第10話 ドキドキの土曜日
パタパタとスリッパで足音を響かせながら、エプロン姿の綾音さんが居間と台所を行き来する。その度に後頭部のポニーテールが揺れて、ついつい見惚れてしまう自分がいた。
「大丈夫ですよ、お茶碗は私が洗いますから」
「あっ、すいません」
こたつに載った食器類を片付けようとしたら、綾音さんに横から持って行かれてしまった。今日も朝食を作ってもらったのに、洗うのまで任せるのはやっぱり申し訳ない。俺は居ても立っても居られず、こたつを出て歩き出す。
「ふんふーん……」
台所に近づくと、綾音さんの鼻歌が聞こえてきた。カチャカチャと食器同士が重なる音の中でも、たしかに綺麗な声が響いている。本当にいつ見ても飽きない人だ。
「どうしたんですかー?」
「へっ?」
こちらを見ていないのに、綾音さんは俺が来たことに気がついたようだった。気配なのか、足音なのか。あるいは女の勘というものだろうか。
「よく分かりましたね」
「んー、なんかうなじを見られている気がして」
「みみみっ、見てないですけど!?」
「冗談ですよ。ひゅーがさんならお手伝いに来るだろうなって思っただけですっ」
洗い終わった皿を水切りかごに置きながら、綾音さんは微かに笑みを浮かべた。行動を全て読まれているようで、恥ずかしいというかなんというか。
「お手伝いに来たら駄目でしたか」
「いいですけどっ。あんまりお嫁さんの仕事を奪っちゃいけないんですよ?」
「どうしてです?」
「私がいないと困るーって思ってもらった方が、結婚してもらうには好都合なんですっ!」
「じゃ、いっぱい手伝いますね」
「意地悪言わないでくださいよ~っ!」
なんて言いつつも、綾音さんはスッと体を右に寄せて俺が入る隙間を作ってくれた。俺はかけてあるタオルを手に取って、水切りかごの食器を拭き始める。
それにしても、随分と綾音さんとの生活に慣れてしまった。まるで元から一緒に住んでいたような気がしてしまう。もともとボイスチャットで会話していたというのは大きいだろうけど、ここまですぐに適応してしまったのは驚きだな。
「ふんふーん……」
いつの間にか、綾音さんは再び鼻歌を口ずさんでいた。よくよく聞くと、メロディの作りがどことなくアニソンっぽい。何かのオープニングテーマだろうか。
「アニメとか、観られるんですか」
「ふんふー……ん? アニメですか?」
「楽しそうに歌っていらしたので、つい」
「ああ、これですか! ニチアサに放送されてましたよね~」
「……は、はあ」
またご機嫌そうに歌い出す綾音さん。昔は俺も日曜の朝にテレビを観ていたと思うんだけど……どうにも曲名が思い出せな――
「ひゅーがさん?」
「はいっ!?」
「間違っても放送された年を調べたりしないでくださいね?」
怖い! 笑顔が怖いっ! しかもよりによって包丁を洗ってる真っ最中! やめてっ! 綾音さんステイっ!
「し……調べるわけないですよ」
「ひゅーがさんは良い旦那さんです~!」
綾音さんは包丁についた泡を洗い流しながら、無言の圧力を放っていたのだった……。
***
食器洗いを終えた俺たちは、分担して部屋の掃除を行った。前までは真面目に掃除機すらかけていなかったけど、綾音さんが来るようになってからは床に埃一つ見つけるのも難しくなった。
その他の家事も終えて、ようやく一息ついたところ。お茶でも飲みましょうか……なんて提案しようと思ったら、綾音さんがこたつでノートパソコンを開こうとしていた。
「あれ、土曜なのにお仕事ですか?」
「ちょっと忙しい時期なので~!」
綾音さんは丸眼鏡をかけて、キーボードをカタカタと叩いた。そうか、勝手に平日でなければ休みだと思っていたけど……土曜出勤ってこともあるのか。二人でのんびり過ごせると思っていたから、ちょっと残念だな。
いやでも、この考えは自分勝手か。普段、綾音さんは俺の学業とバイトのためにいろいろと家事をこなしてくれているんだ。だったら今日は、俺が代わりにこの人を支えなければ。
「綾音さん、何か飲みたいものとかあったら言ってくださいね」
「いいですよそんなの、自分でやりますって」
「いえいえ、遠慮なさらず。いつも綾音さんにしてもらっているばかりなので」
「そうじゃなくて! 私が期待するお返しはー……あれだけですよっ?」
綾音さんは両手で眼鏡を下げつつ、壁にかけてある額縁を指さした。……なるほど。家事なんか手伝うくらいなら――さっさと判を押せと言いたいわけだな!?
「分かりました。それで、ほうじ茶でも飲みますか?」
「だからっ! どうして今日はそんなに意地悪なんですか~っ!」
「飲まないんですか?」
「濃いめでっ! 私の結婚願望くらいっ!」
「はーい、分かりましたっ」
それを聞いて、俺は立ち上がった。お湯を沸かそうと思い、台所の方に足を向ける。――その時、背後から何か重い物を置くような音がした。
「だんっ!!」
「だんっ?」
茶目っ気たっぷりな擬音語に、思わず振り返る。そこに置いてあったのは複数冊の書籍。背表紙には「警察」「事件」「未解決」「殺人」など物騒な単語が並んでおり、思わずギョッとする。
「そっ、それって……なんですか?」
「ああ、これですか? これは――」
綾音さんは一番上に積んであった一冊を手に取った。そして照れ臭そうに頬をぽりぽりとかきながら、一言。
「仕事道具……ですかねっ?」
「へっ?」
俺はその場に立ち尽くし、照れ照れと頬を赤くする綾音さんをじっと見る。数秒後、逃げるようにして――台所の方に歩き出したのだった。




