第一章 第三部 ~朱月の夜を越えて、旅立ちの刃は月を仰ぐ~
王国は滅び、
守られるはずだった日常は、一夜にして失われた。
それでも――
絶望の中で、立ち止まらなかった少女たちがいる。
これは、
失ったからこそ剣を取り、
守りたいものがあるから前へ進む
そんな始まりの物語。
王国が崩壊してから、数ヶ月が過ぎていた。
ニーナは今、アルヴィン王国の老兵士エルドをはじめ、数名の生き残った兵士たちと共に、
ユキネの実家――輝道剣術流宗家の屋敷に身を寄せていた。
「ここは遠慮なく使いなさい。困った時は助け合うものだ」
そう言って、ユキネの父は彼らを迎え入れてくれた。
ユキネの母もまた、何も言わず、食事や着替え、ニーナの身の回りのことを、まるで実の娘のように世話してくれていた。
朝の道場には、木剣が打ち合う乾いた音が響いていた。
「はあっ……!」
ユキネは一心不乱に剣を振るっていた。
一太刀一太刀に迷いはなく、鋭さだけが増している。
一方で――
「そこだ、姫様! 腰が浮いておりますぞ!」
「は、はいっ!」
ニーナは兵士たちと一緒に、基礎から剣や魔法を一から学び直していた。
かつては「守られる存在」だった彼女が、今は汗を流し、息を切らしながら剣を振るっている。
「……ずいぶん、変わられましたな」
道場の隅で、腕を組んでそれを見つめるエルドが、静かに呟く。
「ええ……」
ユキネの父も、深く頷いた。
「王女としてではなく、一人の剣士として……強くなろうとしている」
ある日、エルドたちは崩壊したアルヴィン王国の視察から戻ってきた。
道場で鍛錬を終えたニーナのもとへ、エルドが足早に駆け寄る。
「姫様……!」
「じぃや、何かあったの?」
エルドは息を整え、力強く告げた。
「奇跡的に……
地下にあるアルヴィン家の宝物庫が、無事でした」
「……本当!?」
ニーナの声が、わずかに震えた。
翌日。
ニーナは、ユキネとエルドと共に、宝物庫へ足を運んでいた。
「……ここ……」
宝物庫へ続く通路に足を踏み入れた瞬間、
ニーナの視界が歪んだ。
炎、悲鳴、朱い月――
あの日の悪夢が、鮮明に蘇る。
「ニーナ……」
ユキネが、そっとニーナの手を握る。
「大丈夫。私が隣にいるから」
「……ありがとう、ユキネ」
ニーナは深呼吸し、震える手で扉を押し開けた。
宝物庫の中には、
アルヴィン家の長い歴史が静かに眠っていた。
奥へ進むと、
一式の鎧と、芸術品のような剣が、静かに立て掛けられている。
「……この剣……」
ニーナが近づこうとした、その時。
「……?」
鞘に挟まれた、一通の手紙に気づいた。
年月を経たにも関わらず、丁寧に折られ、しっかりと守られていた。
ニーナは、震える手でそれを開く。
そこに記されていた文字は、
いつもの厳格な王のものではなく――
父としての、静かで優しい筆跡だった。
⸻
『愛する娘、ニーナへ。』
この手紙を、
お前が読んでいるということは――
私は、そしてこの国は、
すでに“もしもの時”を迎えてしまったのだろう。
まず、謝らなければならない。
父として、王として、
私は多くのことを、お前に隠してきた。
それは決して、
お前を信じていなかったからではない。
ただ――
愛していたからだ。
⸻
ニーナ。
お前が生まれた夜、月は朱く染まった。
あの夜のことを、
私は今でも、鮮明に覚えている。
国中が不安に包まれ、
古き文献の言葉が、人々の心を蝕んでいた。
「朱月の夜に生まれし赤子は、災厄を呼ぶ」
そんな戯言に、
私は、お前を晒すわけにはいかなかった。
だから私は、
お前の誕生を偽り、
真実を、家族とごく一部の者だけの秘密にした。
それは王としての決断であり、
同時に、臆病な父の選択でもあった。
⸻
だが、真実を語ろう。
ニーナ。
お前は――
神々に選ばれし者だ。
朱月の夜に生まれた赤毛の子。
銀月の加護を受け、
世界の均衡を保つために選ばれた存在。
お前が背負う運命は、
あまりにも重く、残酷だ。
だからこそ私は、
できる限り長く、
“ただの王女”として生きてほしかった。
笑い、泣き、
街を歩き、国民に手を振り――
普通の少女として。
⸻
だが、時は来た。
お前が今、
この宝物庫に辿り着いているのなら、
世界はすでに、再び軋み始めている。
お前が手にしているその剣――
それこそが、
銀月の剣だ。
この剣は、
銀月に選ばれし者のみが扱える。
剣が光を放ったのなら、
それはお前を後継者として認めた証。
誇りに思いなさい。
お前は、誰よりも強く、優しい。
⸻
世界のどこかに、
お前と同じ“銀月の後継者”がいる。
六つの銀月の武器。
それぞれが、異なる想いと宿命を背負っている。
どうか、彼らを探しなさい。
一人で戦ってはならない。
力を分け合い、
心を預け合いなさい。
それが、
この残酷な世界を生き延びる、唯一の道だ。
⸻
宝物庫にある鎧についても、記しておく。
その鎧は、
アルヴィン家に代々伝わる、騎士の鎧。
王ではなく、
民を守る者のための鎧だ。
もしお前がそれを身に纏う時が来たなら、
それは王女としてではなく――
一人の騎士として立つ覚悟を持った時だ。
⸻
ニーナ。
私は、お前に
「世界を救え」などと言うつもりはない。
それは、国王としてじゃなく、お前の父として、強く、強く、願う。
どうか、生きてくれ。
逃げてもいい。
立ち止まってもいい。
それでも――
お前がどんな道を選んでも
私は、誇りに思う。
⸻
最後に。
もし、心が折れそうになったら、
思い出してほしい。
お前には、
愛してくれる姉がいた。
信じてくれる友がいる。
そして――
命よりも大切に思った父と母がいたことを。
ニーナ。
お前は、決して一人ではない。
月が照らす限り、
我らは、いつでもお前のそばにいる。
⸻
『父より。
ラビンワート・アルヴィン』
ニーナは、手紙を胸に抱きしめ、知らず知らず目に泪を溜めていた。
(……ありがとう、お父様)
剣が、
まるで応えるように、淡く光を放っていた。
剣に手を伸ばす。
――その瞬間。
剣が、光り始めた。
「……!」
「こ、これは……」
ユキネとエルドが、固唾を飲んで見守る。
ニーナが、ゆっくりと剣を抜く。
眩い光が、宝物庫を満たした。
「……銀月の武器に、正式に認められましたな……」
エルドが、震える声で呟く。
「ニーナ……」
ユキネは、言葉を失っていた。
その時だった。
「……声?」
外から、不穏な声が聞こえてくる。
「……っ、隠れて!」
ユキネの言葉にとっさに三人は物陰に身を潜めた。
廃墟と化した王国の異変に気づいた魔界の者たち、その数3体、魔界の者たちは、崩れ落ちた城の残骸を前にして、足を止めることなく進んでいた。砕けた石柱、焼け焦げた壁、血と灰の匂いが染みついた瓦礫の山を一つ一つ、隈なく確認しながら。
「本当に……光ったのか?」
疑うような声が、後方から上がる。
「はい。確かに何かが、一瞬ですが、銀色に……」
「錯覚じゃないのか?
ここはもう、何も残っていないはずだ」
その言葉に、別の魔族が首を横に振った。
「いえ……ただの光じゃありませんでした。
魔力とも違う。
――妙に、胸がざわつく光です」
足元の瓦礫をどけるたび、鈍い音が響く。
それでも彼らは止まらない。
「妙な話だな……」
「この辺り一帯は、すでに調べ尽くしたはずだ」
「だが、感じた以上は確認するしかあるまい」
「……慎重に行け」
後ろを歩く男が低く命じると、部下たちは歩みをさらに遅めた。
瓦礫の隙間に視線を落とし、剣先で軽く突き、異変がないかを探る。
彼らは、ゆっくりと、確実に宝物庫へと、歩みを進めていく。
「ニーナ、鎧を着て。
準備が整うまで、私とエルドさんで時間を稼ぐ」
「お嬢様も無理はなさらず。
いざとなれば、この老骨が囮になりますぞ」
「……絶対、無事でいて」
ユキネとエルドは外へ飛び出した。
ニーナも急いだ、ニーナの心に焦りはありつつも、かつてのように恐怖に慄いてはいない。
父からの手紙のおかげか不思議と落ちついていた、ニーナは準備を進める。
激しい戦闘音。
二体は、瞬く間に倒された。
「……っ、こいつ……!」
エルドが歯噛みする。
先ほどまでの二体とは、明らかに格が違う。
魔界の者は、余裕の笑みすら浮かべていた。
「ほう……人間にしては、なかなかやるな」
低く、耳障りな声。
まるで遊び相手を見つけたかのような口調だった。
「調子に乗るな!」
ユキネが一歩踏み込み、鋭い斬撃を放つ。
だが。
「甘い」
金属音が響き、ユキネの剣は軽く弾かれる。
「なっ……!?」
敵は最小限の動きで受け流し、そのまま反撃に転じた。
「くっ!」
ユキネは咄嗟に後退するが、
間髪入れず、休む間もない連続攻撃が襲いかかる。
「速い……!」
「お嬢様、無理をなさるな! 距離を」
エルドが援護に入ろうとする、その瞬間。
「させるか」
敵の足元が歪み、
まるで影が伸びるように、二人の間に割り込んだ。
「しまっ――距離を切られた!?」
敵は狙いを定める。
「……女剣士。
お前からだ」
「っ……!」
次の瞬間、
重い一撃がユキネを襲った。
「くっ……!!」
防御は間に合ったものの、衝撃で腕が痺れる。
「く、そ……!」
息を整える間もなく、
斬撃、突き、容赦のない攻撃が続く。
「どうした?
さっきまでの威勢は……!」
「黙れっ……!」
ユキネは歯を食いしばり、防戦一方になる。
(このままじゃ……押し切られる……!)
足が、わずかに後ろへ下がる。
その瞬間――
「……!」
ユキネの足裏が、わずかな砂利を踏んだ。
「――っ!?」
体勢が、崩れる。
「もらった」
敵の声が、すぐ傍で聞こえた。
「しまっ・・・」
間に合わない。
剣を構え直す暇もない。
迫りくる、致命の一撃。
ユキネは、思わず目を閉じた。
(……ごめん……ニーナ……)
その刹那――
「お嬢様ーーーーーーーーッ!!」
エルドの叫びが、戦場に響き渡った。
時間が、引き延ばされたように感じられる。
――次の瞬間。
敵とユキネの間に割り込む、一つの影。
鎧を纏い、銀月の剣を携えた――ニーナ。
ニーナの身体を聖なる光が照らしていた、それは母サラの月紡の巫女の力だった、ニーナは確実に両親からの力を受け継いでいた。
「……姫様……」
ニーナは、敵の攻撃をいとも簡単に受け止めた。
「聖なる……光だと……!?」
魔界の者が、明確に怯える。
「……終わりです」
ニーナは剣を振りかぶり――
「はあああああっ!!」
光一閃。
「ぎぃぃやぁぁぁぁ」
光の刃が走り、敵は真っ二つに裂けていた。
ニーナはすぐに振り返り、ユキネを抱き寄せた。
「……間に合って、よかった……」
「……ええ。ありがとう
本当に、強くなったわね……ニーナ」
二人は、静かに微笑み合う。
少し離れた所にいるエルドにも手を振り笑顔で問いかける。
「じぃやも大丈夫~?」
「ええ、お二人のおかげで、この老体も傷一つございませんぞ」
戦いを終えた三人は、馬に乗り屋敷へと戻っていた。
蹄の音だけが、夕暮れに淡々と響く。
誰も、言葉を発しない。
ニーナは鞍の上で、ぎゅっと手綱を握り締めていた。
胸の奥に残るのは、勝利ではなく、重さだった。
(……魔界は、こんなにも……)
前を行くエルドの背中は、いつもより小さく見える。
老兵は振り返らず、ただ黙って馬を進めていた。
そして、ユキネ。
夕暮れに照らされた横顔は、硬く、険しい。
つい先ほどまで命が削られていたことを、
その沈黙が何より雄弁に語っていた。
風が吹き、草原がざわめく。
だが、三人の間に流れる空気は、凍りついたままだった。
現実を、知ってしまった。
この日。
ニーナとユキネは、初めて命を懸けた実戦を経験した。
翌朝。
道場の奥座敷に、二人の少女が正座して並んでいた。
ニーナ・アルヴィン。
ユキネ・カグラ。
その正面に、ユキネの父――輝道剣術流宗家当主ケンゾウ・カグラが、静かに座している。
重い沈黙を破ったのは、父ケンゾウの低い声だった。
「……二人とも。本当に行くのだな」
一瞬の間もなく、声が重なる。
「「はい」」
ユキネは一度息を吸い、続けた。
「道場で稽古をしているだけでは……これ以上、強くなれません」
拳を膝の上で握りしめ、唇をきゅっと噛む。
「昨日の実戦で……思い知らされました。私たちは、まだ足りない」
「……」
「それに……」
ユキネの視線が、床に落ちる。
「私には、決着をつけなければならない因縁があります」
ケンゾウは目が、わずかに細められた。
「――アヤカのことか」
ユキネは、静かに、しかしはっきりと頷いた。
「はい」
それ以上、ケンゾウは何も言わなかった。
ゆっくりと立ち上がり、奥屋敷のさらに奥へと歩いていく。
二人は、息を詰めてその背中を見送った。
やがて――
ケンゾウは一本の刀を携えて戻ってきた。
長く、細く、美しい刀。
鞘も、鍔も、柄までもが銀色に輝いている。
「父上……それは?」
思わずユキネが声を漏らす。
ケンゾウは静かに答えた。
「――銀月の武器のひとつだ」
「……!」
ニーナとユキネは、思わず顔を見合わせた。
「ニーナと同じ……銀月の……?」
「まさか……この家に……」
「我が家に代々伝わる秘宝の刀だ」
ケンゾウは刀を見つめ、ゆっくりと言葉を続ける。
「宗家を継ぐ者のみに、その存在が知らされる。
そして――」
視線が、ユキネへと向けられる。
「お前は十五歳で師範となり、正統後継者となった。
この刀を手にする資格がある」
ケンゾウは、刀を差し出した。
「受け取れ、ユキネ」
「……はい」
震える手で、ユキネは刀を受け取った。
――その瞬間。
刀全体が、淡く、しかし確かな銀色の光を放ち始める。
「……っ」
ニーナが息を呑む。
「私の時と……同じ……」
ユキネは、ゆっくりと刀を抜いた。
シャラン――
澄んだ音と共に、刀身から眩い銀光が溢れ、座敷一帯を包み込む。
「す……すごい……」
ニーナは思わず腕で顔を覆った。
ケンゾウは、満足そうに口角を上げる。
「やはりな……刀に認められたか」
そして、小さく笑った。
「まさか、我が娘が銀月の後継者になるとはな」
――そして、早朝。
二人は旅支度を整え、屋敷の前に並び立っていた。
エルドをはじめとする王宮の兵士たち。
道場の門下生たち。
皆が、静かに、しかし強い想いを込めて見送っている。
ユキネの母サヨは二人の手を取り、
「……無理だけはしないで」
と、何度も何度も念を押した。
そして――
ケンゾウが一歩前に出る。
「行ってこい」
力強く、迷いのない声。
「今、地上は闇に沈みかけている」
二人を、真っ直ぐに見据える。
「行け銀月の後継者達よ、世界の闇を払え!」
二人は深く、深く頭を下げた。
屋敷を後にし、歩き出すニーナとユキネ。
父、母、姉。
王国と、国民。
そのすべての無念を背負いながら――
ニーナは、覚悟を宿した瞳で前を見つめる。
その隣には、剣を携えたユキネがいた。
二人の背中は、まだ小さい。
それでも――
確かに、力強かった。
第一章 ~完~
王国崩壊から数か月。
ニーナとユキネは、涙を流し、傷つきながらも鍛錬の日々を重ねた。
まだ強くはない。
まだ何も成し遂げていない。
けれど――
確かに「進む覚悟」だけは、ここにある。
これで第一章は終わりです。
次章からは、仲間との出会いが始まります。
それぞれが過去を背負い、
それぞれが違う強さを持つ者たちとの巡り合いが、
ニーナたちの運命を大きく動かしていくことになるでしょう。
物語は、ここから――
本当の旅へ。




