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第2話 能務省

 目を覚ますと知らない天井が見えた。

 僕の手は誰かに握られていて、それが兄だと気付いたのは、視界の端に誰かと話す兄の顔が写り込んでいたからだった。


「ここ、は……?」

「杏吏!」

「にい、さん」

「良かった、気が付きましたか」


 低く深く響くこの声を聴くのは三度目だった。

 驚いて反射的に起き上がると、兄の隣にニュースでよく見る顔があった。


「の、能務(のうむ)大臣、っ?!」

「おや、バレてしまいましたか」

「いや、え?! その声、え? だって今朝、」

「お会いしましたねえ」


 今朝聴いたままのダンディな声は、やや間延びした口調でそう言った。なぜ今朝は気付かなかったのだろう。そういえばマスクをしていたような気がする。テレビ越しとはいえ一度くらいは聴いたことがあるだろう声に、全く気付けなかった己の鈍感さに少し引いた。


「今朝は自己紹介もせず、先ほどは強引にしてしまってすまなかったね。私は天鷲見(あますみ) 和彦(かずひこ)。能務省で大臣をやっている者です。よろしくね」

「あ、えと、﨔(くにきだ) 杏吏(あんり)です……よろしくお願いします」

「天鷲見大臣は俺の直属の上司なんだ」


 僕の手元から声がして、実の兄、﨔田要(くにきだ かなめ)は言う。兄が能務省に勤めているなんて話は初耳だった。

 聞きたいことは山ほどある。

 兄を問い詰めようとして口を開いた瞬間、天鷲見大臣の隣から、やや高めの声で遮られた。


「我もいたぞ」


 目を見張った。

 眩しいくらいに明るいオレンジのカーディガンを、白シャツの上から羽織っている美しい人が見える。中性的で男性とも女性とも取れるような整った顔立ちをしていた。髪は明るめのブラウンで、天鷲見大臣よりは少し背が低い。明らかに華やかなオーラを放っていて、本当に光り輝いているのではないかと思った。

 開きかけた口を塞ぐことも忘れて見とれていると、天鷲見大臣の放った次の一言に僕は面食らった。


「……ムル様」

「え……え? む、むるさま、って、」

「今朝、美しい鳥に出会ったであろう。それが我だ」

「ええっ?!」

「あっ! ちょ、ムル様っ、そんな簡単に正体を明かさないでくださいといつも……!」

「こうして話すのは、我が明かしても良いと判断した者にだけだ。と、いつも言っておろう」

「それは、そうなんですけど……!」

「アマスミは少し固すぎる。だいたい、今朝の姿も狼たちも見られているのだから、この子にも知る権利くらいあるだろう」

「ムル様っ、」

「今朝の鳥が、人間……?」

「左様。我はこうしてニンゲンの姿にもなれるのだ。こちらの方がニンゲンにとって意思疎通がし易いであろう?」


 魔獣が人間の姿になれるなんて聴いたことがない。ましてや同じ言語を話すだなんて。混乱する僕を尻目に、ムル様は実に得意げだった。

 助け舟を出すように、兄が会話に加わる。


「まあ……一部の魔獣にとっては造作もないことなんだ。杏吏は魔獣を見ること自体初めてだったんだろ? こういうこともあるって話さ」

「兄さん……」


 僕らの住む世界には、もともと魔獣は存在しない——誰しもが義務教育のうちに授業で習うことだ。では何故、その存在を知っているのか。『召喚者(サモン)』と呼ばれる人たちがいて、その人たちの持つ能力によって、僕らの住む世界とは異なり、隣り合う世界、通称『隣世界(アジェイセント)』から召喚されているのだ。

 勿論、遭遇することは極めて稀で、僕も今朝の時点までは、文献でしか知り得ない幻に近い存在だと認識していた。だからこそあんなに動揺してしまったし、天鷲見大臣は「内密に」と言っていたのだと思う。

 それがこんな急に、しかも鳥の姿で一度、人間の姿に変化した状態で二度お目にかかれるなんて。

 兄は一部の魔獣と表現していたが、恐らく、ムル様のように人間に変化できる魔獣は相当な上位存在に限られると考えるのが妥当だろう。あまり細かい話をしないのは、なんらかの事情によって詳細を話すことを制限されているから。お役所勤めも大変そうだ。

 だいたい、天鷲見大臣が召喚者だったなんて話は初めて聞いた。


「ムル様は鳥神種族が住む隣世界出身なんだ。私はもともと能務省の召喚局にいてね……そこでムル様と出会った」

「簡単に言えば、我はアマスミによって召喚()び出されている状態なのだ」

「は、はあ」


 急激に新たな情報がたくさん入って来て、僕の頭はますます混乱していく。

 天鷲見大臣が今朝出会った大きな鳥の召喚者で、大きな鳥はムル様という上位存在で、ただの大学生だと思っていた兄は天鷲見大臣の下で働く能務省の国家公務員で、その兄が僕に何かを嗅がせてこの施設に運び込んで、そして僕は今まで寝ていた。

 詳しく聞きたい話がたくさんあったが、天鷲見大臣が少し強張った表情で僕を見たので口をつぐむ。何か言いたいことがあるのだろう。

 学校での強引なやり方よりは、話してくれた方がマシだと思った。


「さて……起きたばかりで混乱しているところ、本当に申し訳ないのだが……杏吏くんに一緒に来て欲しいところがあるんだ」





 ベッドから降り、寝かされた時に脱がされたのであろう制服のジャケットを兄から受け取り、ネクタイを締め直して身なりを整えると、天鷲見大臣は僕と兄を連れて部屋を出た。

 無機質で規則的に部屋が並ぶ、比較的新し目な廊下を奥の方へと進むと、建物の角に薄暗い階段が見えてきた。何段か降りると『関係者以外立ち入り禁止』の文字とともに鉄製の扉が現れる。扉にはカードリーダーが設置されており、天鷲見大臣は首から下げていたIDカードをかざした。ピー、カシャンと音がして、ロックが外れ、天鷲見大臣は中へ入る。続いて僕、兄の順に入ると、再びピー、カシャン、と音がして、施錠されたようだった。

 階段をひたすら降りていく。この時代にエレベーターが無いなんてどうかしていると思った。下っていくにつれ、ひと気や使用感が薄れていき、どんどん暗くなっていく階段を降り切ったところで、また新たな廊下に出た。

 正面は壁で、強制的に左折する構造になっている。左に曲がって廊下をしばらく進むと、天鷲見大臣は鉄製スライド式自動ドアの前で止まった。ドアに隣接した壁には、指紋認証とパスコードを入力するためのテンキーが設置されている。天鷲見大臣は指をかざし、何やらコードを入力すると、ガチャリ、と鍵の外れる音がしてドアがスライドした。

 ようやく目的地か、と思ったが、まだ先に少し廊下が伸びていて、奥に扉が見えた。どうやらこの先が目的地らしい。天鷲見大臣は正面の扉に顔をかざすと、顔認証になっているらしい扉がカチリと開き、同時に様々な電子音が聞こえてきた。


ピー、ピピッ、ヴーン……


 何やら研究室のような出で立ちで、知らない装置がたくさん置いてある部屋だった。正面には大きなガラス張りのホワイトキューブが見えていて、その中央に先ほど襲って来た真っ白い狼が、半透明な緑色の球体の中に捕らえられているのが見える。誰かの能力なのだろう。狼は目を閉じていて、寝ているようだった。

 天鷲見大臣は、中央の一際大きなパネルを操作する白衣の大人に近付き、声をかける。僕と兄も後に続いた。


「上代、どうだ」

「ッ! わっしーさん」


 そう言って振り返った顔に、僕はひどく狼狽した。見覚えのありすぎる顔だった。


「トラベチの、シロダイ……?!」


 なぜ、今の今まで気付かなかったのだろう。

 能務大臣がいるということは、ここはどう考えても能務省の施設の中だ。ということは、僕の最推しこと『Traveler's Check(トラベラーズチェック)』、通称:トラベチのメンバーがいてもおかしくないのだ。

 彼らは能務大臣直轄特別広報管理機関の広報宣伝課であり、全世界共通の動画投稿サイト『MyWave』にて『隣世界Vlog』と称した動画の制作・配信を行なっているが、普段は国家公務員として、能務省で働いているのだから。


「おっ? 俺のこと知っとんのか少年!」

「あ、はい、えと、動画っ、いつも見てます」

「お〜〜! そら嬉しいなあ! おおきに!」


 シロダイは動画で見たまんまの関西弁と笑顔で、僕に手を振ってくれた。

 感動して体が震える。こんなことって。あまりの衝撃に全ての状況が頭から抜け落ちて、頭の中が幸福感で満たされた。

 あれ、僕今何してるんだっけ?

 不意に我に返ると、球体に捕らえられ寝ていたはずの狼と目が合った。

 瞬間、狼は激しく暴れだす。


ガンガンガンガンッ!


「うわっ!」

「おー、急に暴れだしたな」


 暴れる狼は球体に激しく体当たりを繰り返し、様々な機械と白衣の大人たちが一気に騒がしくなった。皆それぞれ担当の機械に向き合い、パネルを操作している。


ビーッ、ビーッ、ビーッ!


 突然、ホワイトキューブからアラーム音が鳴り響くと、シロダイは弾かれるように立ち上がって、別の機会の元へ駆け寄る。現場は更に騒然とした。なにやらヤバイ状況らしい。


「おい! 大丈夫か!」

「上代さん!! まずいです!!!!」

「すみませんっ! 持ちそうにな、っぐア!!」

「全員伏せろ!!!!」



 球体の維持を担当していた大人たちが能力返りを受け撃たれたように身体を弾かれ、その場に倒れ込んだ。天鷲見大臣の叫ぶ声に、反射的に体勢を低く構えると、球体から解放された狼がまっすぐ窓ガラスへ突撃してくるところだった。


バリンッッ!ドシャッ!!


 雷のような一撃が窓ガラスを襲い、その場に雪崩れ落ちる。狼はまっすぐに僕のもとへ突っ込んでこようとしていた。


「まずいッ!」

「杏吏!!!!」

「うあっ!」


 兄が伸ばした手を取るより速く、僕の身体は狼に咥えられてしまった。狼はスピードを落とすことなく空間に穴を開けると、振り返ることなくまっすぐに穴の中へ突っ込んだ。

 この穴は、授業で見たことがある。隣世界へと繋がるホールだ。僕のような能力のない一般人には縁遠いものと思っていたが、こんな日がくるなんて。

 今日は朝からおかしなことばかりだ。

 あまりの衝撃とスピードに意識が朦朧とする最中、僕は誰かの話し声を聞いた気がした。

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