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桜守  作者: 一之瀬染子
5/7

 少将邸を辞した孝仁は薄闇の大路を南へと下っていた。

「どこへ行く?」

 五条の辻を曲がったところで狐火を灯した紅姫が足元から問いかけてくるのに、

「ええ、ちょっと」

「六条か」

 ずばり言い当てられて苦笑いする。

 物の怪に出遭ったのが六条のあたりだと言うが、そこがどこかさすがに少将本人に聞くことができなかったため、帰り際に車宿にいた牛飼童に尋ねると快く教えてくれた。

「ただ、あっちこっちの辻を曲がっていくんで、おれたちにもどの辺なのかはっきりはわからないんです」

 と、そばかすの散った顔を曇らせて牛飼童は首を振っていた。

「少将のやつれようはただ怪異に遭ったと言うだけではないと思います。昨日今日であんな風になるわけない。何かほかに原因があるはずなんです」

「それが六条にあると?」

「おそらくは」

 ひとつふたつと牛飼童に教わった通りに辻を曲がり、三つめの辻を左に行くと風が変わった。

「そなたの勘が合っているようだの」

 紅姫の言う通り、四つ五つと辻を曲がるごとに生臭い風が重くまとわりつき、最後の辻を超えたところでふつりと消えた。その先には屋敷がぽつんと建っている。

「気を抜くでないぞ」

 おもむろに少女の姿に変じた紅姫は、抱えた白いされこうべを落ちつかなさげに撫で回した。

 不思議なことにすべてが闇に沈んでいるにもかかわらず、その屋敷だけはぼんやりと浮かび上がって見えた。

 引き寄せられるように門を抜け、孝仁は息を呑む。

 そこは春であった。

 息苦しいほど甘い芳香を放ち紅白の梅が並んで咲いている。右手には藤が紫の重たげな房を垂らし、その下には色鮮やかな山吹が群れをなす。その奥にことさら見事な桜が一本。薄紅の花弁は淡雪のように舞い、足元に降り積もる。

 積もった花弁はかなりの量のはずなのに桜の花は満開のままなのはなぜだろうと孝仁の頭に的外れな疑問が浮かんだ。

 孝仁、と紅姫に呼ばれて我に返り、歩みを進めるとざわりと山吹が揺れた。ざわり、ざわりと意思を持っているかのように揺れる黄色い花をかき分けて桜へと近づく。

 あと数歩というところでふいに強い風が渡り、つかの間とりどりの花弁が視界をふさいだ。

 風がおさまり目を開けると、桜の根元に人影があった。桜の襲のその姿はさながら桜の精が人に姿を変えたように儚げであった。

「あのう、すみません」

 我ながら間が抜けているなあと思いながら声をかけると、人影が振り返った。

 その顔に一瞬見とれてしまう。

 ふっくらとした頬は透き通るように白く、一重まぶたの奥の瞳は穏やかに澄んでいる。すっと通った鼻筋、ぽってりと紅をひいた唇が妙に艶めかしい。

 女は孝仁をみとめてわずかに目を細めた気配があった。

「だれ?」

 玲瓏とした声の中に警戒が混じっている。

 孝仁は軽く頭を下げた。

「藤原孝仁と申します。陰陽寮の役人です」

「そのような方が何の用ですか」

 女の問いに答えることなく、孝仁は桜に近づくとその幹に触れた。

「美しい桜ですね」

 そっと眉をひそめる気配があったが、構わずにその木を見上げた。

 太い幹はまっすぐ天を目指し、無数に伸びた枝は根本こそしっかりとしているが、伸びた先は華奢でわずかな花の重みでしなっているのがよく見えた。はらはらと散る花びらは触れれば雪のようにとけてしまうのではないかと錯覚するほどに軽く薄い。

「何の用ですか」

 先ほどよりも少し強い調子で女が問うてくる。

 孝仁は桜から視線を外して、

「藤原為茂という方をご存じですか」

「さあ。その方にご用なら屋敷をお間違えでは」

 すいと視線を外す女の態度は硬質で取りつく島もない。

「いえ、ご本人に用があるわけではなくて、為茂殿が近頃通っていらっしゃる女性にお会いしたいんですが。こちらで間違いないはずなんですけど、なにかご存知ではありませんか?」

 この屋敷に充満する気配と匂いは少将本人に纏わりついていたものと同じものであり、少将が通っていた相手は間違いなく目の前のこの女だと確信しつつとぼけてみせる。

 女はじっと孝仁を見つめるばかりでなにも答えない。

 しばらくそうして無言の時間を過ごし、相手に答える気がないと判断した孝仁はもう一度桜の木を見上げた。

 ぼんぼりのように房になって咲く花の根元にはいくつもの蕾が見え、花が散れば次の花がほころびだす。どう考えても不自然なその仕組みには何か理由があるはずであった。たとえば、生き物の精気を流し込むといったふうに。

 そう考えると少将のやつれようは納得できる。

 孝仁はそう理由づけて庭に目を向けた。何かを探すようにめぐらせた視線が一点でとまった。

「よかった。やはりこちらにあったんですね」

 彼の足元、ちょうど桜の木に寄り添うように小さな橘の苗が葉を揺らしていた。不思議な燐光をまとったようなその濃緑の葉を、孝仁は膝を折ってそっと撫でた。

 とたんに女の表情が変わった。

「触らないで!」

 その声に反応するように風が荒れた。引きちぎられた山吹や藤の花が闇を染め、孝仁はたまらず目を閉じる。

 風がおさまり目を開ければ屋敷は跡かたもなく、桜の大樹が花弁を散らしているばかりであった。

「孝仁」

 非難を含んだ紅姫の声を聞かなかったことにして女の様子をうかがう。

 射抜くような鋭い視線を孝仁に向けて、ゆっくりと近づくと数歩の距離を置いて立ち止まりおもむろに両手を差しのべた。そのとたん、背後からなにかに引っ張られたように孝仁の身体が桜の幹に押しつけられた。

「孝仁!」

「妙な真似はおよしなさい。陰陽師がどうなってもいいの?」

 紅姫の動きを一言で制すると女はうっそりと目を細めた。

「陰陽師の霊力ならば、徒人の生気よりもずうっと強力だわ。しばらくは咲かせられる」

 そうひとり言のように言うと唇を吊り上げる。

 対して孝仁は押しつけられた背中から霊力が流れ出ていくのを感じて焦りを覚えた。抗おうと身をよじれば、さらに強く圧迫される。

「無駄よ。抵抗するほど苦しい思いをするだけ」

「どうして、こんなことを……」

「あなたには、関係のないことよ」

 冷たく言い放つとよけいなことを言うなとでもいうように押しつける力を強くする。

 息をするにも難儀なほどの圧力を胸に受けながら、孝仁は女を、そして紅姫を見た。助けようにも自分が盾に取られているためにどうにもできず、悔しげに顔をゆがめる童女姿の妖と目が合うと、かすかに唇を動かした。

 あえいでいるようにも見えるその唇が何を言わんとしているのかを理解すると紅姫は眉を吊り上げた。

「人の、霊力を奪っておいて、関係ないですか」

 苦しい息のもと、かすれる声を必死で出す。

「関係ないでしょう」

「傲慢ですね」

 いつになく鋭い視線で睨みつけると、一瞬女がひるんだ。だが直後、

「うるさい。陰陽師風情に言われる筋合いはないわ!」

 ひるんだことを隠そうとするかのように声を張り上げた。

 その瞬間、桜の木が突然炎に包まれた。


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