第30話 決戦、山形市
『間もなく北山形です。左沢線にお乗り換えのお客様は……』
俺が乗っている列車は、既に山形駅まで数駅のところまで迫っていた。帰省客だろうか、向かいの席には肩を寄せ合って寝ている母娘。網棚の上には小さなピンク色のリュックとスーツケース、そして……風呂敷に包まれた額縁。
「……」
車窓に広がる雪景色を眺めながら、この数日間を振り返ってみる。一昨日、綾音さんの住所と本名を特定した。昨日、必死に各所を巡り……なんとか結婚を認めてもらえるように秘策を準備した。そして今、スーツ姿で列車に揺られているというわけだ。
初めて会った日、綾音さんは「大晦日までに」結婚するかどうかを決めてほしいと言っていた。その時は深く追求しなかったけど、もしかすれば今年中に結婚しなければならない理由があるのかもしれない。となると、決行するには今日しかなかった。
「……」
自分のリュックサックを大事に大事に抱え込む。額縁はともかく、こればかりは網棚の上には置いておけない。この中には――ご両親に結婚を認めてもらうための、最後の切り札が入っているんだからな。
「ん」
山形新幹線のつばさ号とすれ違った。これも山形らしい景色だな。隣県とはいっても、あまり来る機会はなかったし。もし、もしも駄目だったら……その時は美味しい店を調べて、年越しそばでも食べるとしようか。山形名物だしな。
決してネガティブなんじゃない。むしろ、俺の心はどこかワクワクしていた。「娘さんをください」なんて、人生で一度あるかないかの大仕事なんだ。どうせならド派手にやってやろうじゃないか、そんな気概すらあった。
『……ご乗車ありがとうございました、山形に到着です。皆様、良いお年をお過ごしください』
車掌のアナウンスが流れて、目の前の母娘が席を立った。おっと、こうしちゃいられない。慌てて腰を上げ、網棚に手を伸ばす。
「荷物、自分が取りますよ」
「あっ、すいません」
母親を制して、スーツケースとピンクのリュックを下ろしてあげた。母親の方はぺこぺこと頭を下げていたが、娘の方はぽかんとして俺の顔を見上げていた。
「はい、リュックどうぞ」
「……」
「ほら、ありがとうは?」
「あ、ありがとう……」
人見知りなのか、娘の方は小声で挨拶をするとすぐに目をそらしてしまった。まだ二歳か三歳かな、可愛い頃だな。なんて考えつつ、最後に自分の額縁を下ろしていると――母親に抱っこされた娘の方が、じいっと俺の方を見てきた。
「ねえ、それなに?」
「こ、こら!」
額縁に手を伸ばそうとする娘を、母親の方が必死に止めていた。そりゃ気になるよな、こんなデカい風呂敷包みがあったらさ。
「大丈夫ですよ。これはね……婚姻届って言うの」
「なにそれ?」
「分かんないよね。結婚するのに必要な紙、かな」
「ふーん……」
聞いといてあんまり興味ないんかい。でもまあ、小さい子どもっていうのはこういうもんだよな。……ってあれ、お母さんの方が大口開けてびっくりしてる。
「ど、どうかしました?」
「ここここ、婚姻届なんですか!? それが!?」
「ええとまあ、事情がありまして。その……今から相手のご両親に挨拶を」
「あっ、それでスーツを着ていらしたんですね! なるほど……」
なんだか昔を懐かしむような目で、母親はじっと俺の額縁を見ていた。おっと、いい加減に電車を降りないと。俺たちは一緒にホームに降り立ち、こ線橋に向かった。
***
「すいません、スーツケースまで運んでいただいて……」
「いいんです。娘さんを抱っこされてて大変でしょうから」
旦那さんが母娘を迎えに来るらしいので、西口の駐車場まで付き添ってあげた。ここの近くにある乗り場でタクシーを拾うつもりだったから、ちょうどよかった。
「それじゃあ、自分はここで。良いお年を」
「タクシーに乗られるんだったら、うちの車で――」
「いえいえ、大丈夫ですよ。荷物も多いですし」
「すいません、何のお礼もせず……」
母親は深々と頭を下げるばかりだった。お礼……か。ひとつ、気になることがあるな。
「お礼は大丈夫ですので、その代わりに聞きたいことがあるんですけど」
「なんでしょう?」
「……娘の結婚相手と会うって、親御さんからしたらどんな気分なんですか」
質問の意図を理解したのか、母親の表情が変わった。対照的に、腕に抱かれた娘の方はきょとんとして俺の顔を見ている。
「この子は小さいから、私にもまだ分からないですけど。きっと……不安だと思います」
「不安?」
「子どもを育てるって、結構大変なんです。ちょっと風邪ひいただけでもすっごく心配しちゃうし」
「はい」
「手塩にかけて……一生懸命に育てた子どもには、ちゃんと幸せに暮らしてほしいじゃないですか」
「そう……ですよね」
「だから、やっぱり不安だと思います。うちの娘を不幸にしないだろうかーって」
母親は穏やかな笑みを浮かべて、娘をあやしていた。不安、か。綾音さんのご両親もそうなんだろうか。
「でも……」
「はい?」
顔を上げないまま、母親がさらに口を開いた。まるで俺を勇気づけるように、話を続ける。
「あなたは大丈夫ですよ。きっと相手のご両親も認めてくれます」
「でも、別に……」
「なんだか分からないですけど、そんな気がします。ごめんなさい、全然何も知らないのに」
ついさっき会ったばかりなのに、そこまで言ってくれるなんて思わなかった。状況が厳しいことには変わりないけど、それでも元気の出る言葉だった。
「すいません、変なことをお聞きして。ありがとうございました」
「頑張ってくださいね。応援してますから」
「おにいさん、ばいば~い」
母娘に手を振って、駐車場をあとにした。タクシー乗り場に向かおうとしたところ、通りの向こうから流しのタクシーがやってくるのが見えた。俺がスッと手を上げると、ウインカーを光らせてこちらに寄ってくる。
「はい、どうぞ~」
車が止まると、運転手が扉を開けてくれた。俺は最後に身の回り品を確認する。リュックサックに額縁、両方持っているし忘れ物はないな。よしっ!
「すいません、お願いします」
後部座席に乗り込み、空いた席に荷物を置いた。住所を書いたメモ書きは用意してあるし、これを渡せば綾音さんの家に連れていってくれるはず。けど……少し試してみたいことがある。
「どちらまで?」
「袖崎家の本家まで……って、分かりますか」
その瞬間、運転手が黙り込んだ。無言でメーターのスイッチを入れて、無線機を手に取る。
「こちら三号車、社長のご実家まで」
――身が引き締まる思いだった。袖崎という名が、この地でどんな意味を持つのか……分からされたような気がしたのだ。きっと、このタクシー会社も袖崎家の関連企業なんだろう。
「じゃ、出発しますから。シートベルトだけ着けておいてくださいね」
「は、はい」
どこか浮かれていた部分もあったけど、そんな気分はあっという間に吹き飛んでしまった。袖崎家の関係者はどこにでも潜んでいる。一挙手一投足まで見られているかもしれないと考えると、一瞬たりとも気は抜けない。
タクシーはゆっくりと走り出していく。ここまで来てしまえば後戻りは出来ない。もう一度綾音さんと会う。そして、ご両親に結婚の許しを請うのだ。
窓の外を見上げると、寒々とした山形の空が広がっていた。




