バカという一点において賢者を超越するバカ
外での爆発音を聞いた俺と灯里は妙な胸騒ぎを覚えて家を飛び出した。
爆発音の原因は一目瞭然、それほど遠くない場所でドラゴンが空を泳いでいる。そして何度か地上に向けてブレスを吐き出している。
「うそ……うそだよね……お父さん! お母さん!」
灯里はしばらく呆然と立ち尽くしていた。
爆炎が上がった方向は、まさかとは思うが、近くのガソリンスタンドがある方向だった。
いや、爆発ともなればドラゴンのブレスによる引火が一番可能性が高いのかも知れない。そんなことは考えたくもなかったが。
「いやぁっ! お父さんっ! お母さんっ!」
それに思い当たったのだろう。灯里は即座に爆発の合った方向へ駆け出していた。
「おい灯里っ! 危険だやめろっ!」
俺は思わず声を上げたが灯里の耳には届かない。やむなく俺は灯里のあとを追うしかなかった。
文武両道、なんでも器用にこなす灯里は当然のように足も速かったが、まさかその高い身体能力が裏目に出る日がくるとは思わなかった。
俺だって運動神経にも自信はあったが、灯里があまりに全速力で走るものだから、それに追いついて止めることができなかったのだ。
俺たちはとうとう、爆心地までやってきてしまったのだった。
そしてそこで俺たちは見てしまった。
上空のドラゴンに向けて銃を撃つ集団を。
「くそっ! 銃でもまるで歯がたたねぇ!」
「バケモノか! なんて硬ェんだあの鱗!」
その集団はまるで自分たちの周りが何も見えていない様子だった。
「あいつらがドラゴンを刺激したんじゃないだろうな……」
その弾丸にドラゴンに対する殺傷力があろうとなかろうと、ドラゴンにとっては目障りに違いない。
ドラゴンにとってはコバエのようにうるさい彼らを黙らせるため、地上に向かってブレスを吐いていたのだ。
彼らが戦っているつもりでいるのは爆発をしたガソリンスタンドからかなり離れた位置ではあった。
が、ドラゴンにしてみればそんなことを気にせず周囲一帯にブレスを巻き散らかすのである。
それがたまたま、ガソリンスタンドに飛び火してしまった、それだけのことだったのだろう。
しかし、その結果だけを見れば俺たちにとっては最悪な結末がそこには待ち構えていた。
「いや……いやぁ……」
灯里はそれを見て、愕然と膝を落とした。
良く見覚えのある車が、真っ黒に変わり果てた姿で上下逆さまに転がっていたのだった。
俺も、過呼吸のように息が荒くなるのを感じていた。
あんなに優しいおじさんとおばさんが、こんなに呆気なく死んでいいはずがない。
だってそもそも、もう使う予定のない車にガソリンを給油するなんて言い出したのは、ここに残る俺を気遣ってのことだったんだ。
だったらむしろ、死ぬのは俺のほうが良かった。なぜならどうせ俺は地上には降りられないし、そこで灯里を守ってやることもできないのだから。
俺と灯里の両親では、絶対的に命の価値が違うのだから。
「うそ……だろ……?」
俺も灯里と同じく、脱力したまま立ち尽くすことしかできなかった。
やがてドラゴンは俺の視界の端で銃を持った人間どもをひとり残らず消し去った。
それはいい。
余計なことをしてドラゴンを刺激したバカ共など、死んだほうがいいのだから。
バカはそのバカという一点においてのみ、我々の予想を外れる行動を取る。
おおよそ同じ人類とは思えないような知能の低さを露呈して、周囲に迷惑をまき散らす。
だけどその命を以てしても償えない損害を出しておいて、死ぬだけで許されるなんておかしな話だ。
それなら俺や灯里の怒りや悲しみはいったいどうすればいいというのだろう。
それとも、もはや俺たち人間にはそんなことを思うだけの尊厳も認められていないのだろうか。
ただ、エサや的として上位生物のために存在していればいい家畜なのだろうか。
もしかしたら、下手に生き延びるよりも、ここで死んでおいたほうが幸せなのではないだろうか。
「は、遥斗くん……に、逃げて……」
俺の意識の外からわずかに灯里の声が聞こえた。けれど灯里は相変わらず俺の目の前で膝をついたまま、座り込んでいた。
そこで俺はふと、周囲が異様に暗くなっていたことに気づいた。
おかしいと思って視線を上げると、俺と灯里の目の前にはアスファルトにその鉤爪を食い込ませた強大な存在、ドラゴンが立ち塞がっていたのだった。
数日前、灯里の家の数軒隣に墜落した手負いのドラゴンだ。
メィサとその小隊を壊滅させたドラゴンだ。
今日まで全国ニュースでもドラゴンが出没したなんて見ていない。
それくらいドラゴンなんて存在はレアなんだろう。
どうしてそんな存在が俺たちの前にいるんだろう?
あの日からずっと裏の山にでも住み着いていたのだろうか?
俺たちの運が悪かっただけなのだろうか。
もう逃げる気も起きない。
諦めしかない。
そう思ってなお呆然と立ち尽くしていた俺に再び灯里の声が届く。
「遥斗くん、諦めないで、生き抜いてね」
その声を認識したとき、灯里はドラゴンの禍々しい手によって胴体を鷲掴みにされていた。
「や、やめてくれ……」
俺は力なく呟いた。けれどもそんな俺の小さな声が届くはずもなく、ドラゴンは大きくその翼を広げた。
灯里をどうするつもりなのか。
少なくともこの場で殺戮をするという様子ではなかった。
だがそんなことを考えても俺にできることなど何ひとつあるわけがなく、呆然と立ち尽くしたまま、ドラゴンが灯里を握ったまま近くの裏山の方へ飛び去って行くのを見ていることしかできなかった。