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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-2.May 2012
10/500

(5) サフィン・ア・フリーダム

【お題】散歩、海、沈黙

 つくづく奇妙な海だと、私は思った。

 他の人々と同じように岸辺でぼうっとこの大洋を眺めていただけなのに、不意に彼に誘わ

れてしまい今此処にいる。

「──どうです? この電子洋うみは」

 先ずその格好が胡散臭い。

 一言で表現するなら“紳士風”といった所だろうか。磨かれた黒色の、文字通りのシルク

ハットに礼装。目には分厚い眼鏡を掛けている。

 何より違和感というか、不安を拭えなかったのは、そんな彼の妙な営業スマイルだけでは

なく、誘いに流されるまま乗せられたこの巨大なレコード──いや、銀色だからCDなのだ

ろうか──が自分達二人を運ぶ乗り物として、今もひゅんひゅんと回転しながら水面を走っ

ているという事実にある。

「……変わった海だと思います」

 愛想笑いもそこそこに、私はちらとすぐ間近に広がる水面を見遣った。

 普通「海」と聞けば青を思い起こすのが大抵であろうが……此処はそんな常識とは一線を

画している。

 濃い緑なのだ。

 藻のような生物的緑ではなく、そう……集積回路(ICチップ)の基盤を連想させるよう

な硬質的な緑。今やっとイメージが追いついたので補足しておく。

 その証拠か、水面の奥には、無数の細く黒い筋がカクカクと折れ曲がりながら時に交わり

ながら奔っているのも確認できた。

 水先案内人(が紳士服というのも奇怪な限りだが)よろしく、彼は手にしたJの字状の杖

を片手にこの銀の円盤のやや前方よりに立っていた。一応の返答をした私を、肩越しに見遣

ると、もう一度にこりと笑顔。……やはり胡散臭い。

 さっさと岸に帰してくれ。私は眉根を寄せてため息をついた。

 青い海に澄んだ空ならまだ気も晴れようものだが、どだいこんな奇怪な緑とグレーの曇天

という視界ではそうもいくまい。

 私は暫く、ぼんやり口数少なくこの波間に揺られていた。

 その間にも彼は「あれは何処そこの企業のアカウント」だの「あれはこの前呟きを開設し

たばかりのアイドルでして。これまだ可愛い娘なんですよお」だのと、聞いてもないのに次

から次へと杖で指し示しては喋り続けている。

 嗚呼、そういえば最初に「貴方にこの電子洋うみの素晴らしさを紹介します」と言っていた

っけ……。

 営業マン(?)と考えれば、一応今この瞬間の言葉らも理解はできる。

 尤も、何故紳士風の格好なのか? という怪訝はこびり付いたように取れなかったが。

「…………」

 そうして改めて眺めてみると、なるほど実に此処には色んな者がいるらしいと分かった。

 一番目立つのは“看板”を掲げた者──彼の言葉を限れば業者という連中らしい。

 だがそれ以上に、周囲には私達と同じく銀盤の上で揺られている雑多な人々の数の方が圧

倒的に多かった。

 てんでバラバラだな。私はざっと眺め、何よりもそう思った。

 自分の「好き」を語っている者。その「好き」を梃子に船団(?)を形成している者達。

そしてそうした者達を遠巻きに見遣りながら、黙々と自分の銀盤の上で気ままな船旅を続け

ている大多数の者達。

 彼は、此処はとかく自由フリーダムな海だと言っていた。

 なるほど。確かにそれを「勝手気まま」と解釈し直せば、あながち間違ってはいない。

 だが、と次の段階で私は思う。

 歳を喰っているからかもしれない。しかしこんな野放図なセカイの何が、彼らをあそこま

で惹き寄せているのだろう──?

「……ん?」

 そんな思考が徐々に膨れてゆく最中だった。

 私達の進んでいた先に、とりわけ大きな船団ひとだかりが在るのが見えたのだ。

「ああ、あれは炎上バーストしてますねぇ」

 すると案内人のこの紳士は、少しシルクハットを目深に被り直して先んじるように口にし

ていた。炎上? とはいえ別に銀盤ふねが物理的に燃えている……という訳ではないようだった。

むしろ“燃えて”いるのは、中心の銀盤ふねの主に向かって喧々諤々の批難らしき声を大合唱している周りの人々のように思える。

「まぁ、そう気に病むことはありませんよ。あれもまた、此処では日常茶飯事な現象ではあ

りますからね」

 彼はフッと笑ってそう語っていた。

 だが私の眼は見逃さなかった。……彼が、間違いなくそこに“哀しさ”みていることを。

「どうしますか? 見物なさりたいのであれば、近くに着けますが」

「……いや、結構です。先を行って下さい」


 それからも、私達はこの電子洋うみをあちこち渡っていった。

 思いをししためている者。感じるままに描く者。或いは映像という視覚聴覚のインパクト

で以って訴えかける者も少なからずみられた。

 彼曰く、此処には人の数──いやそれ以上の想いが溢れているのだという。

 確かにそれらは私が抱いた印象のように“勝手気まま”だ。特に総体として統制が執られ

ている訳でも──むしろそういった向きを彼らは嫌う──なく、ただ各々に自身の「好き」

や「主義主張」を跳梁させている。

「……ですがね。そうした自由フリーダムこそ、これからの時代、我々は各々の中に尊重するべき価値

観ではないかと、そう思うのですよ」

 ついっとシルクハットの鍔を持ち上げ、軽く振り向いての営業・高説。

 確かに自由さは野放図と捉えかねられない。ややもすれば人々の暗く黒い部分を刺激する

ばかりになるだろうと彼は言う。先刻の“炎上”とやらもその片鱗かもしれないと嘆いた。

 それでも──。彼は此処を棄てられないという。

 確かに悪縁もある。だがそれ以上にえにしは可能性の段階においても無数に存在している。

その拡がりまでをも、そこで得られる人と人が繋がり得られる安息をも、私は十把一絡げに

縛り上げて欲しくないのだと、そう言ったのだ。

「……私に言われても、困るんですがね。見ての通りもう随分と歳を喰いました。こんな新

しいものに、もう中々ついて行けないですよ」

「かもしれません。ですが、だからこそ貴方のような人にこそ、我々はちゃんと知っていて

欲しいのです。誤解・曲解とは無知・無関心や偏向なる知から生ずるものなのです」

 二人を乗せた銀盤は緑の水面を滑ってゆく。

 私は、ここに来てようやく彼に対する認識を改めていた。

 ふざけているように見える(一応礼装=正式な格好なのだが)が、その胸の内に秘めてい

るものは、少なくとも真摯であるらしい。……紳士だけに。

 その間にも、周囲ではこの電子洋うみに暮らす人々を垣間見ることができた。

 各々の自由フリーダム。それを許してくれるからこそ、というものなのか。

 ただ私の眼には、傍観する類の人々からは“寡黙が金”を感じ取っていたのだが……。

「さて……。一通り予定のルートは回りました。どうでしたか? この電子洋うみは」

「……変わった海だと思いますよ。でも、こういう場所も……あっていい気がします」

 継ぎ接ぐように答えた私に、彼の笑みは心から嬉しそうだった。

 営業成功。斜に構えて解釈してやればそんな所か。だがどうにも彼当人はそう“成果”に

拘らないような印象も、私は気付けば持ち始めている。

「……ああ、そうでした。これはもう形式的なものなんですが、もし宜しければ貴方も此処

の“住民”になりませんか? 当局は何時でも申請をお待ちしています」

 私は、愛想笑いだけを返していた。

 銀盤ふねは来た路を戻って滑ってゆく。暫くして、視線の遠くに最初いた岸辺が見えてきた。

 ようやくセカイに戻ってきた。

 緩やかに回転運動を止めた円盤から下ろして貰い、私は最後にこの紳士に振り返る。

「……もし、住人になったとして、途中で厭になったらどうしたらいいんでしょう?」

 すると彼は、既に答え用意していたかのように穏やかな笑みを見せると答えたのだ。

退去してたちさってしまわれて結構ですよ。何せ此処は自由の海なのですから。良いものも悪いもの

も一緒に此処には在る。害するものがあれば、そっと距離を置いて下さい。振り回すのは

道具側ツールではなく、人間側わたしたちでなければ」

                                      (了)

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