第12話 忍法! 変わり身の術っ!
新しいシャツとパーカーを羽織りながら、脱衣所を出て居間に歩いていく。きちんとシャワーで冷やしたおかげでひどい火傷にはならず、少し肌が赤くなったくらいで済んだみたいだ。
「すいません、ご心配おかけしました」
居間に入ると、作業に戻っていた綾音さんがパッと顔を上げた。心配そうな目で、俺の体を見ている。
「大丈夫でしたか? お薬買ってきます?」
「いえ、そこまでひどくないので……」
「良かったです。痕が残ったら大変ですからね~」
ふと周りを見回すと、さっきこぼしたお茶なんかが全て掃除されていた。俺がシャワーをしている間に綾音さんが片付けてくれたのだろう。お茶を淹れてあげるどころか、仕事の邪魔をしてしまって申し訳ないな。
「綾音さん、お仕事中にバタバタさせてしまってすいませんでした」
「いいんですよ~! 旦那さんが火傷しなくて何よりですっ」
「いやでも、せっかく……その……」
何を言えばいいのか分からず言葉に詰まっていると、綾音さんがこちらを見てクスっと笑った。そしてわざとらしく自分の肩を揉みながら、これまたわざとらしい口調で言葉を発する。
「あ~、ずっと作業してたら肩が凝っちゃいました~!」
「えっ?」
「こんな時、肩たたきしてくれる素敵な旦那さんがいればいいんだけどな~!」
そう言って、綾音さんはニコッとほほ笑んだ。粋な心遣いに、こちらの頬も自然に緩んでしまう。
「……肩、叩きましょうか?」
「それでこそ私の旦那さんですっ!」
***
背後に膝立ちして、トントンと両肩を叩く。綾音さんが心地よさそうに体を左右に振って、その度にポニーテールが揺らめく。
「これくらいの強さでいいですか?」
「はいっ! ひゅーがさんは肩叩きが上手ですねっ!」
肩を叩いただけで褒められるなんて、いったい何年ぶりだろう。小さい頃なんか、両親にもこうしてあげた気がするな。二人とは違う背中……か。
「ひゅーがさん?」
「はい?」
「いえ、なんだか静かだったので。やっぱりうなじが気になるんですねっ」
「だから見てないですって!」
「も~、写真なんか撮っちゃだめですよう」
「撮ってないですけど!?」
「きゃ~! 私のうなじ写真が袋とじで売られちゃう~!」
「僕は篠山紀信なんですか!?」
やっぱり感性が親父臭いんだよな……。これもこの人の魅力の一つ、と捉えることも出来るけどさ。それにしても、こう距離が近いとやっぱり良い匂いがするな。変態みたいな感想だけど、どう考えてもパンツを腕にかけてる女性の方が変態である。
「ん」
その時、頭越しに綾音さんのパソコンの画面が目に入った。何やらメールのやり取りをしているところみたいだ。仕事の内容だと思うし、あんまり見ない方がいいんだろうけど……この位置関係だとどうしても見えてしまう。
断片的に読むことが出来たのは、「発売」「売り上げ」「店頭」といったいくつかのフレーズ。こんな単語が関係していそうなお仕事って、いったいなんだろう? さっきの「仕事道具」に書かれていた「殺人」「警察」なんかの物々しい言葉も気になるし。
「あの、つかぬことをお伺いしたいんですけど」
「なんですか?」
「綾音さんのお仕事って、文字を書くお仕事なんですか?」
「えっ? まあ……簡単に言えばそうですね。どうかしました?」
「いえ……」
やっぱりそうか。文字を書く仕事、それも在宅で可能なもの。「発売」とか「売り上げ」とかが関係してそうなのは……雑誌編集者とかかな。
でも、仮に出版社勤めの編集者だとしたら地方在住では難しいはず。出版社は基本的に東京に集中しているからな。
それからWebライターとかブロガーとかって可能性もあるけど……だとすれば今日の行動に説明がつかない。未解決事件についてわざわざ書籍を調べたり、パンツを使って何らかのシミュレーションを行ったりするのはおかしい気がする。
「……そうか」
諸々の状況を考慮して、綾音さんのお仕事としてひとつ思い浮かぶものがある。そう――作家だ。ミステリー系のジャンルだと考えれば、「仕事道具」とパンツの件にもある程度納得がいく。いや、パンツはあんまり納得できないが……。
とにかく、だ。実家についての情報じゃないし、綾音さんもあっさり答えてくれるかもしれない。ここは思い切って聞いてみるとするか。
「あの、綾音さん」
「婚姻届ですか?」
「そうじゃなくて! ……もう一つ、お聞きしたいことがあるんですが」
「スリーサイズ?」
「違いますって! だから、えーと……」
肩を叩きながら、自らの呼吸を整える。スリーサイズ……はまた別の機会に聞くとして、今はお仕事。端的に、シンプルに聞こう。
「もしかして、ミステリー作家なんですか?」
「……へっ!?」
その瞬間、時が止まったような気がした。綾音さんがビクっと体を跳ねさせたので、思わず肩を叩く手を止めてしまう。返答を待っていると……真っ赤な顔をした綾音さんが、ゆっくりとこちらに振り向いた。
「なななな、なんでそんなこと言うんですか……?」
「えっ、いや……さっきの『仕事道具』とか、もしかして犯行トリックの参考にするのかなって」
「ちちちちちっ、違いますけど!? 私なんてっ、そのっ……そう! 作家なわけないじゃないですかっ! それもミステリーなんて! あり得ませんよっ!」
「えっ、でもさっきパンツでシミュレーションとか――」
「だから違いますってばっ! パンツで死体を磔にするとかっ、そういうトリックを考えてたわけじゃないですっ!」
「それ自白してませんか!?」
「あっ、そうだ! 私っ、ちょっとお仕事の用事で出かけないといけないんですっ!」
「へっ? ちょっ、綾音さん!?」
「はーーーーっ!!」
俺は再び――こたつを跳び越す成人女性を見た! スルリと布団から抜け出したかと思えば、鮮やかに床を蹴り、飛翔中に後ろ足でノートパソコンの画面を閉じる離れ業。……いやいや、この人が一番フィクションじゃねえか!?
「肩叩きありがとうございましたっ!! お留守番お願いしますねっ!!」
「まっ、待ってくださいってば!」
素早く追いかけて、綾音さんの身体を掴もうとする。しかし――
「忍法っ! 変わり身の術っ!!」
「あれっ!?」
――いつの間にか、さっき俺が脱ぎ捨てたパーカーを握らされていた! なんだこれ!? 綾音さんどこ行った!?
「あっ……」
気づいた時には、玄関の方から扉の閉まる音がした。……あの反応、どう考えてもおかしいよな。本当にミステリー作家だとして、恥ずかしがる理由なんてないだろうに。綾音さん、どうして逃げたんだろう?
「……追うか!」
上着を羽織って、外出の準備を始めた俺であった――




