国の命運が決まった日
日本転移から数日が経過した。
政府からの報道は連日続いているが、明らかになったことはそう多くない。
現在日本はエルミリアと呼ばれる帝国の近海上空に停滞していること。すでに帝国使者との外交が始まっていることなどが主だ。
ライフラインについては全国的にまだしばらくは持続可能と言われているが、電力の使用については最小限に留めるよう言われていることから、俺のバイト先である冷凍食品工場は稼働していない。
可能な限り普段どおりの生活を、と言われても無理がある。バイトもないし、普通に買い物をするにしても、お金で物を売って貰えるのか少し恐く思うようになってしまった。
むしろ、なぜいまだ日本円が使えているのか不思議に思うまである。
きっとみんな何かに価値を求めないと不安で、暗黙の了解として貨幣の価値を認めている状態なんだと思う。
そして人口の多い都市部では早くも諸々の問題が露呈し、地方に人口が流れ始めていた。
しかし、ことはそう単純にはいかない。
ひとたび飛竜の襲撃があれば頑丈な建物の中にでもいなければどうにもならず、安易に外出もままならない。生産活動にも支障が出るレベルだ。
幸いと言うべきか、俺たちも野生の飛竜を見たには見たが、全国的に見て絶対数はそう多くはないようなことがわかってきた。
ただ、ひ弱な人間は格好のエサであるようで、連日のように死者が報道されていた。
だから現在、政府はエルミリア帝国への移住についても交渉を重ねているらしい。
なんでも、日本の技術や文化はエルミリア帝国でも高く評価されるようなことがわかってきた。
それにしても、どこの世界にも頭の良い人はいるものだ。
どうしてこうも早く交渉ができるレベルで他世界の言語を習得する者が現れるのだろうか。いや、きっと政府や高官が死にものぐるいで取り組んでくれているのだろう。
俺も試しに、あのドラゴンに半身をやられた戦士の見舞いに行ってみたが、その言語はまったくと言っていいほど理解不能だった。
これで少しでも異世界の情報を得られたならば大きなアドバンテージになると思ってのことだったが、そう上手くはいかないらしい。
だが、助かった彼も今は時間を持て余している様子であったし、こんな状況では何が足しになるかもわからず、俺は何度か彼の元に見舞いに通っていた。
始めに何度か同じ単語を自分を指差して発音するものだから、彼の名はヒチムメィサだということがわかった。
聞き慣れない音だが、これからお世話になる世界の言葉だし、俺は前向きに捉えていこうと思っていた。何日か通ううち、俺は彼のことをメィサと呼ぶようになっていた。
メィサは22歳。飛竜隊に入って4年、小隊長である。言葉はまったくわからないが、時間をかければ意外とジェスチャーでなんとかなった。ただ、ドラゴンと戦っていた理由だとか、詳しいことまではさすがに言葉なしではわからなかった。
メィサは手足を失ったというのに気さくにで良く笑う明るい青年だった。ただ、時折窓の外に広がる元は海だった大地の断崖を見て寂しそうな顔を見せた。
その理由を、俺は少しして知ることになる。
日本転移から10日ほど経過したところで、政府から重大な発表があった。
俺も自分の部屋で、ひとりそのテレビ放送を見ていたのである。
始めに総理大臣が出てきて深くお辞儀をすると、この国をこれ以上このまま維持することはできないと発言した。
そしてその後、基準日を定めてエルミリア帝国に属することを宣言し、その後は帝国のルールが適用されることが名言された。
そしてそこで、総理大臣の隣に見知らぬ人物が現れて並び立った。
見るからに帝国の人間であるとわかる服装をしており、その顔つきもまた、少しの遊びも含まぬ険しい表情をしていた。それだけを見てもこれから始まる属国としての厳しい扱いを想像せざるを得なかったが、まさにそのとおり、その内容は俺の想像を遥かに超えた壮絶なものだった。
まず、帝国は日本の技術や文化を価値あるものと認め、受け入れることを決定した。
ただし、帝国も一億を超える日本人を全員受け入れることは不可能であることを名言し、技術や能力を持った人間だけを有益な存在として受け入れる旨の話を展開した。
続いて説明されたのは、帝国のルールでは日本のような成熟した弱者救済制度が存在しないこと。つまり弱者は自然の摂理のまま淘汰されるものであることが説明された。
ただし、急な死刑宣告にも似た行いは非人道的であるとの考え方も示し、転移した日本列島についてはそのまま特区として独自の文化を保ったまま生活を維持することを認めた。
そのうえで、帝国が有益と判断した人物に対しては現日本政府より順次、適格証なる物を郵送することとし、それを持った人間のみが後日設置される転送ゲートを通じて地上の帝国に降りることができる。
そんな内容の取り決めだった。
可能な限り、聞こえを良く取り繕ったのだろうが、俺が聞こえたように解説してみよう。
まずこの短期間で全国民に対し、有益な存在か否かの選別を行うことなど不可能だ。
よってそれは既存の枠組みを用いられた可能性が高い。
そして弱者を除く話からも想像するに、少なくとも、一定の年齢以上の者、犯罪者、障害者、生活保護者など、リスト化されている者はそれだけで移住対象外と判断される。
おそらくは税申告で極端に所得の少ない者やニートの類もリスト入りだ。
そして聞こえ良くこの国での生活維持を認めるとは言ったが、そもそも自立すらできていなかった人間を寄せ集めて残したところで生存していけるか否かを理解した上での発言となれば聞こえ方は変わってくる。
生産能力のある者もなく、医療機関もなくなるだろう、自治機能も失われ、野生の飛竜は野放しだ。
ハッキリと言おう。
老人、犯罪者、障害者、生活保護者、ニートまたはそれに類する者は捨て置く決定である。
これは、紛れもなく棄民政策だった。
そして続く詳細な説明の中で、移住期間終了ののち、電力その他インフラの供給を停止することが決定された。
俺はその日、あてもなくフラフラと街を歩き、なんとなくメィサのところに寄った。
帝国の民である彼ならば、もしかしたら俺を助けてくれると思っていたのかも知れない。
その日、珍しく外に出たいと主張したメィサを車椅子に乗せて、俺は彼が指し示すまま、波止場だった断崖まで歩いた。
メィサはそこで俺に小さなバッグとペンダントを手渡し、意味もわからず首を傾げている俺を尻目に、車椅子から飛び上がって、断崖から落下していった。
帝国では、弱者は淘汰される。
右手右脚を失った彼は、もう飛竜隊として役目を果たすことはできない。
それをわかっていたから、誰かに迷惑をかける前にメィサは自殺をしたのだ。
彼が病室で窓の外を寂しそうに見ていたのは、これが理由だったのだ。
俺は絶望に暮れるしかなかった。