第26話 夢
『山形自動車道は事故のため通行止めとなっています。解除の見込みは今のところ……』
テレビから流れる交通情報を聴きながら、ひとりでこたつに入ってお茶を飲む。時刻はもう夜の十一時。いつもなら家に着いている頃だけど……雪も降っているみたいだし、帰るに帰れなくなっちゃったな。
ひゅーがさん、今ごろお友達と楽しく飲んでいるかな。以前、ボイスチャットで「大学にあまり友人がいないんです」とは言っていたけど。今思えば、お母様のこともあって遊んでいる時間がなかったんだろうな。
「……」
部屋をぐるりと見回してみる。最初にここに来たときから、少し違和感はあった。一人暮らしと聞いていたのに、部屋のあちこちに昔から住んでいた痕跡があったんだものね。でも、まさか……こんなことになるなんて。
「今泉ぃ、ここどこだぁ……?」
「あっ」
外からひゅーがさんの声が聞こえる。なんだか酔っぱらっているみたい。飲みすぎないようにって伝えたのになあ。……いや、こんな状況だったら飲みたくもなるか。
私はこたつを出て、玄関の方に歩き出す。とりあえずひゅーがさんをお迎えして、事情を話すことにしよう。ここに泊まるのは……ちょっとアレだし、私は街中のホテルにでも行くことにするかな。
玄関の扉の向こうから、ひゅーがさんの足音が聞こえてくる。あれ? なんだか二人いるみたい。もしかしてお友達に介抱されているのかな。こっちから扉を開けて、出迎えてあげた方がよさそう。
「お帰りなさい、ひゅーがさ――」
――そこにあったのは、華奢で可愛らしい女の子の肩を借りて、眠そうに俯いているひゅーがさんの姿だった。……まさか、私がいないと思って持ち帰ってきたの!? いやいやっ、そんな子じゃないよね。単に酔っぱらってるだけかな。
「あっ、あのっ、そのっ……!」
「へっ?」
「日向センパイ、本当にこんな人とっ……!」
ひゅーがさんの隣に顔を向けると、女の子が顔を真っ赤にして私の方を見ていた。先輩って呼んでるってことは、この子は後輩かな。もしかして、ひゅーがさんに「どうしても先輩に来てほしい」って言ってたのは……この子?
「あっ、あのっ! 日向センパイ、すごく酔ってるのでよろしくお願いします!」
「えっ、えっ?」
「じゃあ、失礼しますっ! センパイのばかあああああっ!」
「ちょっ、ちょっと!」
呼び止めようとしたのだけれど、女の子は私にひゅーがさんを預けて走り去ってしまった。呆然とそれを見送っていると……ひゅーがさんが顔を上げて、私のことをじっと見てくる。
「あれえ? 綾音さん、なんでいるんでしゅかあ~?」
「あの……山形道が通行止めになっちゃって」
「二車線だから仕方ないでしゅねえ~」
「それより、さっきの子は大丈夫なんですか?」
「ん? 大丈夫ですよお。高校の頃から懐いてるやつでねえ~、今日もすっごい飲まされて……」
「でもあの子、もしかして……」
「あはは、しゅべしゅべ~!」
「!?」
気付いた時には、両手でほっぺたを触られていた。それはそれは幸せそうな表情で、止めるに止められない。私が突然押しかけただけなのに、この子はずっと愛情を見せてくれていた。願ってもないことなのに……今となっては、どこか寂しく感じる。
「むにむに~。お餅みたいなほっぺたでしゅねえ~」
「ひゅーがさん、かなり酔ってるでしょ。お水とか飲みます?」
「飲む~!」
肩を貸しながら、二人で部屋に上がったのだった。
***
ひゅーがさんをどうにか寝間着に着替えさせ、布団に入らせることが出来た。私は枕元に正座しながら、寝入るのを見守っている。
「お布団、寒くないですか?」
「あったかいでしゅよ~……」
二人でお酒を飲む機会はなかったから、酔っ払った姿を見るのは不思議な気分だな。割と大人びている子だから、こうやって若者らしい姿を見ると安心する。
「じゃあね、ひゅーがさん。私、そのへんのホテルに泊まるから……」
「え~? こんな日にどこも空いてないでしゅよ~?」
「それは……そうかも」
考えてみれば、今日はクリスマスイブなんだっけ。こんな夜遅くに行って空き部屋を見つけるのはまず無理だろうな。
「でも、猫ちゃんはいいんでしゅかあ?」
「へっ?」
「家に帰って、猫ちゃんのお世話があるって……」
「ああ……」
そういえば、そんな嘘で誤魔化したことがあったな。考えてみれば、あんな夜遅くに帰って猫の世話も何もないわよね。この子、人を疑うってことを知らないんだろうな。……じゃなきゃ私を嫁にしようなんて思わないか。
「いいんです。家族が代わりにお世話しますから」
「へえ、そうでしゅかあ……」
頭を撫でてあげると、ひゅーがさんはむにゃむにゃと目をつぶった。やっぱり、まだまだ子どもみたい。でも、この年齢でご両親を亡くしているのだと思うと……むしろたくましく生きているとも思える。
「綾音しゃーん……」
「ん?」
今にも眠りそうだったひゅーがさんが、こちらにごろんと寝返りを打った。もぞもぞと布団から身を出して、私の方に近寄ってくる。
「ど、どうしたの?」
「泊まってって」
「へ?」
「僕んち、泊まればいいじゃないでしゅかあ……」
「ひゅ、ひゅーがさん!?」
気付いた時には、お腹にひゅーがさんがしがみついていた。引きはがそうとしたけど、力が強くてかなわない。
「だっ、だめですよ。私なんか」
「綾音さん、おねんね……」
「もっ、もう……」
引きずられるように、布団に入っていく。……どうしよう。ひゅーがさんだったら別にいいけど、心の準備なんか全く出来てない。まだまだ子どもみたい、なんて言っておきながら――私だって、ちっとも大人じゃないのよね。
「えへへ、しゅべしゅべ~」
「ひゅーがさん……」
さっきみたいにほっぺたを触られて、妙にドキドキしてしまう。これでも恋愛小説家なのに、なんだか情けない。
「ねえ、綾音さん……?」
「は、はい?」
ひゅーがさんの顔が目の前にあって、緊張が止まらない。これじゃあ、まるで私が小説に書いてるヒロインみたいじゃない。
「僕、綾音さんと結婚したい……」
「へっ?」
「結婚したいでしゅよお、ぜったいに……」
――初めて、本音を聞いたような気がした。ひゅーがさんは、どこか自分を隠してずっと強がっているように見えた。孤独に生きていくしかなかったこの子なりの処世術なんだと、今となっては理解している。だからこそ、私は今――舞い上がりそうな気分だった。
「そうですねっ。私も、ひゅーがさんと結婚したいです」
「でしょ~? 綾音さんは良いお嫁さんでしゅから……」
「えへへっ、そうですか?」
「はあい。うなじきれいだし、おっぱい大きいし……」
「そこなんですか!?」
やっぱりむっつりだな、この子……。でも、無理に手を出してくることはなかったし。気遣いが出来て、いつも前向きで、背も高くてカッコよくて。私だって……どれだけ結婚したいことか。
「ねえ、綾音さん」
「なあに?」
「約束してくれましゅか?」
「何を……ですか?」
次の瞬間、さらに強く抱き寄せられた。身体同士が密着して、すぐそばにひゅーがさんの息遣いを感じる。ちょっとお酒臭いけど……全く嫌な気持ちはしない。私はじっと、次の言葉を待ち続けた。
「一人にしないって、約束して……」
「それって……」
「一人は……もう……」
そう言って、ひゅーがさんは眠りに落ちていった。徐々に腕の力が弱くなっていき、自然と解放されていく。私はゆっくりと布団から出て、再び枕元に正座した。
「寂しかったよね……」
この子は家族に飢えている。自分で分かっていなかっただけで、ひゅーがさんはずっと探し求めていたのかもしれない。そして、私は――やっと巡り合えた家族だったのかもしれない。
「ごめんね……」
静かに寝息を立てるひゅーがさんの頭を、そっと撫でてあげる。私だって、約束したかった。一人にはしないと、ずっと家族でいてあげるのだと――抱きしめてあげたかった。
「ッ……! ぐっ……!」
泣いている。自分でも分かるくらい、泣いている。嗚咽とはこういうものかと、身をもって思い知らされている気がする。そっか、もう――潮時なんだ。
「今までありがとね、ひゅーがさん……」
今年中に結婚できなければ、一生独身だと決めていた。でも、最後の最後にこの人と巡り合うことが出来たんだ。お嫁さんとして過ごした時間は、人生で一番幸せで――かけがえのないものだった。
ひゅーがさんは良い人だから、私みたいな年上なんかと結婚しなくていいの。きっとあなたを待っている子がいるのだから。何も……心配……しなくて……。
「ううっ……、ぐっ…………!」
溢れ出す涙を抑え込むように、うずくまって声を上げた。情けない。悔しい。悲しい。そして……寂しい。
年甲斐もなく、枕元に縋りついた。朝になって、通行止めの解除を知るまで……ずっとひゅーがさんの側を離れなかった。いや……離れられなかった。
最後の朝ごはんを作って、こたつの上に用意しておいた。そして荷物をまとめて、旦那さんを起こさないように……静かに、部屋を出る。
さようなら、ひゅーがさん。
私に夢を見せてくれて、ありがとう。




