とはいえ、やっぱり一日中使い倒すとガタがくるものだ。元は本来の俺の身体に

戻る──生還する為にやっていることなのに、妙な違和感と一体感があって実に奇妙だ。

「ひぃ、ふう──ざっと十五人って所か。間に合うのか? これ……?」

 他人には見えない、傍の壁に立てかけた今日回収した分の苦しみじゅうじかを数えながら例の如く

不安が過ぎる。


『一番困るのは色々と未練っつーか、カルマを背負ったまま死なれることなんだよ。本人はもう

何も無くなるって思ってるのかもしれねぇが、そんなことは絶対にない。どんな極悪人でも

死んだら俺たち冥界の役人が“後始末”しなきゃならねえ。罪業は可能な限り綺麗に洗い流

して、贖ってもらって、それでようやく輪廻のラインに乗せられる。……ぶっちゃけちまう

と手間しか残らねぇんだよなあ。だからお前にも、その前工程を手伝って貰ってるって訳。

……解る?』


 毎日、その日のミッションが終わるとあのおっさんが何処からともなくやって来てこの十

字架を回収していくのが手筈だ。初日言っていたように、これらは全部悪魔族の食糧として

輸出されるらしい。……あの世の癖に何とも現金というか、俗物的というか。

(──ん?)

 そんな時だった。おっさんが来るまで待っていた俺の方に、ふと誰か近付いてくる。

 小太りの、如何にもオタクといった感じの男。……嗚呼、思い出した。二日目辺りに十字

架を回収した、熱を上げていたアイドルが結婚して大層気落ちしていた男だ。

「……せよ」

「ん?」

「返せよ……。俺の、なっちゃんをぉ!」

「ッ!?」

 だがそう、ぼうっと記憶を手繰っていたのがいけなかったのだ。男はぶつぶつと呟きなが

ら俺の方に近付いてくると、急にズボンのポケットから折り畳み式のナイフを取り出して駆

け出して来たんだから。

「無いんだよ! 無いんだよ! 何処にも見つからないんだ! 俺のなっちゃんが、俺のな

っちゃんが……記憶こころの何処にも、何処にもぉ!!」

 周りがようやく気付き、悲鳴を上げていた。だがそれは──つい先日俺という本体が瀕死

になった時と同じで、ただ声を出すだけで、何も手を貸してくれることはない。

「──ガッ!?」

「お前っ、俺の想いなっちゃんを……何処にやった!?」


 二度目。今度は誰とも名の無い、機敏にはかわせなかった老人の肉体うつわ

 その日俺は……再び死んだのだった。

                                      (了)

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