第24話 聖夜のご予定、今後のご予定
「クリスマスイブ……ですか?」
「はいっ! ご希望とあらば、ケーキでも何でも焼きますよ?」
スキーに行ってから数日が経った、ある日の夜。こたつに入ってみかんの皮を剥いていたら、綾音さんがそんなことを言い出した。
「あのー……実は」
「なんですかっ? 七面鳥なら私が絞めてきますよっ?」
「献立に注文をつけたいわけじゃないんですよ!? その……前々から予定が入ってまして」
「予定?」
「高校時代の仲間とパーティをやるんです。同じ部活だった連中なんですけど」
「ひゅーがさん、お友達いたんですね」
「そんな真顔で言われても……」
みかんの房についた白い筋を取って、口の中に入れた。うーん、甘い。綾音さんが青果店で買ってきたらしいけど、やっぱり目利きがいいんだろうな。
「じゃあイブの日はお友達と一緒にいるんですか?」
「はい、申し訳ないんですけど。ずっと前からの約束なので……」
「いいんですよ、それなら気にしないです」
「すいません。後輩がどうしても『先輩に来て欲しい』って言うので」
「へえー、結構慕われてたんですねっ」
なんて言いつつ、向こう側に座っていた綾音さんが身を乗り出してきて、口を大きく開いていた。「ひとふさちょーだい」ってことかな。
「はい、あーん」
「ありがとうふぉふぁいます」
ひとふさちぎって、綾音さんの口にそっと入れてあげた。なんだか、本当にこの人と一緒にいるのが当たり前になってきたな。まるで昔から同居しているみたいだ。
「そうだ、聞きたいことがあったんです」
「なんですか?」
「僕って、その……綾音さんのご家族に挨拶とかしなくていいんですか」
「あー……」
綾音さんは天井を見上げて、いろいろと考えているみたいだった。クリスマスが終われば一週間で大晦日――結婚するかどうかを決める期限――が来てしまう。それまでに済ませなければならないことは多いはずだ。
「そうですよね。いい加減、私もいろいろひゅーがさんに言わないといけませんよね」
「すいません、こんなこと言っておいて……自分もまだ、決めかねているというか」
「いいんですよ、年末でいいって言ったのは私なんですから」
「でも、もし結婚するとしたら……家とかいろいろ」
「籍だけ入れてゆっくり考えるって選択肢もあるから。大丈夫、ひゅーがさんは何も心配しないでいいんですよ」
とは言ってくれたものの。やっぱり、俺はこの人について知らないことが多すぎるんだよな。
「でも、ご実家に挨拶だけでも」
「えっ?」
「家のことを知られたくない、というお気持ちは重々承知なんですけど。挨拶もしないというのは流石に……」
綾音さんの表情が目に見えて曇った。何か傷つけるようなことを言ってしまったのかな? いや……違うみたいだな。
「ごめんなさい、ひゅーがさん。今までずっと隠していたことがあるんです」
「はい?」
「こんな年齢になって、親のことなんか気にしている私も悪いんですけど。でも、これだけはお伝えしないといけなくて」
真剣な表情で、じっと俺の目を見つめる綾音さん。いつになく真面目な顔だ。無邪気にはしゃぐでもなく、ご機嫌に家事をするでもなく、優しく寄り添ってくれるでもない。今までに見たことのない綾音さんだ。
「私の家が少し特殊だっていうのは、以前にもお伝えしましたよね」
「はい」
「なんとなく気づいていたかもしれないですけど、いわゆる由緒正しい家というか」
「……はい」
薄々感じ取っていたことではある。洗練された所作、プロ並みに仕込まれた家事、隠しきれない気品。俺みたいな一般家庭の出じゃないことは明らかだった。
「ひゅーがさんは悪くないですし、私も両親の考えは古いと思っています」
「えっと、何の話を」
「あの……」
皆目見当がつかなかった。どうして俺に謝っているのか、どうしてそこまで申し訳なさそうなのか。ただ、綾音さんが絞り出すように言葉を紡ぐのを見て――初めて、事の重大さに気が付いた。
「――私の両親は、結婚を許してくれないと思います」
「えっ……」
「私だって説得するつもりです。こんなに良い子で、勉強だって頑張っている子なんだって」
「なっ、なんでご両親が許してくれないんですか!? 僕が学生だからですか!? 僕がまだ未熟で――」
「違うの」
その一言でハッとする。綾音さんは俯いたまま、表情を変えない。
「理由を聞いたらひゅーがさんは怒ると思います。軽蔑してくれても構わないし、今すぐ私を追い出してくれても結構です」
「そんなことしないです! 絶対にっ!」
「いえ、きっと……」
綾音さんの頬を伝うものがあった。まるで言いたくないことを無理やり口にしているみたいで、見ているこっちが辛くなってしまう。
「私から押しかけておいて、今さらこんなこと言うなって思うかもしれないですけど」
「は、はい」
「えっとね……」
こたつの天板に、ぽたぽたと水滴が落ちる。俺はただただ見ていることしか出来ない。そして、ひと呼吸置いてから……綾音さんが、静かに口を開いた。
「ひゅーがさんにね、ご両親がいないから……」
「えっ……」
「だからっ、たぶん私の親はっ……!」
申し訳ない、恥ずかしい、悔しい、悲しい。綾音さんの言動には、その全てが詰まっているような気がした。
両親がおらず、天涯孤独。そのことは、もはや所与の前提だと思って生きてきた。だけど……他人はそうは思ってくれない。
「……」
黙ってこたつから出て、歩き出す。顔を押さえて泣き続ける綾音さんのそばにそっと寄り添い、背中をさすった。
「大丈夫ですよ。分かっていたことです」
「本当にごめんなさい……! こんなっ、今になってこんなことっ……」
「僕を傷つけないようにしてくれたんですよね。分かってます」
「これじゃ、どっちが年上か……!」
「いいんです……だって、綾音さんは……普段からっ、その……!」
気づいた時には――自分の目にも、涙が溢れていた。綾音さんと結婚するかどうか、いまだに悩み続けている自分がいた。具体的なイメージが出来ず、ただただ決断から逃げていたのだ。
結婚するかしないかは考えていたのに、結婚出来るかどうかなんて考えてもいなかった。だから、この涙は俺に教えてくれたんだ。
――綾音さんと結婚出来ないのは、死ぬほど嫌なんだってことを。
「綾音さん……」
「ひゅーがさんっ……!」
自然と、抱きしめ合っていた。離さないぞと言わんばかりに、それはそれは力強く。この温もりが消えてしまうかもしれない、なんて考えたこともなかった。いや……両親が教えてくれたはずだったのに、どうして気づいていなかったんだろう。
目の前の幸福が消え去ってしまうことなど、誰よりも分かっていたはずなのに。
「ごめんね、ひゅーがさん……」
ひたすら詫びの言葉を口にする綾音さんの姿は、母親の最期と重なって見えた。それが無性に悲しくて、やりきれなくて……俺はただ、目いっぱい腕に力を込めることしか出来なかった。




