第44話 はむぶの長い1日 後日談…その3
長野総合通信局の電波監視フロアは、新築らしく無駄にきれいだった。
床はピカピカ、壁は白、そして人の気配が薄い。
「こちらが、電波監視関係の執務エリアです。あ、ここや電波監視車両は基本的に撮影不可なんで、そこはよろしく。」 島見杏果が淡々と説明する。
「……思ったより静かですし、地味ですね」 中条みなみが、思わず声を潜めた。
「監視って、基本は“何も起きない”のを確認する仕事だから」 彩鼓が知ったように言う。
「何か起きたら、だいたい地獄だけどね」 真宵が現実を補足する。
――そのときだった。
廊下の端。
消火栓の横。
人が立つべきではないのに、なぜか完璧に馴染んでいる場所。
そこに、男がいた。
五十前後。
くたびれたスーツ。
ネクタイは緩く、腕組み、半目。
「……あ」 彩鼓が即座に反応する。
「いると思った」 寺尾が頷く。
「長野にも自然発生するんだ……」 真宵が失礼な感想を述べる。
「え、知り合いなんですか?」 みなみが小声で聞く。
「うん」 「うん」 「うん」 「まあ、うん」
四人の返事が微妙に揃う。
島見が一歩前に出た。 「戸隠さん。今日は施設見学の案内を――」
「聞いてるよ」
男――戸隠弘明は、ゆっくりと目を開けた。 そして、はむぶの面々を一人ずつ眺め――
みなみで、止まった。
「……君は」 一拍。 「初めて見る顔だが……」
みなみが反射的に背筋を伸ばす。 「は、はい! 中条みなみです!」
「……どこかで見たことがある」 「えっ!?」
部員たちが一斉にざわつく。
「名簿に載ってないですよね?」 「盗撮とかじゃないよね?」 「違う違う!」
「いや、そういう意味じゃない」 戸隠は顎に手を当てる。 「テレビ……いや、イベント……?」
その瞬間だった。
「やっぱりィィィ!!」
モニター列の奥から、飛び出してくる男。 三十代後半、名札が無駄にピカピカ。
「名立です!!」
「出てくるな」 戸隠が即答する。
「中条みなみ!」 名立は指を突きつける。 「どっぺる坂16・紫担当!」
「うわぁぁぁ!」 みなみが崩れ落ちかける。
「やっぱりか……」 戸隠が静かに納得する。
「新潟ローカルアイドル!」 名立は止まらない。 「さらに! 越後テレビ『えちごのいちご』で不定期アシスタント出演! 主にロケ補助回!」
「やめてください! ここ役所です!」
「役所でもアイドルはアイドルです!」 「違う!」
彩鼓が小声で囁く。 「……だから見たことあるって言ったんだ」
「はい」 名立は胸を張る。 「私は見逃しません」
「それは自慢にならない」 島見が冷静に切る。
「いや」 戸隠はゆっくり頷いた。 「これで腑に落ちた」
「腑に落ちるんですか!?」
「人の顔は、現場で見るか、テレビで見るかだ」 戸隠は淡々と続ける。 「テレビで見る人間が、現場に立つと違和感が残る」
「それ、褒めてます?」 「半分」
みなみは完全に赤面していた。 「……部活では、普通の部員なんですけど」
「それがいい」 戸隠は即答する。 「両立できてる証拠だ」
名立が小声で。 「尊い……」
「名立…おまえ。少し黙れや、あと来客に指差すな…さて」 戸隠は話を切り替えるように手を叩いた。 「次は監視車――DEURAS-M6を見せよう」
「えっ、いいんですか!?」
「高校生アマチュア無線家は」 一拍。 「車とアンテナでテンションが上がる」
「経験則ですか?」
「経験則だ」
はむぶ一同、そしてみなみも―― 完全に同意した。
島見は少し後ろで、肩をすくめる。 「……長野まで来て、まさか正体がバレるとは」
「現場は」 戸隠は歩き出しながら言った。 「いつも、想定外だ」
昼行灯電波監視官の背中を見ながら、
みなみは思った。
(……ここ、アイドルやる場所じゃないけど) (なんか、嫌いじゃない)
――1階ビルドインガレージ。
自動ドアが開いた先にあったのは、
拍子抜けするほど普通の高級ミニバンだった。
「……あれ?」
みなみが首を傾げる。
「思ったより……普通ですね?」
「普通であることに全力を尽くした結果だ」
戸隠が、誇るでもなく言った。
ボディはトヨマ製の黒。
街中で見かけても、まず役所の車とは思われないやつだ。
「アンテナも……これだけ?」
みなみがリアを指さす。
業務無線用と受信用のホイップアンテナが、申し訳程度に二本。
「それ以上立てると不法無線局にバレる」
戸隠は即答した。
「方位測定のアンテナは?」
「天井に埋めてある」
「……え、見えないじゃないですか」
「見えたら負けだ」
名立が車の周りをぐるっと一周する。
「じゃあ、これ……テレビで見たのと同じ……?」
その一言で、
島見が咳払いをした。
「……ああ、えちごのいちごの件?」
「はい! 一日局長回です!」
名立の目が輝く。
「大山みさきさんが乗ってたやつですよね!?」
みなみがビクッとした。
「ちょ、ちょっと名立さん!」
「外観も内装もモザイクだらけで!」
名立は続ける。
「逆に怪しかった!」
「モザイクは正しい使い方だ」
戸隠は淡々と言った。
「役所の車は、見せないことで安心させるし、連中の目も眩ませられる」
「哲学ですね……」
「経験則だ」
みなみは、そっとドアの内側を覗く。
中は整然。
機材は多いが、ごちゃごちゃしていない。
「……アイドルが乗ってた車と、同じとは思えない」
「乗ってる人間が違えば、ただの箱だ」
戸隠は肩をすくめる。
「それに――」
一拍置いて。
「この車は、騒がれる仕事をするもんじゃない」
みなみは、少しだけ真顔になった。
「……何も起きないための車、ですか?」
「そういうことだ」
その空気を、名立が壊す。
「でも須坂行くんですよね?」
「行く」
「センサー見学ですよね?」
「行く」
戸隠は迷いなく言い切った。
「だから今日は――」
「ジャンボタクシーだ」
「えっ」
「この車は展示用じゃないんだが、見ての通り運転手含めて4人しか乗れない。あとは内規がな…」
みなみは一瞬きょとんとして、
そして笑った。
「……なんか、思ってた役所と違いますね」
「現場は」
戸隠は歩き出しながら言った。
「だいたい、思ってた通りにはならん」
その背中を追いながら、
みなみは胸の中で小さく思う。
(……この人たち)
(地味だけど、変で、でも)
(ちょっと、かっこいい)
このあと須坂で、鳥の糞に全員が悲鳴を上げることになるとも知らずに。




