13.さよなら別府! また来て別府!
ついにたどりついた温泉は……。月光と湯けむりのまじりあう、岩湯だった!!
「う・ぎゃ~~!! 何つう、気持ち良さッ」
つかる足先から、全身に向けてしみわたる熱!
――やっっったー!! 俺、ついに別府温泉につかったぁぁぁ!
「気持ちよいですなー、はやる様」
「ほんとに! あ、でもトニーさん、大丈夫ですか? ここのお湯、けっこう熱めですよ」
「なんの、なんの」
にゃんにゃんとうなづいたハニーパパの顔が、もわッとふくらんだ。
「?」
もわ。 もわ、もわもわ、もわん……。
「……トニーさん……??」
俺は、口を四角く開けた。何の冗談? どっきり? ハリウッドなの?
湯けむりたなびくその水面に、……いかついおじさんが。そう、人間のおじさんがつかって、にこにこ俺に笑いかけていた。
「何でしょう?」
ハニーパパと、同じ声である。
俺は思わずのけぞって、お湯の中で転びかける。
その時、左側にいたクロ君とハチ君の小さな頭も、次々にもわもわとふくらんだ。ふくらんでいって……それぞれ高校生くらいの小柄な男の子と、俺と同年代の大柄な男性の姿を、とった……。
「う、そーッッ!? 何!? 何なの、猫ちゃんが人間にーッッ!?」
ざばっ! 思わず俺は立ち上がった。……が、うう寒い。すぐつかり直す。
「どうしました、はやる様??」
「ああ、そうかー。頭さま、はやる様は異界の勇者だから、知らないんじゃないんですか?」
「うむ、そうだったな」
ああ、クロ君もハチ君も、みんな声が同じだ……! 特殊効果SFXとかじゃないぞ、俺の目がはっきりとねこ→ひとへの変貌を見たのだからッ!
がくぶる震えながら、俺はようやく質問してみる。
「……皆さん、人間だったんですか!? それとも猫ちゃんなんですかッ」
「ふた足も、よつ足も、どちらも我々自身です。あなたと違い、我々は“湯けむり”の少ないところでは“ふた足”ではいられません。なので湯郷の里や町から出る時は、からだの中から水気をひり出し、小さな“よつ足”姿となって、移動するのですよ」
「しいたけ天日干しにて、小さくするのと同じだよ」
「いやッ、クロ君、しいたけは干したってしいたけじゃない!? 原型とどめるでしょッ」
人間を干したらミイラになるのが普通でないのか、何をどうしたらねこになるのだ!
「それで、頃合が来たらこのように湯につかり、もどるわけです」
「まさか……まさか、そんな! どんこみたいな現象が……!?」
いくら干ししいたけの国内生産量No.1だからって! 大分県!
「ここではこれが普通なのですよ。あなたの故郷では、違うのですな」
「……あのう。ひょっとしてもしかして、……日本じゃないんですか? ここは」
「日本って言うのですね、はやる様の国は? ここは湯湧き出ずる国、湯本ですよ」
「……ゆっぽん……!? はっ、そうか! 箱根湯本と差異化をはかるために、そんな読み方を!? ていうか何なの、その異世界設定ッッ」
いや、ファンタジーにしては剣も魔法も妖精も全然なくって、あるのはねこ&きのこだ!
「えー? そもそも、はやる様が異界から俺らの現実世界に来ているんでしょ?」
こんぐらかって来たと言うか、茫然と言うか……いや混乱。ぬおお、こんな人生展開になると知っていれば……。もっと転生・転移系のライトノベルを読み込んでおけばよかった!!
「ど……どうしよう。俺の有給、明日までなんです! とにかく何とかして、明日昼前の羽田行きANエアーに乗って、帰らなくちゃ!」
「えっ、帰っちゃうの? はやる様?」
「そんなぁ……」
「惜しいですなぁ。粘菌どもはまだまだ、大量にはびこっておりますし」
「あなたが勇者として、このヴェップにいてくだされば、これほど力強いことはないのですが……!」
クロ君もハチ君も、後ろのヌーディ武将たちも、しゅーんと悲しそうな顔で俺を見た。ハニーパパだけが無言で、俺をまっすぐ見つめたままうなづいている。
それにしても、皆ほんとに毛深い裸だ。お湯につかったその上、鎖骨のあたりや肩の上まで、うっすらもじゃもじゃ毛におおわれている。
「ごめんなさい、……」
俺は目を伏せて、ざばりとお湯から上がった。
そのまま、勢いを削がずに早足で脱衣所へ向かう。ゆかたを引っかけて細帯を結んで、……ああいけない、うっかり空手着の要領で結んじゃったよ。
「帰らなくちゃ」
上司や同僚やクライアンツに全く必要とされていなくても、俺はリーマンだ。
有給休暇をとった以上は、給料を取りに出社しなくちゃいけない。そう、何の興味もない世界だが、日常へ戻らなければ。休暇は、日常のありがたみを実感するためにあるものなのだから……。
焦りにあせって、頭の中がごちゃごちゃしてきた。熱いお湯につかっていた分、何だかふわふわした心地もするし……。
青い男湯のれんをくぐる。女湯入り口との間、そこに置かれた長床几に腰かけていた女性が、ふいと顔を上げた。
「あらっ! あなたも、お湯がはやいのね!」
にこっと笑った瞳が、みどり色だった。
「……」
「お父さんは、とっても長風呂なの。厨房でお茶をいただいて、待っていましょう」
なま乾きの短め黒髪ボブカットを揺らして、彼女は立ち上がる。……浴衣の合わせ目、のど元に、ちら・きらッと体毛が光った。あかいと言うか……みかん色……。
「あのう。もしかしてひょっとして、あなたは。まさか」
はにかみながら、そのひとはちょっと笑ってうなづいた。
「……どんこ現象でもどった、ハニーちゃん……??」
「そう」
ど・ぎゃーーーーん!!!
頭に血が逆流するのがわかった。
「え、ちょっと……どうしたの? はやるさん! 気分が悪いの? お湯あたり?」
ふらつきよろめいて、壁に手をついた俺を見て、ハニーさんはおろおろとした。
「いやもう、あんまりと言いますか」
そう、あんまりだ。超絶かわゆい猫と、超絶きれいなお姉さんが表裏一体、中のひとが同じだなんて。ひと粒で二度おいしい、アーモンド・グ……いやいやいや、ハートがもう一つ。ハニーちゃんは、俺を好いてくれてると言ったよ? 相思相愛がすぐそこに、何てこった! 転移とみせかけ異世界恋愛だったなんて……! 本当、ジャンルどうしたらいいんだよ!?
「ええと……あんまり、いきなりしあわせすぎて」
「ああ……やっぱりお茶を飲みに行きましょう、ね。厨房はすぐそこなのよ、しっかりして。ほら」
ハニーさんに腕をとられて、歩き出す。すぐ横の頭から、温泉のあの良い匂いがした。
「……あのね、ハニーさん」
「なあに?」
「俺、帰るのやめます」
・ ・ ・
青いのれんが揺れた。
身長低い順に男湯入り口のかげに顔を並べて、過ぎ去る二人を見送っていた毛むくじゃらヌーディ・ガイ達が、満足そうにぼそぼそ囁きあっている。
「よかった。いてくれるってさ」
「やりましたね」
「これで、ヴェップの未来は安泰であります」
「さすが、私の娘。羽仁のやつ、この国を救いよった」
「頭さまー。安心できたし、もう一度お湯につかりません?」
【完】




