1.ANエアー317便、大分空港行き
「ご搭乗、ありがとうございます!」
すてきなCAさんの弾ける笑顔!
俺もつられてぺかッと笑った。しかし彼女の手元、飴ちゃん満載の籠を見て凍りつく。……今日~は、揺れるッッ。
「25のAですね! このままお進みください」
――いや、まあ、しかし……大丈夫だいじょうぶ! 何と言ってもANエアーだもん。アメイジング・ニッポン・エアー、日の丸かがやくフラッグ・キャリアだぜ~。
もらった飴とイヤホンを握りしめて、俺は窓側25のA席に座った。バックパックは小さく作ってきたから、頭上の収納棚に入れるまでもない。足元スペースに押し込む。
むしろ隣席の小柄なおじいさんが、レトロな旅行かばんを棚に入れようとしているのを手伝った。
「すまんね、お兄さん」
「いえいえ!」
待ちに待った、別府温泉・二泊三日旅行のはじまり! 俺はすっっごく、機嫌がよろしい。だってここのところ、全くついていなかった……。
(1)急病ダウンしてしまった同僚のピンチヒッター、肩代わり業務でぶっちぎりの鮮やかミス。上司とクライアント、内外双方に怒られまくって、誰もかれもに白い眼で見られ続ける。
(2)ずっと気になっていた、美少女大学生の青山さんが講師と相思相愛アムルー関係になってしまい、フランス語教室に通い続けるモチベーションが落ちまくり。DELF~~? 今年はもうどうでもいいよ。
(3)仕上げに、自宅アパートの鍵が壊れた……。砂詰まりだか何だか知らないけど、夜更けに2時間待たされて、鍵開け業者に6万円って痛すぎる。わかるひと~~??
こんな風に、生霊でもついてんのかと思うくらい、小さな悪運が重なりまくって弱っていた。
だから、ネット広告で見かけた風景に……ほろっと、癒しを見出してしまったのだ。ほかほか……湯けむり……。
「そうだ! 温泉!! 別府に行こうッッ」
ローシーズンの閑散期ではあったけれど、あんまりするッとマイレージ特典の航空券が予約できたのには、わりと驚いた。
冷っこい視線の上司が、すんなり有休申請を承諾してくれたのにもびっくりした。……つきが戻って来たのかなと思う。
『……羽田空港発、大分空港行き317便でございます。本日は悪天候のため、多少の揺れが予想されます。着席の際は必ず、シートベルトをしっかりお締めください……』
すぱっと離陸した後に、CAさんの機内アナウンスがふわりと流れた。
『なお機長判断により、安全上の理由から、機内サービスを縮小いたします……』
飲み物はりんごジュース一択になるらしい。ううむ……俺はここんちのオリジナルスープが大好きなのだが、仕方がない。配ってる瞬間に大きく揺れて、CAさんのお手々やお顔に熱々スープがかかってしまっては、一大事だからな?
可憐にクールなスカーフの美しい、愛するANエアーのCAさんたちの安全のためなら、たいていのことは我慢できるぞ。
残念ながらの曇天、窓からの眺めはない。飛行機は雲の間を飛んでいる、時々分厚いガラス面の向こう側に、細い水流が走る。
ストックしておいた漫画を読もうとスマホを取り出し、電子書籍リーダーアプリを立ち上げようとした時。
がくん、と衝撃が走る。ずいぶん下がった。
「うわっっ」
「きゃーっ」
あちこちの乗客たちが叫んだ。がく、がくがく…かなりの揺れだ!
「ううっ……」
隣のおじいさんも、真っ青な顔でうめいている。すがるような目で、俺を見てきた。
「これは、また……! ひどく揺れるねっ? 大丈夫なのかな……」
シートベルトを確かめる手が、震えている。
「大丈夫ですよ! ANエアーですから!」
明るく言ったが、実は俺も内心ではびびっている。けれど俺は、心の底からANエアーを信頼していた。
語学留学に行った時は有名な外資系エアラインを使ったのだが……そこのCA達は、言葉の通じないエコノミークラスの客とは、なるべく関わりたくないようだった。
長距離フライトの重労働だし、そりゃあ気持ちはもちろんわかる。けどさ、俺が大学授業で学んだ初級フランス語。すんごーい緊張して、でも勇気出して使ってみたのに、発音まちがいを直してくるって……何? 突込み?? さすがに切なかった、通じてるんならそのまま流してよって思うの俺だけ~??
この悲しき経緯から、卒業旅行には日系航空会社を選んでみた。そして、全てのコミュニケーションが日本語でできちゃう環境のすばらしさに、俺は感動した。
誰も見ていなくっても(いや俺はじーっと見てましたが)、指さし点検をしているCAさん!
何かお願いしたり、聞いたりすると、メモを取って対応してくれるCAさん!!!
安全を約束してくれる機長のご挨拶が、ちゃんとわかる放送!
ああ……ANエアー。滑走路に行く前に、空港整備の人が手を振ってくれるのが見える(だから俺は窓席派)。
雨の中にロゴ入りポンチョ装備で立っている、グラウンドスタッフは騎士のようだ。到着遅延を巻き返そうと奮闘している、清掃スタッフの皆さんの背中がかっこいいぜ……。
こうしてANエアーに惚れ込んでからは、辛いことや嫌なことがあると、空を見上げるようになった。この上を飛んでいるANエアーがいるんだと思えば、元気も出る。
……長くなったが、そういうANエアーの機体が落ちるだなんて、俺はみじんこほども疑わない。……それに。
「それにですね、万が一何かあって、不時着とかしても! 自衛隊がすぐに来て、助けてくれるから大丈夫ですよ~!」
そう、ここは日本なんだもんね!
「えっ……? 今は海の上だから、来るのは海上保安庁じゃないの……?」
おじいさんの前のタブレット画面には、リアルタイム飛行地点を示す地図が映っていた。蒼ざめていても、割と冷静な人らしい。
がく、がくん……がこ、こっ!
「わあー」
「ひぃー」
『皆さま、ただいまかなり揺れておりますが、安全について問題は全くありません……』
揺れはおさまらない。悲鳴とアナウンスが入り混じる。
俺も胃の辺りが、落ち着かなくなってきた。人生初のエチケット袋使用体験が、近づいているのかもしれないな……!
床の上で両足を強く踏みしめると、たまたまバックパックを挟み込む形になった。
その瞬間。
かあっ……
衝撃が右側から押し寄せた、強烈な光……閃光が窓をつき抜けて、俺の右半身を包む。
「えっ……!?」
驚いて顔をそちらに向けかけ、俺は視界いっぱいに奇妙なものを見た。
緑……
緑色の、空。そして白い光、光、光……ちょっとだいだい・みかん色……
しゅばッッッ!!!
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