白薔薇姫、魔塔へ行く:3
ロードナイトの家紋である真っ白な薔薇の紋章が施された馬車が二台、鬱蒼とした森の中を進んで行く。目指す先に見えるは魔塔。黒いレンガを積み上げて建てられたであろうそれは、近づくごとに威圧感を増している。
「意外と道は整備されてんですね。」
窓の外を眺めながら、オロルックが感心した様子で呟いた。
「お父様が仰るには、魔道具の運搬のために王国の方で整備したそうよ。」
「郵送じゃなくて取りに行く方式なんですね。そりゃ整備されてる方が良いわけだ。」
ほぼ全員がもっと禍々しい旅を想像していたのだろう。今のところ何事もなく進んでいる。
「もうじき着きそうね。」
「俺魔法使い初めて会います。」
「私もよ。」
真っ黒な門の前で馬車が停まる。オロルックの手を取ってロゼアリアは地面に降り立つと、深呼吸を一つした。
見上げた先は空をつきぬけているんじゃないかと思うほど高い。とうとう、この場所まで来た。
入り口とおぼしきものは目の前の門だけ。果たしてノックだけで来客が分かるのだろうか。塔自体はこの門の向こう側。窓から中の様子を覗くなど、到底できない。
意を決してロゼアリアが門に近づいた時、それは内側からゆっくりと開いた。
「お手紙の方ですね! お待ちしておりました!」
中からひょっこりと現れたのは、蜂蜜のような濃い黄色の瞳をくりくりとさせた少年。ロゼアリアよりもいくつか下だろうか。とてもこの重たい扉を一人で開けられるとは思えないが、彼以外には誰も見当たらない。
ぽかんとした表情で立ったままのロゼアリア達を少年は中へと促す。
「ささ、中へどうぞ! ご案内いたします!」
こんなにもあっさり通されるとは思わず、面食らうロゼアリア。父は一度も、魔塔の中に入れたことはないと言っていたから。
ロゼアリアは一度オロルックと視線を交わし、少年について行くことを決めた。
「まさか素敵な女性が訪ねて来られるなんて! 主様にお伝えしなくては!」
少年はるんるんとした足取りで塔に続く石畳を歩いて行く。クリーム色の後頭部がぴょこぴょこと跳ねるのが可愛いらしい。
「あ、あの。貴方も魔法使いなの?」
「はい! 僕はリブリーチェと申します! お手紙に書かれてた、ええと……ロードナイトさんでしたよね?」
「ええ。ロゼアリア・クォーツ・ロードナイトです。」
「ロゼアリアお姉さんですね!」
とても新鮮な呼ばれ方だ。一人っ子のロゼアリアはつい、「弟がいたらこんな感じだったのかな」という思いに浸ってしまった。
「ロゼアリアお姉さん、それとお兄さんたち、魔塔へようこそ!」
塔の扉へリブリーチェが手を向けると、不思議なことに扉が勝手に開いていく。
(これが魔法? 子供の頃に絵本で読んだ世界に来たみたい……)
塔の内部は薄暗かった。しかし不快な薄暗さではない。本やランタンがふわふわと浮いていたり、天球儀がくるくると回り続けていたり。そこは好奇心をくすぐるのに十分過ぎるほど神秘的な世界だった。
中央は吹き抜けになっているから、ずっと上の階まで見えている。各階全ての壁が本棚にでもなっているのだろうか。天井まで届くほどぎっしりと本が並んでいた。
「すげぇ……夢みたい……」
隣でオロルックも圧倒されている。
未知の世界を前に、隅々まで見て回りたい気持ちに駆られる。だが目的を果たすのが先だ。すんでのところで思い留まり、ロゼアリアは目の前の神秘からリブリーチェへ視線を向けた。
「魔塔の主はどこにいらっしゃるの?」
「アルデバラン様は最上階にいらっしゃいます!」
「最上階……」
この吹き抜けをずっと見上げた先。なるほど。そこまで昇るのはとても大変そうだ。
とはいえ魔塔の主に会うためには昇らなくては。階段はどこにあるのだろうか。
「リブリーチェ様、最上階まではどこから行けば良いですか? 階段の場所を教えていただけると嬉しいのですが……。」
「階段……? あっ、そうですよね! 魔法使いじゃない人は転移ができないですもんね!」
わたわたとリブリーチェが慌てる。……もしかして階段の類いは無いのだろうか。
「えっと、えっと、たしかこっちの方に昇降機が……あ、こっちです! こっちに来てください!」
どうやら上の階に行けるらしい。リブリーチェに招かれた先にあるのは、何人か入れそうな箱だ。
「十人まで大丈夫だったはずです。行きますよ!」
ロゼアリア達が乗ったことを確認すると、リブリーチェが内部にあるレバーを引いた。ゆっくりと格子状の扉が閉まったかと思えば、箱が上へと上がっていく。
「わ、びっくりした! お嬢大丈夫ですか?」
「え、ええ。リブリーチェ様、これはなんですか?」
「昇降機です! いつもはあまり使わないので、わくわくします!」
ぐんぐんと下の階が小さくなっていく。このまま最上階まで行くかと思いきや、昇降機は途中で止まった。
「最上階まで行ける昇降機は今使ってなくて……。僕の使ってる場所になりますが、片付けたのでみなさん座れると思います! 主様をお呼びするので、少し待っててください!」
本や羊皮紙で溢れた空間の中に辛うじて人が休めそうな椅子とテーブル。椅子の個数は二つ。五人で座るには足りない。
ロゼアリアとオロルックが座ることにし、ジャック、ユーエン、ファルバの三人はその後ろで控えることにした。
「主様! お客様です! いらしてください!」
リブリーチェは水晶に向かって話しかけていた。その様子をロゼアリアは興味津々な眼差しでじっと見つめている。
「客? そんな予定は無いだろリブ。」
だから急に男の声が聞こえて心底驚いた。さらにその男の姿を見て心臓が飛び出そうなほど驚いた。ジャックだろうか、悲鳴が後ろから小さく聞こえ、隣でもオロルックが「うわぁ」と声をあげた。ロゼアリアはどうにか耐えた。
そこにいたのは全身が黒い長身のナニカだった。声を聞くに男性……と考えられるが、そもそも人なのかどうか分からない。
「アルデバラン様! 髪は切った方が良いって言ったのに! お客様を怖がらせてしまいますよ!」
なるほど、顔が見えないのは伸び放題跳ね放題の髪のせいらしい。あとは黒い衣服の着ているためか、とにかく頭からつま先までが真っ黒で、薄暗い塔の中ではどんな人物なのか全く認識できない。これが、魔塔の主。
ロゼアリアが立ち上がると同時にオロルックも立った。自分達は王命を受けた身としてここに来ている。魔塔の主がどんな姿をしていようと、臆している場合ではない。
「お初にお目にかかります。私はロードナイト伯爵家が第一子、ロゼアリア・クォーツ・ロードナイトと申します。国王陛下より貴方を王宮へお連れするよう仰せつかりました。」
「へー、そう。そりゃ遠路はるばるご苦労様。出口はあちらにあるんでどうぞお帰りください。」
は?
随分な態度にロゼアリアは顔を顰めることを抑えられなかった。
いいや落ち着け、と慌てて自分に言い聞かせる。父から何度も門前払いされたと聞いたのだ。こう言われてもなんら不思議ではない。もしかしたら、魔塔の主を目の前にしているだけでも大きな一歩かも。
「……王宮へ伺いたくない理由がありましたら、お話ししていただけますと幸いなのですが──」
「嫌だからですけど。無駄な時間を過ごしたくないので帰っていただけませんかねぇ。」
「ではせめて王宮側のお話だけでも──」
「嫌だね」
なんという奴だ。姿形が全く分からずとも、この男が傲慢で無礼な人間だということは大いに分かった。
「アルデバラン様、もっと丁重にお話しした方が良いですよ!」
「リブ、なんでこんな奴らを客としてもてなしてんだ。とっとと追っ払ってこい。」
「アルデバラン様ぁ」
リブリーチェがすっかり困り果てている。いい大人(だと予想している。少なくともリブリーチェよりは年上のはずだ。)が子供を困らせるなど見ていて不快だ。
「あの、断るにしてもせめて納得のできる理由を仰っていただけませんか。このままでは引き下がれません。」
「なんでお前を納得させてやんなきゃいけない? 面倒な。」
「国王陛下にお伝えするためです。」
「知ったことか。三百年間ずっと偉そうに呼びつけるだけの奴に、なんでこの俺が出向かなきゃなんないんだ。用事があるならそっちが来るのが普通だろ?」
偉そうなのは一体どちらか。いくら魔塔が国に縛られない存在だとしても、国王陛下に対する不敬を許して良いはずがない。
「今の言葉は聞き捨てなりません。」
「なら今すぐ帰るんだな。誰に呼ばれようが俺は魔塔から出ない。」
「そんな我が侭が理由なら王宮に来ていただきます。」
「嫌だと言ってるだろう。だいたい、魔塔は魔法道具に魔法薬、国中の明かりその他諸々提供してやってんだ。それも質の良いやつをな。なのにまだ魔法使いをこき使う気か?」