第25話 気分転換
あの日から、俺たちはいろいろと話をした。結婚のこと、今後のこと、その他もろもろ。しかし、いくら議論を重ねても……良い結論を得ることは出来なかった。
思い切ってどこかに駆け落ちしてしまう、という案も考えたのだけれど、綾音さんに止められてしまった。せっかく親御さんが学費を遺してくれたのだから、学業を捨てる選択肢はとらない方がいいんじゃないですか――と言われ、頷くことしか出来なかった。
あんなに愉快だった俺たちの部屋には、今や重苦しい空気だけが横たわっている。今日もずっと綾音さんと話をしているのだけど、明るい話題は一つもない。
「それで、両親にそれとなく聞いてみたんです。あくまで仮の話として、私がこういう人と結婚するならどうするかーって」
「はい」
「……絶対に許さないって言ってました。仮の話と言ったのにこれですから……」
「……そうですか」
こたつの向こう側に座る綾音さんが、静かにそう言った。両手で触っている湯呑からは、まったく湯気が立ち上っていない。お茶が冷めてしまったのだろう。
「やっぱり、説得するのは難しいんですか」
「正直に言えば、そうだと思います。私だって大人ですし、別に従う義理はないんですけど」
「けど?」
「私に何かあれば、実家の名前に関わります。両親と兄はともかく、関係のない親戚にまで迷惑をかけてしまうのは……」
綾音さんが両親の許しを得ずに結婚することになれば、ちょっとした「騒動」になってしまうのだろう。家族はともかく、何も悪くない親戚にまで悪影響を及ぼすのは避けたい……というわけか。
「……分かりました」
「ごめんなさい、本当に。私のせいで……」
「綾音さんが悪いんじゃないんですから……あっ、そろそろ出ないと」
時計を見てハッと気がつく。そう、今日はクリスマスイブ。すなわち、高校時代の仲間たちとのパーティがある日なのだ。
「すいません、行ってきます」
「はい、気をつけてくださいね」
こたつから出て立ち上がろうとした時には、既に綾音さんが俺の上着を手に取っていた。着やすいように両手で広げて、じっと待ってくれている。俺は上着に腕を通しながら、綾音さんに礼を言った。
「ありがとうございます、綾音さん」
「いいえっ。だって、私は……」
「?」
「お嫁さん、ですから……」
寂しそうに、ぽつりと呟く綾音さん。こんな悲しい姿を見るくらいなら、押しかけられた日に婚姻届にサインしてしまえばよかった。そうとすら思えてくる。
「あっ、ごめんなさい! せっかくお友達と遊んでくる日なのに……」
「いいんです。綾音さんは……お嫁さんですよ」
謝る綾音さんを慰めて、玄関に向かって歩きだす。お嫁さん、と言えるのもあと一週間かもしれないな。
「あの、寒いですからね。あんまり飲み過ぎないように」
「分かってますよ。綾音さんがそれ言うんですか?」
「心配してるだけですよっ。それから、私もあと一時間くらい仕事をしたら帰りますね」
「はい」
綾音さんはぱたぱたと足音を立てて、俺の後ろをついてくる。努めて普段通りに振る舞おうとしてくるのが伝わってきて、胸が締め付けられるような気分だった。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。嫌なこと忘れて、気分転換してきてくださいね」
部屋の中に手を振って、玄関の扉を閉めた。ふと空を見上げれば、薄暗い街灯に照らされて雪がちらつく。
「寒いな……」
吐く息は白く凍り、指先もかじかむ。やりきれない気持ちを抱えながら、アスファルトを踏みしめて進んでいったのだった。
***
「日向センパイ、ちゃんと飲んでるっスか!?」
「飲んでるって、いいよ俺のことは」
「空いてるじゃないスか~! はいっ、飲んでくださいっ!」
「ちょっ、勝手に注ぐなって」
止める間もなく、後輩の今泉が俺のグラスにビールを注いでしまった。ここは街中にあるレンタルスペース。同じ部活だった十人くらいの仲間たちが集まり、酒を酌み交わしている。
「センパイ、かんぱ~い!」
「はいはい、乾杯」
真っ赤な顔の今泉がご機嫌に掲げたグラスに、仕方なく自分のグラスを重ねた。高校時代から変わらずちんちくりんだけど、随分と服装がお洒落になったなあ。
「よかったな今泉、日向が来てくれてなあ」
「ちょっ、なんスか急に!」
その時、隣のテーブルで飲んでた同級生がこちらに話しかけていた。ニヤニヤとした顔で、からかうように口を開く。
「日向、お前は幸せもんだなあ。コイツ、『日向センパイが来ないなら行かないっス!』とか言ってたんだぞ」
「へえ、そうなんだ」
「あー! 言わないでくださいよそんなことー!」
「お前ら高校の頃から仲良しだったもんなあ。今日もずーっと二人っきりだし」
「いっ、いいじゃないスか! 日向センパイ、滅多に来てくれないんスもん!」
こういう大人数の飲み会は好きじゃないから、普段は参加しないのだけど……今泉がどうしてもとうるさいので、今回は来ることにしたのだ。昔の仲間と会えること自体は嬉しいしな。
「なあなあ日向、聞きたいことがあるんだけど」
「なんだよ」
同級生が妙な顔をして、問うてきた。俺はビールを口にしつつ、話の続きを待つ。大学のことかな、それとも昔のことか――
「お前、すっごい綺麗な女と同棲してるよな?」
「ぶっ!?」
なっ、なんだよそれ!? なんでコイツがこんなこと知ってるんだ!?
「ちょっ、聞き捨てならないっス! センパイ、なんで言ってくれなかったんスか!?」
「あ~あ、今泉が泣いちゃった」
「ちっ、違う! 誤解だって!」
「いや~、俺は見たぞ~? 女優みたいな女が、お前のアパートからゴミ袋持って出てくるのを……」
「ひどいっス! なんスかその女!?」
まずい、コイツは俺の家を知ってるんだった。でも、今の綾音さんとの関係なんて説明しようがないし。困ったな……。
「よし今泉、日向を潰して尋問するぞ」
「分かったっス! 許せないっス!」
「ちょっ、なんだよ急に!?」
「はいっ、飲んで! 飲んでくださいっス!」
「勝手に注ぐんじゃねえって言ってるだろうが!?!!?!?」
訳も分からず飲まされていくうちに、だんだんと記憶があいまいになる。俺はただ、酒の海に溺れていくのみであった……。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。




