62ケストラ
「やめろぉっ!」
だが、まさに振り下ろされる寸前のところで、その動作を邪魔するものがいる。俺は叫んだ。
「グレフ!」
それまで遠巻きに隠れていた鳥人グレフが、素早い走りでシモーヌの手首を掴んだのだ。
「シモーヌさま、死に急いだらいけやせんぜ!」
突然の妨害に、シモーヌは驚いて硬直する。が、すぐにもぎ放そうとした。
「なっ……! 放してください、グレフさん!」
ダルモアが憤慨する。自分の計略があと一歩のところでつまずき、顔を真っ赤にしていた。
「グレフ、何をやっているんですか!」
「へへっ、あっしはいいことを聞いたでやす。『命は一回こっきりのものだ。どう使うかは自分自身で決めよ。そして、悔いないようにな』ってね!」
俺の『勇者の剣』に宿るケストラの魂が突っ込む。
「何だ、わしが言った言葉じゃないか」
「だからあっしも、悔いないようにこの命を使うでやす! それは……!」
グレフがシモーヌから『復活の短剣』を奪い取った。そしてシモーヌが止める間もなく、その刃で小筒を突き刺したのである。俺はその衝撃的な行為に目を疑った。
「なっ!」
「グレフさん!」
「グレフ、貴様……!」
割れた小筒から橙色の光があふれ出す。それは森を抜き地面を覆い、遥か天までほとばしった。熱くもなく冷たくもない輝きは、その明るさが頂点を迎えると、次第次第に減じていく。
やがて、一人の人物を生み出して、とうとう消え去った。
俺は目の前の中肉中背の男の背中を見た。
「モ、モーグ……!」
一糸まとわぬ裸の中年は――モーグは、仰向けに倒れているグレフのそばにひざまずいた。
「グレフよ、何か言い残すことはあるかの?」
鳥人はか細い声で、しかしはっきり口にした。
「あっしの墓標には……『キュリアを愛していた』と……書いてください……」
「しかとうけたまわった」
「へへ……。シモーヌさま、ムンチの旦那と末永く……幸せに……」
そこでグレフは力尽きたか、がくりと頭を落とした。こと切れたのだ。シモーヌは崩れ落ちて号泣した。
「モーグおじさま……! グレフさん……!」
同時に味わった喜びと悲しみだったが、シモーヌは当然のように後者に打ちひしがれた。それがシモーヌという少女だった。
モーグはこちらに振り返る。整えられたYの字の黒髪。その下の岩石のような顔。深い彫りで奥まった両眼は、ぎらぎらと粘っこい光を発していた。確かに俺が地下迷宮で出会った魔王モーグその人だった。
だが、何かがおかしい。どこかが違う。確実に本人なのに、ぬぐいきれない違和感がつきまとっていた。
「すまんがムンチ、裸では寒いのでな。わしに服を貸してくれぬか?」
「あ、ああ。今やるよ」
俺は着ていたチュニックを脱いで、モーグに手渡した。彼は衣服をすっぽり被る。一連の流れを見ていたダルモアが説明を要求した。
「モーグさま、あなたはモーグさまであってモーグさまではない。自分のことを『余』ではなく『わし』とおっしゃるなど……明らかに別人です。どういうことですか?」
モーグはシモーヌの頭を撫でてやりながら、温和に答える。その内容は衝撃的だった。
「わしはモーグではない。大魔法使いケストラだ。今はすべてを思い出して、すっきりしているよ」
俺とダルモアはその告白に耳を疑う。
「モーグじゃない……?」
「ケストラ、ですと……?」
シモーヌがモーグを見上げた。鼻をすすり上げ、涙を涸れることなく流している。
「……モーグおじさま、それは一体……」
俺の腰の剣が抗議した。ケストラの魂だ。
「おぬしがわしの本体だというなら、本体らしく今までの経緯を述べるのだ。そうでないとわしは納得いかんわい」
自分で自分に説明を要求する、というよく分からない図式だった。
「そうだの。では、このケストラがどうやって生きてきたか、少し語ろうかの」
■ケストラ
わしは聖歴前902年に人界に生まれた。れっきとした人間だ。何の変哲もない、ただ頭がいい豪農の次男だった。わしは16歳になる頃には人夫への指図役を務めていたよ。頭が良かったんでな――しつこいってか?
だがわしはしょせん次男だ。家を長男が継いだら、親に政略的な縁談を持ち出されての。それが嫌だったんで、ちょうど村に来ていた魔法使いセルディオへ、弟子入りを志願したのだ。わしの話を聞いた彼は、綿毛のような髪をもしゃもしゃとかいた。笑顔だったよ。セルディオはわしとともに魔法のじゅうたんに乗り、あっという間に村を離れて空を飛んでいった。見下ろした我が故郷は、思っていたよりずっとちっぽけだったの。ほっほっほ。
セルディオは魔法使いの中でも偏屈な男として知られていたが、他の同類にはない天賦の才能があった。もう中年から老人に差しかかる頃だったが、見たことも聞いたこともない技を次々と見せてくれたよ。
わしはそれにすっかり夢中になり、そのまま彼の研究施設で修練に励むことになった。師匠は寿命を延ばす薬を、毎日がぶがぶわしに飲ませたものだよ。そうして色々な魔法の成功・失敗・検証を目の当たりにしながら、彼とわしは長い歳月を過ごしていった。
師匠の技は、重いものを持ち上げたり雷雲を呼び寄せたり、岩壁を正方形にくり貫いたりと、ともかく不思議なものだったよ。しかし慣れとは恐ろしいものだ。魔法がもたらす奇跡、繰り返される超常現象に、さしものわしもいい加減反応しなくなった。
だが、そんなわしや師匠でもどうにも理解できない存在があっての。それが魔王と魔族・魔物たちだったのさ。
なぜ魔王が生まれるのか? なぜ約200年に一度出てくるのか? 黒い火の玉は通路らしいが、なぜそんなものが出現するのか? その向こうは何が待っているのか? わしは師匠にそれらを尋ねたものだよ。だが師匠は適当に聞き流して、いつもこういった。
「何にせよ、拙者らには商売の種だ。それは間違いない」




