表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

第一章 第二部  ~朱月再来、王国は滅びた~

※本話は、物語の大きな転換点となる章です。

 少し重い展開が続きますので、

 心の準備をしてお読みいただければと思います。


 この出来事が、

 ニーナたちの運命を大きく動かすことになります。

神々に選定された子、ニーナが生まれ、夜空を不気味に染め上げた朱月の出来事から、すでに十数年の時が流れていた。

あの夜に確かに起きた“異変”が、まるで嘘だったかのように、アルヴィン王国は変わらず、穏やかな日々を刻み続けている。


人々は笑い、街は賑わい、

争いの影はどこにも見当たらない。


そして、ニーナが十七回目の誕生日を迎えようとしていた。


王都は朝からいつも以上に賑やかだ。通りには色鮮やかな飾りが並び、店先では生誕祭に向けた準備が進められている。第二王女の誕生日を、街全体で祝おうという空気が満ちていた。


そんな華やかな街並みの中を、ニーナはいつものように歩いていた。


「ニーナ姫、もうすぐ十七歳だね。私たちも楽しみにしてるよ」


市場の女性店主が、親しげに声をかける。


「王女様〜!当日はウチのケーキを届けるから、楽しみにしててよ!」


別の店からも、元気な声が飛んできた。


「ありがとうございます」


ニーナは足を止め、柔らかな笑顔で応える。


「皆様も、どうかお身体に気をつけてくださいね」


そのやり取りを見ていた子どもたちが、声をそろえて叫ぶ。


「ニーナ様、せ〜のっ、お誕生日おめでとう!」


満面の笑顔とともに差し出される祝福に、ニーナは思わず目を細めた。


「みんな、ありがとう。

 でも、遊ぶときはケガをしないようにするのよ?」


まるで近所のお姉さんのような口調に、子どもたちは元気よく頷く。


「相変わらずだな。

 ウチの第二王女は、国民から絶大な人気だ」


そう言って、静かに微笑んだのは、ニーナの隣を歩く少女。


彼女の名は【ユキネ・カグラ】

アルヴィン王国領、山の麓に構えられた輝道剣術流宗家の一人娘。

ニーナと同い年で、幼い頃から共に過ごしてきた幼なじみであり、親友でもある。父親同士もまた戦友であり、深い友情で結ばれていたことから、二人は自然と行動を共にするようになった。


「もぉ、ユキネはいつもそうやってからかうんだから」

ニーナの片頬が大きく膨らむ。

だが、言葉と裏腹にニーナが国民から祝福されるのを(そば)から見ていたユキネの視線はどこか誇らしげだった。


それから、ニーナの誕生日当日の夜を迎えた。


街は生誕祭一色だった。

飲めや歌えやの大騒ぎで、通りのあちこちから笑い声と音楽が溢れている。灯された無数の明かりが夜空を照らし、王都はまるで眠ることを忘れたかのようだった。


その賑わいは、王宮の中でも同じだった。

第二王女の誕生を祝う盛大なパーティ。

華やかな装飾と香ばしい料理の匂いに包まれ、広間は終始にぎやかな空気に満ちている。貴族達も各々第二王女のニーナに祝福を送っていた。


「ニーナ、十七歳の誕生日おめでとう」


父である国王は、いつもの威厳ある表情を少しだけ緩め、穏やかな笑顔で祝福の言葉を贈った。


「おめでとう、ニーナ。元気に育ってくれて、本当に嬉しいわ」


その隣で、母は慈しむような眼差しを向けてくれる。


「お父様、お母様、ありがとうございます」


ニーナは丁寧に頭を下げ、はにかむように微笑んだ。


三人が穏やかに談笑していると、背後からひときわ賑やかな声が響く。


「ニーナ〜!ほら、早く来なさい。お料理が冷めてしまうわよ!」


振り返るまでもない。

その声の主は、ニーナの五つ年上の姉、セレナだった。


「今日はたくさん食べるんだから!お父様、お母様、しばらくニーナをお借りしますわ」


そう言うや否や、セレナはニーナの手を取る。


「ちょ、ちょっと……お姉様、待ってください!」


慌てるニーナを引きずるように、セレナは楽しげに歩き出した。


「ふふっ、ニーナ。行っておいで」


母はその様子を見て、くすりと微笑む。


「まったく……本当に仲のいい姉妹だな」


父は半ば呆れたように、しかしどこか誇らしげに二人の背中を見送っていた。


その夜、王宮には笑顔が溢れていた。

この幸せな時間が、いつまでも続くと誰もが、疑いもせずに思っていた。


その幸せな時間を、唐突に引き裂くように。


王宮の扉が、勢いよく開かれた。


「国王陛下、大変です!!」


血相を変えた見回り兵が、叫ぶように声を張り上げる。場の空気が、一瞬で凍りついた。


「何事だ!」


国王は即座に振り返り、鋭い声で問いかける。


「つ、月が……朱く……」


兵は言葉を詰まらせながら、震える指で窓の方を指し示した。その一言で、広間にいた全員が動きを止める。そして、導かれるように窓辺へと歩み寄り――夜空を見上げた。


次の瞬間、誰もが息を呑んだ。


月が、朱く染まっていた。


ただ赤い、というだけではない。十七年前の記憶を呼び覚ますような、それ以上に濃く、重く、禍々しい赤。まるで夜空に浮かぶ“傷口”のように、不気味な光を放っている。


「……十七年前よりも、濃い……」


国王が、かすれるように呟いた。


その声に、王妃サラははっとして夫の顔を見る。


「あなた……これは……」


不安を隠しきれない眼差し。

胸の奥で、かつての夜の記憶が蘇っていた。


「そんな……」


セレナの声は小さく、先ほどまでの笑顔は跡形もない。

凛としていた第一王女の表情が、強張っていた。



「・・・月が、あんなふうに光るなんて」


ニーナは、朱く染まった月を見つめながら、ぽつりと呟いた。その声には、恐怖よりもどこか現実感のない、不思議な響きがあった。


そこへ、さらにもう一人の兵が、広間へと転がり込むように飛び込んできた。


「た、大変です……!

 魔界の軍勢が……侵攻してきました!!」


その言葉と同時に。


――ドンッ!!


城の外、街の方角から爆発音が轟き、

地鳴りのような衝撃が王宮全体を揺らした。


「……っ!」


国王は反射的に窓へ駆け寄り、街の様子を見下ろす。

そこに広がっていたのは

つい先刻まで祝祭に包まれていた光景ではなかった。


炎。崩れ落ちる建物。逃げ惑う国民たち。

魔界の軍勢が、黒い濁流のように王都へとなだれ込み、人々を無慈悲に蹂躙していた。


「うわああああっ!」

「助けて……誰か……!」


悲鳴と怒号が、こだまのように王宮まで届く。

街に配置されていた兵士たちも必死に応戦している。だが、戦力差はあまりにも明白だった。


次々と倒れていく兵。

踏み越えて進む魔界の兵。


その中心で。


ひときわ禍々しい気配を放つ存在が、宙へと舞い上がった。

漆黒の甲冑に身を包み、月を背に浮かぶその姿は、

まるで“夜そのもの”が形を得たかのようだった。


そして、その者は冷酷な声で命じる。


「選定者を探し出せ」


響き渡る命令。


「抹殺するのだ。

 虫一匹たりとも、見逃すな!!」


その瞬間、国王は全てを悟った。


「……来たか」


側近の兵が、震える声で訴える。


「陛下、このままでは……!」


国王は即座に振り返り、迷いのない声で命じた。


「セレナとニーナを、直ちに避難通路へ。

 少数精鋭で護衛をつけ、国の外へ脱出させろ」


一拍置いて、続ける。


「残った戦力で敵を迎え撃つ。私も、出るぞ!」


「陛下……!」


だが、命令は絶対だった。


兵士たちはセレナとニーナの元へ駆け寄り、

二人を急かすように避難通路へ導こうとする。


その時、


「……待ってください!」


ニーナが、兵士の腕を振りほどいた。


涙を浮かべ、必死に父へと駆け寄る。


「お父様……嫌です……!

 逃げるなら、家族みんなで……!

 お父様とお母様だけを置いていくなんて……そんな……!」


声は震え、言葉は途切れ途切れになる。


国王は、ゆっくりとニーナの前に立った。

その表情は、王としてではなく父としてのものだった。


「ニーナ」


静かに、しかしはっきりと言う。


「私は、お前の父であると同時に……この国の王だ」


燃え落ちる街を背に、続ける。


「今この瞬間も、国民たちが命を懸けて戦っている。

 その中で、私だけが逃げるわけにはいかない」


そして、わずかに微笑む。


「……分かってくれ」


「……っ……」


言葉を失ったニーナの前に、母のサラが歩み寄る。


「ニーナ」


いつもと変わらない、優しい声。

その声だけが、かろうじてニーナを現実に繋ぎ止めていた。


「お願い……生きて」


サラは、そっとニーナの頬に触れる。


「あなたたちが生き延びてくれる事が願いなの、私たちがあなた達の未来まで諦めるなんて出来ないわ」


「お母様……うっ……うぅ……」


ニーナは、その場に立ち尽くし、

ただ涙を流すことしかできなかった。


「姫様! 早くこちらへ!」


兵士の一人がニーナの腕を掴み、

強く引く。


引き離されながら、ニーナは振り返った。


そこに立つ、父と母。

炎に照らされながら、静かにこちらを見つめている二人。


国王は、最後に力強く言った。


「セレナ、ニーナ……

 私たちの元に生まれてきてくれて、ありがとう」


王妃は、涙を浮かべながらも、微笑んだ。


「あなたたちと過ごした十七年間……

 本当に、夢のように幸せだったわ」


轟音が鳴り響く中、その言葉がニーナに届いていたかはわからない。しかし、父と母の意思は確実に受け継がれた。


やがて、扉が閉ざされる。


最愛の娘たちの後ろ姿を見送り、

二人は、静かに振り返った。


その先には戦場と化した王都が広がっている。


「サラ……すまない」


燃え上がる街の光を背に、ラビンワートは小さく息を吐いた。

どこか自嘲気味な苦笑を浮かべながら、妻へと視線を向ける。


「本来なら、君にも避難してもらいたかった。

 ……王としてではなく、夫としてね、、、」


その言葉に、サラは一瞬だけ目を細め

そして、いつもと変わらぬ柔らかな笑みを浮かべた。


「ふふっ……大丈夫ですよ」


そっと胸に手を当て、静かに告げる。


「私は月紡<つきつむぎ>の巫女の末裔。

 そう簡単に、やられてしまうような身ではありませんわ」


一歩近づき、ラビンワートの隣に並ぶ。


「それに……」


サラは少しだけ照れたように微笑んだ。


「あなたと、最後まで一緒にいられること。

 それが、なによりですもの」


その言葉に、ラビンワートは一瞬だけ言葉を失いやがて、静かに笑った。


「……ありがとう」


短く、しかし深く。


そして、彼は前を向く。


「行こうか」


差し出されたその手を、サラは迷いなく取った。


「ええ」


二人は並んで歩き出す。

炎に包まれた王都へ

王として、巫女として、最愛の娘達の親として、

そして何より、夫婦として。


その背中には、恐れよりも

確かな覚悟と、揺るがぬ愛が宿っていた。


一方、

兵士に促されるまま、ニーナは避難通路を走っていた。


足は前へ進んでいるのに、

頭の中は過去へと引き戻されていく。


朝の食卓で交わした何気ない会話。

父の厳しくも優しい声。

母の微笑み。

姉と笑い合った、あまりにも当たり前だった日常。


それらが、浮かんでは泡のように、消えていく。


「……っ……」


視界は涙で滲み、前がよく見えない。

それでも、立ち止まることは許されなかった。


やがて避難通路は出口付近へと差しかかる。

その時、


「……セレナ様?」


先頭を進んでいた兵士が、声を潜めて立ち止まった。


ニーナが顔を上げると、

そこには物陰に身を潜め、外の様子を伺う姉、セレナの姿があった。

数名の兵士たちも、緊張した表情で周囲を警戒している。


「……お姉様!」


思わず声を上げかけた瞬間、

セレナは振り向き、素早くニーナを抱き寄せた。


「――シッ」


耳元で囁かれ、ニーナは息を呑む。


「お姉様……なにを……?」


答えは、言葉ではなく、

セレナが静かに指し示した、出口の先にあった。


外には、魔界の者たちが三、四人。

異様な気配を放ちながら、出口付近を徘徊している。


「……くっ」


兵士の一人が歯を食いしばり、セレナへ進み出た。


「ここまで追っ手が……。

 セレナ様、我々が囮になります。

 その隙に、ニーナ様と共に脱出を」


即座に、セレナが首を振った。


「ダメよ」


きっぱりと、迷いのない声。


「外の連中、見たでしょう?

 この人数じゃ、瞬く間にやられてしまうわ。

 あなたたちを無駄死にさせることは、

王女として断固反対です」


「しかし……!」


その場に、重い沈黙が落ちる。


やがて、セレナが静かに息を吸った。


「……仕方ないわね」


そして、決意を込めて告げる。


「私が、ニーナの囮になる」


「――っ!?」


兵士たちが一斉に息を呑む。


「忘れているみたいだけど、

 私はこの王国で一番の魔法の使い手よ。

 ニーナが逃げる時間くらい……

 私なら、稼げるわ」


「そんな……それだけは……!」


「それこそダメです!」

「セレナ様にそんな役目を!」


兵士たちが必死に止める。だが、セレナの意思は固かった。最愛の妹を守るという意思。

兵士達にも意志の固さが伝わる

「どうしてもというなら……

 我々も一緒に!」


その言葉に、セレナは微笑んだ。


「……みんな」


感謝と誇りを滲ませた笑み。


だが、、、


「嫌です!!」


ニーナが、涙声で叫んだ。


「お姉様も一緒に逃げてください!

 お父様とお母様に続いて……

 お姉様まで失うなんて……そんなの、絶対に嫌です!!」


泣き崩れるニーナを、

セレナは母と同じような

あまりにも優しい笑顔で抱きしめた。


「ニーナ……」


そして、静かに語り始める。


「あなたが生まれた日。

 月は、今日と同じように朱く染まったの」


ニーナの肩が、びくりと震える。


「お父様は、悩んだわ。朱月に生まれた子が、恐れられ、狙われるかもしれないって」


「だから……誕生日を……?」


「ええ」


セレナは、優しく頷く。


「家族と、ごく一部の人だけの秘密にしたの。

 あなたが、みんなに愛されるように」


兵士達も静かに耳を傾ける


「……私ね、あの夜はまだ幼くて、とても怖かったの」


セレナは、遠い記憶をなぞるように微笑んだ。

しかし、その声は不思議と震えていなかった。


「朱い月を見て、世界が壊れてしまうんじゃないかって…正直、泣きそうだったわ」


そっと、ニーナの手を握る。


「でもね」


一瞬だけ、声が明るくなる。


「それ以上に……

 もうすぐ、あなたに会えるって思ったら、

 胸がいっぱいになって……

 怖さなんて、全部吹き飛んじゃったの」


セレナは、はにかむように笑った。


「妹ができる。

 家族が、ひとり増える。

 それだけで、私は嬉しくて仕方なかったの」


声が、少しだけ震える。


「天使みたいに可愛いあなたが生まれてきて……

 一緒に笑って、泣いて、喧嘩して……

 その全部が、私の宝物」


「もし……もしも世界中があなたを恐れる日が来たら」


その瞳に、強い光が宿る。


「その時は

 私が、あなたを守る」


迷いはなかった。

誓いだった。


「どれだけ怖くても、

 どれだけ孤独でも、

 あなたが一人になることだけは、絶対にさせない」


そっと額を寄せ、囁く。


「……それが、

 姉として生きるってことだと思ったの」


セレナは、優しく、そして誇らしげに笑った。


「あの夜はね……

 私が“姉”になるって決めた夜でもあったのよ」


セレナは、にっこりと笑った。

その瞳には、すこし涙が浮かんでいた。


「ニーナって名前、私が考えたのよ。

 とっても可愛い名前でしょう?」


頬にそっと手を添え、囁く。


「私の妹になってくれて、ありがとう。

 あなたの姉でいられて……

 本当に、幸せだった」


「……お姉・・・様……」


「どんなことがあっても、生き延びて」


それでも、ニーナは首を振る。


「……一人じゃ……生きていけません……」


セレナは何も言わず、

ただ、優しくニーナの頭を撫で続けた。


やがて、ニーナが少し落ち着いたのを確認し、

セレナは兵士たちへ向き直る。


「皆さん」


その声は、凛としていた。


「私たちアルヴィン家に、最後まで仕えてくださり……ありがとうございます」


深々と、頭を下げる。


「我が父、アルヴィン王に代わり心より、感謝いたします」


その姿は、

いつもの明るい姉ではなく

一国を背負う“王女”そのものだった。


兵士たちは、堪えきれず涙を流す。


「セレナ様……」

「我々こそ……アルヴィン王家に仕えられた事心より誇りに思います」


セレナは、兵士たち一人ひとりの顔を、ゆっくりと見渡した。

その瞳には恐れも迷いもなく、ただ深い慈愛だけが宿っている。


「……ありがとう」


それぞれに向けて、優しく微笑みかける。

まるで、その笑顔だけで全てを包み込もうとするかのように。


そして、セレナは静かに胸の奥へ息を送り込んだ。

ひとつ、深く――運命を受け入れるための、覚悟の呼吸を。


「……それでは、行きましょう」


次の瞬間、

彼女は兵士たちと共に出口へと飛び出した。


魔界の者たちを引きつけ、

巧みに森の奥へと誘導していく。


その背中を、

ニーナはただ、涙ながらに見つめることしかできなかった。


そして、

胸の奥で、あの言葉が何度も響く。


生き延びて。


「……っ!」


気づいた時には、身体が動いていた。


涙を振り切り、

ニーナは無我夢中で走り出す。

父の、母の、姉の笑顔が脳裏から離れない。


遠くで、魔法の爆発音が響いた。


必死に、ただ必死に走り続け、

王族と一部の兵しか知らない隠れ家へと向かった。


その頃、


森の中では、

想像を絶する戦いが繰り広げられていた。


魔界の者たちは、あまりにも強かった。

精鋭の兵士たちが、次々と倒れていく。


それでも、セレナは立ち続けた。

最後の力を振り絞り、魔法を放ち続ける。


だが。


ついに、その身体は崩れ落ちる。


薄れていく意識の中で、

セレナの想いは、ただ一つ。


「……ニーナ……」


かすれた声で、祈る。


「……生き……延びて……

 神様……どうか……

 ニーナに……月のご加護……を……」


その声は、夜に溶け

静かに、消えた。


セレナが戦場に倒れた、その頃

ニーナは、奇跡的に隠れ家へと辿り着いていた。


薄暗い部屋の片隅。

小さく身を縮め、ニーナはただ震えていた。


(どうして……どうして、私だけ……)


頭の中では、後悔と無念が絡まり合い、終わりのない渦となって回り続ける。

時間の感覚はとうに失われていた。

どれほどの時が流れたのかさえ、分からない。


やがて

外の喧騒は嘘のように消え、辺りは不気味なほどの静けさに包まれていた。


コンコン。


微かなノックの音に、ニーナの身体が跳ねる。


「……っ」


「姫様。おられますか。私です、エルドでございます」


その声に、はっと我に返る。

恐る恐る窓から外を覗くと、隠れ家の前には老兵士エルドと、数名の若い兵士たちが周囲を警戒しながら立っていた。


その姿を目にした瞬間

張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れた。


「……じぃや……!」


ニーナは扉を開け、堪えきれず飛び出した。

エルドの胸元に顔を埋め、声を押し殺すこともできず泣きじゃくる。


「お父様も……お母様も……それに、お姉様まで……っ……!」


言葉は嗚咽に変わり、最後まで紡げない。


「……姫様……」


エルドは、悔しさと無念を噛みしめながら、ただ優しくニーナの背を撫で続けた。

他の兵士たちも、唇を噛み、視線を伏せている。


「姫様が……生きておられただけで……この老骨が、どれほど救われたか……」


エルドは静かに語った。

遠征に出ていて戦火を逃れたこと、帰還の途中で異変に気づいたこと。

そして、炎に包まれ、蹂躙された王国の惨状を――

倒れ伏す兵士から、ニーナが避難通路を通って逃げたと聞いたことを。


すべてを、ゆっくり、分かりやすく。


「姫様……ここに長居はできません。より安全な場所へ参りましょう」


そう言うと、エルドはニーナを自らの馬に乗せ、すぐに駆け出した。


揺れる馬上で、ニーナはエルドの背中に顔を埋める。

伝わる温もりが、逆に胸を締めつけた。


(ああ……生きてる……)


そう実感するほどに、失ったものの重さが、容赦なく押し寄せる。


やがて


「姫様。着きました」


そこは、ニーナが幼い頃から何度も訪れた場所。

幼なじみ、ユキネ・カグラの実家――輝道剣術流宗家の屋敷だった。


馬から降りた、その瞬間。


「ニーナ!!」


家の中から飛び出してきた影が、勢いよく抱きついてくる。

ユキネだった。


「よかった……無事で……!本当に・・・・よかった・・・」


ぽたり、と。

ニーナの頬に落ちた雫、それは、ユキネの涙だった。


静かに、しかし確かに流れる涙。

ニーナはそれを感じ取った瞬間、再び胸の奥が崩れ落ちた。


「ユキネ……私……もう……何も……」


声が震える。


「お父様も……お母様も……お姉様も……みんな……いなくなっちゃった……」


身体は無事。

けれど心は、粉々だった。


いつも笑顔で、誰かを気遣っていた第二王女は、もうそこにはいない。

ただ、すべてを失い、力なく(すが)る一人の少女がいるだけだった。


その姿に、ユキネの胸は張り裂けそうになる。


強く、強く、ニーナを抱きしめ

そして、低く、震える声で告げた。


「……ニーナを苦しめる者は、誰であろうと許さない」


顔を上げ、揺るぎない瞳で続ける。


「私は、あなたの刃になる。

あなたに降りかかる哀しみは・・・私がすべて、切り払う」


それは誓いだった。

少女が、少女のために立てた、魂の誓約。


この夜

ニーナとユキネの運命は、静かに、しかし確かに、重なり合ったのだった。


この日、

地上で最も幸福と謳われた国、アルヴィン王国は、

たった一夜のうちに、あっけなく崩れ落ちた。


朱く染まった月の下、

人々の笑顔も、灯りも、祈りさえも、すべてが炎に飲み込まれていく。


そしてその崩壊は、決して一国だけの悲劇では終わらなかった。


アルヴィン王国消滅の報せは、

風よりも速く、闇よりも深く、世界中へと駆け巡っていく。


それは、

神話が再び動き出したことを告げる、最初の鐘の音でもあった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


この章では、

「失われたもの」と「残された想い」を描きました。

悲しみの先に、物語は続いていきます。


次のお話から、

ニーナは歩き出します。

よろしければ、引き続きお付き合いください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ