5.豊満美! 摩崖マシュマロ女神像
「あのう、頭さま……。勇者さまに、お聞きしたいことがあるのです。よろしいでしょうか」
てくてく道をゆく俺と猫ちゃん達。ふいと右側から声がかかった。
「何だ、八偉? はやる様に、じかにお話してみればよかろう」
俺のうなじの後ろ、背負ったバックパックの中から、ハニーパパが答える。
「うん、なあに? ハチ君!」
「はい……勇者さま。あの戦い方は、いったい何なのです?」
俺の右脇を歩く、はちわれ猫のハチ君が、ちょっと緊張した風に聞いてきた。大きな体の若いねこ君である。
「あれはねー、空手」
「からて?」
「そう、空手。俺、高校まで習ってたんだ」
全然うまくも強くもなかった。ひょろひょろいじめられっ子だった俺を心配した家族が、とりあえず家に近いからと道場に入れた。寸止めするところである……迷惑かかるといけないから、流派と道場名はここでは言わないよ。
俺はそもそもの運動神経が良くないし、にぶいから組手は当然むいてない。かと言って型が良いわけでもない。みち子師範に怒られても、ほとんど覚えることができなかった。
じゃあ俺は何をしていたのかというと、ひたすら正拳突きを上中下と繰り出して、気合を発しているだけだった。本当にそれだけだったんだけど……。
――どうしてなんだか、その正拳突きが、ここではすんごい役に立ってる……。
俺は再び、自分の右手を見た。グー。
ずうっと空を切ってるだけで、何の評価もつかなかった俺のこぶしが、こんな風に誰かを守れる力になるなんて。おかしな展開だけど、俺は素直に嬉しかった。
「その“からて”というのは、体術なのですか? 先ほどはやる様の前足が白く光って、何やらけむりのようなものを出していたように見えたのですが」
左脇をゆくクロ君も、聞いて来る。こっちも若い、たぶんこの中で一番若いんじゃないのかな。小柄でかわいいんだけど、黒猫だけにずいぶんクールな雰囲気をまとっている。
「武器を使わない武道だから、……うん、体術ってことになるね! 護身術っても言うかなあ」
「幻術や、忍術ではないのですか?」
「何を言うのよ、玄道。勇者さまの聖なる力が、そういうまやかしやからくりの類であるわけ、ないでしょうが」
ハニーちゃんが、ぴしっと言った。他の若い猫ガイ達にとって、彼女はお姉さん的な存在なのだろうか?
ふと見上げた空が、うすい緑色をしている。これまであまり見たことのない空色だけど、俺はそんなに違和感を持たなかった。猫ちゃんロボがしゃべるくらいだ、旅先では予期せぬことが起こるものさ! ……あれ。と言うかロボな割にはハニーパパ、怪我して血が出てたけど……え??
「日が暮れる前に、あそこの森山へ入りますよ」
前方をあごでさし示しながら、ハニーちゃんが言った。
「今夜は、そこのお寺に宿りましょう」
「えーっ! まさか、宿坊ってやつ!?」
お寺の参拝客が宿泊できる僧房がある、と聞いたことがあったが……。一般向けにかなりハードル高いのでは!?
「すごい。俺、いっぺん泊まってみたかったんだ~!!」
・ ・ ・ ・ ・
オレンジ色の夕陽に照らされた崖のなかに、すごい仏像が鎮座していたッッ!
「うおお、何これーッッ!? バーミヤン!? 壊されたんじゃなかったのーッ!」
でっかい樹々の合間をぬって、ぼこぼこした石段を登って来た(疲れた~)ところにいきなりこんなのを見せられて、俺はびびりまくった。
「えーと、えーと何て言うんだっけこういうの。崖の岩に彫られた仏さま。ああ、まがいぶつ……摩崖仏~! 臼杵の方は知ってたけど、ここにもあるんだねッ。めっちゃ映えるぅぅ」
スマホでばしゃばしゃ連撮しつつ、俺は崖に近づいて行った。
「しー、はやるさん。ここはお寺、聖所ですからね……静かにしましょうね」
ハニーちゃんに優しくたしなめられて、俺はどきっと我に返る。
「ほんとだ、ごめんなさい……。あんまりきれいだから、つい興奮しちゃいました」
「ふふふ、そうよね。わたし達の導き手は、とっても綺麗な方ですからね」
「えっ?」
スマホを下げ、画面ごしでなく直接に見て、俺はようやく気がついた。
「これ、仏さまじゃないの……?」
まるッとまろやかな顔にやさしーい微笑み。ネックレスみたいなアクセサリーを首に手首に、頭にじゃらじゃらまきつけて、巨大な岩肌に浮き出ているのは女のひとだった。かるく持ち上げた両手の中に、お花をたくさん持っている。
「マシュマロボディの、ふくよか女神さまだ……! 何という、うつくしきおっp……」
言いかけて、俺は慌てて口をつぐむ。危なかった、ハニーちゃんの前ではそういうことを口に出してはいかん! 礼賛の意味で言っても、セクハラと捉えられてしまいかねない世の中である!
「……うつくしい神さまだね!」
「いにしえの時代、ここに僧侶たちがたくさん住んで、神像を岩に刻む修行をしていたのよ。その聖なる威光のおかげでしょう、粘菌族も寄りつかないの」
「へえー……」
崖から少し離れたところに、小さな建物が見えた。
「さあ、ご住職さまに会いに行きましょう。はやる様」
「こっちです、勇者さま」
にゃんにゃん促してくる猫ガイたち。俺は夕陽にあたたかく照らされた、そのお堂に足を向けた。