選ばれなかった者
政府や自治体は連日その対応に追われていた。
適格証が送られてこないことに対する問合せ、クレームなどによって。
弱者ほど醜く声の大きな側面がある。だからこそ賢い人間は適格証が届き次第、何も言わず速やかに日本の地を捨てた。
日本に数ヶ所設置された転送ゲートの付近では、『弱者を捨てるのか』などと書かれた段幕類が掲げられ、抗議活動が展開されることになったが、その行動は有益者の移動を妨げるものと判断され、帝国側の人間によって武力鎮圧されてしまった。
そう、飛竜を駆り、強力な魔法攻撃を放つ異世界の騎士に対し、我々日本人は個々に抗う術を持たなかったのである。
なかには有益者から適格証を奪い取る事例も発生した。しかしながら不正に入手された適格証により転送ゲートを潜ろうとした者も即座に見破られ、その場で処刑された。
裁判で裁かれるのではない。
属国のルールは、適用されないのだ。
こうした混乱は、有益者の速やかな移動を促す効果しか生み出さず、いよいよ棄民政策は本格的に動き出した。
そして、魔法に頼らない医療という技術を持つ灯里の一家にも、とうとうその適格証は送られてきた。
「遥斗君、本当に、なんと言えばいいのか……」
苦虫を噛み潰したような表情でおじさんは言った。
「遥斗君が優秀な若者であることは誰の目にも明らかだというのに」
「いえ、仕方ありません。こればっかりは」
俺はすでに諦めの境地にあった。
「まさかこれから全国民を対象に選別試験をする余裕なんかないでしょうしね」
だから子供は単純に親の能力によって適格証の対象か否かを判断される。
なかにはトンビが鷹を産むような事例もあるだろう。
だが統計的に見れば大抵ゴミの子供はゴミに育つ。
それをいちいち判定している余裕などないから、一律に切り捨てましょうという訳だ。
そのなかに存在する優秀な存在を捨ててなお、日本全土には十分な数の有益者がいる。
それだけで理由にはなる。
俺は、親の能力の低さ故に、棄民される側に回ったのだった。
「ま、こっちでも逞しく生きていきますよ、俺は」
そう嘯くのが精一杯だった。
電気も、インフラも、全てが機能停止した形だけ街の姿を保つ日本で、その生活は限りなく原始に近いものになるかも知れない。
いや、それどころか飛竜などの未知の脅威に脅かされることになるし、もしかしたら既存の有害鳥獣すらその生存領域を拡大してくるかも知れない。
「もしかしたら気球でも作って、自力でエルミリア帝国まで降りて行くかも知れませんね」
その過程で間違いなく飛竜の餌になっているだろうが。
俺の強がりをわかっているからこそ、灯里の両親は心を痛めた様子だった。
仕方がない。
いくら人格者である灯里の両親とて、自分たちや大事な娘の命が掛かっているのだから。
「せめて、せめて遥斗君に少しでも役立つよう、なるべく多くの資源を家の中に残していくよ。この家も自由に使ってもらって構わない。そうだ、折角だから車にもガソリンを満タンに残していくことにしよう」
おじさんは最後まで俺を気遣ってくれて、もう出発の時間が近づいているにも関わらず、ガソリンスタンドへ車の給油に行くことになった。
「あなた。こんなときだからガソリンスタンドも混んでいて、少し時間がかかるかも知れないわね」
おばさんはそんなふうにわざとらしく言って、暗に俺と灯里に最後の時間をくれた。
灯里とふたり残された家のなかで、俺たちはしばらく交わす言葉もなく、隣り合って座っていた。
「私、遥斗くんと一緒に残りたい」
それまでずっと喋らなかった灯里が声を発したかと思えば、そんなことだった。
「おじさんたち、メチャクチャ困るぞ」
「だってさ、エルミリア帝国に移住したって、何か保証がある訳でもないんだよ?」
「だけどたぶん、このあとの日本よりはマシだと思う」
「それでも、それでも私は遥斗くんと一緒にいたいの……」
「やめておけって。なんせ俺なんか何者にもなれなかった底辺だからな。灯里とは釣り合わない」
「そんなことないっ! そんなことないよっ!」
俺は黙って首を横に振る。
「灯里はこれから両親についてしっかり医療や技術を学んで、立派な医師になるんだ」
灯里は涙を流しながら聞いていた。
「俺たちは、ここでお別れだな」
それはもう、俺や灯里にはどうしようもない問題だった。
それから灯里は大きく泣き叫び、俺の胸に飛び込んできた。俺もそんな灯里の小さな身体を強く抱きしめて、その体温を自分自身に刻み込んでいた。
「そうだ灯里。実はプレゼントしたいものがある」
不思議そうに俺の顔を見上げる灯里の前に俺はメィサから貰ったあのペンダントを差し出した。
「実はこれ、メィサから貰った物なんだけどさ。魔法かなんかの効果でたくさんの物が収納できるアイテムなんだよ。俺もマジック・クラッチを貰ったからさ、同じ効果の物をふたつ持ってても仕方ないし、何かの役に立つかも知れないから、灯里が持っておけよ」
「い、いいの? そんな大事な物……」
「おう! 名づけてアーケイン・ペンダント! 俺が勝手にそう呼んでる」
俺は努めて明るくそう言い、歯でも光らせそうなほど得意げな顔を見せてやった。
しばらくはそんなわざとらしい態度の俺をまじまじと見つめていた灯里ではあったが、やがて俺の気持ちを汲んだのか、俺と同じように明るく笑って見せた。
「あはっ、何それ厨二病?」
「……どうやら俺は、灯里に幻滅されてしまったようだな」
「どうかなぁ。それはどうかなぁ」
灯里はそんなふうに俺を悪戯な目で見つめてきて、そして、そのまま俺にキスをした。
「さっきフラれたのに、なんだか私、また遥斗くんに惹かれてもうてます」
「ん〜。それは弱ったなぁ。あまりしつこく迫るのも見苦しいぞ灯里」
「む〜っ! 酷いよ遥斗くん!」
先ほど強く抱きしめ合った体勢のまま、灯里は俺の上に乗ってポカポカと俺を殴り始めた。
これでいい。
変に重くもなく、傷つけ合うでもなく、自然に終われたなら幸いなことだ。
これから俺と灯里は文字どおり別々の世界で生きていくことになる。
でもそれが嫌な思い出にならなくて良かった。それはたぶん、灯里も同意してくれることだと思う。
それから俺たちは、いつものように自然な態度で、これまでの思い出話や、少しの未来への希望について話し始めた。
これで笑顔でお別れができる。
俺はそう思っていたけれど、やはり異世界というものは予測不能な事態を俺に押し付けてくるものらしい。
そのとき建物の外で、大きな爆発音が響いた。