第31話 第一関門
タクシーは山形の市街地を抜け、雪に覆われた田園の中を走っていく。どこまで行くのかと少し不安になる頃、遠くの方に大きなお屋敷が見えてきた。事前にネットで調べた画像と同じ……袖崎家の本家だった。
白い塀の向こうに、木造の豪邸が見える。近くの空き地には多くの高級車が停められていて、ときおり人が出入りしている。大晦日ということもあって、多くの客人が来ているみたいだ。
「お客さん、正面で?」
「はい。それでお願いします」
運転手はゆっくりとスピードを落としていき、お屋敷の門の前に車を停めた。運賃を払おうとポケットの財布に手を伸ばした瞬間、ドアが開いた。
「はい、お忘れ物の無いように」
「お金払ってないですけど……」
「お屋敷を訪れる方のお代は、袖崎様からまとめていただいていますから」
「えっ!?」
信じられない。自宅にやってくる客人のタクシー代を全て払っているのか。金持ちのエピソードは多々あれど、そんな気前の良い話は滅多に聞かない。
「じゃ、どうもでした……」
「はい、またよろしくお願いしますねー」
額縁とリュックサックを抱えて地面に降り立ち、去っていくタクシーを呆然と見送った。世の中にはいろいろな家があるなあ……。
さて、ここからが肝心だ。見物に来たわけじゃないのだから、お屋敷の中に入れてもらわなければ始まらない。
「……」
しかし――威圧感のある門だな。思わず見上げてしまう。まるで武家屋敷のような、木で出来た大きな門。ドアノブが壊れかけている我が家の玄関とはえらい違いだ。
少なくとも近くには誰もいないみたいだし、呼び鈴とかないのかな。こんなお屋敷に「ピンポーン」なんてアンマッチが過ぎるか。でも、勝手に入るわけにも――
『どちら様でございましょう?』
「!?」
どこからともなく女性の声が聞こえて、慌てふためく。周りに人影なんてなかったのに、いったい誰が喋ってるんだ!?
『恐れ入りますが、マイクにお名前をちょうだいしたく存じます』
「あ、ああ!」
よくよく耳を澄ませてみると、門に埋め込まれるようにしてスピーカーとマイクが備え付けられていることに気がついた。きっと監視カメラかなんかで門の前を見張っていて、来客があったらすぐに対応出来るようにしているのだろう。
「は、春木場日向と申します」
『春木場……失礼ですが、企業名をおっしゃっていただけますか』
「いえ、企業とかじゃなくて……その……」
『個人の方でいらっしゃいますか?』
「あ、はい! そうです!」
『……』
スピーカーから何も聞こえなくなった。恐らく、春木場という名字を何らかのリストと照合しているのかな。相当な資産家だろうし、こうでもしないと親交のある人間を全て管理するのはまず不可能だろうしな。
『恐れ入りますが、お約束はいただいておりますでしょうか』
「すいません、そういうのは無いんですけど……」
約束しようがなかったし。
『あいにくですが、旦那様は対応出来かねます。大晦日の集まりがございますので』
「えっと、そうじゃなくて」
『はい?』
恐らく、向こうの人は俺が当主に用があると思っているのだろう。だが実際は違う。俺が会いたいのは――綾音さんだ。
「袖崎綾音さんにお会いしたいんですけど」
『……綾音様とはどのようなご関係で?』
よかった、やっぱり綾音さんの住所はここで合ってたんだな。しかし……どのようなご関係、と言われてもな。ネッ友と言えば怪しまれるし、恋人ですと言うのもまた違う。となれば――正直に答えるしかない!
「婚約者です」
『こ、婚約者? 何をおっしゃって……?』
今まで淡々と答えていた女性が、初めて動揺したような気がした。そりゃそうだろう。恐らく、綾音さんは箱入り娘として大事に大事に育てられてきたはず。いきなり婚約者と名乗る男が現れたら驚くに決まっている。
「どうか綾音さんに会わせていただけませんか」
『婚約されたという話は聞いておりませぬが……』
「いえ、嘘じゃないんです。本人に確かめてみてください」
『あ、綾音様が勝手に婚約などするはずがございません! お引き取り願います!』
やっぱり信じてもらえないよな。だけど慌てることはない。こうなることは予想していたのだし、策も用意してきたんだ。
「これ、ご覧いただけますか?」
『何を……』
門の上に監視カメラが取り付けられているのを見つけたので、そちらに向かって風呂敷に包まれた額縁を掲げる。こんなに大きい物だったら、向こうにもはっきりと見えているだろう。
「綾音さんが書いた婚姻届です。必要とあらば中身をお見せします」
『なんてこと……』
「自分は婚約者として綾音さんに会いに参りました。通していただけませんか」
『……』
しばらく沈黙の時間が流れたあと、プツッという音が聞こえてくる。通話を切られてしまったみたいだな。ここまで来て門前払いは勘弁願いたいけど、果たして……。
「!」
その時、門が動き出した。木が軋むような音が聞こえてくる中、お屋敷の全貌が徐々に見えてくる。あまりの迫力に立ち尽くしていると……向こうの方から、割烹着を身にまとった白髪混じりの女性が歩いてきた。
「えっと……」
「中へお入りください。門が閉まりますから」
慌てて敷地内に足を踏み入れた。周りの庭は白く覆われているけど、女性が歩いているお屋敷からの一本道はきっちりと除雪されている。
「春木場様、でございますね?」
「は、はい!」
「こちらにおいでください。ご案内いたします」
女性に導かれるまま、歩き出す。ふと周りを見回してみると、歴史の教科書で見たような灯篭に、凍り付いた広い池、そして太い幹を備えた大木。今まで見たことのない大豪邸に、ついつい心臓の動きが速くなる。
「ん?」
屋敷に入るのかと思ったら、玄関の前で女性が曲がった。木々に挟まれた細い通路の方に進んでいくので、慌ててついていく。
「あの、どちらへ」
そう尋ねると、女性がこちらに振り向いた。しかしすぐさま前を向いて歩き出し、一言。
「母屋では旦那様が他のお客様をお相手しておりますので。綾音様の部屋へ直接ご案内いたします」
綾音さんに会える。そう確信した俺は、震えが止まらなかった。




