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“地獄”の果てに  作者: トウコ
第一部 スー・二コラの旅物語
2/11

2.Forward


――私ね――明日“地獄(ここ)”を出ようと思ってるの。



「……は? 何言ってんだお前。ここから出られるわけねえだろ。冗談も大概に――」


「冗談なんかじゃない。思いつきで言ってるんじゃないの。もう、一年も前からそう決めて、ずっと準備してきたんだから」


 スーはベッドの下から満杯にふくれたリュックサックを引っ張ってみせた。そこには食糧や燃料、防寒着など、スーが一年かけてコツコツと集めた旅の必需品が入っている。

 だがステファンは、そのリュックサックを呆れたような、憐れむような目で見下ろした。


「……お前がここまで馬鹿だったとは俺も驚きだ。そんな無謀なことを本気で考えているなんてな」


 スーはその態度にムッとして、食ってかかった。


「そんなの、やってみなきゃ分からないでしょ? やりもしないうちから無謀だなんて決めつけないでよ!」


「無謀なものは無謀に決まってる。だいたい、どうやってここから出るんだよ? ネズミ一匹逃げられない場所だぜ?」


「まさかスー、“地獄”の門を超えるつもりじゃないでしょうね……?」


 二人の応酬を黙って聞いていたリドラが、不安げに言った。スーは、力強く頷く。


「――そのまさかよ」


「無茶よ! あそこは常に門番が見張っているんだから、すぐに見つかって殺されるわ!」


 “地獄(ここ)”を支配する者たちは総じて「門番」と呼ばれる。

 彼らが一体何者なのかスーは知らないが、彼らがこの世で一番恐ろしい存在だということは知っている。

 この世界の住人は、生まれてから死ぬまでずっと彼らの支配下に置かれる。秩序を乱す者は、即座に門番に殺される。機嫌を損ねただけで、首を刎ねられることもある。理不尽な理由で門番に連れ去られた帰らぬ人たちを、スーはこれまで何人も見てきた。


「……門番の目をかいくぐる計画はあるわ。セイント・ポニーを逃がして混乱を起こすの。そうして、門番を事態の収拾に向かわせる。そうすれば、門の見張りは手薄になるはずよ」


「つまり――今日はその予行演習だったってわけ?」


「失敗しちゃったけどね……でも次はきっと上手くいく。ポニーたちをただ放すだけじゃなくて、あらかじめ薬草を嗅がせて興奮状態にしておくわ。そうすれば門番の手に負えないほど暴れてくれるはずよ」


「無関係な住人を襲ったらどうすんだよ?」


「逃がすのは東の小屋のポニーだけにするから、その心配はないわ。あそこは丘の上だから、他の住人たちもすぐ事態に気付くでしょう。一応、民家との間に柵もあるしね。門番がそっちに気をとられている隙に、門に近い西の小屋からバムを放す。バムならきっと、門を飛び越えられるわ」


リュックサックに積もった埃を叩き落としながら、スーは説明した。ステファンは宙に舞った埃に軽く噎せながら眉を寄せる。


「そんな簡単に“地獄(ここ)”から出られりゃわけないっての。そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろ? 仮にあったとしても、そこが“地獄(ここ)”よりマシな世界なんて保証はない。そんな不確定なものに命を賭けて挑むなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある」


「馬鹿馬鹿しいなんて――」


 スーは反射的に出そうになった感情的な反論を、グッと飲み込んだ。それから自分を落ち着かせるように深呼吸をして、窓の方へ視線をやった。雪景色の中、遠くに佇んでいる漆黒の門を眺める。


「――ねえ、ステファン。アンタは自分の父さんが書いた本を読んだことがある? とても興味深い本がたくさんあるのよ。例えば、セイント・ポニーの生態についてとか、病に効く薬草の分類とか、それから――“地獄”の外の世界について、とか」


「……その本のせいで、両親は門番に殺されたんだ。お前も知ってるだろ」


 ステファンの父親は物書きだった。朧げにしか記憶にないが、知的で、物静かな人だったという印象は残っている。ステファンとは大違いだ。

 スーたちがまだ幼い頃、彼は門番の理不尽な検閲により捕らえられ、拷問にかけられた。そして何の罪もない母親とともに、門番に殺された。それはスーの両親が死んだ、あくる年のことだった。


「アンタの父さんは、外の世界のことをこう書いていたわ」


――“地獄”が本当にただ一つの世界であるのなら、高い壁や頑丈な門など必要ないはずだ。外からの侵入者も、内からの逃亡者も、そんなものは概念さえあるはずがないのだから。にもかかわらず、この世界は隅々まで()()()()()()――(いや)、誰かがこの世界を囲っている。……大雪を降らせる分厚い雲が時間とともに風に流されて壁の向こうへ消えてゆくのを、名も知らぬ鳥がどこからともなくやって来て、いつの間にかどこかへ去ってゆくのを、不思議に思ったことはないだろうか。もしその光景を目の当たりにしながら外の世界を夢想しないのならば、あなたは門番にとって都合の良い傀儡に過ぎない――


「……そんなもの、親父の勝手な妄想だ」


「私はそうは思わない。前世の罪を償うなんて門番の作ったお伽話を信じるのは、もはや年寄りだけよ。門の外には確かに世界の続きがある。みんなそれに気付いていながら、見ないフリをしているのよ。自分の知らない世界を知ることが怖いから。知らない世界を知ることは、同時に自分がこの世界にいる意味を知ることになるから」


「スー……」


「覚悟はできているつもりよ。もう二度と、ここに戻って来ることはできないでしょう。でも――それでも私は知りたいの。この目で確かめたいの。あの門の向こう側に、どんな世界が待っているのか。“地獄”の果てに、一体何があるのかを」


 重苦しい沈黙が部屋全体を覆った。降り出した雪が窓を叩く音だけが、いやに大きく響く。

 リドラは困惑した顔で、ステファンは険しい表情で黙っていた。二人は深く何かを考えていた。スーは根気強く彼らの返事を待った。

 どれくらいの間そうしていたか分からなくなるほど長い時間が経って、ようやくステファンが口を開いた。


「……俺は反対だ」


「え――」


「どう考えても、()()()()()()“地獄”を出るなんてできるわけがない。初めから無理だと分かってるなら、やるだけ無駄だ。そんな馬鹿げた夢はさっさと諦めろ。あるかも分からない世界に希望を持つよりも、現実を見るべきだ」


「ステファン……」


「……どうしたって俺たちは、一生ここから逃げることはできないんだ」


 自分自身に言い聞かせるような響きがあった。

 ステファンはベッドから腰を上げると、そのまま振り向きもせずに部屋を出て行った。すれ違い様にリドラの弟のロンが入って来た。ステファンからただならぬ雰囲気を察したのか、ロンは少し怯えていた。


「ねえね、どうしたの? ケンカでもしたの?」


「ううん、大丈夫よ。何でもないわ」


リドラは優しく、こっちおいで、と幼いロンを手招きした。そして、自分の膝の上にロンを座らせると、表情を曇らせた。


「……ねえ、スー。悪いけど、私もステファンと同意見だわ。スーひとりでここを出るなんて、やっぱり難しいと思うの」


「二人がそう思うのも無理ないわ。どれだけ無茶な話をしてるかってことくらい、分かってる。本当は私だって不安だし、怖いもの。だけど……だからこそ、やるべきだって思う。この先一生“地獄”で門番に支配され続ける怖さと比べたら、大したことじゃない。このまま自分の人生棒に振りたくないのよ」


 リドラの膝の上できょとんとした顔をしているロンの頭を、スーは微笑みながら撫でてやる。


「何と言われようと、私は明日、ここを出て行く。だから今日でみんなともさよなら。できればステファンとも笑顔でお別れしたかったけど、しょうがないわ。もし明日会えたら、リドラから――」


 不自然に言葉が途切れた。


「スー? どうかした?」


「ねえ……これは私の我儘なんだけど、もし……もし良かったら――リドラも一緒に来ない?」


「え――」


突拍子もない誘いに、リドラは自分でも驚くぐらい間の抜けた声を上げた。スーは弁解するように早口で付け加える。


「もちろん、無理にとは言わないわ。簡単なことではないもの。危険な目にも遭うだろうし、最悪命を落とす可能性だってある。大事な人とも二度と会えなくなるし……でも、今ね、ふと思ったの。リドラが一緒にいてくれたら、何て心強いだろうって。二人ならきっと素敵な旅になるに違いないって……」


スーは尻すぼみになりながら、おずおずとリドラの顔色を窺った。しかしリドラは唖然としたまま、口を開いて固まっている。


「ねえね?」


 ロンが心配そうにリドラを見上げた。スーはリドラの反応に内心気を落としたものの、そう悟らせないように無理矢理明るく振る舞った。


「無理に決まってるよね! 困らせるようなこと言ってごめん。全部忘れてちょうだい。ね、だから――」


「一緒に行くわ」


「えっ……」


「私も一緒に行く。スーひとりじゃ心配だもの。だから、まだお別れは言わないわよ」


「え、で、でも、良いの? 本当に……?」


リドラは力強く頷いて、笑った。


「良いのよ。私もちょうど、“地獄”に飽き飽きしてたとこだから」


スーは表情をみるみる緩ませ、椅子から立ち上がり大きな声で叫んだ。


「嬉しい! 本当に? 本当に良いのね? 一緒に来てくれるのね? 本当ね!?」


「もちろんよ。私に二言はないわ」


「ありがとう! リドラ! 大好きよ!!」


スーは歓喜の声をあげてリドラに抱きついた。膝に乗っていたロンがスーに押し潰されて迷惑そうに顔を顰める。そのままベッドの上に雪崩れ込むように倒れて、三人は笑いながら抱き締め合った。

スーのあまりの喜びように苦笑しながらも、リドラは束の間の幸せな時間をそっと心の中で噛み締めた。




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