87終幕
だが、ヘイデル大将はそんなライデンの心を見透かしていたのか、素直に彼の偉業を褒め称えたのであった。悔しがり、苦虫を噛み潰したような表情をするのを期待していたライデンとしては、空振りもいいところだ。
「それはもちろん、こちらからお願いしたいところでした。父ララッタも喜びます」
ヘイデルは笑顔でうんうんうなずいた。
「では君たち、酒を飲み過ぎないようにな。それじゃ」
立ち去るヘイデルの背中を見ながら、ライデンはぼそりと「かなわないな、あの人には」と敗北を認めた。
その直後、急に会場の一角が騒がしくなる。フェーベル侯とその次女メイナが口げんかを始めたのだ。
フェーベル侯は巨躯の中年で、下女たちは彼に合う服を縫うのに大変難儀しているとの噂だった。
「何だと、父である私の言うことが聞けないというのか?」
僧侶メイナは禿頭を真っ赤にしている。憤激もここに極まっていた。
「当たり前でしょ? 新たな縁談って何よ! 相手を一流貴族の長男にすれば、私が大人しく受け入れるとでも思ったの? 馬鹿にしないでよ!」
ライデンが給仕の盆に杯を置く。
「ムンチ君、すまん。行ってくる」
「ああ」
さっそうと身をひるがえし、ライデンは親子げんかに割って入った。落ち着いた口調で両者を冷まそうとする。
「お二人とも、ここは宴の席です。大声は威厳に傷をつけますよ」
フェーベル侯が彼を見下ろした。
「これは勇者ライデン殿。私たちに何用かな? まさか娘に加勢しようという気ではないだろうな」
ライデンはうやうやしく、しかしはっきりと明言した。
「すみませんがフェーベル侯。僕とメイナは相思相愛で、近く結婚する予定なのです」
親子揃って驚愕したが、メイナのそれは父よりはるかに大きい。どもりつつ確認する。
「ラ、ライデン、本当なの? 私と結婚してくれるの?」
「もちろん。……そういうわけで侯爵さま、そちらの縁談は破棄ということでお願いします」
メイナは泣きそうになりながら、ライデンに抱きついた。彼の胸元に頬ずりする。
「言質取ったからね! 後でやめたなんて言わないでよ!」
勇者は両腕で僧侶を包み込んだ。決して離さぬとばかり、その腕に力を込める。
「言うわけないさ。平和な家庭を築こう、メイナ」
一方、フェーベル侯は二人を前に、あごをつまんでぶつぶつとつぶやいた。その目ははるか遠くを見晴るかすようだ。
「ううむ……。魔王を倒した勇者一行のリーダー、ライデン……。そのすさまじい人望は我が領民の労働意欲に直結するか……」
どうやら彼は損得と政略の迷路に入ったらしく、夢中で考え込んでいた。それをよそに、メイナは喜んでライデンとキスをかわす。俺は微笑んで杯を傾けた。未来の夫婦に乾杯。
俺の隣に魔法使いゴルドンが来た。もうだいぶできあがっていた。
「じいさん、報奨金をもらう前に祝杯をあげられてよかったな」
「なんのなんの、もらったら後は死ぬまで酒浸り生活じゃよ、ムンチ」
ゴルドンはにやりと笑う。
「もちろん金は余るじゃろう。そこで、わしは奴隷を一人買いたいと思っておるんじゃ。若い頃奴隷だった自分を助けてくれたケストラ師匠のように。もちろん、一人の生きた人間として扱うつもりじゃよ」
若い女の子たちが早歩きで近づいてきた。みんな笑顔をあふれさせている。
「もう、勝手にどこ行ってるのよ、ゴルドンさん!」
「ゴルドンさん、私たちにもお話聞かせてー」
老人はだらしなく笑み崩れた。千鳥足で彼女らのほうへ歩き出す。
「そうかそうか。いや、もてる人間は辛いのう……」
まんざらでもなさそうにそう言って、彼は去っていった。
俺はピューロのことを考えた。彼はシモーヌにふられて、また酒も飲めないのでこのパーティーを欠席したという。今ピューロは、ルミネスという片腕の少年の家で歓待されているはずだ。あるいは俺やシモーヌの顔を見たくなかったのかもしれない……
「ムンチさん」
俺の心をとろかす声は、すぐそばから発せられた。黄色いドレス姿のシモーヌがそこに立っている。
「気配を消して近づくなよ。何でこんなに遅れたんだ?」
「衣装が急遽変わってしまったので、それで」
俺はシモーヌを眺めた。色気は足りないが美しい。
「綺麗だ。よく似合ってるよ、シモーヌ」
彼女は両頬を手で押さえた。改めてそう言われると照れる、というやつか。
「ありがとうございます!」
シモーヌはにっこり微笑んで、俺に片手を差し出した。
「私と踊ってください、ムンチさん」
「俺、やり方知らねえんだけど」
「私もです。見よう見まねでいいんですよ、こんなのは」
俺たちは手を取り合って場に出て、ぎこちないステップを踏む。お互いの足を踏んで笑みをかわした。シモーヌは俺の胸に額を当て、くぐもった声を出す。
「ムンチさんの夢である料理店の開設、一緒に頑張りましょうね……」
「ああ。きっと幸せにしてみせるよ」
「嬉しいです」
新たな女神ラテナのもと、三界は相互の干渉をいちじるしく縮小した。長きに渡った勇者一行と魔王の戦いも、もう生じることはない。すべては終わり、今平和が訪れた。俺は改めてその実感を噛み締める。
シモーヌの目をまっすぐ見つめた。
「シモーヌ、お前は俺が悪魔に見えるか?」
彼女は頬を緩め、前と同じ言葉を繰り返す。
「いいえ、ムンチさん。普通のお方に見えます。そう、とっても普通な人間の少年に」
俺たちは笑って、抱擁をかわし合った。
夜は更けていく。明日からは「普通の」毎日が始まる。俺はシモーヌとともに、幸福な日々を夢見るのだった……




