72神界
「どうやって?」
俺はあっけに取られた。考えもしなかった落とし穴に落ちた気分だ。
「へ? 神界へ行く方法はあるんだろ? 魔界へ通じる黒い火の玉みたいな奴とかさ……」
「そんなものはない。あるとするなら、それは『神の魔方陣』であろうな」
「神の魔方陣?」
ケストラが口を挟み、俺の記憶を刺激する。
「ほっほっほ、ムンチよ。上位天使ザノンたち天使の群れを撃退したとき、奴らは魔方陣を空中に描いて、その中に逃げ込んだだろう? あれだよ、あれ」
そういえばそうだった。現れたときも逃げていったときも、ザノンは複雑な紋様の魔方陣を使っている。
「じゃああれと同じものを作れば……」
ちょっと待った。
「って、どうやって作るんだよ、あんなもん」
ケストラは自分の胸を一つ叩き、偉そうにふんぞり返る。
「わしに任せるがいい。ザノンが神界へ退却するとき使った神の魔方陣を、瞬間的に記憶の中に刻み込んでおいたのだよ」
「ああ、そういえば何かにらんでたな。でも、あんな複雑怪奇なものを描けるのか?」
「ものは試しだよ」
こうして神の魔方陣の作成が始まった。ケストラは地面に広げた布に、黒インクと羽ペンを用いて、正確な筆致で魔方陣を描写していく。職人芸として十分食っていけるほどの繊細さだ。ムタージは呆れてそのさまを見つめた。
「お前の記憶力はさすがだな。魔族として若返ってから、さらに向上したのではないか?」
俺は気が気でなかった。つい仕事を急かしてしまう。
「こうしてる間にも、シモーヌは無茶してるかもしれない。頼むぜ、ケストラ」
「任せろといったはずだよ、ムンチ。ほっほっほ」
日が沈む頃になって、ようやく魔方陣の贋作はできあがった。ケストラはランタンの明かりのもと、最後のひと筆を入れる。
何ごとも起きなかった。俺は目をしばたたく。
「ん? 何かこう、パーッと光ったりするんじゃねえのか?」
「少し待ってみよう」
すると、突然魔方陣が輝き出したではないか。ムタージはその美しさにほれぼれしていた。
「おお、いけそうだな。ケストラ、お前は本当に凄い魔法使いだ。感服したぞ」
ケストラが空飛ぶじゅうたんを丸めて抱える。
「まずはわしが入ってみよう。どんな場所に出るか、人柱としてな」
「いいのか?」
「何、責任ぐらい取るさ。一応『魔法使いの腕輪』を借りておこう」
中に入った。数瞬の間もおかず、すぐに腕輪をしたケストラの手が突き出てきて、「来い、来い」と手招きする。
俺は『神の魔方陣』の複写が成功したことを知った。袖まくりをして舌なめずりする。
「よっしゃあ、行くぞムタージ!」
「神界か……どんなところか楽しみだ」
俺たちは相次いで『神の魔方陣』に飛び込んだ。
■神界
暗夜から昼に世界が切り替わる。俺はケストラとムタージの無事を確認してから、その異様な光景を早速吟味し始めた。
そこは白い雲が綿毛のように敷き詰められた、巨大な――圧倒的に巨大な球形の内側だ。光源はここから見て右側、球状体の外側にあるらしかった。でもかっと照りつける感じではなく、熱はそれほどでもない。
なぜか風が強く、俺たちは空飛ぶじゅうたんを広げて乗った。どんな暴風も、このじゅうたんの結界内には紛れ込んでこないからだ。ケストラがひとまずの感想を述べる。
「これが神界のようだの。初めて見るわい。こりゃランニングでもする日には最適だな」
ムタージが天――球形の中心を仰ぎ見た。その視線の先に、ハリネズミが丸まったような存在がある。
「あの中心にあるでかい建築物は何だ?」
俺はまたまた記憶の棚をひっくり返した。ええと、誰が口にしてたんだっけな――そうだ!
「そういえば堕天使ウォルグが言ってたけど……。『神界では定例議会の行なわれる「神の城」を中心に、大小1000戸の「天使室」が寄り添うように宙に集まっている』んだとよ。多分あれは『神の城』だ」
「すると、あの群がっている家のようなものが『天使室』か」
『天使室』は巨大な一軒家のようなものもあれば、小ぢんまりとした小屋のようなものまであった。いずれも宙に浮かぶ岩の上に建てられて、天井が世界の中心を向いている。ケストラの『円柱』みたいなものなのだろう。
ケストラは誰にともなく怒鳴っていた。
「くそ、この風の強いこと強いこと! 神が怒りでもしてるのかの? じゅうたんの制御に苦労するわい」
そのとき、大きな鐘の音が響き渡る。『神の城』からだ。各天使室から『異世界生物侵入! 至急撃退せよ! 繰り返す、至急撃退せよ!』との凍てついた声が流れた。すると各家屋からわらわらと天使たちが飛び出してくる。羽を羽ばたかせ、召し使いを抱えているものもいた。みんな剣や槍、弓矢で武装している。
俺たちはどうやら『異世界生物』で、神界にとっては『至急撃退』しなければならないものらしい。
「お出ましだな」
俺は右手人差し指をそっと押さえた。ケストラがムタージをからかう。
「ムタージよ、『万物意操』のコツを教えてやろうかの?」
「昔借りたときに覚えているさ。ケストラ、お前こそその『魔法使いの腕輪』を上手く扱えるのか?」
「ほっほっほ、あなどられたな」
俺は上空向けて右手を掲げつつ、二人をたしなめた。
「ほれ、喋ってないで戦うぞ!」
俺の『銀の指輪』による『鋼の爪』、ケストラの『魔法使いの腕輪』による火球、ムタージの『金の首飾り』による『万物意操』が炸裂した。天使たちはそれぞれ、爪の塊に頭を爆砕され、燃え盛る炎の球に直撃され、『天使室』の瓦礫に全身を強打された。そのほか、色んな死に方の見本市みたいだ。
堕天使ウォルグの下僕ザルフェのような、水の体を持つ召し使いたちは、ケストラが対処した。彼らは火炎の前にあっけなく蒸発し、消滅する。俺たちが包囲されそうになったときは、ケストラの腐心で空飛ぶじゅうたんの位置を巧みに変えた。




