第36話 ラスボス登場
綾音さんが俺の隣に寄り添って、手を繋いでくれたのと同時に……勢いよく襖が開いた。高級そうな和服を身にまとい、あごに白い髭をたくわえた大柄な男が姿を現す。言われずとも直感で分かった。この人こそ、袖崎家の当主なんだと。
すなわち、綾音さんの父親なんだ……と。
「綾音」
「……はい」
父親は鋭い視線で綾音さんのことを睨みつける。重く、そして迫力のある低い声。娘――すなわち綾音さん――の年齢を考えると老けて見えるけど、それが当主としての威厳を引き立てているようにも思えた。
「聞いたぞ。婚約者が来ているそうだな」
「はい。この方が」
「……貴様か?」
「!」
今度は俺に視線を向けてきたので、慌てて姿勢を正す。床にこすりつける勢いで頭を下げて、大きな声で挨拶をした。
「お初にお目にかかります! 春木場日向と申します! 娘さんとの結婚をお許しいただきたく、参りました!」
「……ふむ、そうか。随分と若いようだが、年齢は?」
「二十一歳です! 森宮大学理学部の第三学年に所属しています!」
ここはほとんどアウェーなんだ、誤魔化しなんて利くはずがない。正直に、包み隠さず全てを答えるしかない。俺に残された選択肢は……真正面からぶつかることだけなんだ。
「頭を上げなさい。……綾音、どういうことなんだ」
「えっと……」
顔を上げて左隣を見ると、綾音さんは言葉に詰まっていた。俺はしっかりと手を握り返して、鼓舞してあげる。
「一か月前から、お付き合いというか……一緒に過ごしていました」
「そんなことは知っている」
「えっ?」
「この頃、お前が朝早くから外出していたのは知っている。どこに行っていたかも」
「じゃあ……」
父親は再び俺の顔をじっと見た。突き刺すような厳しい眼光に、思わずたじろいでしまいそうになる。綾音さんが言った通り、たしかに鬼じゃない。むしろ、冷酷な――
「その者との結婚は認めない。これで話は終わりだ」
「そんな、お父さん……!」
背中を向けて歩き出す父親に、綾音さんが必死に追いすがる。そうか、考えてみれば当たり前か。娘が俺の住所を容易く特定してしまったように……父親もまた、俺の正体を簡単に突き止めてしまったのだろう。俺に両親がいないことも把握していると考えるのが妥当か。
「待ってください!」
気付いた時には、その場に立ち上がって父親のことを呼び止めていた。こうなることは分かっていた。綾音さんの親に認めてもらえない限り、結婚なんて出来はしない。だったら認めてもらうしかないんだと、その覚悟でここに来ているんだ。
「何か? 私は客人のところに戻らなければならないのだが」
「どうして許していただけないのですか」
「言わなければ理解出来ないのか?」
「はい。未熟者ゆえ」
「……」
父親は腕を組んだまま、廊下に踏み出そうとしていた足を引っ込めた。改めて俺たちに向き直って、口を開く。
「貴様も分かっているだろう。袖崎の娘を嫁にとることの意味を」
「十分理解しています。そのうえで、結婚をお許しいただきたいんです」
「……森宮大は優秀な大学だと思っていたがな」
呆れるようなため息。両親のことを抜きにしたって、俺は何の取り柄もないただの学生。こんな資産家の娘と結婚するには、何もかも足りない。そんな当たり前のことは俺自身が一番理解している。
「貴様はまだ学生だろう。生計の途もない人間を娘と結婚させることは出来ない」
「お父さん、お金は私が」
「お前は個人事業主だ。あまり無責任なことを言うな」
「でも――」
「こんな若者を路頭に迷わせる人間に育てたつもりはない。袖崎家の長女たる自覚を持て」
「……はい」
意外だった。この人は「どこぞの馬の骨」であるはずの俺の生活まで案じてくれているのか。てっきり追い返されるだけかと思っていたのに、驚いた。
「……それだけですか」
「なんだ?」
「認めていただけない理由は、お金のことだけなんですか」
俺が問いかけると、正座したままの綾音さんが不安そうな視線を向けてきた。父親は再びため息を吐いて、ゆっくりと……口を開く。
「結婚というのは本人だけのものではない。家と家の結びつきでもある」
「何を仰りたいのですか」
「貴様の家については調べさせてもらった。娘を嫁に出すに足る家ではない」
「お父さん、あんまり失礼なことを――」
「お前の将来を案じているのだ。余計な口を出すな」
「で、でもっ!」
「私が話している相手はこの若者だ。お前ではない」
「……はい」
普段はあれだけエネルギッシュな綾音さんでも、この父親の前では黙るしかないみたいだ。正直……やりにくい。頭ごなしに怒鳴られた方がよっぽどマシだった。このままだと正論で押しつぶされてしまう。
「僕の家では娘さんを迎えるのに十分でないということですか」
「さっきからそう言っている。しかも貴様はみなしごなのだろう」
「お、お父さん!」
「前にも言ったはずだ。育ちも分からぬ男と結婚するなど、袖崎の名が許さないと」
「私だってもう大人ですっ! 結婚相手くらい、勝手に――」
「こんな年下の若造を誑かすのが大人なのか?」
「誑かすって、そんな……」
「春木場といったか。うちの娘に何を言われたか知らないが、その年で結婚など考えなくとも良いだろう。今は勉学に集中すべき時ではないのか」
「……は、はあ」
味方なんだか敵なんだか分からない人だな……。でも、やっぱり綾音さんの親なんだなとも感じる。俺のことを一人の人間として見てくれているし、将来を心配してくれてもいる。根っからの悪人ではないし、むしろ良い人だと感じる。
だけど、引き下がるわけにもいかない。さっきの身の上話を聞いてしまったら、ここで諦めることなど選択肢に入るわけがないんだ。綾音さんはずっと待っている。自らの夢を叶えてくれる存在が現れることを、ずっと待ち続けている。
だったら――俺が、その存在になればいいんだ。
「つまり、僕の両親のことと……これからの将来がご心配なんですね」
「そうだ。だから結婚など認めないと言っている」
「分かりました。ひとつ、お見せしたいものがあるのですが」
「なんだ?」
しゃがみこみ、近くに置いてあった小さな箱を手に取った。そして父親の前にそっと示す。
「綾音さんのために用意させていただいた、婚約指輪です」
「!!」
側で話を聞いていた綾音さんが、ビクっと反応した。照れ臭いのか、みるみる顔が赤くなっていく。可愛い。
「それがどうしたと言うのだ。結婚を考えているのであれば当たり前だろう」
「先ほど、僕に収入がないことを気にされているようでしたので」
「何の関係がある?」
「昔は『給料三か月分』とも言ったようですが。つまり、婚約指輪は夫婦の資産を象徴するものと考えることも出来るかと」
「……何が言いたい?」
父親はキッと俺のことを睨みつけた。俺の両親はたくさんのものを遺してくれた。今思えば、今日という日のためだったのかもしれない。綾音さんとの結婚を認めてもらうために……両親が命を懸けて背中を押してくれたんだと、俺は思う。
「綾音さん、どうぞ立ってください」
「へっ?」
「貴様、何を――」
「結婚をお許しいただくため、無い知恵を絞りました。どうか見守っていただけませんか」
綾音さんが立ち上がるのと同時に、俺はすっと跪いた。父親は怪訝な顔で俺たちのことを見ている。
「綾音さん、さっきはお話を聞かせてくれてありがとうございました。お気持ち、大切に受け取りました」
「ひゅ、ひゅーがさん……」
「……」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、父親も黙り込んで俺たちのことを見守っていた。ご両親に結婚を認めてもらうには、愛とか気持ちとか曖昧な言葉だけじゃ足りないような気がした。二人で幸せに寄り添っていく未来を示さなければ、許しを得ることは出来ないと思っていた。
だから、俺は敢えて「形」にしたんだ。綾音さんと苦楽を共にする覚悟でいること。俺の両親は立派な人間だったということ。何より――俺が人生を懸けて、本気で結婚を考えていることを。
手に乗せていた箱をゆっくりと開くと、綾音さんが両手で顔を覆った。全てを理解したのか、泣き崩れるように俯く。
「ばかっ、なんで……!」
「僕はあなたを愛しています。だから――」
出会ってから一か月。本当に幸せな日々だった。これがずっと続くなら、どれだけ良いことかと思っていた。だから……今までの感謝と未来への希望を紡いで、精一杯の返事とした。
――袖崎綾音さん、結婚してください。
窓の外から、優しく陽の光が差し込んでいた。




