80神との戦い4
どんどんヒビが入るヘルゲス。押し切ろうとする俺とムタージに、粘るヘルゲス神の攻防だった。
『ぎゃあああっ! やめて、許して、お願いっす! 何でもしますぜミスター! だから神界に戻らせてくれっす!』
ムタージが飛び切りでかい岩を投げつける。
「ふざけるな! お前のせいでどれだけの人間が殺されてきたか……! その痛みを思い知ってくたばれ!」
ヘルゲスの右腕が消滅した。左足が太ももの辺りで砕け散る。ヒビは顔面にも走り、まるでくもの巣状態だ。俺とムタージは、ここを先途とばかりにひたすら神を叩き続けた。
だが……
『殺す――殺す――殺す――殺す――!』
神の台詞がどす黒くなった。今までの軽い調子が消えて、野太い声にふさわしい迫力あるものに取って代わる。
『お前ら、ぶっ殺してやる!』
ヘルゲスの体が赤く輝き、次の瞬間、一気に押し戻してきた。俺は危険を察知して穴から飛びのく。ムタージも同様にした。その眼前を、ぼろぼろになったヘルゲスが飛び上がって通過する。
『殺してやる! このカスどもめ……! ふんっ!』
ヘルゲスが気合いを入れると、その体が完全に回復した。なくなっていた腕や足が伸びて再生し、あれだけひび割れていた顔面が元に戻る。俺は愕然とその光景を眺めた。赤い勇猛な戦士は、腕を組んでこちらを見下ろす。
『もうお遊びは終わりだ。よくもこのヘルゲスを死ぬ寸前まで追い詰めたな。敬意を表し、痛みを感じない殺し方をしてやろう。まずは誰からだ?』
俺もムタージも精神的疲労と恐怖の色が濃かった。だがシモーヌだけは違った。
「誰も殺させません。『転移』!」
ヘルゲスが光り輝く。だが彼は転移することなくその場にたたずんでいた。その光景にシモーヌは焦る。
「えっ? て、転移! 転移!」
ヘルゲスはすっと着地すると、シモーヌのほうへ歩いていった。余裕しゃくしゃくだ。
『我を再び外部空間に転移させて殺そうという気なのだろう? 青いな。「転移」の能力は我にとってあまりに危険なので、完全に通じないような体に改造してあるのだ』
「そんな……!」
『ではまずお前から殺すとしようかな』
ヘルゲスがシモーヌの襟首を右手で掴んで持ち上げた。俺は叫んだ。
「シモーヌ!」
『我に接触している限り、当然「転移」の力は使えまい。ムンチとムタージとやら、そこでじっくり見ておるのだな。はっはっは! それでは……死ねえっ!』
俺は、作戦Bを行なう覚悟を決めて言い放った。
「待て、ヘルゲス!」
『何だ?』
シモーヌを吊り上げたままこちらへ振り返るヘルゲス神。俺はその眼前で、右手人差し指を口に咥えて噛み切った。激しい痛みとともに傷口から血があふれ出る。鮮血と人差し指の先端が雲の床に落ちた。
「うぐああ……っ!」
ヘルゲスは下等な生物を見下すように呆れている。
『どうした、気でも狂ったか?』
俺は無視して魔法使いに合図した。
「ムタージ!」
「よし、任せろ!」
生物でなくなった俺の右手人差し指の先端が、『万物意操』により宙を舞う。ヘルゲスは何なら笑い出した。
『何の真似だかさっぱり分からんが……。とりあえず「削除」しておくか』
シモーヌを持ち上げたまま、左腕を振った。だがムタージの高等技術を駆使した『万物意操』により、俺の指先は『削除』から逃れる。それが飛び込んだ先は――
ヘルゲスの口の中!
『なっ、何ぃっ!』
俺はにやりと笑った。
「ヘルゲス、お前の邪閃光は体内でも生じるのかな? 食らえっ! 『鋼の爪』、連射!」
ヘルゲス神の体から、石をハンマーで何度も砕くような轟音が響き渡った。神は内側から破壊され、全身に無数のヒビをこしらえていく。それはさっきの外界における崩壊に匹敵した。
『があああっ! ば、馬鹿なっ! 我が人間ごときにいいいぃっ!』
俺はありったけの爪を叩き込み、神の内部を蹂躙していく。
「今までお前が食らってきた人間たちの命を、恨みを、存分に味わえっ!」
『ぎゃああああっ!』
ついには脳天が爆発し、神はバラバラになって飛散した。紅の輝きが途絶え、それらはただの赤い石に成り果てる。
俺は放心状態でそのさまを眺めやった。
「や……やった……」
今度こそ勝った。その事実が、しかし漠然としすぎていて上手く飲み込めない。ムタージも同様であるらしかった。
「神を……ヘルゲス神を倒した……!」
シモーヌが俺のそばに来る。
「ムンチさん、今回復します!」
彼女は俺の右手人差し指を『僧侶の杖』で再生させた。たちまち激痛が嘘のように消え去る。
「サンキュー、シモーヌ。あー痛かった……」
ムタージはしかめっ面だ。気に食わないことがあるらしい。
「……しかし、神を葬ったにしては妙だな」
「何が?」
「見よ、あの天使たちを」
粉塵の向こうに、翼を広げて宙に浮く天使たちの姿が覗けた。それぞれ個別に両手を組んで、一心不乱に祈りを捧げている。
「さっきからあの調子だが、そのうちの誰一人として消えたり死んだりしていない。ヘルゲス神が倒れれば、その創造物である彼らも滅ぶのではなかったか?」
「そういえば……」
「お嬢さんが魔薬を飲んで魔族になったのも、それを避けるためだったはず。ううむ、どういうことだ?」
『こういうことだ』
いきなり眼前に赤い破片が集まり、凝縮し、人差し指の形になった。それは完成と同時に高速で飛翔し、シモーヌの左胸を貫通する。
「がっ……!」
心臓の位置へ、それは正確に穴を開けていた。俺にとってあまりに衝撃的で、一瞬何もかもが低速の流れに浸かったようにゆっくりに感じられる。
「シモーヌっ!」
シモーヌは鮮血に染まって仰向けに倒れた。俺は震えながらひざまずき、彼女を抱き起こす。シモーヌはこちらへ何か言いたげに唇を動かそうとして――そのままガクリとこと切れてしまった。




