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“地獄”の果てに  作者: トウコ
第一部 スー・二コラの旅物語
1/11

1.Frigid world

 曇天の空の下、地面に降り積もった雪を容赦なく踏みつけながら一人の少女が走っている。


「スー! スー・ニコラ!! 待ちなさい!」


 その背後から野太い女の怒鳴り声が響いた。

 少女は癖の強い栗色の髪を風になびかせながら振り返り、追っ手との距離を目で測る。

 約二十メートル強。雪に阻まれた足元の悪い道ならば、十分逃げおおせる距離だ。白い息を吐き出しながらほくそ笑み、少女が前方に向き直った――その時。


 目の前にスッと人影が現れた。


「わっ!」


 全速力で走っていた少女は急に立ち止まることもできず、見事その人影に真っ正面からぶつかった。


「い、たた……」


「――ったく、あぶねえな。どこ見て走ってんだお前は」


 雪の上、盛大にひっくり返った少女の頭上に、ため息が降りかかる。ため息の主が顔見知りの少年だということは、その嫌味ったらしい言い方からすぐに分かった。


「うるさいわね! アンタこそ、どこ見て歩いてんのよ!」


「ぶつかって来たのはそっちだろ。責任転嫁するなよ――おっと」


 少年は抗議する少女から目を逸らし、わざとらしく口を噤んだ。その妙な仕草に眉を寄せると同時に、真後ろからしっかりと腕を掴まれた。


「やっと捕まえた。もう離さないよ」


「ルーおばさん……」


 少女は寄せた眉に悔しさを滲ませた。少年と口論しているうちに、つい追っ手の存在を忘れてしまったのだ。


「さあ、家へ戻るよ、スー。説教はそれからだ」


 強く腕を引っ張り上げられ、少女は渋々立ち上がる。コートについた雪もそのままに連行される少女は、去り際、これでもかと少年を睨み付けた。


「ほんと最悪。アンタのせいよ、ステファン」


少年は何も言わずに肩をすくめ、二人とは反対方向に歩いて行った。




◇  ◇




 家の中に押し込まれるや否や、スーは引っ張られていた腕を強引に振り切った。相手は動じることもなく、「コートを脱いで、ここに座りな」と命じる。

言われなくても分かっていた。濡れたコートを脱ぎ、毛糸の帽子とマフラーと手袋も剥ぎ取って、暖炉の前に乱暴に放り投げる。それから古びた椅子に音を立てて座り、スーは腕を組んでその人を見上げた。


「まったくお前は、どうしてこういつも問題ばかり起こすんだい。リドラを見習って、少しは大人しくできないものかね!」 


 腰に手をあてて太い眉をつり上げているのは、スーの伯母。幼少の頃に両親を亡くしたスーの面倒を見てくれている、いわば育ての親だ。


「問題を起こしているつもりはないわ。私はただセイント・ポニーを自由にしてあげただけよ。それの何がいけないっていうの?」


「それ自体が問題だって言ってるんだよ、この馬鹿娘!」


 スーは不満げに口を尖らせた。

 つい小一時間程前、スーは飼育小屋の扉を開け放してポニーたちを外に逃がそうとした。戸惑うポニーたちの手綱を引っ張り無理矢理外に連れ出そうとしている姿を他の住人に目撃され、スーの企みは瞬く間にルーおばさんの耳に入ったのだ。その後のことは、お察しの通りである。


「良いかい? スー。セイント・ポニーは、私たちの暮らしに欠かせない存在なんだよ。彼らがいなくなれば、私たちは重たい荷物を運ぶことも、動力の歯車を動かすこともできなくなる。私もお前も、生きてゆかれなくなる。それでもお前は、間違ったことをしていないと言うつもりかい?」


「ええ、そうね。私は間違っているとは思わないわ」


 一切悪びれることなく、スーは言い切った。


「私たちはこの寒くて狭い小さな世界の中から一生出ることが叶わない。年中雪に閉ざされて、太陽も晴れた空も見られない、窮屈で絶望的な世界……私たちは一生ここで門番に監視され、支配され、搾取され続けて死ぬのよ。誰も私たちを憐れんだりしない。誰も私たちを救ってなどくれないの」


 スーは更に強い口調で続ける。


「セイント・ポニーも同じよ。私たちと同じ。彼らにとっては、この世界の中のさらに小さな小屋だけが居場所なの。身体を横たえることもままならない、寒くて狭い小さな世界。そこでずっと、他者のためだけに働かされるの。自慢の大きな翼で大空を飛び回ることも許されず、一生惨めに地面を這って死ぬの。自由なんてない。生きることや、死ぬことさえも、すべて人間の意志一つ……そんなの可哀想じゃない。だから私は、彼らを解放したかった。自由にしてあげたかったの。それのどこが間違ってるって言うのよ?」


「馬鹿なことを言わないでおくれ」


 スーの振るった熱弁は、呆気なく一蹴された。

 ルーおばさんは両手でスーの薄い頬を挟み、無理やり顔を正面に向けさせる。スーの不満に覆われた蒼い瞳がおばさんの視線を跳ね返した。


「スー、良くお聞き。()()()()()()。私たち住人は、みな前世で大きな罪を犯した者たちだ。己の罪を償うために、私たちはここで生かされている。私たちの命は、贖罪というただ一つの理由によってのみ、存在を許されている。“地獄(ここ)”にいる以上、ポニーたちだって同じことさ。私たちの生に、自由など必要ない。解放など必要ない。私たちは罪人なのだから、多くを望んではいけない。分かったね?」


 耳にたこができるほど聞いたその話に、スーは心底うんざりした。


「いっつもいっつもそればっかり。何で前世が犯した罪を私たちが償わなきゃならないのよ。わざわざ生まれ変わりの私たちが。私は生まれる前のことなんか、これっぽっちも覚えてないわよ。どんな罪を犯したのかさえも知らないまま、どうして私ばっかり辛い目に遭わないといけないわけ?」


「前世のお前も、生まれ変わりのお前も、同じ魂には変わりないからさ。魂そのものが背負った罪をここで清算することで、また健全な魂を次の世に送り出せる――そのためにはここでの償いが不可欠なんだと、お前にはもう何百回と説明したはずなんだがね?」


「何度言われようと、私は納得しないわ。前世は前世、私は私よ。私には自分の人生を自由に生きる権利があるはずだわ!」


 そう言うと、ルーおばさんは節くれだった分厚い手でスーの頭を叩いた。手加減の手の字もなかった。


「お前“地獄”の門番の前で同じことが言えるのかい? 取っ捕まってすぐに殺されちまうと分かっていて、その幼稚な理想を貫けるのかい? ええ?」


「…………」


 叩かれた頭を押さえ、スーは無言のままルーおばさんを睨み付けた。白い肌に散りばめられたそばかすが、捻くれた瞳を強調している。

 一向に反省する気配を見せないスーに、おばさんはとうとう痺れを切らした。


「強情な子だね、まったく。少し自分の部屋で頭を冷やしてきな。しばらくは外出禁止だからね!」


 気が短いおばさんの説教は、長期戦には向いていない。いつも頑固なスーに反省させるところまで行かず、結局は謹慎を言い渡して終わるのだった。

 肩を怒らせて奥の部屋に引っ込んだ恰幅の良い後ろ姿に、スーはペロッと舌を出した。


「ふん、外出禁止なんて痛くも痒くもないんだから」


 鼻歌でも歌い出しそうな軽い足取りで、スーは自室に向かった。

 重い木戸を音を立てて開けると、狭い部屋の半分以上の場所をとっている硬いベッドの上に少女が一人、座っていた。


「あれ、リドラ。来てたの」


「お邪魔してるわ。それよりスー、おばさんにちゃんと謝ったの?」


リドラはスーの同い年の友人だ。スーとは違ってリドラは随分と思慮深く、大人びている。スーもそんなリドラを姉のように慕っていた。

 心配そうな顔をするリドラに、スーは歯を見せて笑った。


「まさか。私は謝る気なんてさらさらないわ。悪いことをしたとは思っていないもの」


「でも、いくらなんでもセイント・ポニーを小屋から逃がすなんてやりすぎじゃない? 一体どうしてそんなこと思いついたのよ?」


スーはリドラの向かいの椅子に腰掛けて言った。


「だって可哀想じゃない。あんな小さくて狭い小屋に繋がれて、一生どこにも行けやしないのよ。ポニーだって本当は自由になりたいはず。きっと本能では、あの翼で大空を駆けたいと願っているはずよ」


セイント・ポニーは、その細身の胴体に不釣り合いなほど大きな翼を持っている。

 真っ白で、柔らかくて、美しい翼――だが、彼らが空を舞うことはない。高く聳える壁に囲まれたこの世界では、彼らが空を飛ぶことは許されていないのだ。

 ここには東西にそれぞれ飼育小屋があり、そこで数十頭のポニーが管理されている。ポニーの世話は、スーたちの仕事だ。特に西の小屋で飼育されている、バムという名前のオスのポニーはスーの一番のお気に入りで、小さい頃から熱心に世話をしてきた。

 それを知っているからこそ、リドラは尋ねた。


「でももし自由になったバムが遠くへ行ったっきり二度と戻らなかったら、スーは寂しくならないの? 今までずっと一緒だったのよ?」


「大丈夫。寂しくないわ。だって、その時は()()()()()()()()()()()だから」


「それって、どういう――」


木戸がノックもなしにいきなり開いて、スーたちは息を止めた。一瞬、ルーおばさんが来たと思った。だがそこにいたのは、通りでスーがぶつかった少年だった。


「ステファンじゃないの。何しに来たの?」


スーは素っ気なく訊いた。先程彼のせいで説教から逃れられなかったことをまだ根に持っているのだ。ステファンは後ろ手で木戸を閉め、被っていたつば付きの帽子を脱いで雪を払った。


「ルーおばさんに、おばばの煎じ薬を届けにきたんだよ。それとリドラ、ロンが家の手伝いが終わったらこっちに来るって言ってたぜ」


「あらそう、伝言どうもありがとう。ステファン、アンタも座ったらどう?」


リドラはベッドの端によって、ステファンを手招きした。ステファンは無言でリドラの隣に腰をおろすと、スーを見てニヤリと笑った。


「――それで? お前、今度は何やらかしたんだ?」


「アンタには関係ないわ」


「おばさん、すっげえ怒ってたぞ。よっぽど馬鹿なことをしでかしたんだろうな」


「馬鹿なことじゃないわ。アンタには分からないだろうけど、とても意義のあることよ」


 スーよりさらに青白い肌に乗っけた目を、ステファンは意地悪く細めた。


「意義のあること? じゃあなんで叱られるんだよ。今聞いたぜ、当分の間外出禁止だって」


「外出禁止なんてどうってことないわ。どうせもうこの家から出て行くんだから」


「ねえ、さっきもそんなこと言ってたけど、どういうことなの? スー」


 堪らずといった様子でリドラが口を挟んだ。

 スーは少し躊躇ったが、意を決して二人に宣言した。




「私ね――明日“地獄(ここ)”を出ようと思ってるの」






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