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巨人の海          :約5500文字

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/09/28

 巨人を見つけたのは先週の土曜の朝のことだった。

 海岸をぶらぶら散歩していたら、浜辺にどーんと打ち上げられていたのさ。そう、おれが第一発見者だ。このおれがだぜ? これまでの人生でこれといっていいことなんか何一つなかった、このおれが!

 ……まあ、だーれも話なんか聞きに来やしなかったんだがな。まあ、そりゃそうだ。巨人を見つけるのは別に難しいことじゃない。なにせでかいからな。遠くからでも嫌でも目に入る。

 見た目は二十代から三十代くらいの男だった。鼻筋は高く――まあ、あいつより鼻の高い人間なんてこの世にいねえだろうな――潮に濡れた前髪は額にべったり張り付いていて、色は茶色。青白い肌に、口元や顎には髭の剃り残しがうっすらとあった。

 そして肝心のそのでかさときたら……まあ、うつ伏せで倒れていたから正確には分からねえが、あいつより高い建物なんぞ、この町にはねえってことだけは断言できる。もしあいつが本気で暴れたら、都市の一つや二つ簡単に消し飛んじまうこともな。もっとも、それは人間たちがあいつをぶっ殺そうとして落とした爆弾のせいかもしれねえがな。


 黒いウエットスーツのようなものを身につけ、耳からは血が流れ、唇は紫色に変色していた。どこからどう見ても死体だった――まあ、回り込んで見たわけじゃねえが――。カモメが肩に乗ってもあいつはぴくりとも動かなかったよ――カモメじゃ小さすぎか? 鶏なら起きたかもな。

 おれが防砂柵の陰に隠れたり、ちょこっと顔を出したりを繰り返しながら近づこうかどうか迷っていると、通りかかった犬の散歩中の女が「きゃっ」と甲高い悲鳴を上げた。犬と一緒になってきゃんきゃん騒ぎ出して、そこからはもう、あれよあれよという間に野次馬どもが集まり、気づけば浜辺は波打ち際まで人でびっしり埋め尽くされていた。おれだけの巨人だった時間は、ほんの束の間だったってわけ。


 そのうち警察や消防が駆けつけ、――面白いんだぜ。最初はパトカー一台だけだったんだ。大方、いたずらか何かだとでも思ったんだろうよ。それが現場を目の当たりにした途端、泡を食ったような顔で慌てて無線で応援を呼んでいたよ――その次に押しかけてきたのがマスコミどもだ。我が物顔で野次馬を押しのけ、でかいカメラを担いで最前列を陣取った。警察が下がれって言ってもお構いなしさ。近すぎてもカメラに入りきらねえだろうに。空にはヘリまで飛んできて、まるでハエみたいに浜辺の上を何機も旋回していたよ。

 そしたら、その騒音で起こされたんだろうな――マスコミってのは本当に“災いの元”にあるよな――巨人が軽く咳をした。砂浜の砂がぶわっと巻き上がり、磯の匂いに混じって、ちょいと生臭く湿った息が風に乗って流れてきたよ。

 その瞬間、集まっていた人々は風に薙がれる雑草みたいに一斉に仰け反り、悲鳴混じりのどよめきが浜辺中に広がった。


 そう、巨人は生きていたんだ。


 警察の連中は「危ないから下がって! 全員下がって! 下がれ!」って必死に怒鳴り散らした。おれとしちゃあ、もう少し声を落としてくれって言いたかったね。だってよ、寝起きにそんなでかい声を出されたら拳の一つや二つ叩きつけたくなるだろう? ――おれなんて目覚ましを何個ぶっ壊したか――。 

 もっとも、その直後に巨人の唸り声が響き渡った途端、全員息を呑んで黙り込んじまったがな。「う、う……」だったか「あ、あ……」だったかな。喉の奥を擦るような重く低い響きだった。

 誰も彼もが巣を踏まれた蟻みてえに一斉に逃げ始めたよ。押し合いへし合い、転んだやつを踏みつけ、子供のぎゃあぎゃあ泣く声が響き、浜辺は瞬く間に大混乱さ。この世の終わりが始まったかと思ったね。

 が、幸いなことに巨人は朝に弱かったらしい。立ち上がるどころか、どれだけ時間が経ってもまぶたをぴくりともさせやしなかった。


 やがて軍隊がぞろぞろとやって来て、おれたちは浜辺から締め出された。迷彩服を着た連中が次々と車両から降りてきて、武器だか何だかを抱えて巨人を取り囲み始めたのさ。さも忙しそうにしてよ。

 まあ、別に構いやしなかった。何べんも言うが、巨人はでかいからな。母ちゃんのネグリジェが何枚あったって隠しきれるもんじゃねえ。いくらケツがでかいったってな。

 おれは防波堤まで移動し、そこから遠巻きに動向を見守ることにした。素直に家に帰ったやつなんて、ほとんどいなかったんじゃないか。軍が引いた規制線にぴったり張り付くようにして周辺はまだ人でびっしり埋まっていたよ。


 軍はそんなもん普段どこにしまってあるんだよ、何のために使うもんなんだよってくらい太くて長いロープを何本も運び込み、巨人の身体に巻きつけ始めた。まあ、太いといっても巨人してみりゃミミズみたいなもんかもしれねえがな。普通の人間なら両腕で抱えても余るほどの太さだが、あいつの身体に何重にも巻きつけてようやく一本の縄らしく見える程度だった。

 ただよ、ほら、童話とかであったろ? 巨人を縄でぐるぐる巻きにして動けなくしたよな。つまり、この手はそれなりに有効だってこと。おれらだって後ろ手に回された親指同士を結束バンドで締められたら、それだけで手が出なくなっちまうだろ。案外まともな作戦だったのかもな。少なくとも、はなっからお手上げされるよりはよっぽどマシってもんだ。

 軍はクレーンやトラクター、重機という重機を総動員してロープを引き、夜も休まず何日もかけて巨人を縛り上げていった。でかい作業用ライトをずらりと設置し、周囲にはフェンスを立てて、まるで一大工事さ。夜になっても浜辺だけは昼間みたいに明るく、遠くから眺めると巨人の黒いシルエットも相まって、海岸に巨大な建造物でも作っているように見えたよ。


 おれは近くの店で適当に食い物を買い込んだり、家で安いチーズを挟んだサンドイッチを作ってきたりして、防波堤に座り、作業の様子を眺め続けた。仕事なんかしてる場合じゃねえ。スポーツの世界大会なんぞより、ずっと見ごたえがある。なにせ、これから人が大勢死ぬかもしれねえんだからな。

 そうだろ? 野次馬のババアがあくびをした次の瞬間、あのでかい腕が持ち上がり、作業車をおもちゃみてえにぶっ潰す! 爆発で砂が舞い上がり、黒い煙が空に向かって伸びる。ぶちっ、ぶちぶちぶち……人間どもがあんだけ時間をかけて巻きつけた縄を巨人はいとも簡単に引きちぎり、起き上がる。そして咆哮だ! どでかい貨物船の汽笛みてえな重低音が空気をびりびり震わせ、巨人に近い連中から鼓膜がぼん! パニックになった兵士が銃を乱射! ダダダダダダ! 他の兵士に流れ弾が当たり、迷彩服が赤黒く滲む。逃げようとした人間がすっ転び、その上を別の人間が踏み越えていく。ああ、今さら逃げ惑ってももう遅い。頭上を巨大な影が覆い、視界いっぱいに足が迫ってきて――。

 ……もっとも、この巨人も相当な怠け者だったらしい。耳元でどれだけ重機が唸ろうと一向に起きやしない。生きてはいるようで、時おり咳をしたり、身震いしたりした。そのたびに、ははは、作業員どもは手を止め、まさに蜘蛛の子を散らすように逃げ出していたよ。あの慌てふためく様は何度見ても飽きなかったな。巨人の肩がほんのぴくりと動いただけで、全員がぴたっと止まるんだ。重機のエンジンまで切られ、ただ波の音と海鳥の鳴き声だけが響いていた。ああ、静かだったな。


 一方で、テレビのほうは毎日大騒ぎさ。各テレビ局はこぞって特番をぶち上げ、一日中この話題ばかり取り上げていた。朝のニュースから昼のワイドショー、夕方のニュースに夜の報道番組――バラエティ番組まで、この近くでロケをしていた――。

 どの局に回しても巨人、巨人、巨人、巨人。浜辺の映像を繰り返し流し、巨人のほうはてんで変化がねえのに、司会者はさも新しい情報でも出てきたかのような真剣な顔をしていたよ。

 コメンテーターに、動物学者だの海洋学者だの医者だの元刑事だの、肩書だけは立派な連中を呼び集めて、好き勝手喋らせていた。


『巨人はいったいどこから来たのでしょう?』

『状況から見れば、海から流れ着いたと考えるのが自然でしょうな』

『どこかの未開の島にでも存在していると?』

『いや、宇宙から海へ落下したのです。それが海流に乗ってあの浜辺に漂着したのでしょう』

『かなり衰弱しているように見えますが、医師としてはどのような処置が必要、あるいは可能だとお考えですか?』

『そうですねえ……』

『即刻駆除すべきです! やつは危険すぎます!』

『まだ人柄もわかっていないでしょう。人権も考慮すべきです』

『人権? あるわけないでしょう。あんなものは化け物ですよ、化け物!』

『政府は巨人を兵器として利用することも視野に入れているのでは?』

『有効活用すべきでしょうな。生ゴミを食わせて処理し、出た糞は肥料にしましょう。ひひひひひ……終わりだ。人類はもう終わりだ!』


 ってな具合でよ。まあ、結局のところは『何もわかりません』を粘土みたいにこねくり回して、それっぽい形に見せかけているだけだったがな。そもそも巨人の専門家なんていねえんだから仕方がねえ。巨人評論家を気取る連中は大勢いるがな。

 二日も経つと、『巨人を海へ返せ』だの『適切な治療を受けさせるべき』だの『巨人に愛を』だのと書いたプラカードを掲げる連中まで集まり始めた。

 治療つったって点滴一本打つにしても、あいつの血管まで届く針なんかどこにあるんだよって話だし、海へ返すったって、あんな図体のもんをどうやって沖まで運ぶんだってんだ。そもそも運んだところで海底に沈むだけじゃねえのかって話だがな。

 まあ、そんなことを言っても連中には話が通じねえから口に出すだけ無駄なんだけどな。だから、あいつらは巨人に共感できるのかもしれねえ。もっとも、巨人が言葉を話せないと決まったわけじゃねえが。案外、ああいう連中よりよっぽど理知的なやつだったかもしれねえ。

 だが残念なことに、ついぞ巨人が口を利くことはなかった。


 死んじまったのさ。


 まあ、ペットの猫や犬とは違うんだ。おれがあのときああしてりゃ助かったかもしれねえ、なんて後悔に駆られることもなかった。あいつはあまりにもでかすぎたし、おれたちは小さすぎたんだ。

 巨人はその後、解体された。肉はレストランに卸されたり、加工施設に送られて缶詰にされた。骨は博物館に収蔵され、脳みそは政府の研究施設へ運ばれたらしい。嘘か本当か、ペニスは万国博覧会の目玉展示になるって噂だ。

 終わってみりゃ案外あっけないもんだった。あれだけ大騒ぎしたのに、テレビは以前みたいに自動車事故や大雨のニュースを報じ、浜辺に残ったのは重機のタイヤの跡や穴くらいなものだった。それも日が経つにつれて砂に埋もれていった。

 祭りが終わり、屋台も人混みも消え去ったあとのようなもんだ。風通しがよくなった分、なんだか胸のあたりがすうすうするような妙な気分になった。


 軍が毒で殺した――なんて陰謀論めいた話もネット上にちらほら流れたが、その証拠映像や画像は上がったそばから削除され、その話に乗っかって、唾を飛ばしながら語っていたどこかの大学教授もダムの水面で見つかった。それが巨人の件と関係していたかどうかは、おれには分からねえ。ただ、巨人を始末することに比べたら普通サイズの人間の一人や二人消すくらい簡単な話だよな。

 ……でもな、それは間違いだった。

 ああ、陰謀論のことでも言論統制のことを言ってるわけでもねえ。おれが間違いだったって言ったのは……。


 おれは巨人が浜辺から姿を消したあとも、毎朝欠かさず海へ通い続けた。なんなら、以前よりもちょっと早い時間帯にな。もう一度巨人を見つけて、今度こそおれが第一発見者だって世間に認めさせるためだった。

 ま、似たようなことを考えてるやつらが他にも大勢いて、結局その願いは叶わなかったがな。釣り人でも朝の散歩でもなさそうな連中がちらほらと海岸線に立ち、朝霧の中でじっと沖を見つめていたよ。

 ああ、おれが間違いだったって言ったのは、“普通サイズの人間”ってことだ。


 巨人は再び現れた。海の中からな。

 たぶんだがな、深海のどこかに巨大な裂け目でもあって、そこがあいつらの棲む世界の海と繋がってるんじゃねえかな。

 地球空洞説とかいうやつか、それとも異なる次元と繋がっているのか、まあおれは知らねえ。そういう話が好きな連中にでも聞いてくれよ。最近、そういう手合いがやたら増えたしな。

 ああそう、“あいつら”だ。水平線の近くで、ずぷり、ずぷりと海面が盛り上がり、巨大な黒い物体が次々と現れた。最初は鯨かと思ったぜ。直後、そうであってほしいとも思った。

 巨人たちは海から上がると、身につけていた潜水服を無造作に脱ぎ捨てた。たったそれだけのことなのに、砂浜は大きくえぐられ、立っていられねえほどの凄まじい地響きが立て続けに起きた。近くに転がっていた空き缶が跳ね上がって甲高い音を立て、それが妙に耳に残った。

 そして、その素顔が露わになった瞬間、おれは今さらになって気づいた。

 あいつらの国にもおれたちと同じように人がたくさん暮らしていて、大統領がいて、軍隊があり、兵器があって、そして――自分たちより弱い者には、やっぱり残酷なんだってことによ。

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