日本糞拓協会 2 同時多発テロ事件を防げ! 私達は2001.9.11を忘れない
旅客機の低いエンジン音が、コクピットに響いている。
だが、操縦席に生きている者は、自分一人だ。
自分は、旅客機のパイロットになるのが夢だった。
平和になった祖国の空港から、同胞達を乗せて幸せな世界へと飛び立つ。
それが夢だった。
その夢をかなえた奴は、副操縦席に座ったまま、眠っている。
首から血を流しながら、永遠に。
だが、その血も。
自分たちの同胞が流した血の量に比べれば、どれほどの事があるというのか。
自分の指導者が、「聖戦」を宣言した時、自分はまさに狂喜乱舞した。
これこそ、“神”の意志である。
あまりにも邪悪で卑劣な世界を支配する強大国に、怒りのハンマーを振り降ろす聖なる任務を果たすのは、紛れもなく自分である。
自分の、自分の同胞達の苦しみ、悲しみ、怒りなど何も知らずに、罪深い肉欲にどっぷりと嵌まっている人間の皮をかぶったブタ共よ。
自分が、聖なる浄化の炎に捧げる供物として捧げてやろう。
そして自分は、神の代理者として立派に闘った闘士として、同胞の心に焼き付けられるのだ。
それこそが、“戦士たちの休息の地”へ続く永遠の道のりである……
コンコンコンコン……
勢いのあるノックが、自分の平安な静寂を破った。
対応が早い。早すぎる。
銃器の持ち込みが出来ない航空機内であっても、強化プラスチックナイフでサブ・パイロットを音もなく殺害したはずだ。
なんのトラブルもなければ、このままホワットハウスに怒りの鉄槌を下す事は定められた運命のはず。
いや、落ちつけ。
このドアさえ破られなければ、いくら乗客が大勢いようと、どうする事も出来ないはずだ。
「すいません。わたくし、日本フンタク協会の者なんですぅ」
聞いた事のない女の声が、胸糞悪い連中の言語で響く。
ただし「フンタク」という意味だけは、よく判らなかった。
「誰だお前」
やむを得ない。最低限の返事は返さねば。
「おとり込み中大変申し訳ありません。緊急事態なので、勝手に上がらせて頂きますぅ」
自分の年若い妹の声に、何だか良く似ている。
可愛い声に、冷静さを失いそうになる。
だが、気を許す訳にはいかない。
FBIかCIAの囮捜査官の可能性が一番高い。
もしかすると、開発段階にあるとされる、対テロ作戦用女性型アンドロイド“ルリ・シリーズ”かも知れない。
いずれにせよ、用心せねば……
「どういう事だ。操縦席への立ち入りは……」
「いえ、緊急事態ですから、なにやってもいいんですぅ」
「いいんですって……」
コクピットのドアの隙間から、針金のようなものが差し込まれてきた。
それは、自在に曲がりくねるようで、ドアの鍵をいじくり始める。
それは、自分が苦労して作り上げた解除システムをあざ笑うかのように、的確にロックを開き始めた。
「な、なにやってるんだ!」
針金を引っ張ろうとした瞬間、ビリッ! という痺れがはしり、思わず手を引っ込めた。
ガチャ……
最後の砦であるはずのコクピットのドアが開いて、自分は焦った。
「ドーモ、ハジメマシテ」
ドアの中から、東洋人らしい少女が一人、現れた。
自分が普段使っている言語で話している。
やはり、囮捜査官なのか?
と、後ろ手で、ドアを閉めてカギを掛け直した音がした。
なぜわざわざ応援も呼ばないで、再び密室にするのだ?
プラスチックナイフを構えながら、じっと相手を観察する。
東洋人らしい黒い髪を三つ編みに結んで頭の両端からぶら下げた、小柄で目の大きい、まだ少女といってもいい年齢だろう。
黒い大きな丸眼鏡の奥で、瞳が邪淫な輝きに満ちている。
黄土色のヒラヒラとした、男を惑わすような邪悪な下履きと、同色の外着。
それでいて、清楚な白い内着に、首からお守りのような緑色のヒモをぶら下げている。
まさしく異教の娘。
邪悪な小悪魔。
外見上の可愛らしさが、一層彼女を邪淫な淫婦足らしめている。
聖なる意志を止めようとするいかなる妨害にも、聖なる闘士は屈してはならない。
自分は何の予備動作もなく足を踏み込むと、彼女の死角に当たる背中から、一気にナイフを振り上げた。
狙うは喉元。
叫び声を上げさせず、急所である脳への血管を一気に断ち切る。
異教徒にはもったいない、慈悲深い一撃である。
が、なんと彼女は紙一重で自分のナイフを交わし、急に視界から消えた。
「なっ……」
突然、下から現れる彼女。
「ダメデスよイキナリ。まだ名刺お渡ししていないじゃないですか」
ほとんど密着するような格好で、抱きつかれるかのように。
彼女は自分に向けて、白い小さな紙を目の前に見せた。
「日本糞拓協会 専属調査員 黒井 運子」
母国語で読める、自分たちの言語で書かれた名刺だった。
「……くろい うんこ?」
なぜか冷静に、自分は最後まで読み取った。
「ち、違いますぅ! うぅねって読むんですぅ!」
急に彼女は落ち着きをなくし、うろたえ始める。
今だ!
この日の為に、辛く長い試練に耐えて聖戦を待ち望んだ自分である。
こんな訳も判らない少女一人の為に、聖なる任務を挫折させる訳には行かない。
背後にかざしたナイフを、少女の心臓目掛け、突き刺そうと……
ウッ……
手が、動かない……
それどころか、足も、胸も、腰も、体の全てが動かない……
どうしたんだ、自分の体は……
うぅねと名乗った少女は、にっこりと悪魔の微笑みを浮かべた。
「ああ、大丈夫ですぅ。あそことアソコと亜底を突いたんですぅ」
……なに言ってるんだ?
「どうしても糞拓を取らせて下さらない方の為に、非常手段として用いる人体的矯正手段の一つですぅ。ダイジョウブですぅ、わたくし、免許持ってるんですぅ」
……免許? なに言ってるんだ……
駄目だ、もう立っていられない。
自分は、少女にすがりつくようにして倒れた。
男の体重のある自分を、少女はどうやっているのか楽々と支え、床に寝そべらせた。
「えっと、お名前をまだ聞いてないんですけどぉ、アブラカタブラさんでいいですよねぇ?」
「何っ?」
「わたくしの名前、ちゃんと呼んで下さらないんですからぁ、名前なんてどうでもいいんですぅ」
この女、なに訳の判らない事さっきから言っているんだ?
いや、確かに女は男を惑わすものだ。
故に、女はベールをかぶって、素顔を晒してはならないのだ。
偉大なる最後の予言者よ。あなたはやはり、正しかった……
そんな自分の感慨など知らずに。
彼女は自分のプラスチック・ナイフを取り上げると、自分の衣服をところかまわず切り裂き始めた。
「な、何をするっ!」
「ああ、ダイジョウブですぅ。糞拓を取るだけなんですぅ」
「フンタク??」
「はい、糞拓。昔、印刷技術が無かった頃、聖典を広める為に紙と墨を使って内容を写した、アレですぅ」
彼女は手を休めることなく、説明していた。
だが、自分にはさっぱり判らなかった。
「いいんですぅ、別に判らなくてもぉ。どうせわたくしも、あなた方が聖戦だの血の復讐だの言ってる事は、よく判んないですぅ。だから、そういうことは、ドウでもイイんですぅ」
な、なに言ってるんだこの悪魔の異教徒は?!
「わたくしとしては、糞拓さえ取れれば、後は用事ないんですぅ。やっぱりウンコって、放っとくと腐っちゃうし、衛生上良くないんですぅ」
彼女は、やけに楽しそうに自分の衣服をビリビリと破き、むしり取っていく。
やがて、自分の体は糸一つまとわぬ素っ裸にされてしまった。
異教徒の、しかも異性の前であられもない姿に……
おぉ、神よ!
なぜ聖なる闘士たる我に、このような辱めを授けられるのか……
「やだぁ、そんなに気にすることないんですぅ。これはわたくしのお仕事なんですぅ。お・し・ご・とッ!」
にこにこ笑いながら、彼女はいつの間に取り出したのか、水色のバケツにドボドボと黒い液体を注いでいる。
背中から大きな箒のような物を取り出すと、楽しそうにバケツをかき混ぜ始める。
と、自分の頭から、べったべたと黒い水がたっぷり含まれた箒でソイツをぬったくり始めた。
「な、何をするっ!」
「ダメデスよ暴れちゃ。すぐ済みますぅ……」
暴れようにも体が動かないのだが、彼女は事もあろうに自分の開いた口の中にまで箒を突っ込んでグリグリかき回すのだ。
なんという残虐さ!
まさに、悪魔の所業だ!
「あら、たいした事ないですぅ。別に“愛のポエム”ばらまく訳じゃないんですぅ」
又も訳の判らない事を言っている間に、自分の体は真っ黒にぬったくられてしまった。
「ハイ、じゃあ糞拓を取りますぅ」
どこから出して来たのか、大きな白い紙を、毛布でもかぶせるかのように自分の上に覆いかぶせて来た。
「う、ウワァア!」
「あらあら、聖なる闘士がこんな事でビビッちゃダメですぅ」
とかなんとか言いながら、彼女が白い紙ごしに、自分の全身をくまなく触ってく
る。
ヤメロ、ヤメテクレ……
「んもう、案外臆病ですぅ。わたくしが脱がして触って上げてるのに、ヤクニタタナイんですぅ。……まあ、ありのままを撮るのが糞拓の有り様……」
ベリベリっという音と共に、ようやく彼女は自分の体から白い紙を剥がしだした。
「うーん。まあまあ、かなぁ。どう思いますぅ?」
コクピット内に、テープらしきもので白い紙を、スクリーンのように張り出し始めた。
黒く映ったそれは、人の形に見えなくもないが、はっきり言ってなんなのかよく分からなかった。
「……なんていうか、タメがないですぅ。アブラカタブラさん、本当に真剣に“悩んだ”のかなぁ?」
「なに?」
「もしかして、安直にみんな巻き込んで自分も死ねばいいとかいって、逃避してないですかぁ?」
この女、いったい何を言いだすんだ?
「そういう“タメ”のない安直な考えだと、良い糞拓って取れないんですぅ。もっと現実的に立ち向かって、悩んで、苦しんで、あがいて、もうどうしようもないって位に溜め込んでくれないと、糞拓の“味”が出ないんですぅ」
遠い目をしていた彼女だが。
不意にスクリーンのような白い紙を引っ掴むと、ビリビリと破きだした。
「駄目だわ、こんなのじゃ、ぜんぜんダメっ!」
粉々に破き去り、足で踏みしめる。
「あなた、糞拓協会をナメチャだめですぅ。わたくしに糞拓とって欲しかったら、もっとグッとズバッとしたもの出さないと、承知しないんですぅ。判ったぁ?」
誰も頼んだ覚えなど、全く無いのだが……
「わ、判った……」
よく判らないが、そう言わないとマズイような気がして、頷いてしまった。
最早、聖戦も神の意志も同胞の苦しみも、どうでも良くなってしまった。
今はただ、一刻も早くこの悪魔の化身から逃れたい一心だった。
「今、わたくしの事を“悪魔の化身”とかなんとか思わなかったですかぁ?」
「い、いや……」
「ウソおっしゃいですぅ。一度糞拓を取った人の事は、よぉく判るんですぅ。わたくしの事は“天使のようにお美しいうぅね様”と呼ばなければダメですぅ」
な、何の事だ?
「ま、いいですぅ。ちょうどお出迎えも来ているみたいですぅ」
彼女が、自分の股の間、ちょうど袋と肛門の間を、指で突いた。
ウギャアッ!
電撃的な痺れと共に、自分は文字通り飛び上がった。
同時に、嘘のように体のシビレが取れた。
しかし……
真っ黒にぬったくられた、素っ裸な自分の格好に、しばし呆然とする。
そんな自分の様子などかまってもくれずに、彼女はコクピットと外をつなぐドアに例の針金のような装置を付けている。
「な、何をしている!」
飛行中にそんな所開けたら、気圧が一気に抜けてしまう!
「アメリカ空軍機がお迎えにきてるですぅ。奴ら、この機を撃ち落とすつもりですぅ」
「な、なにっ?!」
「テロに乗っ取られてホワットハウスに突っ込まれる位なら、自分たちの手で撃ち落として、乗客を英雄扱いして祭り上げた方がマシだとでも思ってるみたいですぅ。図体ばかり大きくて肝っ玉の小さい奴らですぅ。だからウンコがボソボソなのしか出てこないんですぅ。……はいはい、呆っとしてないで操縦席に座るんですぅ」
とかなんとか言ってるうちに、コクピットのドアのロックが外れた。
風圧で、一気にドアが吹っ飛んでいった。
急激にコクピット内の気圧が抜け落ち、強烈な寒気が押し寄せてくる。
「ウワァアァアア!」
「そんなのドウでもいいから、操縦桿を握るんですぅ。さっきの糞拓で使った墨が体に付いている間は気圧も温度も大丈夫ですぅ……」
そういえば、確かに苦しくないし、寒くもない。
希薄な外の空気と同じなのだから息が出来ないはずなのに、全く気にならない。
一気に零下三十度は超えて、見る間にコクピット内に霜が降りているのに、全く寒さを感じていない。
まるで、全身が痺れて“無感覚”になっているかのようだ。
それにしても、彼女は平気なのか?
ふしだらな下履きがビュンビュン唸りを上げてはためいているし。
華奢で小柄な体は今にも機外に飛ばされそうなものだが。
しかし、平然とドアごしに外を見上げているのだ。
「あぁあ、二枚重ねでミシン目入り、蛍光色などの有害な物質は一切使用していないナチュラルでヘルシーな特注品なのにぃ……」
いつの間にか、その手にトイレットペーパーが四つ、握られている。
「機内の乗客の中に、いつの日か貴重でキュートな糞拓をヒネリ出してくれそうな人が現れるかも知れないですぅ、先行投資だと思うしかないんですぅ」
一気にトイレットペーパーを機外に放り出した。
まるで花を散らすかのように、トイレットペーパーが飛んでいく。
螺旋を描いて飛んでいく白い帯は、まさに人体の細胞に描かれるDNAと同じ螺旋構造である。
人体の神秘、宇宙の奇跡である。
故に、決して目標を外す事のない自動追尾トイレットペーパーとして、今まさに狙いを定めようとしていたF-15戦闘機のジェットエンジンの吸気口に吸い込まれていったのである。
そういう理屈なのである。糞拓を志す者にしか理解することは出来ないのである。
一般人や生成AIなどには、決して理解できない高尚なる教理なのである。
同じように、訳が分からないらしい戦闘機が、次々に“不完全燃焼”を起こし、うぅね達のはるか下に落ちていくではないか。
「後は空港に下ろしとくんですぅ。じゃあねぇ」
彼女は、落ちていくF-15を見届けると、自分に向かって手を振った。
「じゃあねって……」
何が何だか、よく判らなかった。
最初から、最後まで。
もしかして、このままタレ流しなのか……
はっ!
「タレ流し」って、一体なんなんだ……
呆然としていた自分に、彼女が振り向きざま話しかける。
「あ、そうそう。最後に一つだけぇ」
「な、なんだ?」
「あなたが殺したと思ってるサブパイロットさん、もう少しで目を覚ますから。殺人は良くないわ。折角の作品の雰囲気が、台無しになるでしょ? ヤラカシタことはしょうがないけど、今回だけは“水に流して”あげる」
そう言って、彼女は開いたままのドアから、飛び下りて行った。
~ ・ ~
空港に機体を着陸させた自分は、すぐにFBIに身柄を拘束された。
しかし、わずか二日で釈放されてしまった。
ホワットハウス突入に失敗した自分の扱いにしては、おかしすぎる。
尾行を巻いて、同胞達の待つ隠れ家にたどり着いた自分は、そこでようやく真相を知る。
裏で日本の秘密結社が、政治的圧力を強大国の大統領に掛けていたようだ。
なんでも「フンタク」がどうこうまでは判ったが、それ以上は探り出せなかったらしい。
同胞達も、任務に失敗したはずの自分に、やけに同情的だった。
本来なら極秘裏に処刑されても文句も言えない敗残者だというのに。
それにしても。
「フンタク」とは、いったいナンナンダ??
(おしまい)




