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聖女と騎士のはなし  作者: 笑川雷蔵
20/29

聖女さんのあそびかた


「またおぬしか」

 のっぽの学僧をたずねて書庫を訪れたリシャールは、気に入りの席で本を広げているギルバートに溜息をつきました。

「今度は何だ、『シエナ・カリーンのウルスラによる竜についての考察』か、それとも『ゴドウィン卿による東方諸国見聞録』か」

「リャザンのエイレネによる聖母礼讃」

 至聖の御座(みくら)に坐す教母の手になる美しい詩集を、まじめな顔で見せる幼馴染に、ああそうかとリシャールは呆れ顔で応じます。せっかくの非番だ、つれなき叡智(ソフィア)にかまけているよりも、どこかの乙女を遠乗りにでも誘ったほうがまだましだろうと口にしかけたところ、

「ダウフト殿?」

 黒髪の騎士の正面に座し、机に顔を伏せて健やかな寝息を立てている守り姫に、琥珀の騎士は目を丸くします。そばにペンやインク、文字を書き散らかした紙があることから、どうやら書き取りの練習をしていたらしいと察したのですが、

「話にならん」

 リシャールの視線を受けて、ギルバートが肩をすくめてみせました。


 南の小村を脅かしていた魔物を討ち取った<狼>と聖女が、砦に帰り着いたのは明け方近くのこと。日頃から鍛錬を重ねている騎士たちならばともかく、非力な乙女にはずいぶんと酷な道のりであったにちがいありません。

「ろくに休みもせずに、動き回ろうとするからこうなる」

「日の高いうちは、マントを身に纏っておくのが騎士のたしなみだったな。エクセター卿」

 乙女の身をそっと覆う夏物を指したリシャールに、ギルバートは憮然とした表情をみせました。長いつき合いゆえの悲しさよ、口とは裏腹の態度などすべてお見通しというわけです。


「で、おぬしはただ漫然と姫君の目覚めを待ち続けているというわけか」


 ふたりのやりとりなぞつゆ知らず、じつにのんきな寝顔を披露するダウフトを見て、

「アネットの好きな昔ばなしに、口づけで乙女の眠りを覚ました騎士のはなしがあったな」

 いにしえ人の行いに倣ってはどうだと揶揄するリシャールに、

「そんなもので、ダウフトが目を覚ますか」

 寝相と寝起きの悪さは折り紙つきだと、およそ浪漫も何もあったものではない現実を口にして、騎士は幼馴染の提案を一蹴します。

「どうせこやつのことだ、夕餉まで眠りこけているだろう」

 本を読むにはちょうどいいとうそぶいて、黒髪の騎士はややまじめな面持ちで幼馴染を見上げます。

「ひとつ、妙なことも見つけたからな」

「妙なこと?」

 聞き返したリシャールに、ギルバートは傍らに置いてあった書状を手に取りました。

「ギルバート、それは」

 瀟洒な紙から、ふわりと匂い立つのはすみれの香。流麗に綴られた飾り文字と、乙女の旗印を意識したらしい空色のリボンを丁寧に結わえた書状に目を丸くするリシャールに、

「ランスのへぼ詩人だ」

 砦の聖女へ、恋文とも見まごう熱烈なる詩の数々を送りつけてくる若き市長を、ギルバートはそう評して憚りません。

 とはいえ、まるで根拠がないわけでもありませんでした。アーケヴ屈指の商業都市を見舞った危機を、人々と力を合わせて乗り越えてきたかの御仁に、気まぐれなる九人姉妹(ミューズ)の誰ひとりとして愛を賜ることはなかったというのが、当の本人を除く皆の共通した見解だったからです。

 事実、市長がしたためた詩がもとでひき起こされた騒動以来、東の砦では、ダウフトへ贈られた市長からの手紙は「取り扱い厳重」の怪文書としてギルバートが管理を押しつけられていました。

 その理由とて何のことはありません。手紙の最後に必ず添えられている、破壊力満点の詩に耐えうること能うものが彼ひとりだけだったからなのです。


「今までは月に一度で済んでいたものが、週に一度送りつけてくるようになった」

 新手の嫌がらせかと渋い顔をするギルバートに、いやそれはおぬしの主観も多少とリシャールは呟きます。

「それより、魔物も逃げ出す市長の詩とダウフト殿がどう関係があるんだ」

「見ていろ」

 そう言うと、ギルバートは紙を手に取り――めくるめく陶酔ぶりと、斜め四十五度に飛躍した表現がこれでもかと綴られた文字の羅列と評してやまない詩を口にします。


 するとどうでしょう。

 今まで、のんきに眠りこけていたはずの乙女が、たちまち苦しそうにもがきだしたではありませんか!


「おい、ギルバート」

 書庫の向こうで、仄暗い水底から這い上がってくるような呪わしい響きに打ちのめされた誰かさん―おそらくはのっぽの学僧でしょう―が卒倒した物音を耳にしながら、リシャールはうなされている乙女のもとへと近づきます。

「分かっている」

 至極冷静に応じると、ギルバートは次に自らが広げていた聖エイレネの詩集を手に取りました。

 九人姉妹の現身と名高き教母が綴った、水晶が触れ合うような美しい一節を彼が口にしたとたん、それまで苦しんでいたダウフトが急に安らかな寝息をたてはじめます。

「何と分かりやすい」

 思わず呟いたリシャールに、偶然ではないことを示すかのように市長の詩と教母の詩を交互に読んでゆくギルバート。そのつどうなされたり、のんきな寝顔を取り戻したりと、眠れる乙女の表情はじつに忙しく入れ替わります。

「次は、エクセターの昔ばなしでもしてみるか」

 教母の詩集をぱたりと閉じて、大まじめな顔でのたまう黒髪の騎士。どうやら彼なりに、村娘の反応を面白がっているようです。

「アーケヴじゅうの人間が知ったら、袋叩きにされかねんな」

 救国の乙女で遊ぶとはと呆れかえるリシャールに、大したことではなかろうとギルバートはけろりとして応じます。

「ダウフトが起こした騒ぎに比べれば、俺の仕打ちなどまだかわいいほうだ」

「どこがかわいいって?」

 すかさず突っ込みを入れるリシャールをよそに、さて何のはなしから試そうかとギルバートは眠れる乙女に漆黒の双眸を向けました。

「林檎の古老か、妖精の女王か」

 水棲馬(ケルピー)の女房に、赤帽子(レッド・キャップ)はまずいなと呟くギルバートに、ああもう好きにしろと力なく手を振って、リシャールは書庫を後にします。


 何となく――ほんとうに何となくではあったけれど。


 ランスの市長が冗長に書きつづった賛美の言葉すら足元に及ばない、妙にほのぼのとした空気がふたりの間に漂っていたことに、何ともいえぬ面はゆさを感じたなどと口が裂けても言えるものですか!


 とはいえ。


 乙女の眠りをおびやかすまいと、あえて楽しいはなしを選んで語っているであろう臍曲がりと、よどみない騎士の声を聞きながら、無垢な笑みを浮かべてまどろむ村娘の姿を思い浮かべて。

 果たしてこれでいいのだろうかと、変なところでまじめな琥珀の騎士は、たいそうまじめに思い悩むのでした。


            ◆ ◆ ◆

 


 数日後。

 ほどよい日射しが降り注ぎ、さわやかな風が通り過ぎてゆく砦の書庫。


「……ダウフト」

 またもや机の上に突っ伏してすやすやと眠りこけている娘さんに、黒髪の騎士はとうに数えるのもあきらめた、幾度めかの溜息をつきました。

 ここは書を広げる場であって、緊張感のない寝顔を披露する場ではなかろうに。

 今日こそはきちんと言い聞かせなければと決意して、騎士は娘さんへと厳しいまなざしを向けたのですが――いかな朴念仁といえども、しあわせとやすらぎに満ちたまどろみを破ることなどできるはずもありません。

 説教は目が覚めてからだと己に言い聞かせ、書庫を出ていこうとした黒髪の騎士でしたが。ふと、あることを思い出して足を止めました。

 あたりを見まわして、だれもいないことを確かめると。騎士は娘さんの眠りを妨げないようにそっと近づいて、愛らしい耳に一言囁きました。


「羊飼いのパイ」

 すると、彼の言葉に娘さんが同意するかのように小さく呟きました。その様子を眺めながら、アネットの言っていたことは本当なのかと、黒髪の騎士は内心で首を傾げます。


「ダウフト姉ちゃんが寝てるときに、お耳のそばで食べたいものを言うといいよ」

 他のひとにはないしょだよと、未来の戦乙女がこっそりと囁いたひみつでした。まさかと言いたげな顔をした黒髪の騎士に、うそじゃないもんと幼子は頬をめいいっぱいにふくらませました。

「アネットがやったときには、焼きりんごを作ってくれたもん」

 水色の瞳を潤ませた幼子に、わかった一度試してみるからと確約させられて。

 いちおう実行には及んだものの、仮にも聖女と呼ばれる者がそこまで単純であるはずはという思いと、チェダーのチーズを入れるようにつけ加えておくべきだったかという個人的嗜好の問題とが騎士の中でせめぎ合います。

「せいぜい、パイが出てこないことを祈るか」

 そう呟いて、若い騎士が今度こそ書庫から出ていこうとしたときです。


 前髪が少しくるんとはねた、くせのあるみごとな金髪を揺らしながら、迷いのない足取りで書庫にやって来たのはわがまま侯子でした。

 黒髪の騎士を挑むように一瞥すると、少年は窓辺の席でうたた寝をしている娘さんへと近づき――先ほど騎士が囁いたことばを打ち消すかのように、すこし大きい声でその耳元に囁きました。

「アーモンド入りオムレツ」


 静まりかえった書庫のなか、蒼海のごとき鋼玉と夜の静寂しじまをたたえた漆黒と、ふたつのまなざしがぶつかりあいました。

 どうやら、未来の戦乙女のないしょ話は、黒髪の騎士とわがまま侯子のふたりに限られたものであったようです。


(ます)の香草焼き」

 娘さんが、奥方さまから教わった料理を挙げた黒髪の騎士に、少年がぐっと言葉につまりました。こっそりと砦を抜け出して町へ遊びに出かけたばかりに、かの料理を食べそこねたことを思い出したからです。

 けれども、そんなことでやすやすと退くようなわがまま侯子ではありません。

「鶏のシチュー、オード風。人参抜きで」

 広大なデュフレーヌの片隅に、ちょこんとオードが乗っているようなかたちとはいえ、いちおうご近所どうしです。人々の気風も料理も、ほんの少しだけ似通っています。はるか北のエクセターなどより、娘さんにはとてもなじみが深いことでしょう。勝ち誇ったように黒髪の騎士を見やった少年でしたが、

「玉ねぎのタルト」

 さらりと放たれた騎士のことばに、わがまま侯子が心底悔しそうな顔を見せました。娘さんがこの料理を作るときは、たいていが目の前にいる無愛想な男のためだったからです。

 生地にはすこしタイムを混ぜて、ベーコンは多めに。騎士の好みを、うたうように呟きながら生地をこねていた娘さんへ、僕の分はとやかましく主張したばかりに、金髪娘に厨房から叩き出されたことも一度や二度ではありません。


「魚介類のスープ、サフラン風味」

「鮭と海老の壺詰め」

「ほろほろ鳥のテリーヌに、ひらめの蒸し煮マスタードソース添え」

「ほうれん草のティンバルズ」


 それぞれに、故郷ご自慢の料理や個人的に好きなものを次々と挙げてゆく黒髪の騎士とわがまま侯子。何やらむきになっている感もありますが、当の本人たちはまるで気づいていません。

 あまり書庫で騒ぐと、腕力沙汰はさっぱりでと嘆息しているのっぽの学僧に、三千頁はあろうかという『植物大全』で殴打されかねないことすらも、どこか遠くに放り投げているようです。


「鴨のオレンジソースにくるみのケーキ、鯛のグリル・デュフレーヌ風ッ」

「仔羊のロースト、ベリーのプディング。若干木いちご多めで」


 延々と続くかと思われる、若い師匠と弟子のじつにおとなげない応酬をよそに。まどろみに身をゆだねる娘さんは、みずみずしい珊瑚の唇にしあわせそうな笑みを浮かべるのでした。



 こんなやり取りがあった、三日後のこと。


「どうしたんですか、ダウフトさま」

 野菜を刻んだり、味加減をみたり、(かまど)をのぞきこんだり、鍋をかき回したり。

 己のあるじが、厨房でくるくると立ち働いていることに鳶色の瞳を丸くした金髪娘に、ええそれがと娘さんは不思議そうに首をかしげました。

「なんだか、急にいろいろ作りたくなって」

 知らない料理は、ノリスさんに教えてもらいましたと答える娘さんに、いいことですと料理長が樽のような身体を揺らしました。

「聖女さんをくびになったって、どこの家でも十分やっていけますよ」

 芋と玉ねぎの扱いにかけては天下一品ですからねと太鼓判を押す料理長に、ほんとうですかと明るい笑みを見せた娘さんでしたが、

「これなら、ご亭主もさぞ満足なさるでしょうからね」

 にやりとした料理長に、よかったですねと金髪娘が朗らかに笑い出しました。あのわたしあっちの鍋を見てきますと、これまた熟れたりんごのような顔になった娘さんが慌ただしく駆けてゆくさまを見て、


「単純すぎる」

 ほんわりと湯気を立てる、あまいオムレツを前に呟いたわがまま侯子へ、言うなと力なく制したのは黒髪の騎士でした。彼の前にも、竃から出てきたばかりの羊飼いのパイがそれはおいしそうなにおいを漂わせています。

 さらにふたりが向かい合って座る卓には、鱒の香草焼きに玉ねぎのタルト、ほろほろ鳥のテリーヌに魚介類のスープ、ほうれん草のティンバルズにひらめの蒸し煮マスタードソース添え、くるみのケーキに木いちごを多めに盛ったベリーのプディング、田舎風シチュー―ただし人参入り―が所せましと並べられていました。

 アネットの話は本当のことだったと、確信した少年と騎士でしたが。ここまで暗示にかかりやすい聖女もどうかという、新たなる苦悩がふたりの胃の腑を締め上げます。



 とはいえ。



「どうしたんですか、ふたりとも」

 口に合いませんでしたかと、心配そうな顔をする娘さんに真相を話すことなどとうていできるはずもなく。

「まあまあだ」

「おかわりはあるのか、ダウフト」

 彼らなりの褒め言葉を耳にした娘さんが、じゃあ仔羊のローストと鯛のグリルのほうを見てきますねと、うきうきとした足取りで竃へと向かうさまに、

「本当のことがばれたら、ダウフトは怒るだろうな」

「十日は口をきかんだろう」

 この件については、決して口外しないことをかたく誓い合い。似たもの師弟は、次々と寄せてくる料理の軍勢を迎え撃つべく、唯一の武器である木の匙を手に取るのでした。


(Fin)

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