跋
三日ほどのち、橘の少将から先般の礼にと反物と酒が届けられたらしいが、孝仁が帰宅するころには酒は跡かたもなく消えていた。
「まったく、天狗どもにはわきまえというものがないのか」
少し目を離した隙に持って行かれたと口惜しげな千寿をなだめていると、
「鳥頭には何を言っても無駄だ。どうせ聞いたそばから抜けていくのだからな」
庭から紅姫が声をかけた。少女の形で生い茂った草をかき分けて入ってくる。
「なんじゃ、今日は隋身ではなかったのかえ?」
そういえば今朝も姿が見えなんだとひとりごちる千寿に頷いてから、
「おかえりなさい。どうでしたか?」
簀子に上がった紅姫は、孝仁の言葉にふんと鼻を鳴らした。
「右近大将の妻が桜子と言うらしい」
「それで、その方は」
真剣な表情で紅姫を見つめる。
そもそも孝仁が若狭の主を探そうと思ったのは、彼女が公達から吸い取った精気をどこに還元していたのか不明であったからだ。単純に桜にだけならよし、まかり間違って主のもとに届いているならばそれが途絶えたことによる異変が起こってはいまいかと案じたためである。
不自然な沈黙のあと、紅姫は孝仁、と主の名を呼んだ。
「そなたが案じることはない」
「ええと……」
目を丸くする孝仁に背を向けて、紅姫は話は終わったとばかりに屋根に跳びあがる。
下から呼ぶ声がするが聞こえないふりをして、自分が見てきた光景をふと思い出す。
中年にさしかかったその女は、ふくよかな肢体に薄物を引っかけ、幼いわが子二人を両手に抱えてのしのしと屋敷を歩いていた。聞こえたところによると抱えられた幼子は四郎君と三の君らしいのでかなりの子沢山である。
屋敷の内外にあやしい気配はみじんもなく、むしろ生者の気配が強く霊など寄りつくことすら難しそうであった。ましてや病など裸足で逃げるに違いない。
どこが病がちだ。あの様子ではあと三十年は元気だろうと想像できる。
そこまで考えて、紅姫は嘆息した。
「……まったく、ひととは不思議な生き物だ」
ぽつりとこぼして抱えた髑髏を撫でた。