白薔薇姫、騎士を目指す:2
ロードナイト伯爵家の子供はロゼアリアただ一人。唯一の娘が訳あり貴族に嫁ぐとなれば、ロードナイトの評判が地に落ちることは目に見えている。婿養子を迎えることも、一度婚約を破棄された時点で難しい。
アーレリウスとはお互いが十七歳の成人を迎えた時に結婚するはずだった。予定ではロゼアリアが嫁いだ後に養子を取る話だったが、その話も今は保留になりつつある。養子を取ること自体はできる。しかしそうなるとロゼアリアの立場が無くなってしまうことから、カルディスが敢えて止めていた。
だからロゼアリアは考えた。自分がロードナイトの正式な後継者になろうと。次期伯爵となれば、いくらロゼアリアの頬に傷があってもロードナイトと婚約を望む貴族はいる。血を絶やしてしまう心配も無い。
ただ一つ、ロードナイトの後継者は必ず白薔薇騎士団に入らなければならない決まりがある。建国時より王家に騎士として仕えてきたロードナイト。伯爵になるということは即ち騎士団長になるということと同義。
「お父様、ロゼアリアです。」
「待っていたよ。入りなさい。」
扉越しにくぐもった声が聞こえた。入室すると、ハーブティーの良い香りが鼻をくすぐる。
「レモンケーキも用意したんだ。他にも食べたいものがあれば用意させよう。」
「ありがとうございます。いただきます。」
ここのところずっと強張った表情をしていた愛娘が訪ねてくるのだ。カルディスも張り切って準備をさせた。
レモンケーキの爽やかな甘さを味わったところで、ロゼアリアがフォークを置いた。ハーブティーを一口飲み、短く息をつく。
「お父様。」
「うん。話があると言っていたね。どうしたんだい?」
「……私を、白薔薇騎士団に入団させてください。」
父の目を見つめて話すロゼアリアの瞳は、強い光を宿していた。こうなると何を言っても聞かない。他でもない自分の娘のことだ。手に取るように分かる。クロレンス公子と婚約する時もそうだった。
「……うちの後継者になるつもりか?」
「はい。」
「それは……賛成できない。」
「私が男児ではないからですか?」
「決してそういう訳ではないよ。ロゼ、本当によく考えたのかい? 騎士団に入団すれば、これまでのように鍛錬に参加するだけではなくなるんだ。領地が危険に晒されれば、戦う必要だってある。」
父親として、愛娘が危険に晒されるようなことはどうしても避けたい。誰に過保護と言われようと、この気持ちを曲げる理由にはならなかった。
「分かっています。国の安全のために、魔物を討伐しなければならないことも。」
魔物とは、三百年前の災害を境に現れるようになった怪物だ。生きとし生けるものを全て食い荒らす恐ろしい存在。騎士団に属さない王国民のほとんどは、魔物の存在を知らない。魔塔による結界と騎士団の討伐のおかげで、魔物が人の住む土地に現れることが無いからだ。
「分かっているならなおさら賛成できない。鍛錬への参加は護身のために許可をしたんだ。決して、ロゼが騎士になるためではないんだよ。」
「女性が騎士になるのが珍しいことではないはずです。」
ロゼアリアの言うことは概ね正しい。正しいが、姫騎士として活躍する女性の大半は貴族の令嬢ではない。
「ロゼ、ロードナイトの後継について不安に思っているのなら心配しなくていい。養子については元々考えていたし、もしロゼが婿養子を迎えたいというならそれでも構わないよ。」
「婿養子を迎えるのが厳しいことは、お父様もご存じのはず。由緒ある家柄の男性と私が婚約することは、不可能に近いです。」
今ロゼアリアに婚約を申し出る男性がいるならば、功名を上げて大金を得た、貴族と縁を持ちたい平民だろう。もしくは訳ありの貴族だ。いずれにしても、ロードナイトが他の貴族から蔑まれることになる。どれだけ相手が好感の持てる人物であったとしても、だ。
「私では駄目な理由は何でしょうか。技術が足りないと言うならば、もっと精進いたします。」
「そういうことではなくて……」
親の心子知らずとはこのことか。ロゼアリアを大切に思うが故の反対だと理解してもらうのは難しいらしい。いや、彼女の場合理解したとて諦めはしない。分かっていても騎士団の入団はうなずけなかった。有事の際に愛娘を戦地に立たせるなどできない。ロゼアリアはたった一人の愛しい我が子なのだ。
とはいえこのまま話を続けても平行線。この場を収めるためにも、ここは一つロゼアリアの入団を許可して見習い騎士から始めてもらうのが最善策じゃないだろうか。その間に婿候補をこちらで探し、ロゼアリアが騎士団に長く身をおかずとも済むようにすれば良いのではないか。いやしかし、愛娘の意思を無視して婿を探すのもなぁ……。
「少し考えさせてくれ。すぐに結論を出すことは、今はできない。」
「分かりました。お忙しいところお時間をいただきありがとうございました。失礼いたします。」
ロゼアリアは特に落胆した様子は見せない。父が賛成しないことなど、想定済みだった。
♢
「……お嬢様、本当によろしいのですか?」
鏡の前に座るロゼアリア。その後ろで不安そうにしているのは侍女のフィオラ。
「ええ、良いの。お願いできる?」
「しかし……」
フィオラが躊躇うのも無理はない。今から、この美しいローズピンクの髪を切ってしまおうというのだから。
淑女にとって髪は命。しかもロゼアリアの、シルクのように滑らかな髪を切るなど考えただけで罪悪感に駆られてしまう。
「大丈夫。髪ならまた伸びるわ。これは、儀式みたいなものと言ったでしょう。」
「たしかにそう仰られましたが、何もそこまで切られることもないかと。」
「髪を短くしたら騎士服も似合うでしょう? 形から入るのも大切よ。」
「ですが、まだ入団できるか分からないですし。」
「だからこそよ。」
さあ早く、とロゼアリアがフィオラを急かす。騎士団入団の決意表明として髪をバッサリ切ったなんて、彼女の母、ロゼッタが知ったらきっと失神するはずだ。
「……やはり、一度考え直された方が良いかと思います。」
「もう、そこまで言うなら良いわよ。自分で切るわ。」
「あ、お嬢様! 危ないですから鋏をお返しください! お嬢様!!」
フィオラから鋏をひったくったロゼアリアが、躊躇いなく髪に鋏を入れた。シャキン、と軽い音が響いたのち、薔薇色の束がはらはらと床に舞う。
「ああーっ!!」
両手で頬をはさみ、青ざめるフィオラ。その間にもロゼアリアは鋏を進めようとしている。
「お嬢様、分かりましたから! 私がいたします!! いたしますから、そうも無造作に髪を切るのはおやめください!!」
常日頃から丁寧に手入れしている髪に、このおてんば姫はなんてことをしてくれるんだ。鋏を奪い返したフィオラはやっと、泣く泣くロゼアリアの髪を整え始める。
「私達の日々の努力の結晶が……」
「フィオラ、なぜ泣いているの?」
「お嬢様のせいにございます。」
悲嘆にくれるフィオラとは対象にロゼアリアはワクワクした様子で鏡の中の自分を見つめていた。
初めこそ渋っていたものの、整えていくうちにフィオラの表情は真剣なものへと変わっていった。ロゼアリアが切った長さに揃えて、毛先を整えていく。何度も微調整を繰り返し、丸く綺麗なショートボブに。
「ふぅ……。いかがでしょうか、お嬢様。」
「だいぶすっきりしたわね。とても良いわ。さすがフィオラね!」
「ああ……奥様になんとお伝えすれば……」
顔の角度を変えて様々な方向から髪を確認すると、ロゼアリアは満足気にうなずいた。
「うん、こっちの方が騎士服を着こなせそうだわ。」
鼻歌交じりに言うと、意気揚々とロゼアリアは立ち上がった。
「じゃあ、鍛錬に行ってくるわ。」
「お昼にはお戻りくださいね!」
騎士団に入るとういう目標を父に話せたからか、気持ちがだいぶ軽くなった。
婚約破棄されたことはまだ少し、引きずっているけれど。
せめて面と向かって言ってほしかった。手紙で一方的に終わりを告げられるのは辛いものがある。
(アーレリウス……彼にとってあの二年は簡単に捨てられるものだったのね。)
それもたった一通の手紙で。たった一文で。
思い返してしょんぼりと落ち込む。完全に立ち直るにはまだまだ時間がかかりそうだった。
「ロゼ……?」
タイミングが良いと言うべきか悪いと言うべきか。ちょうど前から歩いてきたのは、母、ロゼッタ。
「ど、貴女、その髪……」
「今しがたフィオラに切っていただきました。」
「な、なぜそんなことを……!?」
よたよたと娘の元へ寄ったロゼッタは、震える手でロゼアリアの髪を撫でる。腰まで届いていた豊かな髪は、もうどこにも無い。
「こんなに……」
「騎士団に入団しますから。」
「お父様と同じように、母も入団は認めていないのですよ。」
両親に反対されても、ロゼアリアは自分の考えを変えるつもりはない。だから髪を切ってみせたのだ。