冬の訪問者
綾音さんと結婚して、およそ一か月が経過した。もともと半同棲生活を送っていたおかげもあって、揉め事もなく穏やかな暮らしを過ごしている。
綾音さんの作った朝ごはんを食べて、大学に行って、帰ってきたら晩御飯を食べて。お風呂に入ったら互いに背中を流して、二人で抱き合ってポカポカの布団で眠る。劇的な出来事なんてないけれど、むしろこの方が幸せだと思う。
「ふわあ……」
今日は二月に入って最初の日曜日。綾音さんが朝から出かけているので、俺は一人でこたつに入って茶を飲んでいる。暦の上ではもうすぐ立春だけど、仙台ではまだまだ寒い日が続いていた。
「……ん?」
電熱線の温かみに癒されていると、遠くからエンジン音が聞こえてきた。綾音さんの車じゃないし……他の部屋の人かな。でも、こんな音は聞き覚えがな――
「こんちはーっ、はじめましてーっ!!!」
「!!!?!!?!?」
さっ、寒い!!? 窓が勝手に開いた!? なんで!? っていうか……窓にバイクが横付けされてる!? 本当に何が起こったんだ!?
なんだか既視感のある出来事に動揺しつつも、俺は慌ててこたつから出た。急いで窓辺まで歩いていくと、ヘルメットを被ってサングラスをかけた男がバイクに乗っている。
「よっ……と!」
男がヘルメットを脱ぐと、短めの黒髪が姿を現した。いわゆる革ジャンというのを身にまとっており、全体的に見た目がいかつい。でも、この顔……誰かに似ている気がする。
「あの……どちら様でしょうか?」
「ああ、すまない! 驚かせたかな、義弟よ!」
「お、おとうと……?」
ニッと白い歯を見せる男。そうだ、この顔……綾音さんに似ているんだ。ってことは、もしかして――
「あ、綾音さんのお兄さんですか……!?」
「そう! 袖崎綾人っていうんだ、よろしく!」
山形の家に挨拶に行ったとき、家族の中で唯一お会い出来なかったのがこのお義兄さんだ。そんな人が、どうして……わざわざ仙台に?
「と……とりあえず、お茶でも飲まれますか?」
「おっ、さすが気が利くな! ありがとよ!」
突然押しかけるところは兄譲りだったんだな、なんて変に納得しつつ……俺はお義兄さんを家に招き入れたのだった。
***
「どうぞ、粗茶ですが」
「いやあ、サンキュー! 寒くて死ぬかと思ったんだよ!」
「は、はあ……」
「いっただきまーす!」
ほうじ茶の入った湯呑を手渡すと、お義兄さんは一気に傾けて飲み干してしまった。まるで乾杯のビールでも飲んでいるみたいだな……。
「ぷはーっ! 生き返るな~っ!」
「あの」
「なんだい!?」
「きょ、今日はどうしていらしたんですか……?」
そう問いかけると、お義兄さんはきょとんとした表情を見せた。しかしすぐにサングラスを軽く傾けると、再びニッとほほ笑む。
「自分の義弟がどんな奴か気になってな! 大晦日に山形まで来てたんだろう?」
「あ、はい」
「あのクソ親父を説き伏せたって聞いたもんでな! いやあ、よくやったぞ義弟よ!」
「は、はあ……」
斜め前に座ったお義兄さんが、力強く俺の頭を撫でてきた。髪の毛がわしわしとかき混ぜられ、なんとも不思議な気分になる。あまりお義父さんと反りが合わないと聞いていたけど……やっぱり本当みたいだな。
「どうだ? 綾音とはうまくやってるか?」
「ええ。おかげさまで」
「そうか~! いやね、俺も心配してたんだよ。親父のせいで行き遅れるんじゃないかって……あっ、お茶もう一杯もらえるかい?」
「もちろん」
急須の蓋を取り、魔法瓶からお湯を注ぐ。しかしこの人、ただ俺に会うためだけに来たんだろうか? 山形からわざわざバイクに乗ってまで……もしかして、他に何か目的があるのかな。
そういえば、綾音さんとこの人は結構年が離れているんだったよな。お義兄さんから見て、綾音さんはどんな妹だったんだろう。ほうじ茶の入った湯呑を差し出しながら、問いかけてみる。
「あの、お聞きしてもいいですか」
「ん?」
「昔の綾音さんって、どんな感じだったんですか」
「……」
さっきまで愉快に笑っていたお義兄さんの表情が、急に険しくなった。湯呑に口をつけながら、厳かに口を開く。
「……昔のことは聞いてるんだろ?」
「ええ、ざっくりとは」
「まあ、可哀想な子だったよ。アイツは詳しく話したがらないんだけどな」
「……」
「俺と綾音は十個くらい離れてるんだよ。アイツがまだ小学校低学年の頃は……俺が側にいてやれたんだけどな」
「というと?」
「俺は東京の大学に行かされたんだよ。綾音が心配だから山形に残るって言ったのに、あのクソ親父がうるさくてな」
「なるほど……」
綾音さんが特に苛烈ないじめを受けていた頃、お義兄さんは東京にいて寄り添うことが出来なかったということか。お義父さんとの間にわだかまりがあるのもそれが一因というわけか。
「まあ、東京でいろいろ勉強させてもらったからな。悪いことばかりじゃなかったけどよ」
「綾音さんと仲は良かったんですか?」
「んー……まあ、歳は離れてるから。仲が良いっていうよりは、俺が世話するって感じだったかな」
「へえ……」
「昔は俺がアイツに飯を作ってやったんだよ。今じゃ考えられねえよな」
昔を懐かしむように、お義兄さんが目を細めた。たしかに、ちょっと意外かもしれない。俺はいつも綾音さんにご飯を作ってもらっているからな……。
「だからな、綾音には悪かったと思ってるんだ。あんまり良い兄貴じゃなかったと思ってよ」
「いえっ、そんなことは」
「いいんだ、気にしないでくれ。日向くんみたいな良い旦那と一緒になって安心したよ」
「そんな、恐縮です」
「じゃ、俺は帰るから。綾音によろしくな!」
「へっ?」
俺が驚く間もなく、お義兄さんはこたつから出て立ち上がった。スタスタと玄関に向かって歩き始めたので、慌てて引き止める。
「あっ、綾音さんには会っていかないんですか!?」
「いいよいいよ、煙たがられるから。妹からしたら兄貴なんて邪魔者だよ」
「いえっ、でも……!」
せっかく家まで来てもらったのに、このまま帰らせるのは申し訳ない。綾音さんだって、お義兄さんが来たと聞いたらきっと喜ぶ――
「ただいま帰りましたー!」
「あっ、綾音さん!」
と、その時だった。玄関の扉がガチャリと開く音がしたので、慌てて廊下を駆け出していく。よかった、ナイスタイミング……!
「お帰りなさい、綾音さ――」
「日向さん、ちゅ~~っ!」
「!?」
扉が開いた瞬間、綾音さんが飛び込んできて――気づいたときには、頬に熱い口づけをされていた。そうだ、この人がこういう人だということを忘れていた! でも、今それは流石にまず――
「お~綾音、日向くんと仲が良くていいなあ」
「おおおおおおおお兄ちゃんっ!!?!!?」
「ぐへえっ!!!?」
つっ、突き飛ばされた!? 新婚一か月の旦那にこんな仕打ちが出来るなんて、流石は綾音さんだな……!!
「あっ、ごめんなさい日向さんっ!! わざとじゃないんですっ!!」
「いっ、いいですけど……」
「綾音~、今どきそんなことしたらDVで訴えられるぞ~?」
「だからなんでいるのお兄ちゃんっ!?」
ニヤニヤと笑うお義兄さんに対して、綾音さんは顔を真っ赤にしていた。帰ってきたら兄がいた……なんて、そりゃ驚くよなあ。
「いやなに、ちょっと日向くんと話がしてみたかったんだ。いい話が出来たよ」
「お兄ちゃん、何を話したの……?」
「いや、大した話はしてないけどよ。お前が小一の頃、俺の布団でおねしょした話とか」
「わーっ、そんなこと言っちゃだめっ! お兄ちゃんのせいで離婚されたらどうするの!?」
う~ん、こうしてみるとなんだか平均的な兄妹にしか見えないな。いくら資産家の家でも、家族仲ってものは普通と変わらないのかもしれないな。
「も~っ、本当に何しに来たのよ……!」
「そんなに邪険にするなって。結婚祝いも持ってきたからよ」
「結婚祝い?」
首をかしげる綾音さんに対して、お義兄さんが居間の窓の方を指さした。結婚祝いって、まさか――
「あのバイク! お前、欲しがってただろ?」
「えーっ、いいの!? 本当に!?」
綾音さんの表情が変わった!? そんなに良いバイクだったのか……。
「お義兄さん、どういうことですか?」
「いやあ、前々から欲しい欲しいって言われたんだけどな。コイツの運転が危なっかしいからよ」
「そっ、そんなことないもん!」
「綾音さん、嘘はよくないですよ」
「日向さん!?」
スキーに行ったときに、綾音さんの運転で酷い目に遭わされたからな……。
「でもまあ、お前も結婚したことだし。もう無茶な運転はしないと思ってな」
「それは……うん。私、日向さんを一人にしたりしないから」
「そうか、なら安心だな」
「ちょっ……子ども扱いしないでよー!」
お義兄さんは綾音さんの頭をポンと叩いて、ハハハと笑った。そうか、この人はわざわざ結婚祝いを届けに来てくれたんだな。大晦日、お義兄さんに会えなかったのが少しだけ心残りだったけど……話せてよかった。
「じゃあな、二人とも。綾音、日向くんを泣かせるなよ」
「分かってるってば。もー、今度は来る前に連絡してよ」
「あはは、悪かったな。日向くんも、うちの愚妹をよろしくな」
「いえ、とんでもないです。すいません、何のお構いもせず」
靴を履いて、お義兄さんは玄関の扉を開けた。そしてまたサングラスを傾け、俺たちに目を見せて……一言。
「二人とも、幸せになれよ」
去り際に見せたその笑顔は――やっぱり、綾音さんと似ていたのだった。
お兄さんの話を書いていなかったので、番外編として執筆しました。
気に入っていただければ嬉しいです。




