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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-21.December 2013
102/500

(2) 神の森

【お題】森、竜、壊れた

 その森に、彼女は住んでいました。

 とても緑豊かでそして独自の静けさをもった森です。辺り一帯を覆うのはむせ返るほどに

濃い緑、絡み合うように林立する木々。草花は生い茂り、その隙間を縫うように様々な動物

がゆったりとした時間の中に生きています。

 穏やかな時間でした。基本的にそんな自然豊かな森ですが、秋には鮮やかな紅や黄色に染

まりますし、冬には葉を脱ぎ捨ててその総量は大きく目減りします。でもそれは一時、春に

なれば夏が進めばまた濃い緑が戻って来て──繰り返されます。

 彼女はそんな森の奥、人知れず静かに佇む岩屋を住処にしていました。

 彼女は美しい女性の姿をしていました。

 その髪腰まで長くゆったりと伸び、毛先に蒼いグラデーションを仄かに湛える艶やかな銀

色をしています。肌は真っ白ですべすべ。瞳は透き通った琥珀色で、纏うローブも胸元と腰

に網目状にした麻布を巻いた、その容姿に従うような乳白色です。

 彼女は一人でした。それでも森の静けさと自然、動物たち、その息吹が在りました。

 彼女は一人でした。それでも寂しさを感じない訳ではありませんでした。


 故に、彼女はその時がくれば快く迎え入れるようにしていました。

 迷い人です。

 この一帯はとても入り組んでいて、土地勘の無い人間には迷宮に等しい様相です。なので

しばしば森には何らかの理由で足を踏み入れ、帰るに帰れなくなった人間が見つかることが

ありました。

 彼女は何日か置きに森を散歩します。

 それはこの森の息遣いを全身で感じ取りたいという理由のもあったのですが、もしかした

ら──もしかしなくても不謹慎なのでしょうが──自分以外にも誰か、この森にいるかもし

れない。会えるかもしれない。そんな期待を心の内に抱いていたからでもありました。

 そうあることを祈り、同時に命の危険に関わることからそうでないようにも祈り。

 彼女は時折、そんな迷い人らを見つけては保護していました。

 彼女は特別です。彼女が手を差し伸べれば、この森の生き物達も無理やり襲おうとはしな

くなります。

 彼女はそうして彼・彼女を自身の岩屋すみかへと誘いました。

 多くは近隣の人里に住む少年少女、或いは各地を渡る商人などでした。

 彼女はもう大丈夫よと彼らに優しく笑いかけます。冷えた身体を潤す為に温かなスープも

振舞いました。彼らはその慈悲に大いに感謝し、暫し疲れを癒します。

 その間、決まって彼女は彼らと話をしました。

 森の外のこと、人里のこと。或いは彼ら個々人の育ち、家族、集落、悩み。

 彼女は人間ひとについて実は多くを知りませんでした。智慧にこそ富んではいましたが、それ

でも住んでいる場所が場所だけに浮世離れしていたとも言えるでしょう。

 そしてそんな彼女にとって、彼らとの語らいこそが“救い”でした。

 確かにそれは必ずしも幸せばかりではありません。人には人の人生があり、歳に如何に関

わらず悩みもあります。

 でも、彼女はそれら全てを引き受けながら語り合いました。彼らを森の外に送り届ける、

その束の間の小休止を、彼女はとても愛おしく思っていました。

 ……寂しさが、そっと埋められる気持ちでした。

 とはいえ、自分の都合で彼らを長らく引き止める訳にもいきません。ゆっくり休み、彼ら

の疲れが取れるの待って、彼女はその迷い人を送り届けます。


 受け取ったのは外界の知識。何よりも胸奥の寂しさを埋めてくれた感謝の気持ち。

 そっと与えたのは彼らが抱える悩みに対する処方箋。お返しの心算で静かに添えた、彼女

からの小さな祝福。


 一時の癒しと、その後の別れ。

 それでも彼女にとっては、かけがえのない時間たちだったのです。


 ですが……事態はいつからか宜しくない方向に進み始めます。

 迷い人の中に、いわば確信犯的に森へと入ってくる者が増えてきたのです。

 半分は直接彼ら自身──大人達が。もう半分は彼らに命令され、訪れた子供達が。

 最初こそ分け隔てなく接していた彼女でしたが、こうした「下心」のある迷い人の存在を

嗅ぎ取っていたある時、彼女はその手先にされたらしき一人の幼子に訊ねます。

『貴方は、誰かに強いられてこの森に入ってきたのではないですか? 何故です? 知って

いるかと思いますがこの森は慣れない者には命の危険すらあるのですよ?』 

 幼子は答えました。

 欲っされたからです。彼女が迷い人らに与えてきた恩返し──悩みの処方箋と、何よりも

彼女からの祝福を。

 聞けば森から生還し、彼女に保護された者は以前とは比べ物にならないほどの幸運と才覚

に恵まれるようになったといいます。

 周りの人々は訊ねました。何故お前はそれほど見違えったのか?

 元迷い人らは答えます。よくは分からない。だが彼女に──“森の女神様”に会ったこと

で抱えていた悩みを解決することができた。今まで思ってもみなかった発想を得ることがで

きた。きっとこれも全て、あの美しい方のご加護を頂けたからだろう……と。

 彼女は驚きました。そして躊躇い、後悔の念を抱きました。

 勿論“加減”はしている。それでも人々にとっては大き過ぎたのでしょうか?

 いえ、それよりも悲しい。私に会う為に、そんな身売りのような真似をされるなど……。

 故に彼女は以降、少し警戒を──心の中で迷い人らの本心を確かめるようになりました。

 胸が痛みます。それは即ち彼らを疑って掛かることに他ならなかったのですから。

 悩みました。自身のエゴがこのような事態を招いた、されど命を落とすかもしれない人々

を見捨てる訳にもいかない……。

 そんなある日でした。珍しく幾つかの集団がこの森を訪れ、女神かのじょを呼んだのです。彼女は

森の生き物達からその報せを聞き、急いで現れました。……彼らは皆、かつてこの森に迷い

込んでしまい、彼女に救われた無垢なる人々でした。

『女神様、どうか我々をお赦しください』

『村の長老達が、この森を目指してやって来ています』

『貴女様の叡智を欲しがっているのです。お願いでございます、急ぎこの森から離れてくだ

さい』

 しかし彼女は渋りました。自身この地を愛していましたし、今更掌を返すようにして彼ら

を拒み逃げることは不誠実だと思ったのです。

『報せてくれてありがとう。だけど……大丈夫です。その彼らはまた適度にあしらって帰し

ましょう。さぁ、貴方達もそれぞれの里へ』

 ですがこの人々は頭を振ります。

 もう帰りたくない、それが彼らの一致した意思でした。

『私達が村に戻っても、欲する人間たにんは消えません。むしろ今後も増えていくことでしょう』

『皆で相談しました。何処か遠くの国に逃げようと思います。ただその前に貴女様にこの事

態だけは伝えたかった……』

 涙が、彼女の頬を伝いました。

 慕ってくれる彼らの真心、そして同時にそれが故に自ら引き起こしてしまった人々の欲望

への罪悪感。

『……当ては、あるのですか?』

 だからこそ彼女は、その問いに無言の否定をする彼らを不憫に思い、申し出たのです。

『ならばいっそ、私を頼ってみませんか? 貴方達の為の新しい集落を作りましょう』


 そうして一つの小さな国──彼らの自治区が森の奥に、隠れるように作られました。

 彼女は森の生き物達に頼んで回り、この地を外敵から眩ませるよう努めました。野心を持

って訪れる者はそれとなく森の外に誘い、本当に迷い込み困窮した者には手を差し伸べる。

 彼女を慕って集まった人々は、質素ながら洗練された暮らしの中に生き始めました。

 必要以上に壊さない、採らない、欲さない。

 森の奥、その一角に出来た集落の中で、彼らはゆっくりとした時間を過ごしました。やが

てそんな彼らも互いに恋をし、子供をもうけ、新しい生命を繋いでいきます。

 彼女はそんな彼らをそっと見守りました。愛おしく眺めていました。

 されど彼女は“君臨”しようとはしませんでした。自身の智慧が彼らに幸福をもたらした

その一方、このような場所に逃げ隠れざるを得なくなった、その事実を決して彼女は忘れた

訳ではなかったからです。

 変わらず彼女は岩屋に暮らしました。位置的にはこの集落の外れに在りました。

 それでも彼らはこの女神様かのじょを深く敬いました。生まれてきた子らにもその心を語り継ぎ、

それはやがて──ある意味必然的に敬虔な“信仰”と為っていきます。

 なので彼女は照れ臭そうに微笑ってわらっていました。そんな穏やかな日々が、不謹慎ながらも改

めて己を癒してくれ、彼らを深く愛おしく思わせました。

 故に彼らはやがて名付けます。

『銀の里』

 自分達の暮らす、この理想郷を。


 ……しかし、幸せな日々は長くは続きませんでした。永遠ではありませんでした。

 遂に知られてしまったのです。美しき女神の加護を受けた、森の中の隠れ里。そこには自

分達をも遥かに凌ぐ叡智が納められている──。

 気付けば「敵」は周辺の、点在する集落などではなくなっていたのです。

 人間の大国でした。遠く西にある帝国が、時の皇帝の命を受け、この里へと侵攻を始めて

きたのです。

 “銀の里及びその周辺国は、我々の確定的領土である”

 軍靴が響いていました。じわりじわり、武力の足音は確実に押し寄せ、彼の国と里を結ぶ

地図上の国々を片っ端から落としていきました。

 戦火は広がる一方でした。まるで、いや明らかに銀の国を包囲すべく、帝国は着々とその

領土を食い広げてきたのです。

『一体、どうしたら……』

『里のことはとうに知られてしまった。このままでは攻め込まれるのも時間の問題だ』

『戦えってのいうか? あれだけの大国を相手に?』

『確かに、こちらには女神様の加護はあるが……』

 危機が迫る中、里の──歳月を経て多くの老若男女と為った人々は毎日のように話し合い

を持ちました。

 屈服すべきか? 断固戦うべきか?

 彼らとて、解っています。彼の国はこの里の、彼女の持つ叡智を技術を我が物とせんが為

に多くの戦火を撒き散らしている。そこで自分達がその力で抵抗すれば、もっと多くの生命

が散る。きっと泥沼になる。

 何よりも……それが本当に「正しい」とは、思えない。

 彼らはゆっくりと、恐る恐る彼女を見遣りました。

 本当ならばこの方を煩わせたくはなかった。共に平穏を望んだからこそこの里ができた。

なのに自ら戦をするとなれば、初心を根底からひっくり返すことにもなる……。

『……』

 ですが、彼女は重苦しい表情かおで組んでいた手を解き、彼らを見つめ返します。

 気持ちは痛いほど解っていました。だからこそ彼女は迷い、願いました。

『先ずは彼らと話し合いましょう。……それでもいざという時は、私が何とかします』


 周辺の村々は国は、変貌していました。

 のどかな風景は一変し、地平線の遠くまで点々と見えるのは仮建てを含めた城砦です。

 彼女たち銀の里の面々は森の入り口で待ちました。迫る帝国の軍政、そこへ話し合いを重

ねた結果、一人の男性が使者として向かっていったのです。

『──ッ!? あ、あいつら……!』

 ですが彼女達の思いは通じませんでした。

 姿を見せた軍勢、その先頭には長槍に括り付けられたその男性の首があったのです。

『親書は読ませて貰った。だが、我々は承服できない』

 軍勢の中から司令官と思しき武人とその取り巻き達が出てくると、叫びます。

『我らが帝国のものと為れ、そう通告した筈だ。独立そのままは認められない。我らではない“他者”

が女神殿の加護を握っている以上、世界は貴女に怯え、媚びへつらわねければならないの

だから』

 交渉は決裂以外の何物でもありませんでした。槍から男性の首が引き摺り下ろされ、彼女

達へと投げ返されます。里の人々は慌てて駆け寄り、涙し、何度も何度も彼にこの役を任せ

たことを詫びました。

 ……彼女は、夜風にその銀髪を靡かせながら、じっと押し黙っていました。

『総員突入準備! 女神は殺すな、生け捕りにしろ。……尤も我々に殺せるのかすら怪しい

のだがな』

 そして司令官の合図で数万、十数万とも計りきれぬ大軍が一斉に動き出します。それはあ

たかも大地を覆い尽くす鋼のようであり、生命の息吹とはまるで正反対の黒鉄色でした。

 里の人々は恐怖しました。絶望しました。

 これで、お終いなのか。

 自分達の理想郷は、もう……。

『──』

 しかし、文字通りの天変地異はその瞬間に起こったのです。

 不意に彼女が、銀と蒼の髪の女神が天を仰ぎました。表情かおは見えません。ただ口を小さく

開け、何かを呟いた後、ぐんっと屈みながらその全身に力を込めます。

 突風──神風──暴風が吹き荒れました。里の人々は思わず目を瞑り、ゆっくりと開き、

そして次の瞬間、目の前の光景に唖然とします。


 竜がいました。

 白銀と蒼い鱗を持つとてつもなく巨大な竜が、その翼を大きく広げて軍勢の前に立ちはだ

かっていたのです。


 羽ばたき一つ。たったそれだけ起こされた暴風。軍勢の隊伍は乱れ、彼らは自分達が決し

て触れてはいけない怒りに触れてしまったと、程なくして理解させられることになります。

 ──熱量を持った光が、地平を薙ぎました。

 するとどうでしょう。その刹那、この大軍勢を含む周囲の大地が丸ごと、この一閃──竜

の放った吐息ブレスによって凄まじい爆発で消し飛んだのです。

 ──何も、残りませんでした。

 長く残響する轟音が続いたあと、里の人々は目の当たりにします。

 全てが綺麗さっぱり消し去れていました。十数万の大軍も、彼らが侵略の途上で築き上げ

てきた城砦も、全て大地もとろも消し炭になって一切の跡形も無くなっていたのです。

『……これが私なのですよ』

 竜が、いえ彼女が言いました。

 里の人々は言葉にならず、ただその横顔を見上げます。

 とても哀しい表情かおでした。竜という姿になっても、ゆっくりと肩越しに振り向くその瞳は

澄み、だからこそ抱える哀しみや痛み、後悔が一切の仕切りなく伝わってきます。

『女神様……と、貴方達も彼らも言っていましたね。違うのです。見ての通り私は竜。ただ

人間よりも長く長く生き過ぎた、本来は貴方達と交わってはいけなかった者なのです……』

 驚愕、瞬かれた眼。

 ですが彼らはその言葉の意味を半ば本能的に悟りました。

 ──別離。彼女は、自分達の女神様は、この地を去ろうとしている。

『ま、待ってください!』

『だから何だって言うんです!? 知っていましたよ、貴女が人間ではないことはとうに』

『構いません。貴女は助けてくれたじゃないですか、戦ってくれたじゃないですか』

『そんな……お別れなんて……』

『……』

 ぼとっ、大粒の涙がかのじょの目から零れ落ちました。

 巨体ゆえにそれは大水です。ですが人々もまた、同じく大粒の涙を流して必死に彼女の痛

みに寄り添おうとします。

『ごめんなさい。でも見ての通り私は殺してしまった。貴方達を愛おしく思ったがためにそ

れよりも圧倒的に多くを奪ってしまった。エゴです。もっと私が、適切な距離を取ってさえ

いれば……』

 涙を湛えたまま、彼女は頭を振ります。漏れる声は間違いなく咆哮でも、聞く者をとても

哀しい気持ちにさせます。

 再び彼女は空を仰ぎました。満月のみちる寒空です。彼女はやがてその天を真っ直ぐ見据

えると、大きく翼を開いて舞い上がります。

『……ごめんなさい。こんな形で終わりたくなんて、なかった』

 空の上で、彼女は絞り出すように言います。

 大地の上で、人々はふるふると首を振って呼び止めようとしていました。

 それでも彼女はどんどん舞い上がっていきます。天空の彼方に消えて行こうとします。

『ごめんなさい……でもどうか、貴方達だけでも生きて。同じ過ちを繰り返さないように。

ありがとう……少しの時間あいだだったけど、私は幸せでした』

 そしてそんな哀しみと愛おしさを抱きしめたまま、遂には二度と姿が見えなくなります。


 ──長い長い時間が経ちました。

 彼女はやはり二度と戻って来ませんでした。文字通り天へと帰っていったのでしょう。

 そしてその後、事実上銀の里は消滅しました。彼らは失意のままこの地に留まり、やがて

再びやってきた帝国軍に捕らわれたとも云われていますし、一方では遥か遠くの地へと移り

住んで新しい国を興し、彼女との日々を後世に語り継ぎ続けたとも云いますが……今となっ

ては最早真実を確かめる術はありません。

 それでも、彼女によって焼き払われた大地はゆっくりと時間を掛け再生していきました。

 それはかつての森と融合する形で広がり、見渡すばかりの広大な緑と為りました。一方で

当時の帝国は滅び、やがて中小の国々が乱立し……そしてまた争い滅び、また生まれるとい

う歴史を今も繰り返しています。


 そこに、古より続く森がありました。

 その森は豊かな自然と独特の静けさに覆われ、多種多様な生き物達を育んでいます。

 ですがそこにはもう、彼女はいません。

 森の奥、その一角にある朽ち果てた岩屋。

 そこにはもう、かつて女神と謳われた優しき竜はいません。

                                      (了)

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