66谷での戦い
「達者での! さらばだ!」
乱舞する光輝がそれぞれに収束し、ふいに消え去る。『勇者の剣』に複写されていたケストラの魂は、ついに当初の計画どおりに転移していったのだ――王宮の宝物庫へ。
俺とシモーヌ、ケストラが後に残された。俺はランタンに火を点けながら独りごちる。
「さて、これからどうすっかな。勇者ライデンたちとグレフを生き返らせる方法があればいいんだけど……」
ケストラが提案してきた――魔王モーグの外見で。
「おぬしら二人、しばらくわしの助手にならんか? 若返ったし記憶も戻ったしで、わしはまた魔法の研究に励むつもりなんだよ。どうだね?」
シモーヌが俺に尋ねてくる。答えは分かりきっていたが。
「どうしますか、ムンチさん」
「当然それで決まりだろ。いつか犠牲のいらない『復活の短剣』を生み出すためにも――そうするべきだな」
ケストラが笑みを含んで深くうなずいた。助手二人を確保できて嬉しいのだろう。
「よし! では行こう! いでよ、魔法のじゅうたん!」
彼が空中に線を描くと、そこから美しい紋様が刻まれたじゅうたんが飛び出てきた。すでに地面から腰の高さまで浮いている。
「さあ、乗った乗った」
全員が乗ると、じゅうたんは空中に舞い上がり、一直線にすっ飛んでいった。
■谷での戦い
空飛ぶじゅうたんに乗った俺と、大魔法使いケストラ、天使シモーヌの3人は、夜空を飛翔していった。とにかくこの魔法のじゅうたん、ふかふかしていて座り心地がいい。もう少し大きければ寝転がってしまいたいぐらいだ。それに高速飛行するため真正面から風圧でもくるかと思ったが、どうやらカーペットに結界が仕込まれているらしく、そんなことは微塵もなかった。
月明かりのもと、前方に座ったケストラの操縦で、俺たちはぐんぐん進んでいく。森林を眼下に、俺はケストラの背中へ問いかけた。
「いったいどこへ行こうってんだ?」
ケストラは振り向きもせず答える。気分がいいのか明朗だった。
「まずは何をするにも拠点が必要だ。以前下見しておいた辺境の谷に、いい施設を作れそうな場所があっての。そこへ行くのだよ」
シモーヌがもっともな危惧をした。
「でもそれは、20年前までの知識では……」
「いや、魔王モーグとして君臨していた十数年間で、迷宮の外の魔物に詳しく聞いてある。大丈夫だよ。ほっほっほ」
半刻ほど飛ぶと、草木の少ない荒涼とした谷に差しかかる。地形的には、あの石巨人がいた東の谷によく似ていた。人間サイズのコウモリや、大きなトカゲなどといった魔物たちがこちらをうかがっているが、接近すると慌てて岩陰に逃げ込んでいった。
空飛ぶじゅうたんが空中で停止する。ケストラが目星をつけたのだ。
「この辺でいいじゃろ。では……」
彼は胸にある金の首飾りを撫でたようだ。おそらくは『万物意操』の力で、岸壁が派手にくり抜かれる。扇状の横穴ができ、生じた瓦礫は谷底に捨てられた。凄い地響きを背景に、魔法のじゅうたんは穴に入っていく。
ケストラはこともなげに言った。
「とりあえず本格的な作業は明日以降にするとして、今日はこのねぐらで一休みしよう」
俺は耳を疑った。何言ってんだ、こいつ。
「ねぐらって、この横穴で? 冷たそうだわ魔物に狙われやすそうだわで、安眠できるか不安だな」
「待っておれ、今敷物を取り出す」
ケストラが降りて、指で宙に線を描くと、そこから分厚い毛布が3枚落ちてきた。
「その技、一体どうなってるんだ? 何でも入れられて、いつでも取り出せるのか?」
「いや、せいぜいが城の職員の待機場所ぐらいかな、容量は。限界があるので何を入れておくべきかはいつも悩むよ」
「分かりにくい例えするなよ。まあ、この際はありがたいけど……」
ケストラのランタンの光で、空洞はかろうじて見渡せる。シモーヌが毛布を並べているのを横目に、ケストラが俺に説明した。
「これからこのほら穴の出入り口に結界を張る。何、魔族・魔物から気配を隠す程度の、簡単なものだよ。それでも一夜の安眠は確保してくれるだろうて。ほっほっほ」
彼は転落寸前ぎりぎりの縁にしゃがみ込み、指で床をなぞった。端から端まで線を描くようにしゃがみ歩きする。最後に立ち上がると、何やらぶつぶつとつぶやいた。虹色の膜のような光が一瞬揺らめく。
「よし、できあがり。問題はわしも魔族だから、外には出れないというところか。ま、明日には消える結界だし、別にいいだろうて」
シモーヌは豪快にあくびをした。かなり眠たいらしい。彼女は毛布の上に寝転がると、「じゃ、お休みなさい、二人とも。私はもう睡眠を取ります……」と挨拶だけして、すぐに寝息を立て始めた。俺とケストラはハモる。
「お休み、シモーヌ」
俺も敷物の上に仰臥した。もふもふしていてくすぐったくなる、いい素材が使われている。これならぐっすり眠れそうだ。
昔、父ガランとともに、ゴルサ村のお祭り『聖誕祭』に参加していたときだ。見慣れた村人が見慣れない踊りを披露したり、あちこちに明かりを灯してセキュア聖典を読み上げたりと、預言者の祝日を全身で楽しんでいる。俺は父の手を握って、大道芸人の優れた見世物を眺めたり、異国で作られた人形をおねだりして買ってもらったりしていた。心躍るような活気に乗せられていたのだ。
そんな中、髪をまとめて花を挿した大人の女たちが、夫と子供たちとともに楽しそうに笑い合っている。俺はガランに聞いた。
「ねえ、何でうちには女の人がいないの? 『お母さん』は、どうして僕にだけいないの?」
父に母の所在について尋ねたのは、それが最初だ。ガランは苦しそうな顔をした。
「お母さんは――カイはな、死んでしまったんだ。お前が生まれてすぐ後に。……だから、お前にはお母さんがいないんだ」




